そこにある塔

『パリ 旅の雑学ノート――カフェ/舗道/メトロ』という本がある(著者は玉村豊男)。旅人として一週間やそこらパリに滞在すると、カフェに立ち寄り、舗道を歩き、メトロに乗ることが日常になる。この3点セットをパリならではの特徴と見なすことに強く同意する。

さらには、秋深まって黄金色に輝きを放つ枯葉。枯葉と書いた瞬間、あのシャンソンのメロディが流れ始める。芸術とファッションと食文化もパリらしい概念だ。目に見えるものと頭に浮かべる概念を繋ぎながら街をそぞろ歩けば、旅人はすぐさま生活者になりきることができる。ついでに教会や美術館、点在するマルシェと蛇行する川も付け加えておこう。

しかし、上記で取り上げた「らしさ」はどれもパリの「不動の象徴」たりえない。そう呼べるのはエッフェル塔を除いて他にない。諸々のパリらしい風物や特性は属性にすぎないのだ。しかし、エッフェル塔はパリという都市を超越するかのように、いつでも視線の先に聳えている。塔を見ずに暮らすにはかなりの努力を要する。どんなに見ることを拒絶しても、所詮「見て見ぬ振り」の域を出ない。まるでパリのほうがエッフェル塔の属性かのようである。

エッフェル塔が視界に入らないように生きるには、モーパッサンに倣うという手がある。つまり、エッフェル塔のレストランにこもって食事をするのだ。そこだけが、パリで塔が見えない唯一の場所である。モーパッサンのエッフェル塔嫌いはよく知られた話だが、毎日レストランに通い詰めた文豪は、そこに向かう途上では目隠しをするか目をつぶって誰かに導かれていたのだろうか。


エッフェル塔は1889年のパリ万博開催に合わせて建造された人工物にもかかわらず、パリに暮らす人々や旅人にとっては、はるか昔から自然の造形として存在し続けてきたかのようである。過去の記憶をよみがえらせ、現在の経験を実感させ、そして未来の想像を掻き立てる存在として、エッフェル塔はつねに「そこにある」。

エッフェル塔を見るのに苦労はいらない。それは、つねに人々の目に触れる存在であると同時に、展望台に上がれば市中を眼下に見渡せる眺望点でもある。ロラン・バルトはその著『エッフェル塔』で言う。

「エッフェル塔は、パリを眺める。エッフェル塔を訪れるとは、パリの本質を見つけ理解し味わうために展望台に立つことである」

どの街に行っても塔の尖端を目指し、一番高い建造物の最上階に上がったものだが、過去三度パリを訪れたのに、残念ながら展望台に立つ機会はなかった。長蛇の列に並ぶのが苦手なのだ。列の最後尾につくのを諦めて所在なさそうにパネルを読み、塔のふもとで組み上がった鉄骨を見上げて、枯葉を記念に持ち帰っただけである。

という次第だから、塔から街を眺めることに想像を馳せることはできない。塔に触発されるべきぼくの想像力は塔を見つめることだけに限定される。それゆえに、余計に「そこにある塔」――見ようとしなくても、どこにいても視界に入ってくる象徴としての塔――だけが刷り込まれてしまっている。

メトロを乗り継ぎ、カフェで時間を過ごし、舗道を歩く。ノートルダム大聖堂やルーブル美術館を訪れ、セーヌ川やサンマルタン運河の岸辺に佇んでも、エッフェル塔を抜きにしてパリの旅は完結しない。塔を見ずに帰国するわけにはいかないのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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