そぞろ歩き

夏場になると歩く距離が短くなる。加えて、出張時には現地でもタクシー移動が多い。大阪にいる時も自宅とオフィスの往復30分程度の歩き。身体がなまってくる。無性にそぞろ歩きしたくなるが、暑さと闘う気力が湧き上がらない。昨日、講義でコンパクトシティに触れた際にフィレンツェの話をした。ふとがむしゃらなそぞろ歩きのことを思い出した。

七年前、一週間フィレンツェに滞在した。日が暮れて夕闇が迫りくる時間帯。変な表現だが、「軽快な虚脱感」と「神妙な躍動感」がいっしょにやってくる。人の顔の見分けがつきにくくなり、「そ、彼は」とつぶやきたくなる時間帯を「たそがれ」と呼んだのは、ことばの魔術と言うほかない。

当てもなく街の灯りと陰影を楽しみながら、足のおもむくまま移ろってみる。気がつけば同じ道や広場を何度も行ったり来たり。そんなそぞろ歩きを”passeggiata”(パッセジャータ)と呼ぶ。まったく重苦しいニュアンスや深い意味はなく、「ぶらぶら一歩き」のような軽やかさがある。散歩まで義務や日課にしてしまってはつまらない。

ルネサンスの余燼が未だ冷めやらない街。いや、余燼という形容は正しくない。ルネサンス時代のキャンバスの上に現在が成り立っているのがフィレンツェだ。ここは至宝で溢れるアートの街。たたずめば感化されて絵心がよみがえる。よみがえり……これこそが再生、ルネサンス。

アルノ川Katsushi Okano
アルノ川の夕景(ポンテヴェッキオから)
2007
Pastel, watercolors

毎月26日

今日は826日。毎月26日が何の日であるかを知ったのは今年5月の下旬だった。よく通り過ぎる最寄りの区役所前ののぼりが目に止まった。ずっと以前からあったに違いないが、その日初めて気づいたのである。

この国には語呂合わせの好きな人が多い。日本語の特性が語呂合わせにおあつらえ向きだからである。英語で0から9までの一桁の数字で何かシャレを作ろうとしても限界がある。音が、zeroonetwo……eightnineでは語呂を合わせにくいのだ。ところが、日本語なら、4649で「よろしく」と読めるし、3341で「さみしい」と読める。電話番号を意味のあることばや文章にするのも朝飯前である。

こういう言語風土があればこそ、「何月何日は何の日」はやりたい放題になっている。毎月29日は「肉の日」であり、毎月19日は「インクの日」であり、そして、毎月26日は「ツーロックの日」なのである。なんと英語と日本語の併せ技で読むという芸当までやってのける。


最寄りの区役所とは大阪市中央区役所である。中央区にも地域差があって、ぼくの住居周辺はかなり治安がいい。けれども、区域が広がっているから、部分的には良からぬ一部居住者あるいは良からぬ一部ビジターがいる。中央区のひったくり、路上強盗、自動車・自転車の盗難件数は大阪市内でワーストワンになっている。このうち、自転車が60パーセントを占めているという。

ツーロックの日

そこで、毎月26日を自転車に錠をダブルでかけようということから、語呂合わせで「ツーロック」と読ませてキャンペーンが始まった。当初は中央区だけの運動かと思っていたが、市内全域、それどころか他府県でもこの日にキャンペーンがおこなわれているのを知った。今日がツーロックなら、16日は「ワンロック」でいいのかと意地悪を言われかねない。

もし語呂合わせにこだわらなければ、数週間連続でやればいいし、けしからぬ者にとっては路上犯罪は年中無休なのだから、毎日ツーロックで自転車を守るべきだろう。と、ここまで考えてはっと気がついた。今年は平成26年ではないか。何のことはない、このことに気づいていれば、「今年はツーロックの年」として11日から華々しくキャンペーンしておけばよかったのである。

文化とことば

最初に聞いた「ぶんか」という音は、おそらく「文化住宅」ということばとしてだった。ぼくが子どもの頃に町内のあちこちで建ち始めた簡易な集合住宅である。文化住宅と文化が違うらしいことは、しばらく後になってわかった。文化住宅とは、実は「文明の産物」だったのである。

一語の辞典 文化

さて、ここに『一語の辞典 文化』(柳父章著)という本がある。文化ということばだけを字義的にあれこれと考察している本だ。久しぶりにページを繰っているうちに、いろんなことが脳裡に思い浮かんだので書いてみようと思う。

「哲学」「科学」「時間」などの術語は幕末以降に生まれた和製漢語であり、「文化」もその一つであった。英語やドイツ語を「やまとことば」に置き換える代わりに、二字の漢字で言い表そうとしたのである。他に、“concept”は「概念」とされたし、“information”は「情報」になった。いずれも「おもひ」、「しらせ」とはならなかった。


明治40年(1907年)発行の『辞林』に【ぶん-くゎ】という見出しで文化が収載されている。「世の中のひらけすゝむこと」とある。ついでに、英語も併せて数冊の辞書に目を通してみた。定義はいろいろである。「文明が進んで生活が便利になること」というのがあった。文化の説明に文明が持ち出されるのも妙な気がする。他に「真理を求め、つねに進歩・向上をはかる、人間の精神的活動」というのもある。これはわかりやすい。

英語の“culture”には、まず「耕作」や「栽培」という訳語が当てられ、次いで、抽象概念の「教養」や「文化」が続いた。なるほど、植物を土と光と水によって培い養うのと、人の精神を育むことに大きな違いはなさそうだ。農業を意味する“agriculture”にはちゃんと“culture”が含まれている。

さっき「文化の説明に文明が持ち出されるのも妙」と書いたが、「文明>文化」という視点を感じるからである。文化(≒culture)と文明(≒civilization)の間には一線を引くべきだ。二つの概念はまったく違うのだから。文明開化という時の文明にぼくなどはテクノロジーやエンジニアリングを感知してしまう。ゼネコン的で公共的で巨大インフラ的なものをである。河川を工事したり巨大都市を建設したりするのが文明なのだ。

文明に比べれば、たしかに文化などみみっちくて卑小に見える。だが、芸術や工芸や芸道をピラミッドの前景に配して強弱や優劣を語ることにほとんど意味はない。文明はハードウェアであり文化はソフトウェアである。ハードとソフトはコンピュータにおいては一体的な協同関係にあるが、生活世界においては文明と文化は二項対立的な共存関係にある。どんな関係か……たとえば、スカイツリーやあべのハルカスを背景にして一句をひねってみれば、そのことが実感できるかもしれない。

一冊の本に出合う

本と聞いて読書を連想するのは自然である。自然ではあるが、ありふれていてちょっと物足りない。書店や図書館に並ぶ本、手が届くところにある本、買って本棚に立ててある本、出張時に鞄に入れる本……すべて本であるけれども、読むとはかぎらない。

ぼくの場合、読書を連想する前に、本と遭遇するのであり、本そのものの装幀を見、本を買うという行為がある。そして何よりも、本とは、読書に先立つことばであり文字なのである。読む読まないにかかわらず、本とは文字を紙に印刷して整えたものなのである。

「一冊の本と出合う」などと題すると、自分の人生を変えたこの一冊、生涯座右の書となったこの一冊を想像してしまうかもしれない。一冊の本で目からウロコが落ちたことはある。思考軸が揺れたこともある。大いに鼓舞されたこともある。けれども、可愛げがないが、コペルニクス的転回を強いられた本は一冊もない。何千冊も読んできてそんな本に出合っていないのは、ろくでもない本ばかり読んできたからだろうか。いやいや、かなり良書を読んできたつもりである。


ほどよく刺激を授けてくれ、ほどよくゆるやかに成長を促してくれた書物はいくらでもある。劇的な一冊との出合いはなかったものの、一冊ずつを連綿とつないでみれば、ぼくはいい読書体験ができていると思うのである。「この一冊」を挙げることはできないが、「読んでよかった一冊」に恵まれてきたと言えるだろう。主宰している書評会で取り上げてきた二十数冊の本の大半はそんな一冊であった。

わだばゴッホになる

仕事に出張に多忙で心身ともに極限の疲弊を何度か経験した。そのうちの二度は偶然出張先で開催されていた棟方志功展で癒された。棟方の作品には「生」がある。この一文字にルビを振るなら、生粋の「」であり「ちから」であり「たましい」である。棟方の作品は「生と板」で創作されている。ちなみに、棟方は版画ではなく「画」と書く。板の性質をきちんと使って生かすためと言っている。

板画作品に優るとも劣らず文章が読者を揺さぶる。飾らない朴訥とした話しことば……虚勢を張らない、見栄がない、素直である、文が今を生きている……。

自分の力で仕事をするという自分の世界から、いや自分というものほど小さく無力なものはない、その自分から生まれるものほど小さなものはないという、自力とは全然別な他力普遍な世界というものに動かされ始めていました。

この棟方のことばは、自力や独力の否定ではなく、諦観もしくは悟りだろう。主観を超えて人間の共通感覚という、基本にして融通性の大きな境地に近づいたのである。こんな神妙な境地から万物を見据えながら、他方で棟方の口調は軽やかであった。本書の最後の一文は「ロートレック、バン・ゴッホ、ベートーベンの好きな棟方志功の私の『履歴書』の大団円です。バイバイ。」という調子である。

書名になっている『わだばゴッホになる』は棟方の小さい頃からの口癖だった。ゴッホのことを本で知るのは18歳の時だったが、それ以来、どんな絵かもろくに知らずに「ゴッホになる」と言っていたらしい。明けても暮れてもゴッホ。別の本に次のようなくだりがあった。「(わだばゴッホになると言い続けていたが)棟方はゴッホにはなれなかった。しかし、世界のムナカタになった」。励みになる至言である。バイバイ。

チップとサービス料

最近はあまり聞かないが、以前は「ローマのレストランでぼったくり!」というようなニュースをよく耳にした。イタリアには5回旅して20以上の街を訪問、幸いにしてレストランやタクシーでぼったくられたことはない。ヴェネツィアのレストランでチップを置かずに店を出ようとしたら、「チップをよこせ!」と高圧的に迫られたことが一度だけある。チップをせがんだという理由だけでぼったくり扱いできないが、彼らにとって日本人は気前のいいお客さんなのだろう。ぼったくりで生計を立てるなら、ぼくも日本人をターゲットにする。

イタリア語でチップのことを「マンチャ(mancia)」と言う。渡す側が使うと横柄に聞こえるかもしれない。テーブルチャージは「コペルト(coperto)」で、だいたいカゴに盛ったパン代になっている。これも客側はあまり使わない。サービス料は「セルヴィーツィオ(servizio)」。お勘定の「イル・コント(il conto)」と並んで、このことばは客側が使う頻度も高い

気に入ればチップを置くのをためらわない。だが、サービス料込みの食事をしたのにさらにサービス料を上乗せされるのはたまらない。だから接客係に“Il conto, per favore.“(お勘定してください)と告げた後に、”Il servizio é incluso?“(サービス料は込み?)と必ず聞く。通常は含まれていることが多いので、わざわざ聞く必要がなさそうだが、それでも聞く。やりにくい客と思われてもいい。こう聞いておけば、接客係もぼったくりしにくくなる。


と書いたものの、過剰な心配は無用。観光地の例外的な悪徳業者を除けば、イタリアの店はおおむね誠実であり店員もフレンドリーで、楽しく食事ができる。上記のサービス料のことと、あとはチップのことを少し知っておけば十分である。旅行ガイドには型通りのチップの心得が紹介され、ほとんどがチップを渡すという前提で書かれている。実は、必ずしもそうではない。

1euro italy
ダ・ヴィンチの人体図が刻まれたイタリアの1ユーロ硬貨。

たとえば、エスプレッソ一杯をテーブルで注文する。運ばれてきた時に勘定を済ませるので、飲み終えたらいつテーブルを立ってもいいわけだ。店と給仕ぶりが気に入ったら、日本円で20円か30円ほどテーブルに置けばいい。イマイチと思ったらそのまま立ち去ればいい。食事の場合はすべて終わった時点で「お勘定」と告げる。レジへ行かなくても、テーブルに着席したままカードで決済するか現金で支払う。これまた、気に入ればチップを置けばいいが、サービス料が含まれているのなら、敢えてチップをはずむことはない。

ローマのとあるオープンテラスで食事をした時、食後に「お勘定」と接客係に告げ、例によって「サービス料は込み?」と聞いた。彼は苦笑いしてうなずいた。観光地のど真ん中で元々料金設定が高いから、勘定を済ませてお釣りを受け取り、チップは置かなかった。セレブな旅行者ではないので、食事のたびに気前よく振る舞うわけにもいかないのである。

但し、チップには独特の商習慣や雇用事情が背景にある。少なくとも、過去にはあった。そのことについては別の機会に書くことにしたい。

バイアスから呪縛へ

火災と報知器

真夜中に火災警報が町内に鳴り響き、はっきりと内容が聞き取れるほど大音量でアナウンスが何度も流れた。「火事です! 火事です! 12階で火災が発生しました。安全に注意して避難してください」。

ウワァ~、ウワァ~、ウワァ~、ウワァ~と、ちょっと耳慣れない警報音の後にアナウンスが続く。アナウンスの後は再びウワァ~である。これが10分以上続いただろうか。

昨日の午前245分、ほとんどの人が眠りについている時刻。ぼくの居住するマンションの裏、一本路地をはさんだ新築マンションでの出来事だ。鳴り響き始めた直後に北側のベランダに出て様子をうかがった。非常階段に人気はなく、12階を見上げても何事かが起こっている気配はない。

およそ5分後にようやく下層階の住人が何人か廊下に出てくるのが見えた。そのうちの一人が12階の方へと階段を上がって行くのも見えた。マンションとマンションの隙間に、おそらく消火機能のない、小型の消防車らしきものが到着する。最初の警報が鳴り始めてからすでに15分経過していた。しばらく見守っていたが、どうやら火災報知器の誤作動だったようである。


災害発生直後、人は取らなくてもいいのに不可解な行動を取ることがある。他方、取ってしかるべき自然な行動を取らないことがある。たとえば、マンションで警報ベルが鳴っても、ほとんどの居住者は「何かの間違いだろう」と考え、誤作動だと決めつけて動こうとしない。これを〈正常性バイアス〉と専門家は呼ぶ。バイアスとは「誤謬を招く偏見や先入観」のことだ。無意識のうちに「これは異常ではないんだ。何かの間違いなのだ」と、正常の顔を立ててしまうのである。仮に何かが起こっていたとしても、管理人か別の誰かが処置するか消防署に通報するだろうと期待する。

突発的な災害時には、もう一つ、〈多数派同調バイアス〉という状況が生まれやすい。マンションの他の多数の住民が何もしていないことにならって、自分もじっとするのが安全だと都合よく判断してしまう。このバイアスに「誰かが何とかするだろう」という期待が重なる。もし、誰かが階下や階上で動き始めた気配を感じれば、今度はそれに同調して自分も動く。

もっと恐ろしい心理状態がこの後にやってくる。これは間違いなんだと自らに言い聞かせ、みんなに合わせようとした結果、無思考状態に陥り凍りついたように身動きできなくなるのだ。マンションの住民はそれぞれ独立した居住空間に住んでいる。にもかかわらず、マンションというくくりの集団に属している。ふだんは都合よく自分だけで生きているくせに、非常事態が発生すると個別心理を集団心理にシフトする。

以上のような心理状態は非常事態に固有のものではない。よく考えてみれば、平時でもよく似た気質や行動が見られるではないか。「みんなと同じであろうとすること」や「誰かに期待をかけること」は日常茶飯事的な性向なのである。標準意識、安全神話、甘えの構造が根を張っている。しかも、一難去って教訓残らずの憂いありだ。裏のマンションの連中、もう忘れているだろう。結果オーライで済ませてはいけないのである。

名画と自宅の壁に掛ける絵

蒐集家でないぼくたちが鑑賞する名画のほとんどは、美術展や図録内での作品である。レンブラントの、たとえば〈テュルプ博士の解剖学講義〉は日常からかけ離れた鑑賞の対象であり、美術館所蔵的な「遠い存在」と言ってもいい。

この名画を自宅の日常的な空間の壁に掛けるとする。その絵は食卓からも見える。来客の目にも入る。テレビを見るたびに、視野の隅っこに見えるかもしれない。昼夜を問わず、在宅しているかぎり、その絵は見える。さて、それでもなお、これまでの遠い存在として抱いていた憧憬が変わらずに持続するだろうか。今や身近な日常的存在としてそこにある絵は、芸術価値を湛えた名画としてあり続けるのだろうか。レンブラントの絵が気に入っていることと彼の名作の一点をリビングに飾ることは、決して同じことではない。

光と闇の魔術師レンブラントの絵画は、古色蒼然とした城の壁に似合うかもしれない。だが、ぼくの住む安マンションでは息が詰まりそうだ。もちろん、作品は不相応な場に飾られて大いなる役不足を嘆くに違いない。しかし、生意気だが、ぼくの方からもお断り申し上げる。どんな絵がよいのか……鑑賞するならどの絵で、飾るのならどの絵なのか……。議論してもしかたがない。月並みだが、好きな絵がよい絵なのである。ぼくはレンブラントの価値を云々しているのではない。資産価値を度外視するならば、自宅の壁にレンブラントを掛ける気分にはなれないと言っているにすぎない。


Antoni_Gaudi_1878

スペインはカタルーニャの人、アントニ・ガウディは地域性(または風土)と芸術性・合理性について明快な私見を有していた。彼は、自分の、そしてカタルーニャに代表される地中海の気質を誇らしく思い、ヨーロッパの他の地域との個性差について次のように語っている。

われわれ地中海人の力である想像の優越性は、感情と理性の釣り合いが取れているところにある。北方人種は強迫観念にとらわれ、感情を押し殺してしまうし、南方人種は色彩の過剰に眩惑され、合理性を怠り、怪物を作る。

ガウディは「本当の芸術は地中海沿岸でしか生まれなかった」と言い切った。この言を受けて、「しかし、北ヨーロッパにもレンブラントやファン・ダイクのような立派な画家がおりますが……」と知人が指摘すると、ガウディは「あなたの言っているのは、ブルジョアの食堂を飾るにふさわしい二流の装飾品にすぎない!」と激しく北方芸術をこきおろした(『ガウディ伝―「時代の意志」を読む』)。地中海主義に比べればレンブラントの絵は暗鬱だと言わんばかりである。

では、レンブラントと同じオランダ人のゴッホをどう説明するのか。ゴッホはフランスのアルル地方の影響を受けて明るいコントラストと力強い画風を確立したではないか。しかし、元を辿ってみると、実はゴッホ自身もオランダ時代には貧民の働く姿をグレー基調で暗く描く作家だった。そして、後年もオランダの暗さと光を称賛していたという。

ところで、ガウディが南方人種として批判しているのは誰なのか。同じスペインでも最南端のマラガ生まれのパブロ・ピカソは標的の一人なのか。晩年のピカソは色彩の過剰に眩惑されていた傾向があるが……。

喫茶店とマッチ

昭和30年代前半(1955 – 1960)、まだ小学生になる前だったと思うが、たまに父が近所の喫茶店に連れて行ってくれた。当時おとなの男はほとんどタバコを喫っていた。よく目にした銘柄は「いこい」「新生」「ショートホープ」など。銘柄もデザインもよく覚えているのは、タバコを買いに行かされたからである。「ハイライト」が出たのはもう少し後だ。

父によると、昭和20年代のモーニングには「タバコ2本付き」というのがあったそうだ。30年代、高度成長に呼応するように喫煙者は増え続けた。喫茶店では皆が皆タバコを燻らし紫煙が充満していた。その匂いを嗅ぎながら――つまり、副流煙を吸いながら――ぼくにあてがわれたのは決まってホットケーキとミルクセーキだった。おとなの世界に少し浸る時間を愉快がっていた。

喫茶店と言えばコーヒー。珈琲という文字も覚えた。コーヒーと言えばタバコと煙、そしてタバコと煙と言えば、マッチ箱だった。その頃はどこの喫茶店でも自家製マッチを用意していたものである。


タバコを喫った時期も止めていた時期も、喫茶店のマッチは必ず一箱いただいて帰った。マッチのコレクションは自室の壁のさんの上に並べていた。なかには有料でもいいと思うくらい立派なデザインのものもあった。最近はマッチを置いていない店が増えた。「マッチをいただけますか?」と聞くと、ライターを持って来る。タバコを喫うんじゃないのに……。

マッチ箱の絵1

一時、マッチ箱の絵をよく描いた。立体的に描くのは当然だが、切り抜いてやると立体感がよりよく出る。描いた内箱の中に、本物のマッチの軸の先を折って貼り付ける。実際はこの部分が2、3ミリほど浮き出ているのだが、内箱に収まって見えるように工夫する。

誰かがタバコを取り出すタイミングを見計らって、この絵を差し出す。お茶目な悪戯だ。触られたらバレるのだが、タバコをくわえて手を伸ばして触るまでがぼくのほくそ笑み時間。そんな小道具などとうの昔に捨てていたつもりが、オフィスのあまり使わない引き出しの奥から出てきた。

甘いプロ

昨年12月、某新聞の夕刊にプロについて書かれたコラムを見つけた。結論から言うと、実に情けないプロ礼賛であった。

ちゃんぽん

コラムを書いた本人が昼下がりにラーメン店に入りちゃんぽんを注文した。「うまい!」と唸り、気分よく半分ほど食べた頃に女性店員が近づいて来て言った。「お客様、食べていただいているところに申し訳ありません。魚介を入れ忘れました」。

エビやイカを炒めて作り直そうとしたらしいが、あいにく昼の営業時間も終わり、火を落としてしまっていた。ここから先は文章をそのまま引用する。

言われなければ、まったく気がつかなかった。女性店員が続けた。「お代は要りません」。「えー!?」。850円。味が格段に落ちたとも思えない。「払いますよ」と答えたが、女性店員は言い切った。「本来の商品とは違いますから」。
プロの気概とプライド。(……) 偽りのない味と心意気に引かれ、この店ののれんをくぐっている。


あ~あ。この一文を読んで、ぼくは呆れ返ったのである。正直なところ、作り話か過剰に脚色したのではないかと思ったくらいだ。何百杯、何千杯とちゃんぽんを作ってきて具材の入れ忘れはないだろう。注文を受け、ちゃんぽんを作り、そして客に出した。その時点で料理人が気づいていない。運んだ店員も気づいていない。「偽りのない味」と筆者は言うが、本来の内容と違うという点で無意識の偽りである。

客である書き手には店側以上に呆れる。凡ミス以下のミスに謝罪してお代を受け取らないということに、世間一般の良識とかけ離れたところで勝手に高揚し感動してしまっている。しかも、本人は言われるまで気づかなかった。「味が格段に落ちたとも思えない」とは、かなりのバカ舌なのだろうエビとイカに失礼である。ちゃんぽんに少しでも食べ慣れていれば、「今日はカマボコとキクラゲの量が少ないこと」までわかるものだ。

ミスをしてそのミスの詫びの入れ方がお代の850円を受け取らないということに、なぜプロの気概とプライドを見い出せるのか。プロも甘ければ客も甘い。いや、客側のハードルの低さが甘いプロに助け舟を出している。お笑い芸人しかり、クリエーターしかり、プロスポーツ選手しかり。打席に20回立ってノーヒット、通算で打率2割にも満たない打者がサヨナラヒットを打って万雷の拍手を受けるのも滑稽だ。サッカーにもそんな選手がいる。喉元過ぎて熱さを忘れてはいけないのはアマチュアである客のほうだ。実力以上に過剰評価をせず、プロとして飯を食っている者にクールなまなざしを向けてしかるべきである。

「この一球は二度とない」
「プロはミスをしてはいけない」

王貞治のことばである。ハードルが高く、己に厳しい。この時間、この仕事、このお客は二度とないという覚悟。これこそがプロの気概とプライドではないか。プロでも、ミスはありうる。しかし、プロだからこそ、ミスをしてはいけないと自らに言い聞かせねばならないのである。

コロッセオ

文豪ゲーテは『イタリア紀行』の中で次のように書いている。

この円形劇場を眺めると、他のものがすべて小さく見えてくる。その像を心の中に留めることができないほど、コロッセオは大きい。離れてみると、小さかったような記憶がよみがえるのに、またそこへ戻ってみると、今度はなおいっそう大きく見えてくる。

ゲーテはおよそ一年後にも訪れることになるのだが、その時も「コロッセオは、ぼくにとっては依然として壮大なものである」と語っている。

ゲーテが最初にコロッセオにやって来たのは17861111日の夕方。ローマに着いてから約10日後のことである。オーストリアとイタリア国境を越えてイタリアの旅に就いてから、ちょうど二ヵ月が過ぎていた。

コロッセオは西暦72年から8年かけて建設された。円形競技場であり、同時に闘技場でもあり劇場でもあった。長径が188メートルで短径が156メートル。収容観客数5万人だから、「コロッセオは大きい」というゲーテは正しい。現代人のように高層ビルやスタジアムを見尽くしているのとは違い、今から200年以上も前のゲーテを襲った巨大感は途方もなかっただろう。少なくともぼくが受けた印象の何十倍も圧倒されたに違いない。


コロッセオ(Colosseo)は遺跡となった競技場の固有名詞だが、実はこの名前、「巨大な物や像」を意味する“colosso”に由来する。形容詞“colossale”などは、ずばり「とてつもなく大きい」である。この巨大競技場での剣闘士対猛獣または剣闘士対剣闘士の血生臭いシーンを描いたのが、映画『グラディエーター』だった。キリスト教が公認されてからは、ローマでは見世物は禁止される。この時代に放置された建造物は、ほぼ例外なく建築資材として他の用途に転用された。コロッセオの欠損部分は石材が持ち去られた名残りである。

四度目に訪れた2008年春のローマ、ようやくコロッセオの内部を見学することができた。それまでの三回は、近くに行ってはみたものの、ツアーの長蛇の列を見て入場するのが億劫になっていた。「競技場内の遺跡は何度もテレビで見ているし、まあいいか」と変な具合に自分に言い聞かせてもいた。しかし、強雨のその日、列は長蛇ではなかった。先頭から数えて二十番目くらいである。こうなると「雨が遺跡にいにしえの情感を添えてくれるかもしれない」と悪天候礼賛に早変わり。小躍りするように場内に入った。

言うまでもなく、圧倒的な光景であった。それでも、コロッセオは外観がいいと思う。近くから見上げる外観もよし。パラティノの丘から少し遠目に見るのもよし。ゲーテの指摘する建造物の巨大を他と見比べてなぞれるのは、ローマが今もなお古代を残しているからにほかならない。

(本稿は2009年8月9日のブログ記事を加筆修正したもの)

EPSON001Katsushi Okano
Colosseo
2008
Watercolors, pastel, pigment liner