偶然とたまたま

「偶然がわれわれの行動の半分以上を支配し、その残りを我々が操る」と言ったのは、君主論のマキャヴェリである。意味を理解するのは容易ではない。昨日、かねてから決まっていた研修のために奈良へ赴き、講義をして帰ってきた。あの一連の行動は、どう考えても、依頼者とぼくとで操っていたと思われるのだが、マキャヴェリによれば、そうではなさそうなのだ。では、行動の半分以上を支配していたかもしれない偶然とは何だったのか。今朝じっくり振り返ってみたが、思い当たるふしはなかった。

人生に関わる運命的な偶然はさておき、本来偶然などと呼ぶにふさわしくない事態や出来事が偶然を装って立ち現れ、ぼくたちに偶然だと言わしめる。日常語で「たまたま」と言えば済むのに、仰々しく「偶然」と言ってしまった瞬間、そこに意味づけしたくなるのが人の習性。ちなみに、たまたまは「偶々」と書くから偶然の一種なのだろう。めったに起こらないことが起こる。めったに起こらないけれど、確率的には起こるのであるから不思議でも何でもない。不思議なのは起こるはずのないことが起こることのほうではないか。


思い当たるふしはないと書いたが、一つ思い出した。昨日の行動をまったく支配したとは思えない、たまたまの出会いがそれだ。早い時間に奈良に着き、喫茶店に入って少しくつろいだ。時間を見計らってタクシー乗り場に向かった。一台だけ停まっているタクシーに乗り込み、行き先を告げた。運転手が怪訝な顔をして振り向いたので、行き先を言い間違えたことに気づいた。即座に言い直して了解してもらった瞬間、目と目が合ってお互いに「ハッ」という表情になった。

実は10月の初旬にも研修でここに来ていた。その折りに乗車したタクシーの運転手だったのである。タクシーはよく利用するが、運転手の顔はまず覚えない。しかし、前回乗車した時、観光や民泊などの話をかなり突っ込んでヒアリングし、その運転手がしっかりと受け答えしてくれた。外国人観光客が増えたので英語も学び、ホテルや民泊の一覧表を自分で作って活用していると、その紙も見せてくれたのである。だから、強く印象に残っていた。

10月に乗りましたよねぇ」と言えば、「ええ、講師で指導されているのですよね」と、彼も覚えていたのである。今年、奈良への出講はその10月と今回の11月のみ。二度来て、会場への往路を送り届けてくれたのが同じ運転手というのは、めったにあるものではない。しかし、これを偶然と呼ぶのは大仰すぎる。別の運転手でも、ぼくの一日の予定の行動は変わらなかったはずである。だから、軽やかに「たまたま」と片付けるほどのことだろう。しかし、めったにいない好青年であった。気分の悪いはずがない。よい研修ができたと自画自賛しているが、そこに、半分以上ではないが、偶然が行動をほんの少し支配したかもしれない。

「我々の行動の大半は我々自身が操っているが、ほんの少しだけ偶然が行動を支配することがある」。

そこにある塔

『パリ 旅の雑学ノート――カフェ/舗道/メトロ』という本がある(著者は玉村豊男)。旅人として一週間やそこらパリに滞在すると、カフェに立ち寄り、舗道を歩き、メトロに乗ることが日常になる。この3点セットをパリならではの特徴と見なすことに強く同意する。

さらには、秋深まって黄金色に輝きを放つ枯葉。枯葉と書いた瞬間、あのシャンソンのメロディが流れ始める。芸術とファッションと食文化もパリらしい概念だ。目に見えるものと頭に浮かべる概念を繋ぎながら街をそぞろ歩けば、旅人はすぐさま生活者になりきることができる。ついでに教会や美術館、点在するマルシェと蛇行する川も付け加えておこう。

しかし、上記で取り上げた「らしさ」はどれもパリの「不動の象徴」たりえない。そう呼べるのはエッフェル塔を除いて他にない。諸々のパリらしい風物や特性は属性にすぎないのだ。しかし、エッフェル塔はパリという都市を超越するかのように、いつでも視線の先に聳えている。塔を見ずに暮らすにはかなりの努力を要する。どんなに見ることを拒絶しても、所詮「見て見ぬ振り」の域を出ない。まるでパリのほうがエッフェル塔の属性かのようである。

エッフェル塔が視界に入らないように生きるには、モーパッサンに倣うという手がある。つまり、エッフェル塔のレストランにこもって食事をするのだ。そこだけが、パリで塔が見えない唯一の場所である。モーパッサンのエッフェル塔嫌いはよく知られた話だが、毎日レストランに通い詰めた文豪は、そこに向かう途上では目隠しをするか目をつぶって誰かに導かれていたのだろうか。


エッフェル塔は1889年のパリ万博開催に合わせて建造された人工物にもかかわらず、パリに暮らす人々や旅人にとっては、はるか昔から自然の造形として存在し続けてきたかのようである。過去の記憶をよみがえらせ、現在の経験を実感させ、そして未来の想像を掻き立てる存在として、エッフェル塔はつねに「そこにある」。

エッフェル塔を見るのに苦労はいらない。それは、つねに人々の目に触れる存在であると同時に、展望台に上がれば市中を眼下に見渡せる眺望点でもある。ロラン・バルトはその著『エッフェル塔』で言う。

「エッフェル塔は、パリを眺める。エッフェル塔を訪れるとは、パリの本質を見つけ理解し味わうために展望台に立つことである」

どの街に行っても塔の尖端を目指し、一番高い建造物の最上階に上がったものだが、過去三度パリを訪れたのに、残念ながら展望台に立つ機会はなかった。長蛇の列に並ぶのが苦手なのだ。列の最後尾につくのを諦めて所在なさそうにパネルを読み、塔のふもとで組み上がった鉄骨を見上げて、枯葉を記念に持ち帰っただけである。

という次第だから、塔から街を眺めることに想像を馳せることはできない。塔に触発されるべきぼくの想像力は塔を見つめることだけに限定される。それゆえに、余計に「そこにある塔」――見ようとしなくても、どこにいても視界に入ってくる象徴としての塔――だけが刷り込まれてしまっている。

メトロを乗り継ぎ、カフェで時間を過ごし、舗道を歩く。ノートルダム大聖堂やルーブル美術館を訪れ、セーヌ川やサンマルタン運河の岸辺に佇んでも、エッフェル塔を抜きにしてパリの旅は完結しない。塔を見ずに帰国するわけにはいかないのである。

配置と関係

全体と部分は切っても切れない関係にある。部分の集まりが全体になっている。他方、全体は部分という要素に分けられる。何だか同じことを言っているようだ。切っても切れないけれど、人の能力には限界があるので、全体と部分を同時に勘案することは難しい。どちらか一方を先に考えることになる。全体を見てから部分に入るのか、部分をつぶさに眺めてから目を全体に転じるのか……どちらを優先するかは悩ましい。

キッチンの設計はテーブル単体だけで決まらない。椅子も冷蔵庫も調理台も食器棚も考慮に入れなければならない。そうすると、複数のパラメーターを相手にしなければならなくなる。まずどれかを決め、次に別の何かを決める。こんなふうに一つ一つ固めていっても、パズルが完成するようにバランスのよい全体になる保障はない。部分から入れないのなら、全体を俯瞰して構想することになる。しかし、これもまた経験的に知っている通り、いつまで経っても焦点が絞れず、視線は空虚にあっちへこっちへと向けられるばかりだ。

そこで、ひとまず二つの要素をくっつけて願望をコンセプトにしてみる。たとえば「冷蔵庫を調理台の近くに」という具合に。焦点をパーツに向けた妥協策のように思えるかもしれないが、これは全体のありようを構想していることになる。そのコンセプトと釣り合いが取れるように残りの要素を配置していくのである。


住まいは暮らしの全体である。その主役を何にするかを決めないかぎり、具体的な間仕切りができない。たとえばリビングを中心に考えてみる。リビングにもいろいろなパーツがあるが、とりあえずソファともう一つの要素に焦点を絞る。「テレビ視聴しやすいソファの位置」とか「読書をするのに快適なソファの位置」などのコンセプトが生まれる。ソファと行為の関係がコンセプトの切り口、これが出発点になる。但し、ここから先、ソファの大きさや種類や材質によってさらに位置取りが変わるかもしれない。

人間どうしの関係を読む、看板と店の関係を読む、タイトルと内容の関係を読む、立場と意見の関係を読む……ここから「関係の読み」を基本とした編集作業がおこなわれる。物事を単独で見るよりも、二つ以上の物事を関係づけて捉えるほうが、それぞれがよりいっそう明快になってくる。ただ、先にも書いたように、関係づける対象が増えれば増えるほど混沌とするのが常だ。したがって、まず二つの関係を定義することに注力するのがいい。

モノであれ概念であれ、関係を明快にしなければ物事は始まらない。部屋のレイアウトにしても、自分一人で考える分には明快性は絶対ではない。しかし、要素を編集して誰かに示すということになると、自分が分かることのみならず、他人にも分かってもらわなくてはならない。自分と他者にとって明快になるように工夫しなければならないのである。何かを明快にして理解しようと思えば、そのことをコミュニケーションしてみればいい。うまくコミュニケーションできれば、ある程度分かっているということになる。もともと知識とはこの種のことを意味したはずだ。

全体を一つの概念として伝えれば漠然とするだろう。また、すべての要素をことごとく摘まんだからと言って明快になるわけでもない。分かりやすさには二つの事柄の配置と関係が絡む。一つの概念は別の概念との位置取りと関係によってあぶり出されるのである。

小題軽話(その6)

記憶力について  知を動かすのは記憶である。ここで言う記憶とは、覚えることではない。覚えたことを思い出すことである。どんなに体系的に学んでいるつもりでも、ぼくたちの記憶は「点」を基本にしている。脳は点まみれなのだ。いつどこで誰と会うかなどは点記憶である。点を思い出すのは基本の基本だが、脳は勝手に点どうしを結んでくれないから、意識を強くして点と点を結ばなければならない。その時にはじめて知が動き始める。

一つの点記憶だけでは不足感がある。この点に何を足せばいいかと脳内検索をする。検索するには記憶しておかねばならない。微かな記憶であっても、記憶していれば点と点はつながる可能性がある。忘れないようにとノートに書く、PCに取り込む。しかし、書いた事柄やファイルのラベルを特定できなければ話にならない。加齢にともなって記憶は徐々に衰える。一般的には四十代後半から劣化が著しくなる。歳を取って記憶力を失速させてしまうのは、知を動かす上で致命傷になる。足腰も気になるが、記憶はもっと重要なのである。

読書の愉しみ  健康のために散歩する人がいる。はじめに目的ありきだ。行為である散歩が目的に従属する。目的が意味を失えば、当然手段は無用になる。と言うわけで、散歩という習慣はおおむね挫折する。読書もこれに似ている。書いてあることを学ぼうという意識が強くなると、読書は手段と化す。手段になった読書は、経験的には苦痛以外の何物でもなくなる。

本が好きだ、読むのが愉しいという単純な動機でいいのである。この動機付けによって、本を読んでいろいろと学び、教養も身につき、関心の強いテーマが徐々に明確になる。その分野の知が深まれば愉しくなる。これが自然の流れ。この流れに逆らって苦痛を感じてまで本を読むことなどさらさらない。さっさと快いことに向かえばいい。世の中には読書以上に愉しいことはいくらでもあるのだから。

「自」のこと  自という文字をじっと見つめていると不思議な感覚に陥る。それは「白」ではなく「目」でもない。「自ずから」と書けば「おのずから」と読み、「自ら」と書けば「みずから」と読む。これに別の漢字が一つくっついて数え切れないほどの二字熟語が生まれた。

自分、自力、自然、自立、自動、自慢、自信、自我、自由、自律、自発、自業、自得、自暴、自棄、自在、自体、自主、自覚、自前、自首、自論……。

辞書に頼らずとも、いくらでも並べられそうな気がする。ひょいひょいと二字熟語を生成できるが、自ずからであれ自らであれ、あるいは別の意味に転じたとしても、概念も行為も手強いものばかりである。

浮くスローガン  スローガンが大好きな人や組織がある。「チャレンジ」「希望」「未来」「夢」「ふれあい」などのことばを含むスローガンがあちこちで目につく。政府や企業や地方自治体にもスローガンを多用する向きがあるし、小さな任意のグループも例外ではない。

真っ白い紙にこうしたスローガンを書けば、少なからずわくわくするのだろう。ある種の快い緊張感をもって清新の気を漲らせて筆を運んだ様子が想像できる。しかし、時は過ぎて初心の思いがやがて薄らぎ、スローガンの文字はメッセージ性を失う。陳腐な表現だけがぽつんと浮いて見向きもされない。これではいけないと学習すればいいのだが、性懲りもなく別のスローガンが次から次へと安直に掲げられることになる。

バルセロナの夜道

バルセロナの旧市街のゴシック地区は歴史の面影を街並みに色濃くとどめている。去る8月、観光名所のランブラス通りが無念にもテロの現場となった。通りから横道に入るとそこからがゴシック地区である。数年前、雨がそぼ降る夕暮れ時に裏通りを歩いてみた。夜道を一人で歩いても大丈夫だろうかと不安にさせる雰囲気が漂うが、人影がまったくないわけではない。勝手知った振りして闊歩することにした。

商店や飲食店の灯りがあるうちは前方がよく見えるが、角を曲がり深く分け入るにつれて店は点在するようになり、道は段々と薄暗くなる。さほど明るくもない街灯と古色蒼然とした建物の壁を伝うようにして暗夜行路を歩く。筋一本間違えば迷路に投げ出されかねないが、何とか目指すバルに辿り着いた。


バルセロナはスペイン北東部のカタルーニャ自治州の州都である。建築家アントニ・ガウディや画家ジョアン・ミロはカタルーニャ出身であり、他にも錚々たる有名人がここに生まれ、あるいは他所からここにやって来て、様々な分野で一世を風靡した。

スペイン語は通常カスティーリャ語と呼ばれ、全土の公用語になっている。ところが、カタルーニャ州でははカタルーニャ語を母語として話している人が多い。投宿したホテルのフロントでは、スペイン語の“Buenos dias”ではなく、“Bon dia”と挨拶された。語源的にはみな同じだが、ポルトガル語の“Bom dia”、フランス語の“Bonjour”、イタリア語の“Buon giorno”の音のほうが近い。ガウディゆかりの邸宅のアートギャラリーでも、スペイン語と並んでカタルーニャ語の図録が売られていた。そのカタルーニャ語版を、読めもしないのに記念に買った。

今そのカタルーニャ州が国家として独立しようと激しく動き始め、スペインが混迷の状況に置かれている。多数を占める独立派は「カタルーニャはスペインではない、れっきとした別の国だ」と訴え、文化も風習も違うと強調する。カタルーニャ語にはスペイン語との共通語も少なくないが、スペイン語の一方言として片付けてしまえるような同質の程度ではない。とは言え、当地には独立反対派もいて、独立後の経済的自立の、一抹どころでないかもしれない不安に怯えている。


さて、入ったのは知人が紹介してくれた“El Xampanyet”というバルXで始まる単語はカタルーニャ語特有だ。この綴りで「エル・シャンパニエット」と読む。地元の人たちや観光客で賑わう店ゆえ、カウンターに二、三人分の空きがあるのみ。まるで暗黙の了解ができているかのように、店名と同名のスパークリングの白が阿吽の呼吸で出てくる。カバの一種である。

棚にはおびただしい種類の缶詰が図書館の本棚のように整然と積まれている。缶詰を使ったお手軽スピードメニューのタパスが所狭しと並ぶ。マグロとチーズの串、アンチョビ、生ハム、バゲットを選ぶ。小皿なので種類が楽しめるのがタパスのよいところだ。ぼくの背後では丸テーブルを囲んで数人のスーツ姿が立ち飲みしている。振り向いて視線が合い、自然と輪の中に入って乾杯というムードになる。聞けば、イタリア人、スペイン人、ドイツ人らのビジネスマンだった。

店を出ると小雨は上がっていた。濡れた石畳はほどよく光に照らされて、普段見慣れぬ色に染まっていた。その日着ていたエンジ色の半コートは今も愛用している。季節は今頃の晩秋。この時期の夜更けの澄んだ空気は酔い覚ましの深呼吸に向いている。

もう一度バルセロナを訪れたいと熱望しているが、現状に鑑みるに小躍りして行きづらい。しばらく様子を見ることになるだろう。

言い換えて見えるもの

ことばが陳腐にならないように努めて意識するようにしている。語彙不足だと同じ表現を使うしかない。その時、思いとことばが乖離し、とてももどかしい。その表現で手を打っていていいのか。以前、次のような文を書いた。

美しい花を見て「美しい」と言い、青い空を見上げて「青い」と言うのが真っ直ぐな心の表われだとしても、美しいや青いで済ませているのはある種の怠慢、あるいは対象とことばの馴れ合いではないのか……

美しいとか青いと言う以外に候補がないのならやむをえない。しかし、どの花にも美しい、いつの空にも青いと言えてしまうなら、感覚の機微が大雑把ということになりはしないか。いや、感覚の機微はことば以上にデリケートなはず。しかし、その機微に見合った表現ニュアンスを持ち合わせていなければ、いかんともしがたいのである。


ぼくたちはある対象だけを、対象と自分だけの関係においてのみ、純粋に感じているのだろうか。一切の雑念を無にしてそこに佇んで向き合っているのだろうか。そんなことは不可能な気がする。すでに知っていることばが介入して、ことばで感覚を処理しているのではないか。美しいとか青いということばを知らなければ、実は対象もそのつどの感覚で捉えることができないと思うのである。

「秋が深まった」。秋本番を感じたからそう言ったのか。いや、そればかりではないだろう。秋ということばや長年にわたって刷り込まれてきた概念がそう言わせているのではないのか。秋と言うだけでは物足りない時がある。秋口や初秋や新秋に夏の疲れを忘れ、次いで仲秋や涼秋に入って秋たけなわを堪能し、やがて晩秋を迎えて行く秋を惜しむ。肌だけで感じるわけではないだろう。表現が大いにそういう感覚を鋭敏にしているはずである。

初めて訪れた場所を、「まち」「町」「街」「都市」のいずれで表記するかによって感覚は変わる。その場所に脱言語的に接するよりも意味が変化するかもしれない。同じものを見ていても、それを言い換えてみて違ったものが見えてくる。ことばの言い換えが、場や対象を陳腐化させず、新鮮な印象を刻んでくれるのである。

続・賞賛と批判

ぼくの周囲にも「褒め上手」がいる。中には、人間関係のため、ひいてはそのほうが自分が楽だからという理由だけで褒めている人もいる。決して他人の行為や能力、仕事ぶりをつぶさに観察しているわけではない。「いいですねぇ」を機械的に連発したり平凡な成果に過剰反応したりと、かなりいい加減である。賞賛とはほど遠い、形式的な辞令であることがほとんど。ゆえに彼らの賞賛を真に受けてはいけない。

構成メンバーがお互いに褒め合う集団を想定してみればいい。のべつまくなしに褒め合うのだから、暗黙のうちに「合格ライン」が低く仕切られている。甘く点数をつけ、またつけられることに慣れてしまうと、辛い点数がつけにくくなり、また受け入れがたくなってしまう。これではごっこ集団である。ぼくの知るプロフェッショナル集団は点数の水増しをしないし、批判すべきところを賞賛にすり替えるようなことはしない。

賞賛と批判を「信と疑」に置き換えれば、おおむね信が疑よりも受けはいい。信じる者は必ずしも救われないし、懐疑する者がいつも否定的とはかぎらないが、一般的には疑うよりも信じるほうが良さそうな風潮がある。懐疑や批判が出てこない組織や社会はリスクマネジメントに問題を抱える。組織の潤滑性を重視しても問題が解決するわけではない。先送りした批判のツケはいずれ回ってくる。ツケの弁済に追われる頃には、競争力を失うことになる。棘を無視しても棘は残る。棘は早めに抜くに越したことはない。


褒めるという道理だけではいかんともしがたいのである。賞賛に批判は含まれない。しかし批判の後には賞賛もありうる。大は小を兼ねるに従えば、批判こそが大で賞賛が小ということになる。誤解を招かないように書こう。批判というのは、当面の対象に対して「あるべき姿」を想定してこそ成り立つ。それはあくまでも一つの代案に過ぎないが、その代案によって検証するには真摯さと覚悟が必要なのだ。あるべき姿を思い浮かべながら、対象を検証する。批判は検証であって、非難や破壊ではない。なぜなら、検証をくぐり抜けたら合格の判を押すからである。

問題解決への意欲があるからこそ、批判と検証をおこなうのだ。問題解決を諦めてない証拠である。自己批判と自己検証も同様である。それが甘くなれば、どこかの大企業のようにデータの捏造が平然とおこなわれる。問題を要素に分けて丹念に検証し、厳しくふるいをかける。その結果、合否を判定する。10項目のうち7つをクリアして合格とする場合もあれば、全項目クリアしなければ合格にならない場合もある。一つクリアしただけで良しとするのが節操のない褒めまくり体質の特徴だ。

褒めることを過剰に推奨する風潮に批判を加えてきたが、褒められて有頂天にならず、さらなる努力につなげる人もいるが、褒められるとひとまず自己満足してしまうのが常だ。「絶望的な仕事に見えても、いきなり批判せずに、まずは褒める」と言った大企業の部長がいたが、褒めた後に、いつどのタイミングで批判に転じるというのか。何とかハラスメントにならぬようにと自己保身する無責任もはなはだしい。面倒を見るという責任が負えるからこそ批判ができる。そして、批判の毒気をやわらげるためにユーモア精神を忘れてはいけない。

賞賛と批判

プレゼンテーション、ディベート、企画コンペなどの審査員として年に何度か出番がある。公的な性格のイベントもあれば、私的な会合の場もある。利害関係があろうとなかろうと、一切忖度や贔屓をせず、また先入観にもとらわれず、内容と説明だけを勘案するように努める。忖度や贔屓、先入観を抜きにして評価をするのは難しい。だから、強く意識して「努める」。

異業種交流会などの企業プレゼンテーションでは、仲間が発表者の準備努力を知っているので、心情を汲み取って辛口コメントを控えがちだ。実際は内容にも大した見所がなく発表も拙いのだが、主催者や同志が表立って批判することはめったにない。異口同音にねぎらい褒めるのである。歯に衣着せず批判するのはゲストとして招聘されているぼく一人ということがよくある。よほどのことがないかぎり、出来が良くなければぼくはお世辞で褒めない。まずい箇所を指摘し、今後の改善努力を促す。とことん硬派である。

褒めるの対義語は「そしる」や「けなす」。響きはよろしくない。褒めないからと言って、別に謗ったり貶したりするわけではない。そんな否定的な責めをしても、成長は望めないからだ。褒めるを「賞賛」と言い換えれば、「批判」という対義語が浮かび上がる。良ければ賞賛し、かんばしくなければ批判する。ここに何の問題もないはずだが、人間関係だの言いづらさだのがあって、批判の場面はめっぽう少ない。賞賛と批判。賞賛のほうが批判よりも上手な人間関係を築くという考えがあるが、説得力のある根拠はない。


上司や周囲の人たちがあなたを褒める。あなたは別にファインプレーをしたわけではない。ふつうに仕事をして、その出来も目を見張るほどのこともない。それを自覚していても、褒められて気分が悪いはずがない。こうして60点程度なのに、あたかも80点くらいの過分な評価を受ける。これにすっかり馴染んでしまったあなたはよほどのことがないかぎり、現状に甘んじる。

さて、そんなあなたが、出向いた顧客先でこっぴどく叱られるとする。理不尽な仕打ちではなく、あなたの仕事ぶりが期待外れだったことに対する当然の指摘である。しかし、批判されることへの免疫をすっかり失ってしまったあなたは、批判される辛さに耐えられない。褒めることを推奨し、自らも他人を褒めることを実践している人たちは、こんなに落ち込んだあなたの面倒まで見てくれない。彼らは当事者ではないから、深く関与できないのである。あなたの落胆ぶりを見て、彼らができること。それは、励まして再び褒めることでしかない。

褒められることに慣れたあなた。先輩や仲間内に信じられ面倒をよく見てもらっているあなた。早晩、あなたは褒めが「褒め殺し」の一変形でもあることに気づく。褒める人たちの誰もが誠意の人とはかぎらない。楽だから褒めている人もいるのだ。褒める人たちが賞賛の責任をどこまで負ってくれるのか、はなはだ疑わしい。むしろ、批判の内に見落としてしまいがちな思いやりと寛容に目を向けるべきだろう。

深まる秋の記憶

明日から3日間の連休。予定は特にない。秋深まる気配に心身を晒すような休暇にしてみようと思わなかったわけではない。しかし、「行楽シーズン到来」という世間一般の常套句が脳裏をかすめた瞬間、尻込みしてしまった。

今住む街の周辺にも、手招きせずとも秋は向こうからやって来る。眺めるのは同じ光景だが、初秋から晩秋へと模様は変わる。他の季節に比べて、秋の風情のグラデーションは豊かだ。たとえその場が都会であっても。と言う次第で、近場を散策すれば十分ではないかと、半分前向きに、だが半分面倒臭がりながら、結局、例年と同じ過ごし方に落ち着きそうである。

オフィスから歩いてすぐの場所に天満橋が架かり、その下を大川が西へと流れている。天満橋の下流にある次の橋が天神橋。二つの橋の距離はわずか350メートル。橋を渡った対岸には、ちょっとした遊歩道があり、川に沿って歩くと樹木の色合いが秋ならではの装いを演出している。もうかなり色づいているだろうと想像するばかりで、夏が過ぎてからはまだ歩いていない。


こんなことを思いめぐらしているうちに、記憶の扉が開いて過去に誘われた。場所はパリのヴァンセンヌの森。広大な森の端っこに一瞬佇んだに過ぎないが、撮り収めた数枚の写真の光景が、タブレットのアルバムを検索する前に忽然と現れたのである。

ヴァンセンヌの森(Bois de Vincennes)。それは201111月だった。今の時期よりももう少し秋深まった頃。緯度の高いパリのこと、日本の感覚ではすでに冬だった。それが証拠に写真に映るぼくの衣装はしっかりと乾いた寒さに備えている。約10日間借りたアパルトマンはパリ4区のマレ地区、メトロの最寄り駅はサン・セバスチャン・フロワサール。あのバスティーユやヴォージュ広場やピカソ美術館も徒歩圏内という好立地だった。

その日は青い空が広がる絶好の日和。窓外の景色を堪能しない手はないから、メトロではなく迷わずにバスを選んだ。広い道路の閑散としたエリアにバスが停車する。そこから、自分なりには森に入って歩いたつもりだが、後で地図で確認すると入口あたりをほんの少し逍遥した程度だった。ともあれ、静謐の空気が充満していた。色があるのにモノトーンに見せる風景が印象深い。朝靄のあの光の記憶は今もなお鮮明である。

心身が浄化されて帰りのバスに乗り込んだ。バスに乗る直前に歩いた通りの名称がジャンヌ・ダルクと来れば、忘れようとしても忘れるはずがない。秋は記憶の扉が開きやすい季節なのだろう。「記憶は精神の番人である」というシェークスピアのことばが思い浮かんだ。

経験という装置

その場その瞬間、ある刺激に反応して経験を刻印する。その積み重ねによって新しい環境や状況に活用可能な固有の経験の体系が形成されていく。

経験を刻印する前提に、諸々の他者、事物、状況から成る環境への反応と適応が求められる。安穏と時の過ぎゆくままに生活を送り仕事をするのではなく、一人の個性的な人間の生命に関わるものとして経験を「肉化」しなければならない。これが習慣の形成ということであり、そのつどゼロから考えなくても生き延びる暗黙知になりうる。

人間にとって、〈環世界〉の認識装置は通常視聴覚であり読解である。聞き流すのではなく聴き取る、ぼんやり眺めるのではなく観察する、文字面を追うのではなく踏み込んで意味を解読する。ぼくたちは誰もが同じように言語を読み聴きし、現象を見ているのではない。人それぞれに経験の体系があり、それを辞書や受容器のようにして読み聴き、それに照らし合わせながら文脈や場面を通じて類推的に解釈している。環境の中のなじみの薄い情報も、この経験の体系によって搦め取ろうとする。


日本語だから立ち止まって深く考えないが、外国語の学習を想起すればよい。たとえばフランス語の文章を読む時に知らない単語に出くわす。既に知っている単語、文脈、そして知識によってその単語の意味を類推する。それはフランス語であるが、同時に日本語や英語の過去の学習経験を総動員している。文章の解読とは、全経験を装置とした判読の闘いでもある。裏返せば、経験の内にまったく手掛かりがなければ判読は不可能だということだ。

なにげなく読みなにげなく聞くことと、もう二度と出合わないかもしれないという思いで読み聴くことの違いは学びの真剣さの差にとどまらない。前者は単に行為することであるが、後者は経験することである。経験とは環境に適応しようとする生き様にほかならない。

適応力・判断力・認識力は経験の発動頻度におおむね比例する。誰も白紙状態のまま一人で生きることはできない。たとえごくわずかな知識であっても、たとえ狭い参照枠しか持ち合わせなくても、自らの経験の知によることなしに対象を捉えることはできないのである。

「全生物の上に君臨する客観的環境なぞ存在しない。我々は、認識できたものを積み上げて、それぞれに世界を構築しているだけだ」
(日高敏隆)

この認識を〈イリュージョン〉と呼ぶ。認識量が乏しければイリュージョンすらも枯渇し強く歪んでしまうだろう。どんなに多彩な経験を積んでも認識に到らねば、経験は生かされない。そして、経験が認識できたとしても、小窓から世界を覗き見しているようなものであり、もしかすると幻想に近いものかもしれないと覚悟しておく必要がある。