スーパーのレジ係が商品のバーコードをスキャンする。時々「同一ラベルです」の音声が流れる。その日、これまでの連続最多回数を耳にした。中年男性が買った特価のざるそば用麵つゆの小袋。「同一ラベルです、同一ラベルです、同一ラベルです……」。正確に数えていないが、優に20回を超えたと思う。
一昨日、「いろはす」の2リットルペットボトルを2本レジに差し出した。2本目のスキャン時に「同一ラベルです」。けだるくもなく張り上げるでもなく、いつもの事務的な女性の合成音。たまに同じものを2個買う。もっと買う客はいくらでもいる。何十回、いや何百回も聞いてきた「同一ラベルです」。けれども、まだ慣れない。慣れないとは、つまり、今も新鮮に感じるということだ。
「ねぇ、あなたたち二人は双子?」
一人「はい」
もう一人「同一ラベルです」
声を揃えて「はい、双子です」などと言うよりも、よほど刺激的ではないか。
類義語は同一ラベルではないが、同義語なら同一ラベルと言えるのだろうか?
「何と言いますか、『ラーニング』ですかね。いわゆる一つの『学習』と言えるでしょうか」
「長嶋さん、学習はラーニングの『同一ラベル』ですね」
長嶋流では、「鯖」は「魚へんにブルー」の同一ラベルになるらしい。
教授「きみの論文のこの数行のくだりだけど、参考文献の一冊のコピペだな」
学生「いいえ、たまたまの同一ラベルです」
いやいや、数行の偶然はない。明らかに故意である。しかし、知らず知らずのうちに同一ラベル化することもありうる。たとえば、洗脳した者の脳をスキャンした後に、洗脳された者の脳をスキャンする。「同一ラベルです」と音声が流れたら不気味である。