雑学博覧会というコンテンツ

来春にオフィスを移転するので、年末はじっくり時間をかけて断捨離準備。まずは講座用に執筆編集したテキストの処分。3段キャビネットにびっしり埋まるほどの量だ。ざっと一読して適当に懐かしんでからシュレッダーにかける。

20年前の研修コンテンツを繰っていたら、私塾の第5講、『特番「雑学博覧会」』のテキストを見つけた。サブノート体裁で30の雑学エピソードを紹介している。そのうちの10をここに転載するので▢の空欄文字を類推いただきたい(㊟ほとんどの出典は今から少なくとも25年以上前のもの)。


1 古代エジプト人にとって、オナラは▢だった。(漢字1文字)

2 統計上、飛行機墜落による死亡者数よりも□□に蹴られて死ぬ人のほうがはるかに多い。(カタカナ2文字)

3 紀元315年、ローマには144の▢▢▢▢▢があった。(漢字2文字+カタカナ3文字)

4 ▢を表わす語は世界のほとんどの言語でМで始まる。(漢字1文字)

5 世界で最も多いファーストネームは▢▢▢▢▢である。(カタカナ5文字)

6 ビールのつまみは今では枝豆が定番。しかし、日本初のビアホールでビールのつまみに出されていたのはなまの▢▢だった。(漢字2文字)

7 世界初の▢▢を購入した人は、当面の間、それを使うことができなかった。(漢字2文字)

8 ロンドンに本社を置く通信社ロイターは、もともとは1849年に設立された▢▢▢の通信社であった。(漢字3文字)

9 地球上のすべての▢▢を天秤の片方Aに載せ、もう片方のBにそれ以外のすべての生き物を載せて目方をはかると、Aのほうが重い。(漢字2文字)

10 ▢▢▢がいなければ、世界文学は存在しなかった。(漢字3文字)

雑談「おもしろい、愉快、幸せ」

何をしている時が楽しいか、おもしろいって何か、おもしろい・愉快に理由はあるか……来客とのそんなこんなの雑談の一コマ。


あることに心を惹かれる。そんな時間が続き、そのことをおもしろがり、楽しいと感じている。おもしろければ楽しい。逆に、満たされず不愉快に感じるならおもしろくない。おもしろくなければ楽しくない。表現の堂々巡りに陥りそうだ。

にもかかわらず、そんな――どうでもよさそうな――お喋りを延々と続けられるのはおもしろいからだ。では、おもしろいを愉快に変えたらどんなニュアンスの違いが出るのか。ここで『新明解国語辞典』で『愉快」を引いてみた。

そのものの持つおおらかさ・おもしろさ・楽しさが、日常たまったストレス、わだかまりや憂うつなどを一時忘れさせ、しばらくの間伸びやかで満ち足りた気分にさせる様子……

ことばの定義をするのが辞書の仕事だが、あることばを別のことばで説明するには限界がある。結局、愉快とは不愉快を忘れるご機嫌な状態ということか。ずっと楽しいと言うよりも、一時的に楽しむのが愉快の本質かもしれない。

4色ボールペンをもらったことがある。自分では2色ボールペンでさえ買ったことがないが、せっかくなので4色ボールペンを何日間か使ってみた。使いこなそうとは微塵も思わなかった。色分けして文字を書いたり線を引いたりする必要性を感じない。使っていて楽しくない。幸せを感じない。こんなボールペンを便利だと思う人の気が知れない。

どんな些事であれ、小さな学び事であれ、何かを知ることに夢中になる。それは理屈ではなく、おもしろいからだ。おもしろいから散歩する、おもしろそうだから珍味佳肴を食べてみる、おもしろいから本を読み、おもしろいから旅に出る。かつてはおもしろかったけれどおもしろくなくなってきたら、もう夢中にはならない。

「人生の究極は幸福だ」とアリストテレスが言った。日々を楽しみ、愉快に過ごせれば幸せなのである。何事であれ、おもしろがっていれば多幸感に包まれる。使命感も事を続けていく力にはなるが、負担を感じるようなら幸福には到らない。

幸福と同様に、おもしろいとか愉快とかは、それ以上分解もできず理由も説明も必要とせず、生活の素地になっているような気がする。

抜き書き録〈テーマ:本の話〉

📖 『書物の喜劇』(ラート=ヴェーグ・イシュトヴァーン)

本が読者の前にお目見えするにあたっては、上流階級のご婦人方が舞踏会に出かけるときのようにお化粧というものが必要である。身繕いは前書きに始まるが、これは、執筆の動機を読者に知らしめんとする著者の洗顔に他ならない。装丁は衣装(……) そして挿絵はアクセサリーである。とうてい手の届かぬ一流品から安っぽいまがい物まで、玉と石とが混淆している。

前書きから始まる身繕みづくろいが「洗顔」とは……ちょっとピンと来ないが、前書きにはお出掛け時の化粧や衣装や気取りを感じることがある。本文がとっつきやすい文章なのに、前書きだけが肩肘張っている本もある。出版のことをよく知るようになって、本一冊を演出することの手間暇を痛感する。執筆し発行する人たちは大真面目なのだが、作るプロセスで数々の喜劇を演じざるをえないシーンが浮かぶ。

📖 『書物の敵』(ウイリアム・ブレイズ)

働き者の虫がいて、
極上の本も駄目にする。
隅から隅まで穴だらけ。
どんなページも喰いすすみ、
本の価値などお構いなし。
(J・ドラストンからの一節)

働き者の虫とは「紙魚しみ」のこと。本の中や近くではなく、枕元で2度、トイレで1度目撃したことがある。銀色で動きは素早い。ティッシュを覆いかぶせて摑もうとしてもスルリと逃げる。この本では書物の敵として他に火、水、ガス・熱気、埃、無知……が挙がっている。水に濡らしてしまったことはあるが、これまでのところ本が紙魚にやられた経験はない。

📖 『読書の首都パリ』(宮下志朗)

パリのセーヌ右岸には、今でもかなりアーケード商店街が残っている。フランス語ではパサージュと呼ばれる(……) 全盛期のパサージュには、どこでも必ずといっていいほど「読書クラブ」が店を構えていた(……) 読書クラブ(キャビネ・ド・レクチュール)などと気取っているが、要するにていのいい貸本屋(ルウール・ド・リーヴル)のことだ。

貸本屋どころか、ちょっとした図書館のような、数万冊の蔵書を誇る読書クラブもあったようだ。贅を尽くしたサロンや講堂も備えていたクラブなどは社交場だったに違いない。この規模には到底及ばないが、わが読書室“Spin_off”にも数千冊の蔵書があるが、残念ながら、来年4月末に閉じることになった。蔵書と読書の場を維持する苦労を痛感する。

値上げや物価のこと

良心的にも程がある食事処のY屋。通常900円の定食が「本日の日替わり」として出されると50円引きの850円になる。しかも、午前1145分までに入店するとさらに値引きされて800円になる。たとえばカツ玉定食なら、甘辛い出汁で大きなヘレカツを3枚煮て卵でとじたメインに、副菜の小鉢が2つと大きな椀の具だくさん味噌汁が出てくる。

このが「年明けから価格を改定させていただきます」と書いて壁に貼り出した。Y屋よ、お前もか! などと叫びはしないが、やむをえないと同情する。もっと格下の定食屋がとうに1,000円超えしているのだから。なお、日替わり定食がいくらに値上がるのか書いていない。Y屋のことだから、値上げしてもせいぜい100円ではないかと勝手に予測している。

ちなみに、わがオフィス街には数千人の公務員がいるし、周辺には企業も多いので、飲食店がランチタイム時に激しく競合している。Y屋はずば抜けて価格競争力に優れた勝ち組だ。最近では、インド・ネパールのカレーセット1,400円、刺身定食1,500円、イタリアンランチ2,000円超の店も目立つ。ランチ接待専門の5,000円クラスの強気な店も34店ある。

物価の上昇に歯止めがかからない。2025年の今年の漢字では1位の座を「熊」に譲ったが、2位に「こめ」(アメリカの意も含む)が、3位に「高」(高市の意も含む)が、それぞれつけた。米と高を併せれば誰が見ても値上げや物価高を連想する。コーヒーがこの半世紀で100円から500円になったという話ではない。ここ数年での上昇ぶりに驚くのである。

物価指数を通じて認識する価格変動は、人それぞれ。食料品、衣料品、家電、家賃、通信費、教育費など、消費者の家庭事情や関心事によって注目対象が変わる。ぼくなどは、同じ食料品でも、市場の食材には疎く、レストランの料理には敏感だ。他府県へ出掛ける時には交通費が気になる。打ち合わせに来る他府県の方々の負担を申し訳なく思う。

昨日、デパートのパン屋で、“SALE”の文字に釣られて食パン1斤と菓子パン4個の詰め合わせ1,100円で買った。買った時はお得感を覚えたが、帰宅してクリームパンを齧りながら「はたしてそうなのか」といぶかしくおもった。米の場合、1,000円あれば茶碗1015杯のご飯が食べられる。米だけではない、パンも異様に高くなっているのだ。

今朝のテレビで、主婦が「米が高いのでパンを食べるようにしている」と言っていたが、必ずしも正しい見解ではない。

スマホゲーム中に現れる広告

スマホで興じる唯一のゲームがAIと対戦する将棋だ。相手が人間のリアル将棋よりはかなり強敵。人間の場合は二、三段相手にいい勝負ができるが、AIなら一、二級と互角。

先日、例外的に別のゲームに挑戦した。それが「花札こいこい」の無料ゲーム。7段階のうち6段階までなら勝率7割~9割を達成。しかしレベル7だけは勝率5割を切る。最強のAIはこっちが隠しているはずの札と山札が分かっているに違いない。ゲームの途中で随時広告が現れる。ゲームそっちのけでじっくり見てみた。ビッグデータはわが検索履歴とプロフィール予測からどんな広告を選んだのか……。

🔍 スマホ代が安くなる格安SIM(SIMを検索したことはないが、Y!mobileのスマホ代なら調べたことがある)。
🔍 ネットから申し込める保険サービス(→大手保険会社。火災保険をネットで何度か検索したことはある)。
🔍 「口座をお持ちなら……」という呼びかけの大手銀行の口座アプリ開設案内(→その銀行の口座は確かに持っている。アプリを入れる予定はない)。
🔍 大手薬品会社の腸活系健康商品(→この薬品会社の他の商品は買ったことがある)。
🔍 睡眠美容がテーマの保湿クリーム(→冬場になると手に保湿クリームを塗るが、ネットで調べた記憶はない)。
🔍 ふるさと納税「スマホで簡単! 御礼の品選び」(→ふるさと納税に興味はない。元横綱貴乃花のコマーシャルなら知っている)。
🔍 航空会社「JL」の支払アプリ(→「全○空
」の会員だったが、「JL」にはあまり乗らない)。
🔍 「Choo ZP」の入会案内(→2,980円/月と3,278円/月の二通りの料金表示に違和感。検索した履歴はないが、知人のS山氏が会員のようだ)。
🔍 プライムビデオ『私の夫と結婚して』(→プライムビデオの会員だが、映画はほとんど利用していない。宣伝文句「人生2回目。泥沼な運命を彼らに――あの衝撃の物語を今すぐチェック」。なかなかのつかみだ)。

ちなみに、まったく検索したことがない系統の広告が下記の通り。

❓ スロットマシーン(→バーチャルなパチンコ店という想定ではなく、「カジノ」と呼んでいる)。
❓ 出前/フードデリバリー(→使ったことはない。最大4,000円分のクーポンと送料無料というインセンティブで、ハンバーガーや牛丼を注文させようとする)。
❓ ウェディングのウェブサイト(→QRコードの結婚招待状が届くらしい)。
❓ 私立大学のミニオープンキャンパス(→大学の講師をしたことはあるが、この歳で大学で学ぼうとは思わない)。
❓ Vtuberとお喋りできるコミュニケーションアプリ(→そもそもVtuberYouTuberの違いがわからない)。
❓ シミュレーションゲーム(→戦争のサバイバルゲームらしい。おもしろそうだが、目にはやさしくなさそう)。
❓ 出会い系マッチングアプリ(→これが事件やトラブルを招いている噂のアプリ? どの広告もあどけなく清楚に作られている)。

ゲームに興じるどころか広告をチェックした約半時間。現代社会に鋭くメスを入れるほどではなかったが、最近縁遠くなった世相を垣間見れたような気がしている。

最後の晩餐のこと

ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会内の修道院食堂に描かれた壁画。それがレオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』である。大がかりな修復が完了したのが1999年。その7年後の2006年秋、「パリ→ミラノ→ヴェネツィア」の旅程を組んで出掛けた。飛行機の旅券とホテルの予約以外は行き当たりばったりの合計12泊の旅。

パリでは競馬の最高峰とされる凱旋門賞を観戦した。目的ではなかったが日本馬ディープインパクトが出走するので「これも何かの縁」とばかりにロンシャン競馬場に出掛けた。パリ滞在中は知人と会ったり美術館に行ったりとすぐに予定は詰まった。

他方、ミラノでの行動は、西北西へ列車で45分ほどのベルガモの訪問以外は計画無し。朝起きて街中を散歩したり地下鉄や路面電車で移動したり、行き当たりばったり。ミラノの3日目、もしかして要予約の『最後の晩餐』の鑑賞にキャンセルが出ているかもしれないと厚かましくも教会を目指した。もちろん予約無しで入館できるはずがなかった。来たついでなので、近くの「レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館」へ行く。人が少ない。絵画の展示はないが、それ以外のダ・ヴィンチのマルチタレントぶりの展示を堪能した。


『最後の晩餐』にはキリストと弟子である十二使徒との共食シーンが描かれている。イタリア語では“L’Ultima Cena”(ルルティマ・チェーナ)という。日本語の晩餐にはフォーマルな響きがあるが、イタリア語のcenaチェーナは普段の夕食にも使うので重厚さや高尚感はない。

ずいぶん前になるが、「私の最後の晩餐」というようなテレビの企画番組が何度か放送された。よく食べてきた好物を最後の晩餐に選ぶ人と、食べたくても高級だったり手に入りにくかったりして逃してきた料理を選ぶ人がいる。人生で一番おいしいと思ったものを最後の食事に指名するとはかぎらず、おにぎりやお茶漬けだったりするかもしれない。

壁画の写真を見ても最後の晩餐の料理がよくわからない。修復後に専門家が鑑定したところ、食卓には魚料理、オレンジ(またはレモン)、赤ワイン、パンが確認された。魚は鰻のグリルという説もある。ちなみにキリスト教の「過越祭すぎこしのまつり」の定番メニュー、仔羊のローストは描かれていない。

鑑賞機会を失ったから愚痴を言うのではないが、最後の晩餐にはどうもなじめない。最後にも晩餐にも引っ掛かる。と言うわけで、次のようなことをつぶやいている。

本当に最後になるかどうかもわからないのに、最後と言うのはおかしいではないか。社交界や高級ホテルのフルコースとは縁遠く、夕飯を晩餐と呼ぶのに抵抗がある。晩餐を晩ご飯に言い換えるべきだ。みんな、晩餐と言うのは今夜でやめよう。そう、これが『最後の晩餐』。明日からは自宅のご飯もあの名画も『晩ご飯』と呼ぼう」

語句の断章(73)版

20代後半に転職して広告・販促関係の仕事に就いた。最初は印刷会社が使う専門用語に戸惑った。自分が書いた文章にデザイン要素がレイアウトされて「版下」ができる。その版下が何のことかわからなかった。

版下とは写真製版用の原稿のことで、それを撮影して印刷の原板が作られる。先に用語が入ってくるから戸惑う。印刷会社の現場を見て説明を受ければさほど難しくない。なお、写真がなかった時代は絵を描き文字を書いた紙を反転して版木に貼り付けていたから、今に比べると手間がかかっている。

版と言えば版元、大河ドラマ『べらぼう』の蔦屋重三郎を連想する。あの作品は江戸時代中後期の出版社の仕事と時々の社会風俗を描いている。当時の版とは文字を書いたり絵を描いたりする板のことで、それに紙を合わせて刷った。

売れる本は同じ版を使って印刷部数を増やす。これを「版を重ねる」などという。重版出来も最初は読めなかった。「じゅうはんしゅったい」と読む。

本の奥付には「初版発行(第一刷発行)」や「第15刷発行」と記されており、辞書などは表紙にも「第五版」などと書かれている。英語ではversionバージョンeditionエディションという用語が版のことを指す。

印刷や版画では技法のことを版という。おなじみの凸版、凹版、平版、木版、活版などが代表的。数年前にインクや紙の展示会に行った際に、印刷会社のショップカードをもらった。活版印刷された厚紙だ。凹凸感と質感の手触りが何とも言えず、今も捨てずに取ってある。活字だから活版、文字を使わず絵柄だけでも活版。紙の上で活きている。