インタラクティブの不足

会話の場面が以前に比べて極端に減ったとは思えない。世間話はするし、時事的な話題の、さほど深掘りしないやりとりは交わされる。しかし、こうした会話が中身のある対話になっているかと言うと、そうではない。会話と対話を厳密に区分しづらいが、一つだけ大きな違いがある。

会話で交わすのは雑談である。雑談に厳密なコードはない。三人の場合、Aが話し、それにBCが頷いて何も言わず、次いで、またAがことばを継ぐのはよくあることだ。一区切りして振り返ったら、場を仕切って喋ったのはほとんどがAで、BCは寡黙。即座に響かず声を発していないので、この類のコミュニケーションは対話と呼べないのである。

先日の病院の待合室でのこと。ぼくが座るソファのすぐ隣りにシニア夫婦。妻が少々ややこしい手続きの話をしている横で夫は目を閉じ、目に見える反応もせずに聞いている。いや、聞いているかどうかもわからない。妻は時折り夫の顔を見、スマホの画面を見せながら手続きの説明をしているが、夫はスマホの画面を見ない。しばらくして、妻は語気強く言った、「ねぇ、聞いてる?」 

打てども響かない夫。響く気がないのか、響く能力がないのか。響く能力とは“response + ability”、一語にすると“responsibility”である。ふつう「責任」と訳される。誰かの問いかけや意見に対して響く能力を発揮するのは責任にほかならない。ぼくに丸聞こえの妻の切り出した話は雑談で片付く内容ではなく、対話でなければならなかったはず。


本来なら直に対話すべき内容をメールで片付けている今日この頃である。メールに目を通すことと、目を通したことを相手に伝えることは違う。メール見ましたと伝えることと、メールの内容に反応して返信することはさらに違う。手紙でも同じことだが、手紙では発信と受信、受信と返信に時間差があるから、良識的にはなるべく返信を急いだものである。

ところが、メールになると、ほぼリアルタイムであるから、送った側は即時読んでもらえるものと思っている。半日が過ぎ、翌日になっても返信が来ない。少々苛立つ場合もあるだろう。実際に会っていたら、相手もこういう無反応であるわけにはいかない。

メールにせよSNSにせよ、発信には熱心だが、受信してもレスポンスを怠る傾向が顕著である。レスポンスしない、しても遅いのは双方向インタラクティブ対話の責任を果たしていない。直接会ってないからこそインタラクティブが重要ではないのか。一対一のインタラクティブが基本になって、それが人間関係や人間交流のネットワークを形成していくのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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