救いがたいほどの”センス”

先週の土曜日である。出張のため朝8時半頃最寄駅から地下鉄に乗った。マスク着用の乗客がちらほら見えるが、土曜日のせいか車内は空いている。ここ三年間職住接近生活をしているので、出張以外はあまり地下鉄に乗る機会はない。たまに乗れば混んでいるので車内の広告にまで目が届かない。その日はゆったり座って車内吊りポスターをじっくり品定めすることができた。

いったいどうしたんだ、大阪市交通局! 思わず内心そう叫び呆れ返った。シイタケとリンゴを擬人化したイラストが描かれた「座席の譲り合いマナー」を促すポスター。そこにはこんな見出しが書かれてあった。

互いに譲って うれシイタケ!
「どうぞ」の笑顔で すっきリンゴ!

これではまるで「おぼっちゃまくん」ではないか。「そんなバナナ」や「おはヨーグルト」を思い出した。いや、こんな言い方はおぼっちゃまくんには失礼だ。おぼっちゃまくんにはダジャレという売りのコンセプトがあった。譲り合いマナーになぜシイタケとリンゴなのか。必然性が見えないから、単なる思いつきのダジャレなのに違いない。一方がキノコで他方が果物というミスマッチも相当にひどい。

正確に言えば、こういう類いのことば遊びはダジャレとは少し違う。技としてはダジャレよりもうんと簡単で、一文字だけ合わせたら一丁上がりだ。これがオーケーなら、「うれシーラカンス」でもいいし「すっきリスザル」でもいい。要するに、「シ」と「リ」で始まる単語なら何だって成立してしまう。


シイタケとリンゴが大阪市の名産品なら理由もわかる。地下鉄のどこかの駅でシイタケとリンゴの物産展があるのなら、短期の季節キャンペーンだろうとうなずける。だが、そんな深慮遠謀はまったく感じられない。誰がどのような経緯でシイタケとリンゴという案に辿り着いたのか。ぼくの思いもよらぬ狙いがあったのならぜひ聞かせてもらいたいものである。

ポスターでここまで救いがたいほどのセンスを暴露しながら、車掌は「インフルエンザ予防のためにマナーとしてマスクを」と生真面目に車内放送していた。トーンが合っていない。そのポスターを見ながらマイク放送を聞いて、同一の発信源とはとても思えなかった。まあ、こんなことはどうでもいい。何よりも、財政難の折、一人前の大人にマナーを促すようなPR活動にお金を投じるのは即刻やめるべきだろう。

情報を選び伝えるマナー

定期的であるはずもないが、時折り思い出したかのように書きたくなるテーマがある。「なくてもいい情報」の話である。昨年のにも書いたのを覚えていて、さっき読み返してみた。変な話が、自分で書いておきながら大いに共感した次第。先週、同じような体験をした。饒舌な情報に対するぼくの批判精神は相変わらず健在である。

先週の金曜日、出張先は高松。新大阪発ひかりレールスターに乗車予定。すでにホームには列車が入っており、各車の扉付近に清掃中の表示がかかっている。待つこと数分。ホームにアナウンスが流れる。

「折り返し運転のための清掃が終わりました。」

この後にもいろいろプラスアルファの情報が耳に届いた。「清掃が終わった」という情報にひねくれてはいない。それはオーケーだ。「待たせた」と「まもなくドアが開く」という情報もあった。いずれもなくてもいいが、まあ問題ない。要するに、「清掃が終わった、待たせてすまなかった、すぐにドアを開ける」という案内はぼくには不要だが、他の誰かのためにはあっても悪くはないだろうと思う。

だが、「折り返し運転のための」は必要不可欠か。清掃して車庫に直行するわけがない。新しい乗客を乗せて運転するのだから清掃していたわけだろう。だいいち、その列車が博多から新大阪にやって来て、しばしのクールダウンと清掃の後に博多へ折り返していくという情報を乗客に伝えることに何の意味もない。これは駅員どうしの確認で済ますべき話だ。このアナウンスと同時にホームにやって来た乗客には、「折り返し運転のための」と聞いて、何事かあったのかと怪訝に思う人がいるかもしれない。


この種のメッセージをぼくは「目的内蔵型報告文」と勝手に名づけている。要するに目的部分は自分に言い聞かせる確認情報なのである。「腹を満たすためのランチに行く」と同様に、「折り返し運転のための清掃が終わりました」も冗長である。「書くための水性ボールペンを貸してください」も「頭を鍛えるための脳トレーニング」も目的部の情報は不要である。

「まわりのお客さまの迷惑となりますので、携帯電話はマナーモードに設定したうえ、通話はデッキでお願いします」などを字句通りに外国語に翻訳できないことはない。だが、ほとんどの国ではそんな言わずもがなのことを言わないのだ。「通話はデッキで」くらいは言ってもいいかもしれない。だが、座っている席で通話すると他人の迷惑になるというのは、余計なお節介、いや「オトナの幼児的扱い」にほかならない。

よきマナーへの注意を呼びかけるアナウンスにも、最低限のマナーが求められる。必要な情報を選択してきっちりと伝えきるマナーだ。最近、アナウンスが流れない4号車両「サイレンスカー」が消えたらしい。アナウンスがないために不安になる乗客が多く不評だったのか。こうなると、鉄道会社の饒舌な情報発信を一方的に咎めることもできない。責任の一端は乗客の情報依存症にあるようだ。