深まる秋の記憶

明日から3日間の連休。予定は特にない。秋深まる気配に心身を晒すような休暇にしてみようと思わなかったわけではない。しかし、「行楽シーズン到来」という世間一般の常套句が脳裏をかすめた瞬間、尻込みしてしまった。

今住む街の周辺にも、手招きせずとも秋は向こうからやって来る。眺めるのは同じ光景だが、初秋から晩秋へと模様は変わる。他の季節に比べて、秋の風情のグラデーションは豊かだ。たとえその場が都会であっても。と言う次第で、近場を散策すれば十分ではないかと、半分前向きに、だが半分面倒臭がりながら、結局、例年と同じ過ごし方に落ち着きそうである。

オフィスから歩いてすぐの場所に天満橋が架かり、その下を大川が西へと流れている。天満橋の下流にある次の橋が天神橋。二つの橋の距離はわずか350メートル。橋を渡った対岸には、ちょっとした遊歩道があり、川に沿って歩くと樹木の色合いが秋ならではの装いを演出している。もうかなり色づいているだろうと想像するばかりで、夏が過ぎてからはまだ歩いていない。


こんなことを思いめぐらしているうちに、記憶の扉が開いて過去に誘われた。場所はパリのヴァンセンヌの森。広大な森の端っこに一瞬佇んだに過ぎないが、撮り収めた数枚の写真の光景が、タブレットのアルバムを検索する前に忽然と現れたのである。

ヴァンセンヌの森(Bois de Vincennes)。それは201111月だった。今の時期よりももう少し秋深まった頃。緯度の高いパリのこと、日本の感覚ではすでに冬だった。それが証拠に写真に映るぼくの衣装はしっかりと乾いた寒さに備えている。約10日間借りたアパルトマンはパリ4区のマレ地区、メトロの最寄り駅はサン・セバスチャン・フロワサール。あのバスティーユやヴォージュ広場やピカソ美術館も徒歩圏内という好立地だった。

その日は青い空が広がる絶好の日和。窓外の景色を堪能しない手はないから、メトロではなく迷わずにバスを選んだ。広い道路の閑散としたエリアにバスが停車する。そこから、自分なりには森に入って歩いたつもりだが、後で地図で確認すると入口あたりをほんの少し逍遥した程度だった。ともあれ、静謐の空気が充満していた。色があるのにモノトーンに見せる風景が印象深い。朝靄のあの光の記憶は今もなお鮮明である。

心身が浄化されて帰りのバスに乗り込んだ。バスに乗る直前に歩いた通りの名称がジャンヌ・ダルクと来れば、忘れようとしても忘れるはずがない。秋は記憶の扉が開きやすい季節なのだろう。「記憶は精神の番人である」というシェークスピアのことばが思い浮かんだ。

行きつけの店

昨夜、半年ぶりになじみの蕎麦屋に寄り、ざる蕎麦を注文した。徒歩圏内には名の通った蕎麦屋が数軒あるが、蕎麦はここでしか食べない。実は、ぼくが勝手になじんでいると思っているだけで、店にとってぼくは常連客ではない。十数回ほど足を運んでいるが、月に二、三度という頻度ではない。それどころか、半年や一年空くことすらある。顔を薄っすらと覚えている店員がいるかどうかも怪しい。

タイトルを書いてから、山口瞳に『行きつけの店』という本があるのを思い出した。池波正太郎の『ル・パスタン』にもその類の話が出てくる。行きつけとは気になる表現である。今朝、ドイツ文学者の池内紀の新刊『すごいトシヨリBOOK』が朝刊の広告欄に出ていた。抜き書きに「自分の居酒屋、自分の蕎麦屋を持つ」とある。はたしてぼくに「自分の」と言えるような飲食店があるのか。

働き盛りの二十数年間、接待をする側でもありされる側でもあり、ずいぶん贅沢な店でご馳走をいただいてきた。元々食材や料理に人並み以上に食い意地が張り、強い好奇心があったので、私費でもいろんな店を覗いてきた。今のようにスマホで食事処を事前にチェックすることはなかったから、見当をつけた店に入るのは賭けだった。どちらかと言うと、一見の勘は良いほうで、十軒のれんをくぐったらだいたい八勝二敗という感じである。


昔はジャンル別に行きつけの店がそれぞれ二、三軒あった。複数の店でぼくは確実に常連扱いされていた。今ではほとんどない。広告にあった前掲の本では、歳を取ってこその行きつけの店を「自分の居酒屋、自分の蕎麦屋」と言っているようだが、ちょくちょく行く店で、店主がぼくをよく知っている店は数えるほどしかない。オフィス近くなら、隣りのつけ麺店と二つ通り向こうの喫茶店くらいのものだ。酒がなくて困るタイプではないので居酒屋にはほとんど足を運ばない。自分の居酒屋は過去にもなかったし今もない。

「行きつけの」とか「自分の」とか言えるような店などいらないとずっと思ってきたが、昨夜久々の蕎麦屋に行き、今朝偶然に本の広告を見て、ちょっと考えが変わった。行きつけの蕎麦屋、行きつけの立ち飲み、行きつけのバー、行きつけの食堂……この歳だからこそあってもいいのではないか。周囲にこれといった居酒屋はない。気に入っていたバーは閉店した。おかずを選べるような大衆食堂は消えて久しい。まずは昨夜の蕎麦屋をもう少しひいきしてみようと思った次第である。

いきなり二八のざる蕎麦のつもりが、夜の九時前だというのに先客たちはみんな料理を食べて飲んでいる。釣られるように瓶ビールを注文した。グラスはヱビスだがビールは黒ラベル。あてにはいつもの裏ごしおから。この店でこの一品を所望しなかったことは一度もない。

辛味大根にほどよく刺激され、蕎麦の噛み心地、喉越しは申し分なかった。久しぶりなのに落ち着くのは、心のどこかで「自分の蕎麦屋」と思っているからだろう。大晦日に訪れるだけではもったいない店だと思いながら店を出た。いい夜風が吹いていた昨夜であった。

路地のある光景

「ろじ」を露路と表記すれば茶室へと導く通路の意味になる。そんな風情は周辺には見当たらない。だから、路地と書く。裏町の民家と民家の間の狭い通りのことである。

ぼくの住む街は、かつて町家だったと思われる痕跡を今もあちこちに留めている。実際、林立するマンション群の隙間に解体を免れている町家が少なからず点在する。町家ある所、路地も残る。表通りに佇んで路地を覗き、好奇心に促されてそろりそろりと進めば、狭い小道の左右に民家が立ち並ぶ光景に出合う。迷路と呼ぶほどの複雑な構造ではないが、近道だろうと思って入り込んだのはいいが、行き止まりということはよくある。

稀に旧住所を示す標識やブリキ製の看板が板塀に残っているが、路地を路地らしく装っていた小道具の大半は姿を消した。今では自転車やバイクが停めてあったりする。ちょっと奥へ進むと、町家を改造した雑貨店やカフェが出現する。それでも、表通りから眺める遠近感と光と陰翳の微妙な綾は、昔も今も大きく変わらない。


民家の立ち並ぶ表通りを歩けば、ちょうどいい具合に路地が一定のリズムで現れる。家、家、家、家……そして路地……という配置は心地よく、そぞろ歩きしていても飽きることはない。しかし、数カ月も経とうものなら、いくつかの隣り合った町家が壊されて更地になり、路地も消える。翌年になると光景がビルやマンションに一変していることも珍しくない。

ぼくにとっては路地ではない幅広い道なのに、それを路地と呼ぶ人もいる。その人の路地には軽自動車が入ってしまう。車が入ったりすると、もはや路地ではない。路地は人々の日常の生活と歩行を保障する治外法権的な地帯でなければならない。時に、よそ者の通行人も招き入れてくれる。

路地は暮らしやすさのバロメーターなのではないか。その街に住んでよし、歩いてよし。それはまた、街を小さく区分してちょうどよい戸数、ちょうどよい人数で共同生活する上での知恵のようにも思える。というふうに、懐かしく好意的に見るのだが、半時間ほど歩いてもなかなか子どもたちが遊ぶ姿にはお目にかからない。路地の奥まった家々ではひとりぽっちでゲームに興じているに違いない。路地の面影はかろうじて留めていても、人々のライフスタイルは様変わりしたのである。

市場(いちば)の話

日曜日に市場へ出掛け 糸と麻を買ってきた テュラテュラ……
月曜日にお風呂をたいて 火曜日にお風呂へ入り テュラテュラ……
水曜日にあなたとあって 木曜日は送っていった テュラテュラ……
金曜日は糸巻きもせず 土曜日はおしゃべりばかり テュラテュラ……
恋人よこれが私の一週間の仕事です テュラテュラ…… 

ずいぶんスローライフな一週間の過ごし方だ。いや、本人は仕事だと言っている。金曜日に手仕事しようと思って日曜日に買った糸は放置されたまま。風呂は週に一回だけのようだが、月曜日に沸かして火曜日に入ればすっかり冷めているに違いない。水曜日に会った恋人を木曜日に送っていったのだからお泊りだったのだろう(これは楽しいかもしれない)。土曜日の終日のおしゃべりは常人にはできそうもない。うらやましい? いやいや、こんな仕事ぶりで食っていけるとしても、退屈そうである。


リのアパートで10泊したことがある。パリ4区はマレ地区近くの立地で、隣接する12区のバスティーユ市場(Marché Bastille)まで買い出しに行った。地下鉄で二駅、歩いても15分かそこらの距離。二度足を運んで食料をしこたま調達した。バスティーユは常設ではなく、木曜日と日曜日にしか市が立たない。だから、歌詞と同じく「日曜日に市場へ」出掛けたのである。

マルシェは午前7時に始まり、午後3時頃まで商いをしている。野菜、魚介類、肉類、乳製品、香辛料、パン、惣菜、ワイン、花など何でも揃う。店は100軒を下らない。何よりも驚くのが値段である。とにかく安いのだ。特に肉が安い。日本で100グラム800円クラスの上質の赤身が150円かそこらなのだ。野菜もチーズも魚もすべてグラム売り。リーズナブルで良質の食材が手に入れば、アパートでの調理の楽しみも膨らむ。

ところで、「日曜日に市場へでかけ……」の歌詞の市場は「いちば」と読む。試しに「しじょう」と口ずさんでみればいい。拍子抜けするはずだ。「いちば」と呼ぼうが「しじょう」と呼ぼうが、意味は売り買いの場所や形態である。ニュアンスは微妙に違う。「いちば」と言えば、日々の売り買いの場所を想起する。通りに沿って、あるいは囲い込まれた施設内に常設の店が並び、そこに日々の食材や用品を求めて人が集まる。売る人と買う人が出会って、お金と商品を交換する。スーパーと違って、会話があり値段交渉がある。会話は買物の一部、いや、時には主役となる。

市場は日本では「場」という意味合いが強いが、フランス語の“marché”もイタリア語の“mercato”もラテン語の“merce”(商品)に由来する。市場を「しじょう」と呼ぶと、概念性が加わる。あるいは、「いちば」よりも規模が大きくなる。と、ここまで書いて、やっぱり築地市場、豊洲市場のことが頭をよぎる。いずれも「しじょう」と呼ぶ。売り手と買い手の多様性、大規模で特殊な取引形態、取扱い商品の種類の豊富さと量。築地市場は魚食文化を背負う、世界最大級のマルシェだ。国内よりも世界のほうが強くそのことを認証してきた。今日は「いちば」の話だったが、いずれ「しじょう」のこと、築地のことを書いてみたいと思う。

夏の匂い

夏特有のステレオタイプな匂いがありそうだ。街から離れたら、潮が匂い、樹木が芳香を放つ。その気になれば、日光も風もアスファルトも匂う。汗が匂うのは言うまでもない。鰻のかば焼きが匂い、蚊取り線香が匂う。視力だけと思われがちな既視感だが、本来は「感じたような気のする感覚」だ。嗅覚にも当てはまる。

今日、イタリアンブレンドのコーヒー豆をエスプレッソ用に細かく挽いてもらった。挽き始めた瞬間、閉じ込められていた香りが解放されて辺りに広がる。横を通る女性がつぶやいた、「わ、いい匂い」。ぼくの注文の品だが、香りは独り占めしない。どうぞご自由に、嗅ぎ放題ですから。

嗅いでいるつもりはないが漂ってくる匂いがある。その匂いは二つに分かれる。逃げたくなるほど閉口する匂いと、自主的に嗅いでみたくなる快い匂いである。前者の匂いは「におい」とも書く。後者の匂いは「香り」とも呼ぶ。

くすのきの成分を抽出したアロマミストを使っていて、出張時にも持って行く。フェイスシートよりも手軽だ。と言うか、汗を拭く用途と違い、ミストは気分転換のため。駅のホームで数分待った後に新幹線に乗り込む。首筋にワンプッシュすると、ほのかな森の香りと冷感で安らぐ。深呼吸して積極的に嗅ぐ。


ぼくの住む街には川があり運河がある。数キロメートル先には港もある。夏になると、昼間に温められた水面から湿気が立ち上がり、微風が特有の匂いを運んでくる。かすかに生臭い潮の匂い、藻のある池で澱んでいるような水の匂い。水際からかなり離れていてもそんな具合である。夜更けて温度が下がり、匂いはやっと緩和される。

川と運河の他に古い町家も方々に残っている。そぞろ歩きすれば、いくつもの路地を左右に眺めることになる。路地からは、寒い時期には感覚できない匂いが夏になると漂い始める。決してかぐわしい匂いではないが、悪臭でもない。日焼けした畳のような匂い、虫と草の青臭い匂い、地面が土だった時代の湿気た匂い……どれもこれも、嗅ぎ覚えのある懐かしい匂いだ。

夏は匂いの季節なのだろう。入り混じる各種の匂いに困惑されてはいけない。濃く味付けした食材を焼けば特有の生温い臭気を退治できる。夏場の鰻や肉がうまいのはそのせいかもしれない。

アート感覚

自然を切り取り縮図化して再生すれば街や庭園や諸々の造形物になる。創作の根底には自然に学び模倣する精神がありそうだ。一見非自然的に見える作品であっても、じっくりと鑑賞すればどこかに自然の形状や摂理が潜んでいることに気づく。刀剣にも土器にも、あるいは幕の内弁当にすら、自然を感知する時がある。

サグラダファミリアも自然からのインスピレーションだという。アントニ・ガウディは、「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない。自然の中にこそ最高の形が存在しているではないか」と信念を語っている。

アートという創作に携わる人たちは、程度の差こそあれ、自然に対して畏敬の念を抱く。そういう念がぼくたちの目に映ることがある。同時に、自然への対抗意識も見え隠れする。慎み深く敬虔になることと負けず嫌いが相反的に創作意欲を支えている。アートは勝負魂と無縁ではないと想像すると愉快だ。

超一流の芸術家や工芸家らのきめ細やかさと凝りようにはいつも驚嘆する。自然を師匠として崇めながらも、師匠を追い越して暗黙知に磨きをかけて恩返しをしようとする精神性を窺い知る。これは人工知能(AI)と人間が対置する図に似ている。人間から得た教師データを頻繁かつ大量に反芻し、挙句の果ては自らディープラーニングしてしまう人工知能。アーティストは自然に対して、人工知能と同じことをやってのけようとしているのかもしれない。


プラトンによれば、線には長さはあるが、太さも厚みもない。紙に引いた線はぼくの目に見えるが、それは真の線ではない。線は観念的な別次元である〈イデア界〉にしか存在しない。線を引いているのは、イデア界とは異なる現実世界に生きる人間の苦肉の策、もしくは方便にすぎない。点も同様である。点には位置はあるが、長さも太さも厚みもない。要するに、線も点もイデア的には見えざるもの。見えないものによって長さと位置を示す、ゆえに観念的なのである。

スーパーリアリズムのイラストを見て、「これなら写真でいいのではないか」と言った人がいる。そうではない。スーパーリアリズムに線を描き加えることはできるが、写真で線に見えているのは実は線ではない。写真の被写体は自然や都市や人や道具などであり、これらの被写体にふちマージンはあっても、線はないのだ。もし線が見えたのなら、それはすでに手を施された線らしきものであって、正真正銘の線ではない。

レオナルド・ダ・ヴィンチも自然界に線はないと考えた。そして、〈スフマート〉というぼかし・・・の描写技法を編み出したことはよく知られている。自然界の山や海がそうであるように、色彩の層を上塗りしてグラデーション効果を表現する。輪郭を示すのに、線を引かず、形状を認識させる工夫である。

線を引く画材をライナーと言う。以前、ライナーで輪郭をかたどらずに、いきなり絵具で面を描いたことがある。腕前の問題もあるが、ぼかしと言うよりもぼんやりした一枚になってしまった。ボローニャのホテルに滞在した折りに描いたロビーの絵。捨てずに記念に取ってある。

新緑が深まる頃

新緑の季節真っ盛り。陽射しは日に日に強くなる。この時期、光は木々の緑をやわらかく、かつ鮮やかに見せる。湿気をさほど含まない風は爽やかに樹間を通り過ぎる。光が風と新緑を絶妙に調和させる。

平日の昼前、珍しい光景に立ち会う。オフィス街の南北に走る御堂筋に人の影も車の姿もほとんど見えない瞬間があった。新緑は五月中頃から下旬にかけてピークを迎え、その後グラデーションを効かせながら深みを増す。規則正しく大通りに並ぶ高木の緑は初夏を先取りしているかのようだった。

街の一部を切り取って透視図的に眺める時、前景に緑があって、後景に建物が見え隠れするほうが落ち着く。逆の、前景に建物を配し後景に緑を置く構図では、緑が負けてしまうのである。

五月は花の季節でもある。薔薇園でも街中の花壇でもカラフルに咲き競っている。無粋な話だが、色鮮やかなシーンは苦手だ。当てもなくそぞろ歩きするのはくつろぐためであって、強い刺激を受けるためではない。緑には神経をなだめる効果がある。緑も色の一つだが、緑を含むと風景は限りなくモノクロームに近づく。


自然界に晩春と初夏の分節はない。人間が四季や二十四節気などの概念で線引きしているにすぎない。一括りに人間と言うのが乱暴なら、人それぞれとことばを変えよう。人はみなそれぞれの季節感によって春を惜しみ、あるいは夏を待つ。少々気温が上がっても春を感じれば春なのだ。この陽気はもはや夏だと判断すれば夏なのだ。

欧米からの観光客が袖なしTシャツに半パンで歩いている。その前方からジャケットとストール姿の日本人女性がやって来る。真夏丸出しのファッションと春に未練を残すファッションが往来で交叉する。他人の薄着や厚着には誰もとやかく言うべきではない。人それぞれが季節を感じ、好きなように着ればいい。

自分なりの季節感覚で若葉を見つめる。一週間後にはおそらく新緑の深まりを感知する。好きな場所で幻想の扉を開けてみよう。扉の向こうでも緑が広がっているだろう。もちろん緑と自分との間には隔たりがある。しかし、自分はすでに緑の中に投げ出されている。おもむろにベンチから腰を上げれば浄化されている自分に気づく。これが新緑の季節の恩恵である。

GWの街歩き

う何十年もGW中に遠出していない。ゴールデンウィークという和製英語が気に入らないからではなく、わざわざこの期間中に行ってみたい場所がないという理由。混雑も長蛇の列も歓迎しない。人影まばらな街中を当てもなく歩くほうがよほどいい、と考えている。歩き慣れた道すがらに新しい発見があって、近場の街歩きもまんざらでもない。この時代、自分のペースを貫ける機会は貴重である。御堂筋を大阪版シャンゼリゼ通り、などとぼくは思わないが、誰かがそう比喩したことがある。その御堂筋を歩いてみた。


御堂筋は全長4キロメートル。往復するのは大変だ。しかし欲張らずに、たとえば本町から北上して淀屋橋へ、そこから少し足を延ばして土佐堀川と堂島川を渡ったあたりまでなら1.5キロメートル足らず。行って帰ってきてもちょうどよい距離だ。ところで、御堂筋は彫刻ストリートでもある。東西の舗道に世界レベルの逸品を含む29体の作品が屋外展示されている。複製やレプリカではない。なかなか太っ腹な試みだといつも感心しながら鑑賞している。

陽光ひかりの中で』という作品がある。ウェブの解説にはこう書いてある。「人は心満たされるとき、豊かな暖かさを醸し出すと同時に、私たちに安らぎを与えてくれる(という作者佐藤敬助の思いが表現された作品)」。このコンセプトを結実させて一体の像が誕生した。すなわち、陽光の中で全裸の少女(?)がシャツだけを着て座る姿だ。なるほど、芸術は不可解にして深淵である。

ビルが建ち並ぶ通り。とある企業の敷地内に誰でも入れる空間がある。プロムナードがあってそぞろ歩きができる。あっと言う間に踏破できてしまうが、先がわからないように少々曲がりくねらせてあるので、視覚的には長い遊歩道に見える。歩けばプロムナード、石のベンチに腰掛ければオアシス気分。樹木の隙間に見えるビルを無いことにすれば、見知らぬ街に遠出してきたような錯覚に陥る。もちろん困惑する錯覚ではない。

帰りは御堂筋を南下する。ネオルネサンス様式の日本銀行大阪支店前で立ち止まれば、道路を挟んで市役所、図書館、中之島公会堂が展望できる。高層ビルが多い立地にあって市役所は9階建て。今では低層の部類に入る。空が晴れて澄みわたる日には川面に青が映り込み、いい感じの水辺の風景になる。ところが、景観努力の最後の詰めが甘い。「追突注意」という黄色い立て看板にがっかりするのだ。この看板で追突事故が減るとは思えない。下手に差し出がましいマネをすると景観が台無しになるという例である。

気分を取り直して南下する。御堂筋が途切れて別の通りに変わる。緑と共存するといううたい文句の商業施設に入る。かなり疲れている。疲れたら座りたくなるものだ。疲れている時はソファは逆効果だ。また、身体全体を包み込んでくれるような椅子もよくない。尻にやさしくない堅いベンチがいいのである。公園でくつろぐベンチはおおむねそういうしつらえになっている。

自分に合う家具選びは難しい。しっくりくるかこないかの感覚は身にまとう衣装に似ている。椅子は家具である。座り心地とデザインと用途の三要素を揃えてくれる椅子が理想だ。言うまでもないが、「彼が次に狙う椅子は……」というような比喩としての椅子の話ではない。家具としての、あるいは作業や休息環境としての椅子。エスカレーターを上がると、足腰を休めるのに絶好の長椅子が現れた。背もたれもクッションもない簡素なデザイン。ここに三人で掛けるのではなく、独り占めできれば贅沢このうえない。そして幸いなことに、しばしの間、思い通りになったのである。

紀行からのインスピレーション

台詞せりふばかりの小説は読みづらい。地の文ばかりでも退屈する。活字を追う上で状況説明は不可欠だが、ほどよい会話のやりとりがあってこそ変化が生まれる。脚本が演劇になると地の文が消える。しかし、地の文が消えても、眼前の視覚的場面が意味を与えてくれる。観客は舞台俳優の会話に集中しながらも、語られない地の文を「視覚的に」聞いている。

紀行と言えば紀行文、あるいは旅日記と相場が決まっている。ゲーテの『イタリア紀行』にならって、以前本ブログで『イタリア紀行』を54回にわたって書いたことがある。撮ってきた写真をさほど慎重に選別せずにあしらい、見た所感じたことを綴ったが、台詞はほとんどなく地の文ばかりの体裁だった。

パリ滞在記もしたためるつもりで準備を始め、サンマルタン運河【写真】から文を起こそうと思っていた。しかし、現地で交わした会話の頻度はイタリアのそれにはるかに及ばない。風景を描写し、運河の由来とエピソードを拾い、印象を記しておしまいになりそうな予感がして保留したままになっている。

最近は映像版紀行をテレビでよく観ている。映像になっても文章と大差はない。そこに地の文としてナレーションが入り込む。ナレーションの文やナレーターの声は紀行作品の質を決定づける。なくてもよさそうなナレーションが入り込んでくると、映像に凝らした工夫が台無しになることさえある。ナレーションにこれぞという表現――ちょっとメモしておこうという気になるもの――にはほとんど出合わない。印象に残るのは街に暮らす人たちの語りであり、地の生活の行間に浮かび上がる生き様である。


先日、イタリア北東部の都市トリエステの旅番組を観た。海岸と海水浴を楽しむシニアが映し出された。海水浴場は銭湯みたいに壁で男女のゾーンが仕切られている。せっかく夫婦で来たのに別々に遊泳し日光浴するのだ。女の一人が答える、「別々のほうがいい。男たちときたら、話すことはいつも三つ。サッカー、女、自慢話」。トリエステだけに限った話ではない。イタリア全土の男のステレオタイプが浮かび上がる。これをナレーションで説明してしまったら迫力不足、いや、野暮である。

別の日、『ヨーロッパ鉄道の旅』でポルトガル紀行を疑似体験した。塩田を訪ねる場面がある。働き手は言う、「ここで生まれたらこの仕事をするんだよ」。塩づくりに従事するのは他に選択の余地のないさだめ。それをさらっと言ってのける。別のシーンでは二人の婦人が頭に大量の洗濯物を載せて洗い場へと向かう。おそらくその毎朝の役目に疑義をまったく挟まずに受容している。ずいぶん昔から一般の女性はおおむねそうして生きてきた。洗い場まで出掛けて洗濯するという家事もまたさだめなのである。

運命に従う、あるいは運命をあるがままに生きるということが普通である世界と、ぼくたちのように、必ずしも世襲や土着という境遇や運命に縛られずに多様な選択の機会に恵まれる世界がある。一般的にぼくたちのほうが自由度が高いと言われるわけだが、はたしてそうなのだろうか。運命に抗って自由な選択に生きるにも覚悟が必要である。幸せになれるかもしれないが、落胆の終幕を迎える確率も大きい。世襲や土着の縛りから解放された自由は、同時に不安定という重い荷物を背負う。

遠い外国への旅から疎遠になった今日この頃、他人が旅する紀行で旅した気になっているが、リアルな旅とは異なるインスピレーションに恵まれることに気づく。バーチャル体験侮るべからず。バーチャルは「仮想の」と訳されるが、元々は「事実上の」という意味なのだから。他人の旅を間借りしていても、そこに今生きている自分が重ね合わされるのである。

食卓考

食事、食事の場、食文化、共食などのことを書こうとして、ひとくくりにするぴったりのことばが思い浮かばなかったので、食卓としてみた。「食卓考」だがテーブルの話ではない。

イタリアで始まったスローフード運動の前から、仕事は早く食事はゆっくりという主義を貫いていた。男子四人集まってテーブルを囲んだら、食べるのはたいてい一番ゆっくりである。普段は饒舌、しかし食事中は案外寡黙である。好き嫌いはまったくない。ぼくをよく知る人はぼくを食事に誘うにあたって余計な気遣いをするには及ばない。出されたものは、たとえそれが見た目グロテスクな初体験の料理であっても、食べる。残さないで食べ尽くす。食材に対して傲慢になってはいけないと心している。ゆえに、好き嫌いの激しい人と食卓を囲まないわけではないが、眼前で好き嫌いを露わにする人を快く思わない。それを感知する人たちはぼくとの食卓から離れていく。来る者拒まず、去る者追わず。

食事はみんなで和気藹藹と語らいながら食べるほうがおいしいという定説がある。必ずしもそうではない。話が弾んだのはいいが、何を食べたかうろ覚え、しかもせっかくの料理の味も十分に堪能できなかったということがよくある。一緒に食べるからうまくなるのではない。一緒だから会話と場を楽しんでいるにすぎない。小雪舞い散る寒い日に、今夜はみんなで鍋を囲もうと思う。こっちがご馳走するのだから、何鍋にするか自分で決めればいいが、先に書いたように、人には好き嫌いがある。温情をほどこすつもりで聞いてみると、あれは苦手、それは嫌い、これがいいと好みが割れる。ならば別の機会にということになり、結局、捌き立ての旬の真鱈の一人鍋を食べる。鱈で腹が膨らんでたらふくになる。


ろくに喋りもしないのに打ち合わせと懇親会の好きな男がいた。得意先に打ち合わせをしようと自分から声を掛ける。その後に親睦を兼ねて接待的な場を設ける。これが狙いだ。食事にはお疲れさまの意味もあるが、彼にとってはほっと溜息をつく「逃げ場」だった。仕事から離れるので雑談が交わされるが、適当に聞き流しながら、時折り社交辞令的なうなずきと作り笑いを挟みつつ、黙々とビールを飲み箸を動かすばかり。接待などしていなかった。食事は自分を労う息抜きの場であった。

続いて腹一杯の状態で二次会へと向かう。六千円のリーズナブルな会席料理の後に、ピーナツとおかきをつまみながらカラオケ三昧。支払いが会席料理の倍額というのも稀ではない。「親が死んでもじき休み」という言い回しがある。次に何があろうと、たとえどんなに忙しかろうと、食べた後は一休みせよという教えである。この原義の他に、ご馳走の食後感という余韻に浸るという解釈を付け加えておきたい。食事前の「おいしそう」、食事中の「おいしい」、そして食後の「おいしかった」で食卓の満足が完結する。ぼくはそう考えている。

食卓の味わいは料理への集中力によって深まる。五感を研ぎ澄ますべきである。会話を交わすことを排除しない。しかし、料理の価値を減殺するようなお粗末なお喋りは集中力の邪魔になる。年に数回、十数人に囲まれる懇親会に出席する。主賓の栄誉に浴するものの、矢継ぎ早の質問に答えるばかりで、ろくに食事を楽しめない。豪華な料理の下手な共食は一人の粗食に劣ると実感する瞬間である。