惰性的な行為と時間を減らす

かれこれ10年以上、毎朝小1時間ストレッチをしている。ストレッチの内容を体調に応じて変えたり、深い呼吸をするように意識している。これからも続けるつもりだ。やめたいと思ったことはない。また、嫌々やっているのでもない。つまり、ストレッチは惰性ではない。歩くのは1日平均8,000歩。これも惰性ではない。

これまでやって来たからという理由だけで、あまり考えもせずに続けてきた習慣があった。習慣形成しようと意識しない習慣もあったし、やめたいのになかなかやめられない習慣もあった。このような習慣は「惰性」と呼ぶべきものだ。

ほとんど何も考えずに、昨日今日と行為してきて、おそらく明日もそうするだろうという惰性的習慣の代表はコーヒーだった。手持ちぶさたになると、口には出さなかったが、「コーヒーでも・・飲むか」という感じで飲んていた。コーヒーを嗜んでいたつもりが、気がつけば惰性で飲んでいた。惰性でコーヒーを飲むのをやめてから、コーヒーがおいしくなった。日々のシーンでコーヒーの存在が大きくなり濃密な時間が持てるようになった。

惰性は急流に似ている。その流れに抗えなくなり意思や主体性を失うようになる。コーヒーの他には、テレビを見ること、本を買うこと・読むことが惰性になっていると気づいた。出社して朝一番に掃除したりコーヒーを淹れたりするのは意味のあるルーチンになったのに、PCにスイッチを入れて何げなく画面を眺める行為は相変わらず惰性のままだった。

惰性の最たる習慣がスマホの操作。惰性ではない朝のストレッチが小1時間なのに、惰性でスマホを触るのが23時間になってしまっていた。仕事のためや生活上の必要があって使っているのではない。スマホが趣味、スマホを使ってSNSを楽しむのはそれ以上の趣味というわけでもない。

生活のあらゆる場面から惰性を消すことは難しい。やむなく惰性に行き着く過程ではいろいろあったはず。コーヒーにも、突然の来客や打ち合わせなど、惰性にならざるをえない経緯があった。強迫観念や焦りから読書も惰性的になっていたかもしれない。

怠けて眠ってばかりいることを「惰眠だみん」という。転じて、特段したいことがあるわけでもなく、また自らの強い意志で何かをするわけでもなく日々を過ごすことを意味する。適当に惰性的生き方をしてきたので、一気に「脱惰性的生き方」ができるとは思わない。それどころか、惰性とまったく無縁の生き方がどんなものなのか想像できない。

ともあれ、「他に価値ある選択肢があったのに、つい惰性的時間を過ごしてしまった」と、一日の終わりに振り返ることには意味がある。スマホとSNSの時間を減らしてから、惰性とそうでない行為・時間の違いを認識するようになった。毎日を同じものにしマンネリ化するのが惰性の本質。しかし、今日が昨日と同じ、明日が今日と同じではつまらないのだ。

土佐料理店の観察日記

高知への出張は毎年23回、十数年続いた。一昨年手を引き、土佐料理とも縁がなくなっていた。徒歩圏内に土佐料理の専門店があると聞いた。夕方に出掛けるエリアではないので、午後5時から営業のこの店に気がつかなかった。戻りガツオ気分の先月中旬に行ってみた。

土佐・・料理店の観察日記・・、略して『土佐日記』。料理、客の様子などを綴ってみる。


まずは瓶ビール。注文したのは赤星だったが、出て来たのはスーパードライ。これは小さな残念ポイントだ。たたきは本場同様の藁焼き。予定通り戻りガツオの塩たたきを注文。ニンニクのスライスの代わりに「ぬた」を乗せる。続いてブリの刺身、ハランボ(カツオのトロ)、アオサ海苔の天ぷら、ウツボの唐揚げ、シュウマイ。〆に土佐巻き。注文過多。

1カ月後、午後5時半に予約して行く。すでに席の半数が埋まっていた。注文した赤星が注文通りに出てきた。グラスに注ぎ一口、お通しを口に運ぶ。斜め後ろに欧米風の中年カップルがいる。アオサの天ぷらを食べている。「大丈夫?」などという心配は無用。昔と違って、外国人観光客はぼくら以上によく下調べしている。

この日は、お通しを除いて3品と決めていた。カツオのたたきと他の料理を天秤にかけながら料理を選択。第1回戦は「カツオのたたきvsブリ刺し」。ブリ刺しは前回も賞味し、この日も「これからが旬だ」と自分に言い聞かせた。結果、ブリの勝ち。こんなに贅沢にカットしていいのかと思うほどの厚みだった。

2回戦は「負けたカツオのたたきvsハランボの炙り」。カツオ対決だが、経験値の豊富なカツオのたたきに比べると、まだ数回しか実食していないハランボに食指が動いて、カツオのたたきは2連敗。

第3回戦は「連敗中のカツオのたたきvsウツボのたたき」。たたき合いするまでもなく、ウツボに軍配を上げた。こうして、食べ慣れたカツオのたたきはわが偏見によって3連敗し、この日はお呼びがかからなかった。

カウンターの角の一人客の女性は、メニューを見ては一品を注文し、そのつど違う日本酒を合わせる。ぼくが来店する前からいたので、少なくとも5種類の料理に5種類の日本酒を合わせたと思われる。箸運びとグラスの手さばきがこなれている。逞しい。

昼に過食していたので、ぼくはここでお勘定の合図。左手に座っていた若い英語圏のカップルと目が合う。ブリの藁焼きを指差して「ベリーグッド」と、(店主でもない)ぼくに言う。「それはグッドチョイスだ」とぼくも言う。「その種の魚を食べる観光客はあまり見かけない」と言ったら、「彼女はカリフォルニア出身なので魚貝が好きなんだ」と彼氏が言う。この二人も和食の事前調査が万全だったようである。

年内にもう一度来てみようと思う。他の好敵手である四万十ポークや地鶏の土佐ジローとの勝負にカツオのたたきは勝利できるだろうか。

抜き書き録〈テーマ:食のエピソード③〉

食べることに関心が薄れたり本を読まなくなったりする同世代に「危なっかしさ」を見る。シニアと呼ばれるようになってから、より一層食事に好奇心を掻き立て、これまで同様に本を読み話をすることに励んできた。本から食のエピソードを抜き書きするというのは、シニア時代を生き抜く負荷の少ない一石二鳥の方法だと思っている。


📖 『食卓のつぶやき』(池波正太郎)/  朝食

いまの世の中は、物べて、固有の匂いというものが消えてしまった、かのように思われる。(……)むかし、男たちの朝の目ざめは、味噌汁の匂いから始まった。
味噌ばかりではない。野菜も卵も豆腐も、醤油も納豆も焼き海苔も、それぞれに個性的な香りをはなち、そうした、もろもろの食物が朝の膳に渾然こんぜんとした〔朝のムード〕をかもし出していた。

味噌汁は定食屋で補充するか、時々夕飯でいただく程度。コーンフレークはたまに食べるが、残念なことに香ってくる匂いがない。トーストと目玉焼きからは匂いは漂うが、同時に淹れるコーヒーの香りが優勢。味噌汁の朝食をよく知っている身としては、コーヒーが香る朝食はまったく別物で簡素に見える。しかし、コーヒーとトーストと目玉焼きの朝食は意外に手間暇がかかる。味噌汁に比べて手抜きとは言えないのである。

📖 『奇食珍食』(小泉武夫)/  軟体動物・腔腸動物

(……)貝類だけは活きの良いもの以外、生で食べてはならない。(……)だからあわび栄螺さざえ牡蠣かき、赤貝など生きているものはまず例外なく生食。少し鮮度が落ちれば煮るか炒めることにしよう。

生の貝を嫌がる人は少なくない。磯臭いのとヌルヌル感がダメらしい。ホタテなどは寿司でも刺身でもうまいが、もちろん炙っても似てもフライにしてもいい。しかし、新鮮ならまずは生で食べてみたい。
テレビ番組で鹿児島自慢の二枚貝の「月日貝」が紹介されていた。大阪では口に入らないと思っていたところ、先週末に市場で見つけてしまったのである。「刺身で食べて! ヒモとキモは焼いてもおいしい」という威勢のいいオバサンの助言にしたがう。蓋を開けて、包丁を入れずにそのまま一口で食べた。ホタテよりも甘味が濃い。

📖 『ざんねんな食べ物事典』(東海林さだお)/  老人とおでん

大暑一過。と思ったらたちまち木枯らし一陣。
ということになると一挙おでん。時の過ぎること疾風のごとし。(……)
ついこないだガリガリ君をかじっていたと思ったら今はコンニャクをアヂアヂなんて言いながらかじっている。
というわけで、早速おでん屋のノレンをくぐる。店内はおでんの湯気モーモー。
客のほぼ八割が五十代。男性。

おでん屋はかなりごぶさたしているし、居酒屋でもおでんを注文することはない。おでんは自家製になって久しい。オフィスの近くに屋台風のおでん屋があったので、よく通った時がある。五十代ではなく、三十代から。熱燗はおでん屋で覚えた。錫かアルミ製の「ちろり」(関西では「酒たんぽ」)からコップに注いで飲んだのも最初はおでん屋だった。

抜き書き録〈テーマ:食のエピソード②〉

一昨日に続いて食がテーマ「昔からある和の食材」にまつわるエピソードを抜き書きした。


📖 『魚味礼讃』(関谷文吉)/  紫式部はイワシ好き

身分の卑しい者が食べる魚だから「イヤシイ転じてイワシ」とか、大きい魚のエサになる弱い魚だから「ヨワシ転じてイワシ」とか言われる。たくさん獲れるから安っぽく感じ、平安時代の昔からイワシは下賤の食べ物とされてきたそうだ。ところが、紫式部がイワシ好きだったと知って、庶民は俄然心強くなる。

イワシは臭くてたまりません。「無下に賤しきものを好み給ふものかな」と叱責する亭主の藤原宣孝に対し、
 日の本にはやらせ給ふ岩清水まゐらぬ人はあらじとぞ思ふ
日本人であれば岩清水八幡に詣らない人はいないのと同じように、イワシも日本人なら食べない人はいないとやりかえしたそうです。

獲れたてをぜひご賞味あれと、セレブな光る君たちにも光るイワシを食べさせて「うまい!」と言わせたのだろうか。

📖 『駒形どぜう噺』(五代目越後屋助七)/  思い出の作家

好きよりも嫌いが多いのが「どぜう料理」。複数人の集まりには向かない。どぜう汁、どぜうの柳川は何度か食べているが、たいてい一人。残念ながら、名店駒形どぜうでどぜう鍋を賞味したことはない。味のほどはわからないが、通の有名人が駒形を語ったり綴ったりしているのを知って、想像を掻き立てられる。駒形どぜうを贔屓にしていた詩人サトウ・ハチローの詩が残っている。

(……)
むぞうさにおとうしと徳利を
おいて行く女の子の
くるめがすりが目にしみる

くつくつ煮えはじめたどじょう鍋と
酒の酔いが
すぎし日の悔恨と郷愁を
かわりばんこに こみあげさせる

はしでつまんだ どじょうのヒゲを
むねの中でかぞえるわびしさ
誰かがつくった ざれ句が唇からもれた
――きみはいま 駒形あたり どじょう汁……

📖 『そば通ものしり読本』(多田鉄之助)/  瓦版流行歌とそば

すでに消えた昔の風習はおびただしいが、年越しそばは今も廃れていない。明治20年頃までは、年越しの夕方に「御厄払いしましょう、厄落とし」と言いながらやって来る職業があったそうだ。家に招いて厄を落としてもらい、銭と餅の礼をした。早口で愉快な口上を述べたら、「西の海とは思えども、この厄払いがひっ捕らえ、東の川さらり」という決まり文句で終わる。厄払いの文句の型を模して綴られたのが次の「蕎麦づくし」。

    蕎麦づくし
アアらめでたいな――、またあら玉の新そばに、御祝儀めでたき手打そば、親子なんばん仲もよく、めうとはちんちんかもそばで、くれるとすぐにねぎなんばん、上から夜着をぶつかけそば、たがひにあせをしつぽくそば、てんとたまらぬ天ぷらそば、かけかけさんへあんかけの そのごりやくはあられそば、やがてお産みの玉子とじ、あつもりおいてそだてあげ、てふよ花まきもてはやし、かかるめでたきおりからに、あくまうどんがとんで出、やくみからみをぬかすなら大こんおろしでおろしつけ、したじの中へさらりさらり。

艶話つやばなしを巧みに匂わせながら、親子南蛮、鴨蕎麦、葱南蛮、ぶっかけ蕎麦、卓袱しっぽく蕎麦、天麩羅蕎麦、かけ、餡かけ、あられ蕎麦、玉子とじ、熱盛あつもり、花巻の12種の蕎麦を仕込んである。温かい蕎麦ばかりで、ざるがないのが物足りない。

抜き書き録〈テーマ:食のエピソード①〉

暑い夏は読書欲が消えるが、食材・料理に関する本なら少しは読める。抜き書きが溜まってきたので何回かに分けて書こうと思う。今は文庫本で出ている本だが、最初に刊行されてから3040年経っている。読んでいて現代とのズレを感じる文章もあるが、食に関しては決してマイナスにならない。


📖 『粗食派の饗宴』(大河内昭爾)/  「ハヤシライス」

丸善の創設者早矢仕はやし有的ゆうてきが、横浜に店のあったころ従業員の昼ご飯に、ご飯とおかずが一皿ですむハヤシライスを考えだしたという説(……)
コマ切れ肉を、ハッシュと言い、転じて肉と野菜の煮込みをハッシュというので、ハヤシライスはそのハッシュドビーフライスがなまったとするのが一方の説。

料理名の由来には諸説があるもの。初見の説がもっともらしく思えるが、おもしろそうな説に与したいのが人情だ。ハッシュドビーフライスがハヤシライスに転じたという説が真説っぽくも、あまり驚かない。「ハヤシさん」が最初に作ったからハヤシライスという、ウソっぽい説のほうが楽しい。

📖 『たべもの芳名録』(神吉拓郎)/   「牡蠣かき喰う客」

軍手をはめた手で、殻をしっかりつかみ、カネのへらを殻の間に差し込んで、ぐいとやる(……)馴れないうちは、ただ力むだけで、殻はこなごなになるし、それが貝の身にくっついて、食べるときに、やたら、ぷっぷっと破片を吐き出すという面倒なことをしなければならない。

牡蠣好きでも自分で殻を開ける人は少ない。十年程前、勉強会の食事用に100個以上の殻付き牡蠣の提供を受けたことがある。殻剥きは最初の56個は苦労するが、殻の形から貝柱の位置がわかるようになり、そこにナイフが入れば、力を入れなくても殻が外れる。牡蠣は殻付きのものを自分で調理して生食するに限る。なお、長引く暑さのせいで、今年の牡蠣は今のところあまりよくない。

 

📖 『むかしの味』(池波正太郎)

いつしか、私たちは、ビル群の谷間へ埋め込まれたような、おはつ天神の境内へ足を踏み入れていた。
「あ、そうだ。まだ残ってますよ、残ってますよ」
と、友だちが叫ぶようにいい、私の腕をつかんで、境内の一隅へ連れて行った。
「ふうむ。残っているねぇ……」
七、八人も入れば一杯になってしまう小さな店〔ひこ〕が、まさに、むかしのままに残っていた。

どうです、入りましょうか? と聞かれて、池波は「いうまでもない」と即答した。この店、話には聞いたことがある、焼売の店。数年前に店じまいしたようだ。冬の夜更けのお初天神で熱々の焼売はうまいに違いない。焼売を注文すると、豚の骨髄から取った白濁スープが出たらしい。

近場ぶらり散策

大阪市中央区の東西の真ん中、南北の北端に天満橋がある。ここにオフィスを構えて35年、「このエリアなら隅々まで勝手知ったる……」と言いたいところだが、そうはいかない。未踏の地もあれば、更地になって様子がわからない一画も少なくない。

先週ワインを嗜む食事会を催した。大学の後輩5人が参集。飲み食いしてハイおしまいではもったいない。大阪にあまり詳しくない遠来の3人と午後の早い時間に近場を散策することにした。天守閣まで足を延ばすと時間が足りなくなるので、城の西側の外堀までに区切って一巡り。それが下図のルートである。

 起点:釣鐘町1丁目のオフィスを出発。

 谷町1丁目の交差点。ここから東方向に比較的大きく天守閣が見える。大きく見えるのは直線距離ゆえ。10分ほどで行けそうに見えるが、実際は大手門を通って迂回するので半時間かかる。

交差点から北へ下る「大きな坂」が大阪の由来と言われる。マユツバっぽいが、どうやら本当らしい。

 昆布店のある場所が八軒屋浜の船着場跡であり、このあたりから熊野街道が始まる。立派な無料の冊子が置いてある。

 道路を北に渡れば大川。ここが現在の八軒屋浜で観光船の発着場になっている。

 土佐堀通りを東へ少し歩くと、6カ月前に開業したヒルトン大阪城が現れる。歩道橋に上がると左方向に天守閣が姿を見せている。コテコテではなく、凛とした大阪城を眺められる数少ない絶景ポイントの一つだ。

 大手門。門をくぐれば、正面に城内ベスト10に入る3つの巨石がある。

 大手門から南へ、堀の角あたりが六番櫓の堀向かい。秋が深まる晴天の日には空と紅葉のコントラストが美しい。

 まずまず広い公園になっている難波宮跡なにわのみやあと。一時的に大阪に都があったことを知らない大阪人がかなり多い。

 谷町筋に出ると、気づかずに通り過ぎてしまうような碑が建っている。井原西鶴終焉の地。もちろん、西鶴がここで交通事故に遭って死んだのではない。道路向かいの鎗屋町の自宅で亡くなったのである。

 福沢諭吉が学んだ適塾には大村益次郎も在籍していた。その大村の寓居跡は現在クリニック。大村も医者だったので、クリニックは子孫筋かもしれない。

 町名になっている釣鐘。かつて釣鐘屋敷があった。現在、コンピュータ制御によって午前8時、正午、日没の3回鐘が鳴って時刻を告げる。ここにも無料の小冊子が備えてある。

 終点:200メートル北上して起点に戻った。

語句の断章(59)快刀乱麻

今日取り上げる「快刀乱麻」は、語句の断章シリーズで取り上げる七つ目の四字熟語である。四字熟語には生まれた歴史や背景があり、今では理解しづらい故事由来のものも多い。「快刀、乱麻を断つ」という成句がわからないわけではないが、快刀にも乱麻にもすぐにはなじめない。

こんがらがった麻は知らないが、もつれた毛糸は見たことがある。よく研ぎ澄ました刀はどこかの名刀展でガラス越しに見た。したがって、もつれた糸を一刀のもとに断ち斬る所作も何となく想像できる(そうだ、一刀両断という四字熟語もある)。ところで、糸という対象に向かう形相や目つきは、人に向ける時のような鬼気迫るオーラを放つのだろうか。

もつれて手に負えない麻の糸はこじれた問題や紛糾した物事の比喩として使われている。快刀は手際よく処理して解決する方法の比喩である。しかし、解決と言っても、糸が元に戻るわけではない。糸は細かく切られて使いものにならなくなる。解決の解は「ほどくこと」であるのに、ほどきもせずに断ち斬って、それを解決と呼んでいいものか。

もつれて乱れた麻を一本一本ほどくのが面倒だ、しかも捨ててしまっても未練がない。そういう時に快刀をふるえばもつれに対する苛立ちも解消する。快刀乱麻とはそんな感じの熟語のようだ。決してスマートでさわやかな問題解決ではない。

もつれた網を腹立たしく斬り捨てる漁師はいないと思う。網のもつれを少しずつほぐして再び使えるようにしているのをテレビで見たことがある。斬り捨てるのではなく、辛抱強く糸をほぐして元に戻す……そんな四字熟語はないのか。快刀乱麻の対義語を調べてみたら「試行錯誤」が出てきた。そうか、試行錯誤は自分との長い闘い、快刀乱麻は相手との一瞬の闘い。ちょっとすっきりしたが、決して快刀乱麻の心理ではない。

遅ればせながら、秋来たる

エアコン疲れした3ヵ月半がやっと終わり、まだ昼間は気温が上がるものの、朝夕は過ごしやすくなった。灼熱の外気を遮断していた窓を開けて涼しい風を取り込む。肩に布団を掛けて眠れる季節である。

半世紀前に出版された『ことばの歳時記』(金田一春彦)では、10月はもちろんのこと、9月早々から題材は秋色に染まっている。たとえば9月は「秋風」と「秋の扇」と「秋雨」。10月に入ると「秋寒し」と「秋の空」。夏が長引く今時の歳時との差が大きい。

男心か女心か知らないが、秋の空とは「定まらないこと」の比喩である。しかし、上記の著者は「秋は一番晴天の続く季節で、朝、ハイキングに出掛けて、一日お天気にめぐまれて帰ってくることが多いではないか」と異議を唱え、秋の空が変わりやすいと思うのは、古来、わが国が京都を天気の標準としてきた感覚のせいだと言う。


天気のことはさておき、近くの川の対岸を遠目に見ると、まだ申し訳程度の秋の気配しか感じない。ところが、橋を渡って遊歩道を実際に歩いてみると、足元はすでに秋色に染まっている。秋の始まりはクローズアップするほうが実感しやすいように思う。

他方、秋の深まりを感知するのは景色を遠望する時かもしれない。都会では遠望の対象は、紅葉していく山ではなく、空である。気まぐれに変わる天気ではなく、様々な表情を見せる空であり雲の模様である。

日曜日に見上げた空はまるで和紙のちぎり絵のような作品で、大都会と空の合作コラージュだった。今日から11月、意識して空を見上げることにしよう。ところで、先の歳時記では119日のテーマは早々と「秋の暮れ」である。秋という季節は年々短くなっていく。