バルセロナの夜道

バルセロナの旧市街のゴシック地区は歴史の面影を街並みに色濃くとどめている。去る8月、観光名所のランブラス通りが無念にもテロの現場となった。通りから横道に入るとそこからがゴシック地区である。数年前、雨がそぼ降る夕暮れ時に裏通りを歩いてみた。夜道を一人で歩いても大丈夫だろうかと不安にさせる雰囲気が漂うが、人影がまったくないわけではない。勝手知った振りして闊歩することにした。

商店や飲食店の灯りがあるうちは前方がよく見えるが、角を曲がり深く分け入るにつれて店は点在するようになり、道は段々と薄暗くなる。さほど明るくもない街灯と古色蒼然とした建物の壁を伝うようにして暗夜行路を歩く。筋一本間違えば迷路に投げ出されかねないが、何とか目指すバルに辿り着いた。


バルセロナはスペイン北東部のカタルーニャ自治州の州都である。建築家アントニ・ガウディや画家ジョアン・ミロはカタルーニャ出身であり、他にも錚々たる有名人がここに生まれ、あるいは他所からここにやって来て、様々な分野で一世を風靡した。

スペイン語は通常カスティーリャ語と呼ばれ、全土の公用語になっている。ところが、カタルーニャ州でははカタルーニャ語を母語として話している人が多い。投宿したホテルのフロントでは、スペイン語の“Buenos dias”ではなく、“Bon dia”と挨拶された。語源的にはみな同じだが、ポルトガル語の“Bom dia”、フランス語の“Bonjour”、イタリア語の“Buon giorno”の音のほうが近い。ガウディゆかりの邸宅のアートギャラリーでも、スペイン語と並んでカタルーニャ語の図録が売られていた。そのカタルーニャ語版を、読めもしないのに記念に買った。

今そのカタルーニャ州が国家として独立しようと激しく動き始め、スペインが混迷の状況に置かれている。多数を占める独立派は「カタルーニャはスペインではない、れっきとした別の国だ」と訴え、文化も風習も違うと強調する。カタルーニャ語にはスペイン語との共通語も少なくないが、スペイン語の一方言として片付けてしまえるような同質の程度ではない。とは言え、当地には独立反対派もいて、独立後の経済的自立の、一抹どころでないかもしれない不安に怯えている。


さて、入ったのは知人が紹介してくれた“El Xampanyet”というバルXで始まる単語はカタルーニャ語特有だ。この綴りで「エル・シャンパニエット」と読む。地元の人たちや観光客で賑わう店ゆえ、カウンターに二、三人分の空きがあるのみ。まるで暗黙の了解ができているかのように、店名と同名のスパークリングの白が阿吽の呼吸で出てくる。カバの一種である。

棚にはおびただしい種類の缶詰が図書館の本棚のように整然と積まれている。缶詰を使ったお手軽スピードメニューのタパスが所狭しと並ぶ。マグロとチーズの串、アンチョビ、生ハム、バゲットを選ぶ。小皿なので種類が楽しめるのがタパスのよいところだ。ぼくの背後では丸テーブルを囲んで数人のスーツ姿が立ち飲みしている。振り向いて視線が合い、自然と輪の中に入って乾杯というムードになる。聞けば、イタリア人、スペイン人、ドイツ人らのビジネスマンだった。

店を出ると小雨は上がっていた。濡れた石畳はほどよく光に照らされて、普段見慣れぬ色に染まっていた。その日着ていたエンジ色の半コートは今も愛用している。季節は今頃の晩秋。この時期の夜更けの澄んだ空気は酔い覚ましの深呼吸に向いている。

もう一度バルセロナを訪れたいと熱望しているが、現状に鑑みるに小躍りして行きづらい。しばらく様子を見ることになるだろう。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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