「もったいぶる」という表現を使ったことはあるが、漢字で「勿体」と書いたことはない。本を読んでいて、もったいない、もったいぶるなど普通の表現として何度も出合っている。特に珍しいわけでもないのに、この漢字をずっと見ているうちに異化作用を催してきた。勿体? それはいったい何?
これまでどんなつもりで、もったいぶると言ったり書いたりしてきたのか。そもそも勿体とは何を意味しているのか。ある辞書には「物のあるべき姿や本質」と書いてある。どうやら、その意味がやがて「重々しい、立派、大きい、ものものしい、尊大とか威厳」に転じたようである。しかし……
ここまで書くのにいろいろ考えもし、調べもしておおよその意味とニュアンスは摑めたが、まだ「勿体」に慣れない。見れば見るほど、書けば書くほど、漢字変換すればするほど、奇異に見えてくる。もう一度問う、勿体とはいったい何?
奇異を拭おうと語源を調べることにした。次のようなことが書いてあった。
元は仏教用語で、勿体は「物体」と書かれていた。物は「牛へん」で、それは不浄な獣だから、へんを取って「勿」とした。勿体となって、物事の本質となり、ありがたみを意味するようになった。
おもしろい謂れだが、物から牛が消えて勿になったと言われてもすっきりしない。それで物事の本質となったら、なぜありがたくなるのかがわからない。
しばらくして、すっきりしない理由がわかった。「あの人は勿体だ」とか「事態は勿体になった」とは言わないのだ。つまり、勿体は単独で使わない用語なのである。
さほどでもないのに、ちょっと見に内容があるように感じさせるのは「もったいぶる」。まだまだ使えるのに無駄に粗末に扱うことやまったく使っていないのを惜しめば「もったいない」。気取ったりすまし顔したり、体裁を飾ってものものしく振舞って威厳を示すなら「もったいをつける」。
威厳などという立派な意味があるのに、勿体はその意味で使われることがほとんどない。それがない時に、それをぶる時やつける時になってようやく意味をあぶり出す。勿体とはそんな、もったいぶった用語なのである。