忘れと覚え

自宅からオフィスまで10分少々。地下鉄もあるが、わずか一駅。階段の昇降が面倒だから、毎日行き帰りを歩いている。いろんな歩行ルートがあるが、間違えることはない。自宅とオフィスの場所を思い出せなくて徘徊したこともない。しかし、稀に忘れ物をする。自宅を出る時の忘れ物はたいていスマホか鍵。オフィスに置き忘れるのは財布か資料だ。

今朝はオフィスの鍵を持って出るのを忘れた。自宅とオフィスのちょうど中間地点でポケットにないことに気づき、念のために鞄の中を調べたが、やっぱりない。鍵を忘れても誰かがすでに出社していることが多いので、別に困らない。ただ、今朝はちょっと事情が違った。キーホルダーには通帳や印鑑を保管してある引き出しの鍵も付けてある。その鍵が必要だったので、溜め息をつく間もなく踵を返して自宅に取りに戻った。鍵を忘れた、しかし、銀行員が来ることは覚えていた。

内容はほとんど忘れたが、『忘れの構造』(戸井田道三著)という本をだいぶ前に読んだことを覚えている。「忘れ」という症状についての哲学的エッセイだ。薄っすらと覚えているのは、著者の加齢にともなう忘れることへの自己嫌悪と腹立たしさ。それをきっかけに、忘却についての現象学が繰り広げられる……おおむねそんな話だったと思う。


覚えたはずのことが思い出せない。これが一般的な忘れの現象である。一度も覚えたことがなければ、忘れることもなく思い出すこともない。知らないことは忘れとも覚えとも関わらない「無」だ。モンゴル出身の三横綱のことを知らない人にクイズを出題しても答えられない。答えられないことを忘れとは言わない。しかし、ぼくはすでに三人の名を知っている。つい先週、その三人の力士名をよどみなく白鵬、日馬富士、鶴竜と言ってのけた。しかし、昨日のこと、鶴竜がすんなり出てこない。う~んとしばし唸りながら捻り出そうとした。ちょうどその時、何年か前に大関時代の鶴竜にとあるホテルでばったり出くわしたのを思い出した。顔が浮かび、すぐに鶴竜の名が出てきた。ど忘れしたが、思い出した。つまり、覚えていた。

講演のテーマが同じものに集中することがある。時には、同じ対象者に同じテーマで3回シリーズという場合もある。テーマが同じでもコンテンツは同じではない。プロジェクターで説明するスライドも、30枚であれ50枚であれ、ほぼ変えている。聴く人と自分のためにマンネリズムは避ける。そう、なるべく同じネタや切り口を使わないように意識している。講師であるぼくは話したことについてはかなり覚えがいい。ところが、一年も経てば、聴衆のほぼ全員が中身を忘れてしまっている。前年と関連する話をする時、「これは昨年もご紹介しましたが……」と断りを入れて話すが、そんな気遣いなど無用、誰一人として覚えていなかったりするのだ。

講演でもジョークでも、なるべくなら古いネタにしがみつきたくないというのはぼくの長年の習性である。しかし、実は、そんな習性はあまり意味がない。毎年毎回同じ話、同じネタ、同じ事例を紹介しても、まったく問題はないのである。次回の講演を新鮮に楽しむために、前回の内容を無かったことにするような忘れの構造が働いているかのよう。ネタの少ない講師にとっては、こういう記憶力の悪い常連受講者は大歓迎のお得意様になる。いま記憶力が悪いと書いたが、悪口ではない。学んだことを忘れる彼らとて、趣味や店名やどうでもいいことはしっかり覚えているのだから。

若かりし頃のように何でも覚えるとか、老いて何もかも忘れるなどということが、むしろ特殊なのだろう。誰もが日々何かを覚え、何かを思い出し、そして何かを忘れる。やがて覚えが減り、思い出しづらくなり、忘れることが多くなる。それでもなお、記憶することや思い出すことを見限ってはいけない。忘れと覚えは、複雑に入り組んだジグソーパズルであり、想像以上に構造的なのだ。つまり、理に適った忘れもあるということで、自分を慰めることを忘れてはいけない。

秋の日和、雨、風

実況で小文を書き始めていたが、用事ができて途中でやめた。一昨日のことである。一昨日感じた雨の秋らしさを、晴れのち曇りで夕暮れた今、こうして書いている。

少年の頃まで、街はアスファルトで埋め尽くされていなかった。車が走っているのは珍しかった。歳時に四季それぞれの特徴があり、風物詩は現在とは大きく違っていた。夏の終わりとか秋の始まりなどといちいち言わなくてもよかった。夏から秋への移ろいは肌で感じ、風習に教えられたものである。

ぼくにとって、たとえば「秋日和」をことばで説くのは野暮である。説明しようとしても「秋」という文字を使うことになる。「秋らしい好日」と言うのが精一杯ならば、秋日和で事足りる。

一昨日、雨が降っていた。土砂降りではなく、しとしとと静かに細い雨がそぼ降って、ちょうどよい加減のお湿りなった。もし夜半まで降り続けば、それを長雨と呼ぶのだろう。長雨は秋の特徴だ。秋日和も秋雨も、それ以外のことばを尽くして説明してもらうには及ばない。

ところが、最近はそうもいかなくなった。表現に春、夏、秋、冬が含まれていても、ことばとイメージ、あるいはことばと体験的な現象が必ずしも一致しなくなった。秋日和や秋雨と言っても、若い世代にはどうやらピンと来ない人もいるようなのである。


『ことばの歳時記』(金田一春彦著)によると、昔は秋雨などということばはなかったらしい。江戸中期に春雨に対して生まれたことばのようである。春雨が先輩格というわけだが、濡れて情緒があるのは若葉だけではない。紅葉や落葉も雨で濡れる。それを秋雨と名付ければ風情に円熟の味が加わる。秋雨を造語した知恵者に感謝しなければならない。

秋の気配を感じさせるのは雨だけではない。風も秋の予兆や到来を知らせてくれる。秋風をぼくは「あきかぜ」と訓読みするが、漢詩の読み下しでは「しゅうふう」と読む。『漢語日暦ひごよみ』(興膳宏著)では「しゅうふう」となっている。同書に漢の武帝の「秋風の辞」の一節が紹介されている。

秋風しゅうふう起こって白雲飛び、草木黄ばみ落ちてかりは南に帰る。

船に乗って空を見上げれば白雲の流れが見える。秋の風の仕業である。雲を眺めて季節の移ろい、時の流れを認める。船上の酒宴に我を忘れて思う存分興じればいいのに、秋という季節は今のちょっと先、場合によってはずっと先へと心を向かわせる……そして、秋風に頬を撫でられながらセンチメンタルになる……というような心理になる人が少なくないが、実にもったいない。こんないい季節に哀愁に苛まれるのは、多分に刷り込みだとぼくは思っている。

手段とゴールの取り違え

物事は知識があれば一応何とか理解できる。しかし、知識だけで実現することはできない。分かっていることを実際にやってみるには知恵や経験の積み重ねが必要になる。一例を挙げよう。小学校低学年の子どもに百円硬貨を示して「これはどんな形?」と聞けば、「まるい」と答える。「硬貨=まるい」は知識だ。次に貯金箱を作らせる。誰一人として豚のお腹や背中にまるい穴を開けようとしない。長方形のスリット(切れ目)を入れる。これが知恵であり、子どもたちがそれまでに何度も見たり手にしたりした貯金箱経験である。

手段はゴールに従属する方法であって、目指すのはあくまでもゴールである。着手するまでは手段とゴールの違いは頭で分かっている。ところが、いったん手段に取り掛かると、ゴールのことを忘れ、手段という行為が主役に躍り出る。そのことで頭がいっぱいになってしまう。誰かにとっての手段が別の者にとってつねにゴールである場合もある。

三色ボールペンを使いこなすことは手段であって、ゴールではない。ゴールは読書することであり、読書から何がしかの情報や考えるヒントを得ることである。三色ボールペンを手に入れた。それを縦横無尽に活用して読書をしようというハウツー本も読んだ。たしかに三色の使い分けに精通したが、ボールペンを使いこなすことに神経を注ぐあまり、読書にはまったく集中できなくなった。読み終わった本のページは三色の傍線で彩られるが、本に書かれていることはさっぱり頭に入らない。知識と知恵の間の断絶は容易に起こり、手段はゴールに対して頻繁に優位に立つのである。


手術は成功しました。
開口一番の医師の一言に患者の家族はほっとし喜んだ。「それで、息子の術後の経過はどうなんですか?」と尋ねた。医師は「手術は成功しました」と繰り返し、こう付け加えた。「しかし、息子さんはお亡くなりになりました」。医師と患者の家族にとっての成功が異なっていることはよくある。

文学大賞を受賞した。
直後、テレビ局や新聞社からひっきりなしに取材の申し込みがあった。時の人にもなった。しかし、その受賞作品を最後に、一切小説が書けなくなった。文学大賞を受賞するのはゴールであった。しかし、小説家人生から見ればその賞は登竜門であり、一つの手段にほかならない。時の経過につれて、手段もゴールも変わる。

会社は儲かった。
いや、儲けすぎたと言ってもいいほどだった。役員は歓喜し、毎夜豪遊した。やがて倫理観が歪み、組織にひび割れが起こり始めた。翌年、会社は倒産した。現代版キリギリスだが、よくある話である。儲けること、利益を出すことをゴールだと見誤ることが多い。それは持続可能な経営を続けるための一つの手段にすぎない。

念願のマイホームを新築した。
働き盛りの世帯主は肩の荷が軽くなったのを感じた。しかし、勤務先が遠くなり、通勤疲れがひどくなり、ローン返済のために残業の日々が続いた。生活のリズムが崩れ始め、家族との会話も少なくなり、やがて家から笑顔が消えた。マイホームは人生のゴールではないのである。狭い賃貸マンションでの四人暮らしには会話があり笑顔があった。

企業理念を策定した。
その企業理念を社長が発表した。翌日、社員全員が辞表を出した。

フランス料理店を予約した。
わくわくして早めに店に入り席に着いた。しかし、彼女が姿を現わさなかった。


日々の生活、仕事、ひいては人生の諸々の場面の、些事から一大事に到るまで、手段とゴールの取り違えや地と図の読み間違いなどの主客転倒がつきまとう。ゲシュタルトの崩壊である。

考えることの正体

考えるということは一筋縄ではいかない。考えると口で言うのはたやすいが、もっと考えようとかちょっと考えてみるかといつも言っている割には、それが一体どういうことなのか、実はよく分かっていない。食べること、出掛けること、趣味に励むことについては考えもするだろう。しかし、考えること自体についてしばし立ち止まってゆっくり考えることはめったにない。そこで、反省を兼ねて考えることについて考えてみることにした。正体が暴けるかどうかは分からない。

考えている時に一つ自覚できることがある。ありったけの分かっていることを起動して、分からないことを探ろうとしている点。既知から未知へと心を馳せている。我を忘れるほど考えることなど年に何度もないが、ある種の結論や判断に向けて一心不乱に考えることが稀にある。知っていることを前提にして、知の枠組みの中で参照できるものを見つけようとする。見つかる保障はない。支えとなるのは、先人たちの一見ありそうもないことを考えてどこかに辿り着いた実績である。不足気味の材料を以て、部分の総和以上の照見へと到ろうとする行為がまさに考えるということのようだ。


考えることは言語による未知の探索である。イメージの役割は想像と言えば済む。思考は想像と無縁ではないが、イメージも何もかもを集約した表現の内において、個々のことばの意味を考え、未だ知らざるものを既知や体験から類推していく過程である。これは面倒であるから、ついついさぼってしまう。しかし、冒険的で魅力のあるおこないである。これを放棄しては、人が人としての生き方を叶えるのは望みづらい。

考えることに関して、その機能の輪郭を明らかにする難しさに比べれば、考えないことは分かりやすい。考えないとは脱言語の状態である。言語不在の時でもイメージを浮かべるかもしれないが、それを考えるとは言わない。極論すれば、思考停止とは言語的行為の停止にほかならない。カフェに手ぶらで入るとする。コーヒーを啜りながら一見考えているようであっても、そこにイメージの言語化が起こっていなければ、店を出てから成果がなかったことに気づく。一冊のノートを携えて、イメージを丹念にことばで仮止めしてはじめて、少しは考えたと胸を張れる。

うわべの言語操作をして考えた振りをすることは可能だ。たとえば、ネット上の情報をコピーしたりペーストしたり、場合によってはシェアするのも、ある種の言語操作ではある。だが、そこに言語脳が参加したかどうか振り返ってみればいい。肝心の自分の脳が言語を機能させていなければ、考えていたことにはならない。では、会話をすればどうか。喋ったり聞いたりすれば言語が動き、必然いくばくかの思考も促される。ところが、音声は長く留まらず、やがて揮発する。と言うわけで、後々になっても読み返せるようにと書くことになる。何かについて書いているかぎり、言語は起動している。そして、巧拙の程はともかく、その時、人は考えているのである。

二度あることは……

高知に三日間出張していた。その時のちょっとした話。それは、愛用の手帳の置き忘れから始まった。

「二度あることは三度ある」という。実際は、三度で終わらず、四度、五度、六度……と続くことが多いのだが、「二度あることは何度もある」などと言っては締まりが悪い。二度の次の三度を一応の区切りにするほうがわかりやすい。実際のところ、二度あることは何度起こるかわからない。しかし、一つだけ確かなことがある。「二度あることは三度ある」と言えるためには、一度目の経験がなければいけないということだ。

さて、今回の二泊三日の内に、一度あったことが二度あり、二度あったことが三度あった。滞在が長かったら四度、五度になっていたかもしれない。ともあれ、三度で終わってくれた。大した事態にはならなかったが、そのつど一瞬ハッとし、ほっとさせてもらった。


一度目。ホテルのチェックインが午後2時だったので、フロントに荷物を預けて食事と喫茶に出掛けた。手には分厚いシステム手帳と、財布や小物を入れた小さなバッグ。ホテルに戻る途中、ドラッグストアに寄る。ポイントカードは?……持っているが今はない……ではレシートに印を、一ヵ月以内に……出張だから来年まで来ない……どこの店でもポイントが付きます……などというやりとりをしながら、釣銭を受け取りコインケースをバッグに入れた。

店を出てまもなく店員が追いかけて来て、手帳を差し出した。命より大切にしていると周囲に吹聴しているくせに、時々置き忘れてしまう。バッグから財布を出し入れし、財布から紙幣を出し入れし、お釣りをコインケースに入れたりする動作にたわいもないやりとりが重なる。そうこうしているうちに、商品を受け取るまでの間に手帳を無意識にカウンターに置いてしまう。

二度目。日付が替わって研修日。午前の講義を終えて昼食。仕出し弁当ではなく、外出することにした。軽食してアイスコーヒーを飲んで戻ってきた。しばらくしてホテルのカード式のルームキーが届けられた。ズボンのポケットから滑り出して椅子の上に落ちていたらしい。店の常連の研修担当の男性が同伴せず、ぼく一人だったら届けられることはなかっただろう。カードキーのようなものがポケットからはみ出すことはめったにないが、腰掛ける椅子が低かったりソファーだったりする時は要注意なのである。

三度目。帰路、高知空港に着いた。出発まで小一時間余裕があったので喫茶店に入った。その時点では異変はなかった。保安検査場前で、タブレットとスマホを小さなトレーに、往路の検査で引っ掛かった金属製のケースやハサミなどを別のトレーに入れた。キャリーバッグを預けようとしてハンドルを押し下げたが縮まらない。そのまま係員に手渡した。係員は画像検査員に「ハンドル出たまま通します」と告げた。

検査直後にちょっと不安がよぎった。ハンドルがバッグ内に収まらないと持ち込めない、荷物を預ける手続きをさせられるのか……などと思いながら、トレーに出した小物をバッグに戻す。待合室へ移動し、座ってからスマホがないことに気づいた。少々慌てて立ち上がり、検査場に戻る途中、向こうから歩いてきた検査員がぼくを見つけてくれた。


こと今回の出張に関するかぎり、二度あることは見事に三度あった。もう少し長い目で見れば、過去に何度か起こったことであり、これからも何度か起こりそうなことだ。それにしても、今回のいずれのケースでも届けてもらえたのは幸運だった。手帳もルームキーも届けられるまで忘れたことに気づいておらず、まったく不安に陥っていない。最後のスマホだけほんの数秒間ドキッとさせられただけだ。

ところで、キャリーバッグの伸びたままのハンドル。搭乗前に一か八か力一杯押したら縮んでくれて機内に持ち込めた。大阪に着いたら、今度はハンドルが伸びてくれない。つまり、手で提げなければならない。帰宅後、ドライバーで分解してみた。プラスチック部品の一つが割れていた。瞬間接着剤で手当てをする。伸ばしてみたら伸びたが、途中で止まって動かない。もはや伸びも縮みもしない。と言うわけで、キャリーとしても手提げとしても使いづらい状態で部屋の片隅に置いてある。一瞬だが、このバッグをスマホ忘れの原因にしたことを少々反省している。

ストライクゾーン

何人かで集まっていると、ストライクゾーンの広さ狭さの話題が出ることがある。野球に詳しくなくても、たいていの人はこの表現を心得ている。いきなり結論から言えば、守備範囲が何事にも広い人はおらず何事にも狭い人もいない。あることについては広く別のことには狭いというのが人の常である。

居酒屋に入る。「お飲物は?」と聞かれ、「サントリーのモルツ」と注文したら、「すみません、うちではアサヒかキリンになります」。これを聞いて、「じゃあ」と言って席を立った知人がいた。お通しも出ていたというのに……。その知人にとってサントリーモルツが絶対のビールであるかどうかは知らない。お中元お歳暮でアサヒやキリンを頂戴したらきっと飲んでいるに違いない。もしそうなら、嗜好のストライクゾーンはTPOに応じて狭くなることがありうるということだ。

学生時代のこと。まずまず英語を話し聴きもできていたが、ネイティブと出会う機会も少なければCDなどの便利な教材もなかった。まだカセットテープのレコーダーもなかった頃。幸い、わが家にはトランクほどの大きさのオープンリールのテープレコーダーがあったので、NHKのテレビ番組の音を拾って発音練習していた。とは言え、どんな単語の発音も心得ていたわけではないから、おおむね辞書の発音記号に従って間に合わせていた。少々下手な英語でも精一杯理解しようとしてくれたネイティブもいれば、ほんのちょっと発音が崩れるだけで眉間に皺を寄せて「わからん」というジェスチャーをするのもいた。“World”の発音記号は[wə:rld]だが、当時ぼくは[wauld]と発音する癖があった。長い文章を喋っているから前後関係で“world”と言っているのは自明のはずだが、あるアメリカ人のストライクゾーンではボールの判定だった。


「きみは好みの女性のストライクゾーンが広いね」という言い方がある。いつぞや誰かに「ストライクゾーン診断というのがありますよ」と教えてもらい、どうせくだらないだろうと思いながらサイトを覗いてみた。男女関係にまつわる診断項目が並んでいた。「付き合う上で異性に求める条件はいくつ?」 多ければストライクゾーンが狭く、少なければ広いと診断するのだろう。「あなたはお金と愛のどっちを取るか?」 お金なら広く、愛なら狭いのだろう。「これまで様々なタイプを好きになったか?」 イエスなら広いのだろう。「上下何歳差までなら付き合えるか?」 差が大きければ広く、差が小さければ狭いのだろう。直感通り、くだらなかった。

ホテルの朝食ビュッフェではあれもこれもと欲張る守備範囲の広いぼくだが、懇親会の30種類飲み放題メニューを見て、そこまで揃えなくてもいいではないかと思う。食に関してはストライクゾーンが広く、酒に関しては狭いというぼくの嗜好を示している。飲まなきゃ損とばかりに、ビール、芋・麦の焼酎、ワインの赤白、ハイボール、カシスソーダ、モヒート、カクテルなどを飲み干す仲間を見て、ストライクゾーンが広いにも程があると呆れる。

「あなたには器量はあるけれど、度量がイマイチ」と妻に言われた男がいた。器量と度量を並べて男性に使うと、器量は、美貌容姿ではなく、能力を意味し、度量は他人に対する寛容や心の広さを意味する。その妻は「あなたは器が小さい」と言ったのである。器が小さい、つまり、料簡というストライクゾーンが狭い。

熟年になればある種の思想を固めることになるし、思想は持たねばならないと思う。しかし、その思想がガチガチに守勢に入った性質のものになっては、逆に思慮分別に支障をきたす。ぶれない思想を持つ、しかし、つねに異種や対立に関心を向けて、必要ならマイナー修正できる余地を残しておくべきである。なぜなら、思想は時代とともに、あるいは現象や事変によって相対的意味を変えるからである。社会や他者を意識するかぎり、何事も不変のままではなく流転する。思想にもストライクゾーンの広狭こうきょうがある。

「諸問題」という問題

20世紀の終わり、積み残した問題のほとんどは21世紀初頭に解決されるだろうと楽観的に語った人たちがいた。世紀の変わり目ゆえに、次の世紀への期待が大きかったようだ。しかし、さしたる根拠があったわけではない。開けてびっくり玉手箱。世紀が変わっても、ほとんどの問題は名と形を変えて散在したまま。散らばっているならまだしも、積み上げてしまって解きようがなくなった。積み上げるのは煉瓦であって、問題ではない。

問題というのは抱えて悩むものではない。問題は解決すべきものである。問題解決技法などとたいそうなことば遣いをするには及ばない。さて、どうするかと思案する時間を短くしてさっさと着手するに限る。たとえば、ぼくのオフィスは10月半ばまで外装工事がおこなわれる。今朝からランチをはさんで午後までスタッフが得意先を迎えて会議をしているが、工事の騒音で集中できない。声を拾うのも大変な状態である。どうするかと考える余地はない。騒音を消してもらわねばならない。と言うわけで、現場監督に掛け合って部屋周辺の工事時間帯をずらしてもらった。一件落着。簡単に解決できる。規模の大小ではない。解決マインドの根底にあるべきものはさほど変わらないのである。

築地移転の問題は想像以上に長引いた。三ヵ月前、都知事が「築地を守り、豊洲を生かす」と明言した。豊洲に移転はする、しかし五年後をめどに築地を再開発する。そして、市場移転の切り札として〈アウフヘーベン〉という、止揚と訳される小難しい哲学術語を持ち出した。築地がテーゼか豊洲がアンチテーゼか、あるいはその逆かは知らないが、両立しづらい事案を調整してやり遂げようという含みがある。うまく行けば問題を統合して解決できるかもしれないが、あれもこれもという未練ではないか、苦肉の妥協策ではないかと批判されてもしかたがない。


問題が長引くと「三方よし」というような発想に向かうことが多い。みんなの顔を立てねばならなくなるのだ。うまく行けば手腕は誉められる。しかし、「築地―豊洲」の統合理念を掲げることと実際に結果を出すことは同じではない。熱く語られ繰り返されても、理念は往々にして空回りし、理念で謳うほどの成果がもたらされることはめったにない。社会貢献だの人をたいせつにする精神だのと叫んでも、理念を実行するには、理念策定とは異なる能力とエネルギーが必要なのだ。

アウフヘーベンという美名のもとの妥協策は、二者択一を決断できないリーダーの「あれもこれも」の表れか。優柔不断の共存プランの落としどころは、いずれか一方の決断よりも見えづらい。都民でもなく、築地も豊洲もよく知らないが、築地は日本が世界に誇れる数少ない市場ブランドの一つであることを知っている。実は、築地ブランドは、東京が進んで世界に発信して有名になったと言うよりも、世界のほうが先に価値を見い出したのである(ドキュメンタリー映画『築地ワンダーランド』を観れば明らかだ)。単なる流通拠点ではなく、稀有な専門性と歴史によって培われたブランド。どれほど深刻で多岐にわたる難しい条件があろうとも、築地を守る、いや、より強固に世界ナンバーワンかつオンリーワンの地位を確立するのがごく自然な理念だったはずだ。移転というオプションなどは市場再構築の当初から論外にしておくべきだったのである。

現在の築地で築地市場を再構築する、そしてそれに伴う諸問題を極力集約して解決すべきであった。豊洲という新たなオプションによって諸問題は膨らみ多岐にわたってしまった。ここに至って今、共存プランが登場した。一つ所でさえ厄介なのに、二か所で統合的にものを考えねばならない。視野狭窄で統合失調気味の専門家らは頭を抱えて悩み、実行策はさらに混迷を極めるだろう。二者択一の際に生じる諸問題と二者併用から派生する諸問題はまったく異質のものである。経験や専門性を生かしにくい諸問題が新たな問題と化すだろう。仮にアウフヘーベンがうまく行ったとしても、築地のブランドの世界的価値はいったいどうなるのか。まったく読めない。

「ある」と「ない」

それは今ここにはないが、他所にはあるかもしれない。ぼくの机の上にカレーライスが盛られた皿は見当たらず、それは「ない」。しかし、カレー店には間違いなく「ある」。もちろん、ここにないことが他のどこかにあることの証にはならない。たとえば、生きた恐竜はここにも他の場所にも存在しない。

「ここにある」と言えても、それはここだけとはかぎらず、別の場所にもあるかもしれない。あるいは、他のどこにもないかもしれない。あるいは、ここになくてもどこかにはあるかもしれない。手元にある水性ボールペンは特注品ではないので、どこにでもあり、必ず誰かがぼくと同じように使っている。しかし、存在するものがこの世にたった一つであるなら、分身しないかぎり、それがここにあれば他には絶対にないと言える。

ぼくの愛用の手帳はここにある。それは市販品ではあるけれど、ぼくにしか記せないことが多々書き込まれている。したがって、ここにあるこの手帳は、今自宅にはないし、出張先で忘れて落し物センターで保管されてもいない。逆に、もし手帳がここにない時、どこかにあるだろうと軽く考えがちだが、ここにないからと言ってどこかにあることにはならない。ちなみに、キーホルダーではない、正真正銘の打ち出の小槌は、今のところここにないし、どこかにあるという話を聞いたこともない。


ここにないならどこかにあるはずと軽はずみに考えてしまう最たるものが幸福だろう。幸福はここにもあれば別のところにもあり、また、ここからもどこからも消え去るかもしれない心的概念である。

九月に入って秋の兆しを感じるようになった。何の変哲もない、一足先に紅く染まった一枚の葉に出くわす。見た目はおそらくどこにでもありそうだ。しかし、ここにしかないと言ってのけることができる。その場所に居合わせてしばらく時間を過ごすことがオンリーワン経験だと思えば、このシーンはここにしかなく、他のどこにもないのだ。

誰かが誰かに「前を向いて歩こう。うつむいていたら何も見えないから」と言って励ました。常套句だが、こんな一言で落ち込んでいた人が元気になるとは想像しにくい。これで元気になれるのなら、落ち込みようは他人が思うほどのひどさではなかったと思われる。ところで、この話と「ある・ない」がかなり似通っていることに気づく。

集中して前を向いて歩いたら、当然後方は見えない。空を見上げたら地面は見づらい。うつむいていたら、確かに前方も上方も見えにくい。当然だ。元々、全方向を見ることは不可能であり、どこかを見ている時は他の方向は見えないものである。しかし、うつむいて歩いていたら地面だけは確実に見える。敢えて言えば、地面だけが見えている時、地面以外の見たくないものを見ずに済ませることができる。会いたくない人と顔を合わさずに済む。

どこかにいれば別のどこかにはいない。何かを懸命に見ていたら別の対象は見にくい。そういう具合にできているのである。「うつむいて歩こう。前を向いていたら前しか見えないから」とも言えてしまうのだ。そして、前や上が後ろや下よりもいい感じに思えるのは、単純な刷り込みにほかならないということを心得ておきたい。

ナポリタン考

ナポリタンと言ったつもりが、ナポレオンと言っていた。そんな指摘をされても、「いや、ナポリタンと言ったはず」と言い返す。スパゲッティの話をしているのだから、ナポレオンと言うはずがないではないか。いや、ちょっと待てよ、やっぱり言い間違えたかもしれないか……さほど自信がない。

ナポリタン。英語の響きだが、かなり怪しい。大辞典をひも解いても、“Napolitan”などという見出しは見つからない。英語ではナポリのことを“Naples”という。発音は「ネイプルズ」。イタリア語では“Napoli”だ。ナポリタンはその形容詞の変化か? いや、違う。イタリア語のナポリの形容詞は男性形がナポレターノ、女性形がナポレターナである。

という次第で、ナポリタンは英語でもイタリア語でもなく、どうやら和製英語のようである。そして、その名で表わされる、スパゲッティとピーマン、タマネギ、ハムをケチャップで炒めた和製料理を意味する。戦後に日本で生まれた麺料理というのは間違いなさそうだ(これ以上は掘り下げない。詳しい情報はWikipediaに譲ることにする)。

ナポリタンには昭和の匂いと風情が盛られている。ナポリタンを提供する店では「昔ながらの」と表現する所も少なくない。「昔ながらの、昭和の」という雰囲気から「下町の」を連想し、ここから焼酎の「下町のナポレオン」が浮かぶ。昔ながらのナポリタンと下町のナポレオンが混線して、冒頭の言い間違いが無意識のうちに生じた可能性はあるかもしれない。

ナポリタンは本場ナポリに存在しない。硬派な筋ではナポリタンは邪道なのである。自分でも休日の昼に手軽に調理するが、邪道だと思っているフシがあった。ところが、最近、本格的なイタリアンの店でも敢えてナポリタンをメニューに載せている。すでに何軒かで試してみたが、かつて喫茶店で熱々の鉄皿で出された類いのものとは明らかに違っている。ケチャップだけで味付けた昭和のナポリタンではなく、トマトソースも使われているのである。

和製スパゲッティであるナポリタンは本場イタリアのアマトリチャーナのアレンジだと言われる。なるほど、本場の味に近づいてかなり洗練された趣がある。まだパスタなどと言わずに、スパゲッティ一本やりだった時代のナポリタンは、一度茹でたうどんのような麺を使っていた。そこにタバスコを振りかける。稀に粉チーズが用意されている店もあった。それはそれでうまかった。

現代風のナポリタンはアルデンテのスパゲッティを使い、具材もピーマン、タマネギ、ハムというワンパターンではない。見た目の出来上がりは昔とさほど変わらないが、具が少なめでスパゲッティを主役にしているようだ。先日注文した一品は贅沢に生ハムが使われていた。アマトリチャーナには塩漬けの豚肉が欠かせない。生ハムはその味に近い演出を受け持つ。昔ながらのナポリタンにいつまでも昔を郷愁してはいられないのだろう。

慣れの功罪

経験を重ね場数を踏んでいくうちに、仕事も趣味も手の内に入ってくる。人前で喋ることなども、初心の頃と違っていちいち緊張しなくなる。これを「慣れ」という。慣れることは一見良さそうに見えるが、実は、習慣が形成されることには功罪がある。だから、もし良し悪しを語るなら、良い習慣、悪い習慣というように言わなければならない。

すっかり手慣れてしまえば熟練だ。熟練の腕前とは、見事にやってのけること、すっかり身についているさま。あまり深く考えなくてもできてしまうこと、つまり暗黙知の獲得。慣れたら慣れたで次の段階や別の対象に目が向くから、必ずしも苦がないとは言い切れないが、未熟だった頃に比べれば、雲泥の差で行動が楽になっている。

他方、慣れには好ましくない惰性も伴う。鈍感やマンネリズムに化けるのだ。一度や二度は緊張もした、驚きもした、そしてしばらくは感覚が張りつめていた……しかし、何度も経験するうちに、やり慣れた、見慣れた、聞き慣れたと言う感覚になり、新鮮味が失われる。やがて徐々に対象に響かなくなる。そのことに気づいている間は反省してリセットもできる。だが、鈍感やマンネリズムは、気づかなくなることによって常態化し、判断や行動に巣食い始める。


パリで、ブリュッセルで、ロンドンで、ハンブルクでテロが発生し、これらの都市と無縁の人たちも驚き悲しみ、そのつど哀悼の念を示した。その後も各地でテロが相次いでいる。昨年や一昨年のような国境を越えてのメッセージはSNS上で目立たなくなった。明らかにテロの惨事慣れが起こっているのだ。もっとも、このことは今に始まった話ではない。ずっと以前から垣間見えた現象である。ヨーロッパのテロに敏感だった世界も、多くのテロ実行犯の出身地であるアラブ系国家での日常茶飯事の事件には、「またか」程度のリアクションを示すにとどまっていた。

ぼくが2011年に旅した街で、その後テロが連続的に発生したのは偶然にほかならない。パリで10日間ほど滞在したアパートの近くで惨事が起きた。日帰りの旅をしたブリュッセルでもテロ事件があった。そして、つい先日、これまた訪れたバルセロナで車による暴走テロが起こった。このことを周囲に話すと、ぼくの行った街への旅は避けないとね、という冗談が返ってくる。

旅で街を訪れたら、そこに何がしかの親近感と体験記憶が生まれる。その感覚と記憶は、訪れずに空想するのとは異なる。バルセロナの、あのランブラス通りを何度行ったり来たりそぞろ歩きしたことか。途中ボケリア広場を覗き、カウンターで惣菜をつまみながらワインを飲んだ。ミロの地面モザイクを眺め、ゴシック地区にも迷い込んだ。港に足を運んでコロンブスの像を見上げ、タワーに上って市中を展望した。それがこの写真。右上の方向には建設中のサグラダファミリア教会が見える。

地元民と観光客で賑わうあの平和な通りの記憶と、テロの凄惨なシーンがまったくつながらない。数年経っても懐かしい記憶のほうは脳裏に焼き付いている。しかし、テロ事件はと言えば、他市のテロがそうだったように、一ヵ月、半年、一年と経たぬうちに消えそうな気がする。「またか」とつぶやくたびに、惰性と鈍感が増幅し、ニュースはあっという間に揮発する。慣れによって喉元過ぎれば熱さを忘れるのである。