エントロピー増大、または宴の後

〈エントロピー〉の物理的法則について全容を語る資格はないが、素人解釈でかいつむことにする。

宇宙は時間の経過とともにエントロピーを増大させる。そして、一方的に増大するばかりで、今よりも秩序だっていた過去には絶対に逆戻りしない。生命体も同じである。加齢にともなってエントロピーは増大する。不可逆的に秩序から混沌カオスへと向かい、やがて死滅する。

エントロピーは「大きい、小さい」で表現される。たとえば、部屋が整理整頓されている時に「エントロピーが小さい」と言い、散らかった状態になると「エントロピーが大きい」と言う。宇宙や生命と違って、たとえば部屋などはある程度元に戻せる。耐えきれないほどの混沌状態になれば、いらないものを捨て、いるものは元の場所に片付けて整理整頓することができる。さらに、部屋を使わなければある程度秩序も保てる。断捨離とはエントロピーを縮減することだ。しかし、いずれまたモノは増え、部屋は秩序を失う。人が生きていくという過程では――そして、何らかの生産活動をおこなうならば――やがて部屋は散らかってくるのである。

学習して知識を得る、外界と接して情報を取り込むのもエントロピーを増やす行為にほかならない。学べば学ぶほど脳は混沌の様相を呈する。それを苦しみと考えるならば、知識や情報の流入量を減らしてわかりやすい秩序に戻るしかない。エントロピーを増大させたくないのなら、何もしなければいいのだ。しかし、それは創造的生き方に逆行する。きわめて逆説的に響くだろうが、人が生きるということはエネルギーを消費することであり、多かれ少なかれ、環境に負荷をかけて散らかしていくことなのだ。脳内カオスは創造的営みに付きまとうのである。


宴が始まる前の宴会場には料理が整然と並び、空気が張りつめてシーンとしている。客が会場に集まり開宴の時点からエントロピーが徐々に増大し始める。飲み喰いに興じ、料理がみるみるうちに少なくなり、酒が尽き始め、客の定位置も乱れ、あちこちで雑音のように会話が飛び交う。

やがて宴もたけなわ、エントロピーはお開きの時間までさらに増大し続ける。客は知らん顔して宴会場を後にするが、店側は翌日に備えてエントロピーを小さな状態に戻し、次の宴席を開く。もし、自宅でへべれけになったら、翌朝エントロピーが増大したままの光景を目の当たりにするだろう。

Dopo il banchettoKatsushi Okano
After the banquet (宴の後)
2014
Pastel, ink, watercolors, felt pen

否定の話

「~がある」も「~がない」もとても明快である。前者が肯定で後者が否定の基本文型だ。「Pがある」の否定形は「Pがない」。疑う余地はない。「Pがある」の否定を「Qがある」と早合点してはいけない。否定という作業はお節介に代案を示すことではないからだ。「天候は晴れである」の否定は「天候は晴れではない」であって、「天候は雨である」ではない。

否定.jpg

順序で言えば、はじめに肯定ありきで、その次に否定が来る。「そろそろ休憩にするか」という肯定的な提案の後に、「いや、休憩はいらないだろう」という否定がありうる。このことから何が言えるか。否定はつねに肯定を前提とするが、肯定は否定を前提にする必要がないのである。肯定を吟味しないで唐突に否定が生じるのではない。肯定を保留し懐疑してはじめて否定が登場してくる。下記引用の視点を頭の片隅に置いておけばいい。
「言語をもち、世界の像を作り、そうして、可能性へと扉が開かれている人だけが、否定を捉えうるのである」(野矢茂樹『論理哲学論考を読む』)

ふだん人は肯定的にものを見る。いまぼくの視野は机の上のペットボトル、目薬、銀行員の名刺、小銭入れをとらえている。とても素直な見方であり、すべて「~がある」と肯定しうる事実である。「~がない」と言い得るためには、そのないものへの欠乏感が必要だ。コーヒーが飲みたくて、そしてここにコーヒーがあってもいいはずだと考える時に、「コーヒーがない」という否定形の文章を発したり思いついたりする。あるがままの現実を素直に見ているだけでは、否定などという発想は生まれない。「何かがある」と認識するよりも、「何かがない」と気づくためには「不在」への強い意識と目配りが欠かせないのである。

人や意見を褒め、受容し、承認するなどの肯定的行為がつねにいいことだと考えている人がいる。類は類を呼んで群れ、まるで同病相哀れむような関係では成長も進歩もないだろう。否定行為への風当たりは強いが、無思考的に左から右へと流すような〈肯定〉よりは、一度立ち止まる〈否定〉のほうが健全な発想なのではないか。
論理思考ないしは論理学においては、否定はかなり重要な役割を担う。念のために書いておくと、論理学では論理を通すためにきわめて初歩的な品詞を使う。「PはQである」という時の「~である」。それを打ち消す「~でない」。おなじみの「AかつB」の「かつ」と、「AまたはB」の「または」。あとは「すべての~」と「いくつかの~」である。これらの日常茶飯事よく使う語を単純な規則で組み合わせれば論理の一丁上がりというわけだ。
しかし、単純明快に使いこなすには慣れも必要である。とりわけ、否定に戸惑う人がいる。たとえば「AかつBである」(A and B)の否定は、「AでないかBでない」(not A or not B)である。「彼は京都と奈良に行った」の否定は、「彼は京都か奈良のいずれかに行かなかった」であって、「彼は京都にも奈良にも行かなかった」ではない。また、「AまたはBである」(A or B)の否定は、「Aでもなく、かつBでもない」(not A and not B)となる。「彼女は風邪薬か頭痛薬のいずれかを飲んだ」を否定すると、「彼女は風邪薬と頭痛薬のどちらも飲まなかった」になるのである。
ともあれ、前言の検証があり、その前言に異議ありと確信してはじめて否定が成り立つ。否定には一工夫がいるし、責任もともなう。単純にノーを発して知らんぷりできるような作業ではないのである。否定を批判と読み替えることができる場面がある。否定される者は批判する側が自分に関わってくる動機をよく読まねばならない。

エトルリアの街

トラベラーズノート200439日からの抜き書き。実に細かく書いている。十年前は今よりもだいぶマメだった。

ローマのホテルスパーニャでの朝食ビュッフェは果物豊富。ランチはテルミニ駅構内のトラットリア。チキンにポテト。ペンネのゴルゴンゾーラ。

ローマテルミニ駅13:48発ユーロスター。ペルージャ駅15:53着。駅前バスターミナルから7番のバスでイタリア広場へ。古い建物を改築した、いびつな構造のホテルにチェックイン。手渡された鍵には凝った細工がほどこされている。

夕暮れ前、荷解きもそこそこにして街歩き。イタリア広場からヴァンヌッチ通りを北へ250メートルほど行くと「クアットロ・ノヴェンブレ(114日)広場」に出る。ペルージャの象徴的なシンボルの大聖堂、プリオーリ宮、大噴水などがひしめいている。スーパーで惣菜を購入して夕食とする。瓶詰めムール貝、たっぷりサラダ、モツァレラ、カットピザ、赤ワイン。

ローマから北へ列車で2時間、小高い丘にペルージャがたたずむ。紀元前8世紀まで遡れば、ここはイタリア半島に原住していたエトルリア人の街であった。やがて古代ローマ人と同化したという。コンパクトな街なので1時間もあれば徒歩で一巡りできる。建物はおおむね古色蒼然としており、裏通りから坂を上がって行くとエトルリア時代名残りの建造物が威風堂々と構えている。


イタリアで経験してみたいと思いながら、実現できていないことが二つある。理髪と映画鑑賞である。いずれも語学力を試す格好の場だが、聴いていればいい後者に対して、前者は細かいニュアンスの希望を伝えねばならない。特殊な教本で表現を覚えたりもしたが、理髪店を覗けば常連ばかり。そこに旅の人間が入店するにはかなりの勇気を要する。それと、マフィア系の映画だったか、床屋で客が喉を搔き切られるシーンを思い出してしまう。躊躇して結局は店の前を通り過ぎることになる。

ペルージャの映画館テアートロは小ぢんまりとしていて入りやすそうに見えた。しかし、ちょっと待てよ。翌日は正午に列車に乗ってフィレンツェに向かうのだ。わずか12日、正味20時間ほどの滞在なのに、2時間を割いて映画を観るのか。そう自分を問い詰めたら、答えはノーだった。

IMG_5633Katsushi Okano
Teatro, Perugia
2004
Watercolors, ink, pastel

二人称の語り

きみは真鍮しんちゅうの溝の上に左足を置き、右肩で扉を横にすこし押してみるがうまく開かない。

ミシェル・ビュトールの『心変わり』はこのように始まる。そして、次のように終わる。

通路にはだれもいない。きみはプラットホームの群衆を眺める。きみは車室コンパルティマンを離れる。

ビュトール 心変わり

この小説のあらすじをここに書くつもりはない。もっとも、ぼくが読んだのは三十数年前で、あらすじを書けるほど覚えてもいない。パリからローマへと一人旅する男の列車内における観察と描写は執拗であり細部に及んでいる。話よりもそのことが強く印象に残っている。

主人公が「おれ」や「ぼく」や「わたし」などと一人称代名詞で語っているなら、読者は他者として状況や物語を感じ取ることができる。また、「彼」や「彼女」と三人称であれば、読者と主人公の距離は少し広がって客観する立場が強まるかもしれない。ところが、この小説は二人称代名詞の「きみ」で綴られ、それによって注目を集め話題になった。


おれは昨晩度を越すほど酒を飲み、翌朝ひどい頭痛に悩まされた」と書かれていても、「あ、そう」と読者は平然と読めばいい。ところが、「きみは昨晩度を越すほど酒を飲み、翌朝ひどい頭痛に悩まされた」と作者が綴れば、読者は否応なしに当事者へと変身させられてしまう。読者であるはずのぼくが、「きみ」という二人称の語りを読み進めるにつれ、作品の中へ主人公として引き込まれてしまうのである。

「その日、きみは午前七時に起床して、近所の喫茶店でモーニングを注文した」と書かれると、行動が観察されたことになる。いや、このように事実を語られるだけならまだ冷静でいられる。しかし、「きみはトーストの端っこを齧り、バターの味が薄いことに若干の不満を覚えた。むろん、そんなことできみは腹を立てたりなどしない。コーヒーをすすってトーストを流し込んでしまえば別にいいさ、ときみは思う」となると、話は別である。心象や心理まで描かれたら、すべてを見透かされた気分にならざるをえない。「いや、違う。ぼくはそんなふうに思ったりしていない」と反撥しても、書き手は一切聞く耳を持たず、「きみ」を主語にして話を進めていく。

誰が語っているのか、誰が思い行為しているのかが明示されなければ、文章で語られていることは空疎なのだ。再び『心変わり』の一節。誰がそうしているのかがわからないように主語を伏せてみた。どうだろう。なんとなく落ち着かず、「いったい誰が?」と問いたくなる。

扉から頭をつきだし、左右を眺め、車室をまちがえたのに気がつき、遠ざかり、見えなくなる。

この主語が「きみ」なら事件だが……。実際の文章は次のように書かれている。

ひとりの男が扉から頭をつきだし、左右を眺め、車室をまちがえたのに気がつき、遠ざかり、見えなくなる。

文は個々の単語の組み合わせで意味を持つ。しかし、それ以上に重要なのは「主述関係」という構造なのだ。主語の人称が変わると主語と述語の関係が変わり、ひいては意味や気分が変わり、そしてたぶん、思考軸までもが変わるのである。

パーキンソンの法則

〈パーキンソンの法則〉を持ち出すまでもない。生産性の低い空気が充満する職場では、仕事の振りをする態度が目立ち、大した仕事をしていないのに仕事をしている気になっている。問題を分析するばかりで、いっこうに解決しようとしない。したがって、仕事の達成感は乏しく、いつまでたっても質的向上は望めない。

変化・スピード・多様性は現代ビジネスの不可避的なノルマである。課題は山積している。仕事とはその課題を解決することだ。迅速かつ鮮やかに仕事をこなすプロフェッショナルがめっきり減ってしまった。

上記の文章はぼくの『プロフェッショナル仕事術(旧版)』のプロローグの一節である。パーキンソンの法則はシリル・N・パーキンソンが1957年に経済誌”エコノミスト”で発表し、一躍世界の注目を集めた。半世紀以上も前の法則であり、時代も激変したはずなので、もはや通用しなくなっていても不思議でない。だが、この法則は色褪せていない。つまり、相も変わらず人は同じような仕事ぶりを繰り返しているのである。

パーキンソンの法則

パーキンソンの第1法則は、「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて費やすまで膨張する」というもの。多忙時であっても5時間でこなせるルーチンワークなのに、暇を持て余していると10時間費やしてしまうのだ。つまり、質とは無関係に仕事が5時間分膨張したのである。

黒字の年でも赤字の年でも従業員の数が同じで、勤務時間も増減しない。たしかに、高度成長の萌芽期にはそういう傾向が見られた。そして、仕事の規模が縮小しても、行政の職員の数は増え続けた。部や課の単位では部員や課員が増えるのを歓迎したのである。

昨今も同じような現象がある。たとえば杓子定規にワークシェアリングを実施すると、どうでもいい仕事やムダがどんどん増えていく。それはそうだろう。当面の仕事のために雇ったのではない人材に何がしかの作業を分与するのだから。二人でできていた仕事を三人で分ければ、トータルの所要時間は増えるに決まっている。仕事にスピードと効率が考慮されなくなる。

少数精鋭などどこ吹く風、という企業が今も少なくない。決まった時間内に三つの仕事をこなしていた人間が、仕事が一つに減っても同じだけの時間働いている、あるいは働いている振りをする。いつの時代もいい仕事をしているのは、多忙でスピードのある人なのである

ハイボール

ハイボール2

ウィスキーを炭酸水で割った氷入りの飲み物をハイボールと呼ぶ。

小遣い不足で喘いでいた二十代前半、先輩に場末のスナックバーによく連れて行ってもらった。先輩には仕事熱心な人が多かったので、ぼくから飲み食いをねだらなくても、仕事の話があるからと言ってよく誘ってもらったものである。

そこで「ボトルキープ」なるものを知る。金を払ってボトルを店に置いてもらうこのしくみをなかなか理解できなかった。まだウィスキーがうまいと思っていなかった頃で、「水割りでよろしいですね」と言われるまま飲んでいた。酒は飲めなくはなかったが、一杯乾して二杯目から酔いが回り始めていたから下戸の類だった。ある先輩はハイボールしか飲まなかった。一度勧められて飲んだが、水割り以上にうまいと思えなかった。ハイボールという語感もぼくには安っぽく響いた。

三十半ばで起業して付き合いも増え、徐々にウィスキーの水割りが三杯、四杯と飲めるようになる。元来ビールとの相性があまりよくなく、焼酎も水割り以上にうまいと思ったことがなかった。当時はワインもひいきではなく、消去していくとウィスキーしか選択肢がなかった。やがてバーボンが気に入るようになり、もっぱらバーボンの水割り。ストレートやロックにはめったに手を出さなかった。


かつてオヤジたちが飲んでいたハイボール。今では愛飲者の年齢も若くなった。コマーシャルのせいもあるだろう。バーボンの水割り一辺倒だったぼくも、ウィスキーと炭酸水の銘柄をあれこれと変えてハイボールを飲み比べするようになった。「とりあえずビール」という形式を好まないので、グループでの外食時も敢えて一杯目からハイボールを指名する。二十代の時に比べたら賞味力は大幅にアップしているはず。

ぬるいハイボールは困るが、冷えすぎると味が薄っぺらになる。あくまでも好みだろうが、グラスに氷を山盛り入れてウィスキーの瓶そのものをキンキンに冷やすという、S社のハイボールの作り方にはなじめない。最近、イメージキャラクターのH.Iにも共感を覚えない。炭酸を注いでからマドラーで「かき混ぜ過ぎちゃダメ」とか、「濃いめが好きな人は濃いめでどうぞ」など、余計なお世話である。強い炭酸なら少々混ぜるのもよし。それに、自分で作るのだから、薄いのが好きなら薄めで飲み、濃いのが好きなら濃いめで飲むのは当然だ。

とは言うものの、ウィスキーの銘柄以上に氷、炭酸、配分・作り方がハイボールの決め手になるとつくづく思う。AランクのウィスキーのハイボールがX店で味気なく、CランクのウィスキーのハイボールがY店で極上ということは常である。極上の店の技には及ばないが、下手な店で飲むくらいなら自分で作って飲むというのが最近のモードになっている。

ナヴォナ広場のランチ

フィレンツェで肉やハム、ナポリでピザ、ボローニャでボロネーゼのパスタに味をしめてしまうと、ローマでの食事は見劣りする。ローマには延べ十数日滞在してあちこちの食事処にも足を運んでいるが、記憶に残るのは一品か二品。「これ!」というのがない。

ローマを最後に訪れてから6年と少し経った。トレビの泉にコインを投げ入れなかったので、再訪の機会はないかもしれない。帰国してから「カーチョ・エ・ペペ」を知った。イタリア各地にある料理だが、本家はローマ。ペコリーノ・ロマーノというローマ特産の高級チーズと黒胡椒だけを使ったパスタである。知ってほどなく、いいペコリーノが手に入ったので自分で作ってみた。なかなかの味である。自作でこれなら、本場ではさぞかしうまいに違いない。この料理を売りにする、観光客で賑わう店もあると聞く。

観光客で賑わう店を敬遠してきた。入りにくさはあるものの、地元の人たちがこよなく愛する店を探したり人づてに聞いたりして食べ歩きするほうがいい。安いハウスワインを注文して、メニューを見て悩むのも楽しみの一つである。


とは言うものの、観光メッカの地で食事しないで帰ってくると、旅行してきた気分にならない。だから、数日間の滞在中に、値段が少々張るのを知りながら、敢えて一度はおのぼりさんになってみるのである。ローマではおのぼりさんを演じる場にナヴォナ広場を指名した。ここには、有名な噴水彫刻がある。四大河の噴水、ムーア人の噴水、ネプチューンの噴水の三つがそれ。昼間からワインを飲み、だらだらと長い時間をかけて食事をする。給仕を担当する男性とも会話を交わす。その日はちょっとした市が立っていたので、スケッチしてみた。帰国後に色を付けたのがこの一枚。

IMG_5765Katsushi Okano
Trattoria alla Piazza Navona
2004
Pigment liner, felt pen

語源を遊ぶ

ぼくの英語遍歴――

中高生の時代、英語は得意科目の一つだったが、所詮与えられたものを記憶して点を取ったに過ぎない。自発的に学ぶ対象を決めて独学し始めたのは19歳の時。毎日数時間ひたすら音読した。学びの身でありながら、指導する側に回るのが手っ取り早いと考え、21歳から英会話学校で英語を教え始めた。

二十代後半から英語を使う国際広報の仕事に就いたので、28歳を最後に英語の勉強をやめた。仕事上でアウトプットすることが必然になり、使えば使うほど新たなインプットを促すことになったから、もはや学習の必要がなくなったのである。

さて、日本の英語教育。原則、義務教育の7年目から本格的に英語を学ぶことになっている。高校でも学ぶので、好き嫌いを問わず、また習得度のいかんにかかわらず、ほとんどの人が6年間授業を受けることになる。教えた経験から言うと、誰もが英語を習得できるようにはならない。何をもって習得とするかは本人次第だが、習得という満足を得られるのはつねに少数派である。他の習い事とは比較にならないほど習得率が低く、百人に一人どころではないほどの狭き門と言ってもよい。

だが、英語学習のゴールや結果が必ずしも習得である必要はない、とぼくは考えている。母語だけで生涯を過ごすのに比べて、ある時期に英語に触れれば日本語のコミュニケーションに深みと妙を加えるきっかけになるからだ。だから、いろんな意見があるだろうが、十代に6年間英語に触れることに意味無しとは思わない。一方が母語である日本語で、他方が拙い英語であっても、二つの言語で表現や概念を知れば世界観が広がるのは間違いない。


ことばのロマンス

漢字の字源や由来を知ると楽しい。同様に、英語や他の言語の語源も、調べ始めると興味が尽きない。

実は、ラテン語も独学したことがある。言うまでもないが、ほぼ死語であるラテン語を誰かと話そうなどという魂胆があるはずもなく、また、習得してラテン語の古い本を読もうという野望があったわけでもない。ラテン語を少し齧っておけば、現代のイタリア語や英語やフランス語の表現に親近感が持てそうな気がしたからである。

つい最近も古本屋で『ことばのロマンス』という本を買った。この種の本は他人に薀蓄する以外に役立ちそうもないし、数ヵ国語の現代語・中世語・古代語を行き来するから、読むのが少々面倒である。それでも、遊び心で拾い読みしてみるのだ。語源に興味を持てば、語彙の「体幹」がしっかりしてくるような気がしてくるのである。

Skirt(スカート)という英語がある。これは北欧起源という。このことばの二重語にshirt(シャツ)がある。ちなみに、二重語とは同じ起源を持つ二つの単語のこと。つまり、英語のスカートとシャツは根が同じというわけ。では、根はどこか。俗ラテン語のex-curtusである。意味は「短い」だと聞いて驚く。短いは英語でshortだ。そうか、道理でskirtshirtshortは酷似している。何のことはない、わざわざ「ミニスカート」などと言わなくても、元々スカートそのものが短かったのである。

英語にjiltということばがある。手元の辞書によると、「〈気をもたせたり婚約したりした後で、女が恋人を〉捨てる」という意味の動詞である。名詞ではずばり「男たらし、浮気女」。英語の古い形ではjilletで、女性の愛称Jill(ジル)も同じ。JillJuliana(ジュリアナ)の短縮形だ。そして、かのシェークスピア作中のJuliet(ジュリエット)がこれの二重語。そう、ジュリエットは語源的に男たらしだったのである。スカートの語源とジュリアナの語源を足し算すれば、1990年代のジュリアナ東京のああでなくてはならなかった理由が見えてきそうだ。

街と建築様式

知らないことだらけである。知らないことを知らねばならないと焦った時期もあるが、この歳になってさすがにもう焦らない。気が向けば知ろうとすればいい。旺盛な好奇心は若い世代に譲るとし、学ぶのが面倒そうなことは彼らに教えてもらおう。

ヨーロッパに出掛けるようになって、もっと勉強しておけばよかったと思うことがいろいろある。とりわけ、キリスト教と建築についてそう痛感する。まだ勉強できる可能性があるから諦めてはいないが、もうちょっと精通していれば感じるものもだいぶ違っていたはずである。

知識を仕入れる手立てはあった。分厚いガイドブックを持参したり現地でも図録を買ったりしたのだから、特に建築についてはそのつどマメに目を通しておけばよかった。百聞は一見にしかず、現場で実物を見るのは希少な体験である。しかし、一見だけで事足りることはない。百聞が下地になるからこそ、一見の価値も倍加するというものだ。


ヨーロッパで古い街が目白押しなのは、やっぱりイタリアだろう。そして、ローマ、ヴェネツィア、ピサ、ミラノ、フィレンツェの五都市を訪れると、古代ローマから17世紀までの6つの建築様式の歴史を辿ることができる。生きた建築ギャラリーそのものである。

ローマには万神を祀るパンテオンがある。世界最古のコンクリート造りの建造物だ。この構造はローマ様式と呼ばれる。

ヴェネツィアのサン・マルコ寺院は一見素朴だが、足を踏み入れるとビザンチン様式特有のモザイクで装飾されている。

トスカーナのピサを訪れてみよう。あの斜塔で有名な敷地には大聖堂が構えている。こちらはロマネスク様式だ。

ミラノには天まで届けとばかりの尖塔を誇る巨大な教会がある。ゴシック様式のミラノ大聖堂である。ゴシック建築には完成までに何世紀もかかったものが多い。

フィレンツェに移動すれば花の大聖堂と呼ばれるドームがある。ドームが特徴だが、ルネサンス様式は古代のインスピレーションを形にしているのが特徴だ。

そして最後に再びローマ。ヴァチカン市国のカトリック総本山であるサン・ピエトロ大聖堂。これはバロック様式の典型である。

ここに書いた建築物については勉強した。しかし、目の前に現れる建築を見て、それが何様式かを言い当てる自信はない。二つか三つには絞れるかもしれないが、一発正解することはたぶん無理である。手元にぼくがスケッチした名もない建築物の絵がいくつかあるが、様式についてはまるで判じ物のようである。

IMG_5621Katsushi Okano
Un edificio anonimo
2002
Pigment liner, felt pen

反対尋問

ディベートをあまりよくご存じない人のために書く。

ディベートとは、ある論題を巡って、賛成を唱える〈肯定側〉とその肯定側の意見に反対する〈否定側〉が是非を議論する討論形態の一つ。折衷論や中間意見を排除して、イエスとノーだけの二律背反的討論を繰り広げる。

論題には政策を扱うものと価値を扱うものがある。たとえば「わが国は首相公選制度を導入すべきである」が政策論題、「電子書籍は有益である」が価値論題である。いずれの論題でも、賛成か反対かを巡って意見が対立する。議論する立場の肯定側と否定側は、それぞれ“Affirmative”“Negative”という英語からほぼ直訳されたようだ。役割面から言うと、肯定側が論題を「提唱」し、否定側が提唱内容を「検証」する。

まず最初に、肯定側が論題を支持する主張・証拠・論拠を論じる。これを〈立論〉と呼ぶ。この立論に対して否定側が〈反対尋問〉をおこなう。わかりやすく言えば、質疑応答である。次いで、否定側の立論に対して肯定側が反対尋問する。こうして、お互いに立論と反対尋問を通じて争点を浮き彫りにし、次のステージでは相手への反論、相手からの反論に対する防御をおこなう。このステージを〈反駁はんばく〉と言う。


ディベートの要となるのが反対尋問である。上級者どうしになると鋭利な質問が投げ掛けられ、鮮やかな応答でしのぐ。観戦者は見事なやりとりに息を飲むことがある。アメリカの政治家・外交官であり弁護士でもあったジョン・W・デイビスは、反対尋問を「もっとも大切でもっとも難しいヒューマンスキルの一つであり、人の性格が反映する」と断言する。つまり、反対尋問の仕方と受け答えを見れば、その人が不器用であるか軽率であるか自信過剰であるかがわかると言うのだ。

反対尋問

そのデイビスが父親から読めと言われて手渡されたのが、名高い弁護士フランシス・L・ウェルマンの著になる『反対尋問』である。書かれたのは1903年。19歳でディベートに出合ったぼくは当時この本の存在を知らなかった。37歳の時に大学生・社会人のためのディベート研鑽の場である関西ディベート交流協会を起ち上げ、国内外を問わずディベートに関係する書物を買い漁った中にこの一冊があった。

本書は教育ディベートのための反対尋問ではなく、裁判における反対尋問の実録集である。そこらの読み物の比ではないほど、スリルとサスペンスに満ちた質問と応答の応酬が繰り広げられる。今もオフィスの本棚にあるこの本、傷みが激しい。ぼくが二度、三度読んだだけならこうはならない。実は、ぼくの弟子筋の一人に貸したところ、その話を聞いて次から次へとリレーされて「貸本」状態になったせいである。久しぶりに手に取ってみて、ある種の感慨を禁じ得ない。稚拙なコミュニケーションで苦しむ人たちにこの本を読んで欲しいとは思わないが、せめて「問う技術、答える技術」を磨く努力を怠らないようにと願うばかりである。