ある「否定形の案内文」

ゼノンの論証のパラドックス。現実にありそうもないことを、さもありうるかのように論証する試みである。走ることが遅い者は、速い者よりも前を走っているかぎり、追いつかれず抜かれることはない……なぜなら足の速い者が遅い者がいた時点に着く時には、遅い者はすでにそこから先に行っているからである……というパラドックスがその一つ。

そんなもの一気に追い越せるではないかという反論をしても、ゼノンは言う、「足の速い者が追い越すためには、足の遅い者がすでに通過した地点にまず達しなければならない……しかし、その地点がどこであろうと、足の速い者が着いた時点で、足の遅い者は必ず少しでも先に行っているはずだ」と。

電光掲示板、アキレスと亀

上記のパラドックス物語を競演するのが「アキレスと亀」である。どんなに足の速いアキレスでも、いったんのろまな亀にハンデを与えたら最後、永久に追いつけない。先月関東に出張した折り、そんなゼノンのパラドックスを想起させる文言に出合った。東京駅の山手線ホーム、電光掲示板の電車案内文がそれである。

終点まで快速に抜かれません。

この普通電車は快速に抜かれない、それはちょうど亀がアキレスに抜かれないのと同じである……。まさか。


これは書かれた日本語である。決して声に出してみる日本語ではない。こういう文章を見ると、こう書かざるをえない事情があったのかと穿うがった見方をしてしまう。「終点にはこの電車が先着します」と肯定文で書かないのは、快速以外に別の何かが先着するからだろうか。あるいは、この電車と快速のどちらが早く終点に着くでしょうかというクイズに対する正解発表なのか。つまり、この電車は快速に抜かれないので、終点に着くのはこの電車です、というつもりか。

「次に6番線にまいります電車は……」とか「次の列車は……」に慣れているぼくには、「今度6番線にまいります電車は……」や「今度の列車は……」に違和感を覚える。それでも、何度か聞いていればなじめそうなので、「次」か「今度」かどっちがいいかなどとも考えないし、「今度」の揚げ足を取ってやろうなどとも思わない。慣れの問題であるから。

「快速に抜かれません」には生涯慣れることはないだろう。「この電車は○○駅で快速通過待ちをします」と聞いていつも悔しがる乗客への励ましのつもりなのに違いない。「お客さん、いつもいつも後から出る快速を先に行かせてごめんなさい。でも、この電車はね、快速に抜かれませんよ。誇らしく優越感を抱いて終点までどうぞ」というつぶやきに見えてきた。

『出発』とランボー

飛行機雲1

鮮やかに直線を引く飛行機雲を目にした。飛ぶ機体も、背景に青をいただく白という図も何度も見上げてきた。しかし、いつも同じようには見えない。季節の空気で気配は変わるし、しばらく続く残影も気分によって変わる。すべての飛ぶ飛行機は「着陸」を目指す。つまり、ある地点に到着する。高空にある飛行機を見るたびに「どこへ行くのだろう?」と素朴に思う。けれども、すでに離陸したからこそ着陸がある。「どこから来てどこに向かうのだろう?」と想像すれば、出発と到着が一つにつながる。

若かりし頃に読んだアルチュール・ランボーの一篇を連休中にふと思い出した。もちろん、半世紀近く前の詩を丸暗記しているはずもない。だが、偶然とは不思議なもので、この飛行機雲を見上げる直前に、古本屋で懐かしいランボー詩集に巡り合い手に入れていたのである。買ってはいたが、数冊のうちのついでの一冊であり、ページすらめくっていなかった。飛行機雲を見たその場では「離着陸」を連想し、もう一度写真を見てランボーのイリュミナシオンの中の『出発』がよみがえり、そして詩集を買ったことを思い出したのである。早速その一篇を探した。フランス語と日本語の併記で紹介されている。

DÉPART

Assez vu. La vision s’est rencontrée a tous les airs.
Assez eu. Rumeurs des villes, le soir, et au soleil, et toujours.
Assez connu. Les arrêts de la vie. ―― O Rumeurs et Visions!
Départ dans l’affection et le bruit neufs!

出発

いやほど見た。幻はどんな空気にも見つかった。
いやほど手に入れた。夜ごと、町々のざわめき、陽が照っても、いつもかもだ。
いやほど知った。かずかずの生の停滞。 
――おお、ざわめきと幻よ!
新たなる愛情と響きへの出発!


フランス語は話すのは苦手、聴くことはさらに苦手である。苦手なのはほとんど口と耳を使って学習してこなかったからだ。それでも、辞書があれば、英語とイタリア語からの連想も交えて、ある程度は読み取れる。まったく偉そうなことは言えないが、この詩のフランス語はさほど難しくない。しかし、この訳で原詩のニュアンスが伝わっているのだろうか。上田敏ならどんなふうにこなれた日本語で紡いだだろうかと想像した。好奇心から他にどんな訳があるのか調べてみた。『ランボオ』について書いている小林秀雄の訳を見つけた。

見飽きた。夢は、どんな風にでも在る。
持ち飽きた。明けて暮れても、いつみても、街々の喧噪だ。
知り飽きた。差押えをくらった命。――ああ、『たわ言』と『まぼろし』の群れ。
出発だ。新しい情と響きとへ。

これはどうなんだろう。先の訳よりも切れ味があるような気はする。しかし、こうして二つの訳を比較してみると、同一の原詩を訳したとはとても思えないほど感じるものがかけ離れてしまう。もう一つ別の訳がある。

見あきた あるだけのものは もはや見つくした
聞きあきた 夜となく昼となく いつもお定まりの町々の騒がしさ
知りあきた 生命もたびたび差し押さえられた ――ああ やかましい雑音と仇な幻
出発だ 新たな情緒と新しい雑音のうちに

どの訳に最初に出合うかによって詩人に抱く印象が変わる。そして、もし最初に読む訳詩だけしか知らずにいたとしたら、決定的である。詩には小説の翻訳以上に訳者の思いが反映される。詩人と訳者の合作を読んでいるようなものだ。


ランボーの署名が残っている。その直筆に幼さを感じる。それはそうだろう、37歳で生涯を終えたランボーが詩作したのは156歳からのわずか数年間だけだったのだから。誰もが認める早熟の天才。そのサインの筆跡が示す通りの幼さを見せながらも、ランボーは奇跡的に現れて、「不思議な人間厭嫌の光を放ってフランス文学の大空を掠めた(……)」(小林秀雄)、そして、不気味な空気を詩編に残して、彼は消えた……。

早逝の詩人ゆえ当然寡作である。全詩を読み尽くすのに、念には念を入れて仏和で味読したとしても、一日あれば十分である。ぼくらの世代のちょっとした文学青年なら十代か二十代前半に読んでいる。とうの昔のことだからすでに本を処分しているかもしれない。ぼくもそんな一人だ。半世紀近くを経て偶然手元にあり、今ページが繰られる。そう、あの飛行機雲から『出発』を思い出した偶然の成せる業である。ところで、最近の若い人たちはランボーを読むのだろうか。

洋画の原題とその邦題

「ゴールデンウィーク」なる和製英語。類推の域を出ないが、このことばはぼくが気づく前から存在していたようである。むしろ、大型連休のほうが後々になって耳に入ってきたような気がする。そのゴールデンウィーク真っ只中である。毎年この時期はどこにも出掛けない。たいてい冬服から春夏服への衣替えをしているか室内の模様替えをしている。二日間そんなふうに過ごし、隙間に読書をしたりしていたが、退屈してきたので映画館に出掛けることにした。午前940分始まり、一日一回の上映のみなので、朝8時半に自宅を出た。

間奏曲はパリで

フランス映画『間奏曲はパリで』。ここで作品紹介するつもりはない。特に映画マニアでもないから俳優のことはよく知らない。仮に作品がハズレだったとしてもすでにシニア割引の特権を持つから、さほど後悔することはない。鑑賞しての印象は、後悔どころか、かなり満足して映画館を後にした。特にパリを舞台にした後半の1時間には見覚えのある光景が多く、懐かしく記憶を辿ることができた。

ところで、原題は”La Ritournelle“である。この単語はぼくの仏和辞典(白水社)には見当たらない。これに近い単語がイタリア語にあるのを思い出し、伊和辞典で調べてみたら“ritornèllo”だった。音楽では「リフレイン」という意味で使われる。この語が外来語としてフランスで使われるのだとしても、間奏曲という意味に転じるはずはない。伊和辞典の二つ目の意味は「決まり文句」。リフレインとは繰り返しのことだからうなずける。


決まりきった日常生活にふと倦怠を感じた主人公の五十代女性。彼女が田舎からパリに出るのを寄り道ととらえ、二日間息抜きする様子を生活の幕間に流れる間奏曲になぞらえた……音楽が一つの伏線になっていることもあり、この邦題に決まった、とぼくは勝手に想像している。だが、元々は「リフレイン」のことだから、息抜きよりも「来る日も来る日も決まりきった作業の繰り返し」という点が主題なのだろう。

題名は興行の成否にも影響するし、名作として残るためにはそれなりの表現の格も重要なのに違いない。原題の文言に忠実であろうとするか、作品の主題を生かす工夫をするか、邦題の表現づくりは大いに悩む仕事であると想像できる。過去の洋画の題名をいくつか思い出す。

“Taxi Driver”は『タクシードライバー』、“Love in the Afternoon”は『昼下がりの情事』。いずれも原題に忠実な邦題である。

『俺たちに明日はない』は原題“Bonnie and Clyde”からかけ離れている。ボニーとクライドの名前が消えた。

数年前に観たフランス映画『オーケストラ』の原題は“Le Concert”。コンサートとオーケストラは正確には違うが、これはオーケストラのほうが作品に合っていたと思う。

イタリア映画“Il Papa di Giovanna”は、直訳すると「ジョヴァンナのパパ」だ。これが『ボローニャの夕暮れ』に化けた。

最近観たイギリス映画に“Le Week-End”がある。これだけだと週末にどこに行くかわからない。邦題は『ウィークエンドはパリで』となり、今朝の映画の題名によく似ている。いずれの原題にもない「パリ」を邦題に入れて女性ファンを増やそうという狙いに違いない。実際の旅でも映画の舞台でもパリの吸引力は強い。

心と言葉と

漢字の「言葉」を使うことはめったにない。若い頃に何かの拍子に刷り込まれてしまったのか、言葉と書くと「ことのは」という響きとともに情念が勝るように感じてしまう。思惑に反して文脈の情念が強くなりそうな時、「ことば」と書き表わすか、いっそのこと「言語」と言い換えるようにしている。ここでは敢えて漢字の「言葉」を使う。理由は簡単で、近くの寺院の今月前半の標語「心病むとき言葉が乱れる」を引用して文を綴るからである。実物は達筆でふるわれていたが、ここでは文意に則して書体に「ゆらぎ」を加えてみた。

心病むとき言葉が乱れる

命題の形をとる標語である。命題には証明がつきもので、こういう形式に出くわすたびに真偽のほどをチェックしたくなる。命題「AならばBである」の是非を考え始めたものの、行き詰まったり堂々巡りしたりして判然としない時に、いい方法がある。命題の対偶から眺め直して検討するのである。「AならばBである」の対偶は「BでないならばAではない」だ。したがって、「心病むとき言葉が乱れる」の対偶は「言葉が乱れていないとき心は病んでいない」である。命題が真ならその対偶も真という論理法則があるので、対偶が真なら命題も真ということになる。

ところで、命題の証明に先立って術語の定義を明確にしなければならない。法律ではないが、証明にあたって気配りすべき暗黙の約束事だ。現場ではなく机上で物事を考えるなら、個々の語の意味を疎かにしてはいけない。しかし、この標語では定義すべきキーワードは「心」、「病む」、「言葉」、「乱れる」と手強いものばかり。しかも、短文命題であるから、用語の意味を明らかにすることと命題を証明することがほぼ同じになってしまいそうである。と言うわけで、回りくどく書いてきたが、対偶や定義から考えるのを諦めて、標語通り素直に「心が病む⇒言葉が乱れる」を検証することにした。


〔心病む〕
心とは厄介な概念である。心がどこにあるかについてはいろんな見解がある。「きみ、心の問題だよ」と言って胸のあたりを指差す人がいるが、そこにあるだろうと想像できるのは乳房か心臓である。まさか〈乳房イコール心〉や〈心臓イコール心〉はありそうもない。しかし、もしその人が指差しもせずに「心はね……」と言うなら、この心のありかはいったいどこなのだろうか。現在、最も有力なのは〈心イコール脳〉であり、ぼくも同意する。心とは脳の神経機能や作用の内的現象的な捉え方(表現)という見方だ。したがって、心病むというのは、脳の神経機能や作用が健全でない状態を意味する。

〔言葉が乱れる〕
脳が演出した心がそんな状態にあったとしても、もしきちんと書かれた原稿を棒読みしていれば、一応言葉は乱れていないように聞こえる。では、きちんと書かれたとは何か。それは、規範文法上不適切な言葉の使い方や誤用が見当たらないということだ。だが、寺院の今月の標語が規範文法に照らして言葉の乱れを指摘しているはずもない。おそらくもっと単純な辻褄の合わない言葉遣いや論理療法的な意味での思考表現のズレに近いと思われる。つまり、言っていることが考えや現実に一致していない場合のことである。こんな場合、言葉は曖昧になり、極端になり、過激になり、粗野になり、乱暴になる。

〔心と言葉〕
心を脳だとすれば――そして、それが健常でないならば――感じることや考えること、さらには現実を観察し認識するなどの処理は困難になる。言語はそんな処理に欠かせないから、言葉の用い方にも乱れが生じる。言語を司る脳が病んでいるのなら、言語を乱れなく司ることができなくなるのは当然である。ここに到って、「心病むとき言葉が乱れる」は類語反復であることが分かる。ついでに対偶である「言葉が乱れていないとき心は病んでいない」に戻ってみよう。常識的には成り立っていそうだが、一つ条件を付けなければならない。それは、その言葉が誰かに強制されたものではなく、自発的に用いられていることだ。この条件が担保されるなら、この類語反復標語はどうやら真らしいと言えるだろう。

最後になって書くのも気が引けるが、心が病んでいるとか言葉が乱れているとかを判断し指摘するのは、自分自身ではなく、他人である。そう判断し指摘する他人が「心病み言葉が乱れている人」ならば、心や言葉のありようについて、ぼくたちはその真相をどのように知ることができるのだろうか。

「斜語録」の愉しみ

手帳サイズのノートに「採集したことば」を記録している。そんなメモがノートの約5分の1 を占める。ほとんどがおもしろおかしい表現や変な日本語、時々粋な言い回し。単純に愉しいから続いている習慣だ。ごく稀だが、たった一つの単語や一文を取り込むだけなのに目からウロコが落ちることがあり、大袈裟な言い方をすると、思考の地場が動くことさえある。仕事柄、新しいコンセプトを新しい表現で包み込まねばならないから、造語やネーミングのメモもかなりある。一部のメモを元に、昨年4月までは本ブログで〈語句の断章〉と題して20編を書き下ろした。

ところで、あるテーマについて考えていると、結局ことばについて考えていることに気づく。ぼくにはことばに自分の経験と解釈を重ね合わせて思い巡らす傾向があるようだ。本を読んだり、どこかに出掛けて誰かと話をしたりする。そのつど、ことばとことばに関する話を手を加えずに拾い、一部脚色したり仮構したりして書き留める。ある時は真面目に、また別の時にはふざけて(たとえば、権威ある辞書の語釈に異議申し立てしたり)。ノートには在庫がどんどん増える。長文を綴るに値するものはないが、在庫を捌きたいという思いがある。それが〈語句の断章〉だった。

岡野勝志の斜語録

さて、そういう思いを形にするのは簡単だが、〈語句の断章〉に代えて今度は何と呼ぼうか。ビアスにあやかって〈悪魔のランダム辞典〉とでも称するかと考えたが、二番煎じにして短絡的である。それに、必ずしも正統定義に対する逆説定義ばかりでもない。あれこれと思案した挙句、正語録という定立に対する、少々謙遜気味の反定立として〈斜語録しゃごろく〉なる造語に辿り着いた。うん、これはいい、と一人にんまりしている。


古今東西、人はモノを遊び道具とし、モノで遊びに興じてきた。しかし、どんなモノにも負けないほど遊びの対象となり、また遊びのきっかけを提供してきたのが、おそらくことばだろう。ことばで遊んできたのが人類だ。おそらく、モノの融通性に比べて、ことばが圧倒的に万能であり変幻自在に遊べたからと思われる。ことばは多義であり、そこに個人の思い入れも反映されるから、際限なく遊びの想像を広げてくれるのである。

「ことば遊び」という言い方があるが、敢えてそう言わなくてもいい。深遠な思考と切り離した次元でいい、ことばそのものの意味を探ったり軽妙に扱ったりすることが、すでにことばを遊んでいることにほかならない。つまり、日常的にぼくたちが生活や仕事の場面で聞き、読み、語り、書くことばは、ほんの少し斜めに構えて眺めてやるだけで、遊びとして成立してしまう。しかも、斜めに構えることによって、何がしかの複眼視点が得られることになる。

ぼくには、自他ともに認める、ことばの揚げ足を取る性向がある。正確に言うと、証拠や根拠に乏しい意見に与することができない時、その意見を表わしていることばの揚げ足を取るのである。弱者が発することばも対象になるが、その場合は、意見が崩れかけていることに気づかせてあげるためである。当の本人はことばの揚げ足を取られたと思うかもしれないが、あくまでも誠意のつもりである。どうでもいいことであっても、知らん顔せずに、なるべく面倒を見るようにしている。その時は多分に遊び心で揚げ足を取っている。なお、強者に対しては、揚げ足どころか据え足も取ってやるぞと闘志を燃やす。腕力なき者のペンと文によるせめてもの小さな抵抗である。

風景に出合う

造形的な都市から郊外へ足を延ばせば風景に出合う。時には見晴らしのよい展望、時には空へ突き抜けるような構図。観賞する者それぞれの眺望のしかたによって多様な縁取りが生まれる。風景は自然界で芽生えるものであり、風景には自然の調和を感じさせるというニュアンスがまつわりついている。

言うまでもなく、風景は郊外に固有のものではない。行動範囲を日常次元に狭めても、風景の一つや二つは目に入るものだ。それが証拠に「街角の風景」と言うではないか。たとえばそれは、昭和初期に西洋を真似て建てられたビルの一画かもしれないし、新緑と色とりどりの花が協奏する公園かもしれない。さほど努力しなくても、どこにいても風景は視界に入ってくるだろう。そう、自然の要素に乏しい土地にあってもぼくたちは風景を感じるものだ。

『風景の誕生――イタリアの美しき里』(ピエーロ・カンポレージ著)によれば、14世紀から16世紀のイタリアでは人々は野生の自然にほとんど無関心であった。それどころか、嫌悪の念さえ抱いていた。彼らは自然に満ち溢れた風景という概念を持ち合わせていなかったのである。眺める以外に役に立ちそうもない自然の景色などに魅力を覚えなかった。鉱物や作物を産出してくれ、自分たちの暮らしを支えてくれる「有用で力強い土地」こそが美しかったのである。


この歴史考察が正しいなら、自然は人の存在とは無関係に存在するが、風景というものは人の認識次第ということになる。「対象に認識が従うのではなく、認識に対象が従う」というカントの慧眼がここに生きているような気がする。とは言え、やがて当時の人たちは自然を包括して目を楽しませてくれる風景に気づくようになった。いや、風景が概念であるならば、それは発見ではなく、発明と呼ぶべきかもしれない。ともあれ、人は風景に出合った。ある意味で、有用性から安らぎへ、さらには芸術への転回が起こったのだ。神を題材にして宗教画が生まれ、王侯貴族を題材にして人物画が生まれたように、風景を強く意識して風景画が生まれた。風景画は人が風景に出合って生まれた新しいジャンルの絵画だった。

自然から切り離されて生活するようになっても、風景画は連綿と受け継がれてきた。つまり、現代の都市にあっても人々は脱自然的な風景に日々出合う。かつて中世イタリア人が発想すらしえなかった風景を、ぼくたちは必死になって街の隅々に探そうとしている。探せなければ、観賞者それぞれの見立てによって思いの場所に風景を仮構する。絵心がなければ、カメラを向ける。カメラが手元になければ心ゆくまで佇む。

パリの夕景 4パターン

目を凝らせば、ぼくの住む雑踏でも風景に出合える。しかしながら、街角風景の宝庫と言えば、パリを挙げなければいけない。そこでは都市空間に身を置きながら風景に包まれる至福の時間が過ぎていく。その風景は写生や写真の題材にふさわしい。パリならではのカフェは、あぶり出された風景を心ゆくまで愛でるための文化的な装置なのに違いない。

街と固有名詞

「ところで、そのおいしかった料理って何という名前?」
「ええっと、何だったかなあ。忘れちゃった」

「すみません、この地図の場所に行きたいんですが……」
「常磐町一丁目ですね。ビルの名前は?」
「わからないんです」

現実というのは固有名詞と不可分の関係にある。固有名詞を伴ってはじめて自分の経験として刷り込まれていく。現実から固有名詞を引き算すると、この社会は……この現象は……というふうに語るしかない。そうすると、固有の経験だったものが概念として一般化されることになる。「高度情報化社会」だの「グローバリゼーション」だのと言って考えを片付けた瞬間、経験もことばも現実から浮遊してしまう。

ぼくたちは自分の考えを語ろうとする時、ともすれば固有名詞を封じ込めてしまいがちだ。考えは一般論へ、そしてできれば普遍性へと赴きたがる。その結果、具体的な日常の現実が剥がされるという負の見返り生じる。自らの反省を込めて言うならば、一部の哲学が得意とする形而上学的な語り口になってしまうのである。

考えはある日突然生起してこない。個人的な日常体験や観察が繰り返された上での考えである。そこにレアなままの固有名詞が散りばめられていて何の不都合もない。何よりも、固有名詞が使われているかぎり、多少の歪みはあっても、現実を見ているはずである。匿名のままで済ませて見ているものとは異なる、一度かぎり、その人かぎり、その場かぎりで見えてくるものがある。


理屈っぽいまえがきになったが、街の話を書きたいと思う。

年初にヨーロッパ鉄道紀行なる番組をテレビで観た。スペイン北東部を旅する取材者が「サラゴサに行くのだけれど、見所はどこ?」と尋ねた。地元の女性が間髪を入れず「ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂よ」と答えた。見所とは観光客にとっての名所である。しかし、この女性の誇らしげな話しぶりは、住民にとってもかけがえのない聖地と言いたげだった。ちなみに、この聖堂は世界で初めてマリアに捧げられた教会であり、二百年近くの歳月をかけて建てられたゴシック様式が特徴だ。

東京や大阪も固有名詞である。しかし、それだけでは不十分なのだろう。いや、たとえ東京や大阪と呼んでも、もはや都市と呼んでいるに過ぎず、固有性はすでに色褪せている。ようこそ日本へ、ようこそこれこれの都道府県へ……などでは体験的固有名詞になりえない。もっと小さな単位の現実を見なければならないのである。ヨーロッパの街を旅してずいぶん現地の人たちに見所を聞いたが、彼らはほぼ即答した。お気に入りの街自慢があるのだ。そして、自慢のほとんどはその街の教会であり広場。だから、お気に入りは街の総意とも言える定番でもある。

林立するビル群や新しく建てられたランドマークや巨大ショッピングモールが自慢であってはいかにも寂しい。迫りくる国際観光時代を謳歌しようとしても、それらのPRは長続きはせず、やがて飽きられる。第一、どこもかしこも都会化が進み、名所が伝統や歴史などの固有名詞的価値を孤軍奮闘で背負っている状況だ。海外から極東の小さな島国を眺めるとき、平均点の見所が分散しているよりも、これぞと言う見所が一極集中しているほうが街の魅力がわかりやすい。

ピサの見所は? とピサで尋ねたら、全員が「斜塔に決まってるだろ」と口を揃える。それでいい。とは言え、街の愉しみ方は人それぞれ、その見所の周辺に目配りする旅人も出てくる。ぼくもそんな一人。斜塔から目線をずらして近くの広場に佇んだ。

場所の名称を書いたメモが見当たらない。地図で調べたが不詳。スケッチに光景が残っていても、名を知らなければ少しずつ記憶が遠ざかっていく気がしてならない。

Pisa digital processing

Katsushi Okano
Pisa
2007
Color pencils, pastel (image digitally processed in 2015)

「傾聴」が誤解されている

仕事や打ち合わせの場面で相手が虚ろなので、「きみ聴いている?」と尋ねる。相手が「はい、聴いています」と答える。それでも、どうも聴いているようには思えない。親しい間柄なら、問いの一つや二つを投げ掛ければ理解のほどを確かめられる。しかし、初対面の相手やさほど親しくもない相手に対しては、確認質問はおろか、「ぼくの言っていること、聴いていただいていますか?」などと聞くこと自体が失礼だ。だから、聴いている姿勢を示す相手に向かって話し続けるしかない。相手が聴いてくれていると信頼して、ぼくは諄々と話し続ける……。

傾聴?

傾聴ということばを最初に知ったのは討論術の勉強を始めた19歳の頃である。傾聴力という表現で出合った。身近にある辞書で調べてみればいい。傾聴とは「一心に聞くこと」や「熱心に聞くこと」などの語釈ばかりである。もっとひどいのになると、「耳を傾けて聞くこと」とある。わざわざ説明してもらわなくても、「傾聴」という語そのものに「耳を傾ける」という意味があるではないか。それはともかく、傾聴には「まじめに、誠実に」という言外のニュアンスが漂う。傾聴とは、「まじめに一所懸命に聞く」という程度のやわな行為だったのか。

傾聴が誤解されている。言い過ぎだとすれば、都合よく解釈されていると言い換えよう。傾聴が単純に一方的に聞くことだと思っている者は、人の話をまじめな顔をして聞き、時折りうなずく。だが、黙して語らず。相手が話し終わると今度はあたかも攻めに転じるかのように一方的に喋り始める。ここにおいて、聞く側と話す側は暗黙のうちに役割を分担する。一方的なスピーチが交互に足し算され、双方向に交わる対話というシーンは現れない。傾聴だけをことさら強調しても、人と人との対話は成り立たない。傾聴のためには、まず傾聴に値する発言内容が前提となるはずだ。


どうやら傾聴は本来の意味から分岐して、いくつかの新しい意味を持つようになったようである。たとえばカウンセリングにおいては、相手理解による、相手自身の理解促進であり、行動のサポートである。また、傾聴ボランティアにおいては、割り込むことなく最後まで話を聞き、考えを理解し思いを受け止めて共感することである。これらの傾聴は、傾聴する側に吐露する相手を受容する余裕があることを特徴とする。自分に困り事や悩み事があれば人の話など聞いてはいられない。

「誤解されている傾聴」とは、もちろんカウンセリングや傾聴ボランティアのことではない。仕事の場面で、あるいはゆゆしき討論の場面で、聞き上手という美名のもとに傾聴を単に頷くことだとしている姿のことである。傾聴は英語の”critical listening“や”active listening“の翻訳と思われる。敢えて訳さなくても、”listening“は聞き流しなどではなく、それ自体が相手の言っていることを理解しながら聴くという意味である。つまり、「批判的に(フィルターをかけながら)脳を活性化して聴く」ということにほかならない。

相手の話していることを分析し判断しなければ傾聴にならないのである。判断をしたり批判したりしていては、理解に支障を来すではないかという反論がある。しかし、自分に対して発言されていることを白紙状態で受け止めることは、聞き流しに等しいではないか。発言内容を判断し批判するのは対話相手の責任として当然の姿勢なのである。聴くとは自分の考えとの照合作用である。海苔の養殖に「のり粗朶そだ」と呼ばれる木や竹は欠かせない。なければ海苔はまつわりつかないのだ。人の話に対しても「脳の粗朶」がなければ、話は無機的に浮遊するばかりで輪郭を形づくってくれはしない。判断や批判というのはこの粗朶に相当する。粗朶でしっかりと意見を聴く。甘ったるい聴き方をしていては相手に失礼なのである。

「百聞は一見にしかず」なのか?

「百聞は一見にしかず」。聞き上手が褒められるわが国でこの諺は生まれにくかったに違いない。同じことを百回も聞く人は聞き上手に決まっている。この諺は和製ではなく、戦地に赴くことを宣帝に願い出た趙充国将軍の言に由来する(『漢書』)。何度も人から聞くよりも、自分の目で実際に見るほうが確実であるという意味で今も使われる。ここで確実と言うのは「確実に知る」ということ。何かを理解し分かるためには、聴覚よりも視覚のほうがすぐれている、見るは確実に知ることにつながる、と言う教えである。

百聞は一見にしかずか?

英語では“Seeing is believing.”がこれに相当することになっている。「なっている」というのも変だが、そう書かなかったら英語のテストで誤答とされたから、しっくりいかないけれども、そう答えるしかなかった。しかし、どう考えても、「百聞は一見にしかず」と同じではない。英文は聞くことについては言及しておらず、「見ることは信じること」と言っているだけであり、見ることの確かさについても保障してなどいない。「見たら信じられるか?」と聞かれて、ぼくは即答できない。幻覚には見落とし、見損じがあるからだ。

見ること――この目ではっきりと見ること――は、はたして物事が確かに分かることなのか。しかも、「一度見る」だけで十分なのか。自分自身のこと、周囲にいる知り合いのことを思い浮かべてみればいい。一度見ることが百回聞くよりも優るのは常ではない。人次第、正確に言えば、理解力次第である。ある人が一度だけ聞いて分かるのに、別の誰かは百回聞いても、そして百回見てもさっぱり理解しないことなどはよくある。ぼく自身、一度聞いて分かることもあるし、何度聞いても分からないことがある。ならば、聞くのをやめて、見たら分かるか。いやいや、一回見て分かることもあれば何度見ても分からないことは、聞くのと同じ程度に起こる。


この諺に異議を唱える諺がある。「心ここにらざれば、視れども見えず」がそれだ。心ここに在るとは集中力だ。集中力を欠いてぼんやりと見ているだけでは何も見えてこないだろう。ロダンの、「私は毎日この空を見ていると思っていた。だが、ある日、はじめてそれを見たのだった」という述懐には、ある時、突然集中のギアが入った印象がうかがえる。

「我々の感覚は見ていても、見えていないのである。ノートル・ダム正面玄関のロザース〔薔薇窓〕辺の石の壁面の美しさは、見ていても多くの場合、我々には見えていないのである。窓の間の壁面の美しさを何十何百とある建物の中に気がつくようになって、或る日ふとノートル・ダムを眺める時、今まで見えていなかったものが、突然見えるようになって来るのである」
(森有正 『遠ざかるノートル・ダム』)

あるものが見えるためには場数が必要である。同時に見る対象の付帯状況に身を置き、対象と一つにならねばならない。野次馬のように、対象と自分を切り離されたものとして凝視しても易々とは見えてこない。なぜなら、ものは外からのみ見るのではなく、そのものの内面からも見えるからである。内面から見えるとは、感覚を研ぎ澄まして想像力を働かせるということだ。それなら、見ることに限った話ではない。聞くことには、音によって視覚を補おうとする想像が蠢く可能性がある。

見るにせよ聞くにせよ、対象が鮮明に確実に分かるためにはある程度の時間をかける必要がある。一度や二度で分かろうなどとは調子が良すぎるのだ。ロダンにしても森有正にしても、何回も何日も熟知に至る時間を費やした。もちろん、何事かを即座に直観的に分かることもある。しかし、百聞して分からぬことはおそらく一見しても容易ではない。視覚の聴覚に対する優位性をかたくなに信じる向きもあるが、ぼくはエッシャーのだまし絵を鑑賞して以来視覚を過信しなくなったし、身近では、毎日の散歩道で日々新しい視覚的体験に驚いている。人は、聞いているようで聞いていないし、見ているようで見ていないのである。だからこそ、全身を耳にしてことばを傾聴し、全身を目にして対象を注視しなければならない。

旅程点描

リヨン~シャンベリー~トリノ

20136月に書いた粗っぽい旅程表がある。一年後、同じ旅程に手を加えた。この旅程を思いついた時のことをよく覚えている。旅に対するある種のマンネリズムが消えたような気がして新鮮だった。そして今、またそのことを思い出し、机上で、脳内で、旅を組み立てている。それは「パリ~リヨン~シャンベリー~トリノ」の鉄道の旅である。

関空からエールフランスでパリに行く。パリに数日間滞在する。知っている通りやメトロやカフェに親しみ、新しい発見を楽しむ。荷物をまとめてアパートを後にし、パリ・リヨン駅からローヌのリヨンへ向かう。リヨンは人口165万人、パリに次ぐフランス第二の都市だ。パリから高速列車TGVテジェヴェでおよそ2時間。見所の多い街だから3泊は必要だろう。

パリは近代と現代を代表する都市だが、リヨンには古代や中世の足跡がある。ローマ帝国の時代から交易拠点として様々な物資がここに集められた。絹織物で名高いが、心惹かれるのは絹ではなく、リヨンのもう一つの顔「美食の街」のほうだ。

パリからリヨンに入ってくるTGVはリヨン・ペラーシュ駅に着く。そこから数百メートル北へ歩くとベルクール広場に至る。そこには『星の王子さま』でおなじみサンテジュグベリの像が建つ。レストランで賑わう地区も近いから、ホテルはその辺りが便利だ。翌日は広場のメトロ駅からソーヌ川の対岸のヴィユー・リヨン駅へ。そこからケーブルカーで上がればフルヴィエールの丘。展望台からは旧市街地、二つの川、新市街地が一望できるという。眺望を楽しんだら旧市街へ。ここはイタリアルネサンス様式の建築が目白押しである。


リヨンの後はアルプスで国境を越えて未踏の地トリノへ。かつてのサヴォイア公国の中心である。そこで数日間過ごす。街の顔サン・カルロ広場近くにまずまずのホテルを見つけているが、場合によってはアパートという手もある。メルカートへ買い出しに行って朝と昼は自炊。夜は出歩いてサヴォイア料理を堪能する。トリノはフレンチ風カフェが有名だ。そこでビチェリンを飲もう。コーヒーとチョコレートをバランスよく混ぜ合わせた飲み物である。トリノと言えばピエモンテ、ピエモンテと言えばワインの王様バローロである。バローロと相性のいい前菜には事欠かない。一番の楽しみは名物の手焼きグリッシーニ。折れやすいから土産には向かない。

リヨンからトリノへは4時間か5時間……これでおしまいになりかけた。しかし、時刻表から地図に目を転じたら、シャンベリーという地名に気づく。サヴォワ県の都市である。このサヴォワとトリノのサヴォイアの起源が同じなのだ。フランス語とイタリア語読みの違い。かつてサヴォイア家は、トリノのあるピエモンテとシャンベリー一帯と隣接するスイスの一部を支配していた。シャンベリーに衝動的な魅力を覚える。何も知らないのがいいかもしれない。アルプスの山あいの街で一晩を過ごすのも悪くない。

トリノの後は空路。パリはシャルル・ド・ゴール空港経由で関空へと戻ってくる。およそ半月の旅程である。今月に入ってこの旅程をもう一度なぞり、いろいろと下調べもした。机上であり脳内の旅でありながら、少しずつ現地に迫っているのがわかる。空気が匂っている。通りを歩き街角に佇んでいる。メニューを眺め料理を口に運んでいる。建物の中にいるし、鉄道駅で切符を買っているし、車窓から景色を眺めている。疑似体験以上と言えるかもしれない。だが、だいたいこんなふうに旅程をスケッチして楽しんだ時ほど、リアルな旅は遠ざかるものである。