月: 2012年6月
この話、すべってるのか、すべってないのか……(前編)
三十八歳の頃、知人のY助教授から「大学で特別講義をやってみないか?」と声が掛かった。二十代の頃は語学学校で英語を教えていたし、三十六で創業してからも本業以外に講演や研修もこなしていた。だから、場所が大学に変わっても同じことだと軽く考えてオーケーした。全部でたったの3講、プレッシャーなどまったくなかったし、ネタを特別に仕込む必要もなかった。
続・食にまつわる語義と語源
語句の断章(19) 嫉妬
ずいぶん以前にロブ・グリエの小説『嫉妬』を読んだ。気がつけば、読者は主人公と同じ目線に立って想像をたくましくしていくことになる。とことん行かないと気が済まない嫉妬のしつこさは、消えることのない炎のようである。この小説、再読候補には入っておらず、本棚の上のほうで埃をかぶっている。
嫉妬は「嫉み」と「妬み、妬く」からできている。一般的には「自分と違う何か、自分が良く思う何か、自分が欲しい何かなどを持ったり楽しんだりしている誰かを不快に思う感情」のことである。この誰かが知らぬ者ならいいのだが、知っている者になると悲惨になってしまう。
小学館の『英和中辞典』を覗いたら、“envy”は「人の幸運・能力などを見てあやかりたいと思う気持」、“jealousy”は「それが自分にないのは不当だとして相手を憎む気持」とある。大まかには、envyが羨望で、jealousyが嫉妬と言えるかもしれない。
ところが、三世紀ギリシアの哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスは、「自分の望むものを人が手にするのを見て感じる心の痛みを羨望と言い、自分が手にしているものを人もまた手にしているのを見て感じる心の痛みを嫉妬と言う」と唱えている。羨望のニュアンスは『英和中辞典』とよく似ているが、嫉妬の解釈はまったく違う。ラエルティオス流なら、「自分と同じブランドものを持っている別の人を嫉妬する」のが正しい。三角関係における嫉妬はこちらに近いのか。
自分にないものを誰かが持っている、あるいは、自分が持っているものを誰かが持っているなどということは、とてもよくあることである。関与していたらキリがない。一生嫉妬し続ける人生になってしまうだろう。嫉妬深い人は次の一文に目を通しておくのがいい。
「嫉妬とは、不幸の中でも最大の不幸である。しかも、この不幸は、その原因となった人物には、全然憐憫の情を起こさない」(ラ・ロシュフーコー『箴言集』)。
つまり、Aを愛するがためにBに嫉妬するとき、実はAへの憐みなどまったくないということだ。要するに、嫉妬とは、ただ嫉妬の炎を燃やし続けるための情念に過ぎないのである。
食にまつわる語義と語源
数日前、食に関する本を10数冊そばに置いて、気の向くままにページをめくっていると書いた。まだ途中だが、昨夜はこの本の第一章と第二章を興味深く読んだ。
食べる=生きる
ここにある8冊と他に数冊をまとめてデスクの下に置いてある。ここ一ヵ月ほど、息抜きに適当な一冊を手に取り、適当にページを繰り、好奇心のおもむくままに読んでいる。食べることに関する話に興味が尽きることはない。
「おかしい」と言うなかれ
携帯電話会社のテレビコマーシャルに「おかしいことをおかしいと言う勇気」というのがある。「そうだ、その通り!」と膝を打ちたくなるか……。まったくならない。「勇気」などと頼もしげに言われても、「ふ~ん」と反応するしかない。いや、正確に言うと、少々苛立ちさえ覚える。
