夏場になると歩く距離が短くなる。加えて、出張時には現地でもタクシー移動が多い。大阪にいる時も自宅とオフィスの往復30分程度の歩き。身体が鈍ってくる。無性にそぞろ歩きしたくなるが、暑さと闘う気力が湧き上がらない。昨日、講義でコンパクトシティに触れた際にフィレンツェの話をした。ふとがむしゃらなそぞろ歩きのことを思い出した。
七年前、一週間フィレンツェに滞在した。日が暮れて夕闇が迫りくる時間帯。変な表現だが、「軽快な虚脱感」と「神妙な躍動感」がいっしょにやってくる。人の顔の見分けがつきにくくなり、「誰そ、彼は」とつぶやきたくなる時間帯を「たそがれ」と呼んだのは、ことばの魔術と言うほかない。
当てもなく街の灯りと陰影を楽しみながら、足のおもむくまま移ろってみる。気がつけば同じ道や広場を何度も行ったり来たり。そんなそぞろ歩きを”passeggiata”(パッセジャータ)と呼ぶ。まったく重苦しいニュアンスや深い意味はなく、「ぶらぶら一歩き」のような軽やかさがある。散歩まで義務や日課にしてしまってはつまらない。
ルネサンスの余燼が未だ冷めやらない街。いや、余燼という形容は正しくない。ルネサンス時代のキャンバスの上に現在が成り立っているのがフィレンツェだ。ここは至宝で溢れるアートの街。たたずめば感化されて絵心がよみがえる。よみがえり……これこそが再生、ルネサンス。