新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事
これは『万葉集』の掉尾を飾る大伴家持の歌。あいにくわが街は雪とは無縁の年の始め。ここ何年、いや十数年、粉雪舞い散る正月もあったかもしれないが、ほとんど記憶に残っていない。今のところ、今年は暖冬である。「今日の雪のようにずっしりといいことがありますように」と願ったほどだから、かなりの積雪量だったに違いない。因幡で詠まれたという記録が残るからうなずける。
この歌には、「新年」「初春」「降る雪」と子どもたちの習字に格好の題材が含まれている。「新」も「初」も気分のリセットにはもってこいの漢字だ。今年もらった年賀状に「心機一転」という四字熟語が添えられているのがあった。年の変わり目にこだわらなくても、心機一転など思い立ったらいつでもできるのに。年頭にいつも新たな決意をするものの、決意したことはたちまち忘れ、結局は例年と変わらない日々を送る。決意することと、決意したことを行為として表わすことは別物である。
今日二日は書きぞめの日。昨年は「氣新光照」を選んで一回勝負で書き上げた。この一回きりというのがたいせつだ。何枚も何枚も下書きして半紙を無駄にせず、また出来の良し悪しすら考慮せずに筆を走らせるがいい。
なかなか題材を思いつかず、冒頭で紹介したように『万葉集』と『古今和歌集』なんぞを繰っていたのである。新年や初春では幼すぎる。さらに思案していたら、以前篆刻していた頃に文字だけデザインした「大象無形」に辿り着いた。篆刻の本を少し参考にして、これを書きぞめにした。なお、弘法のように筆を選ばなかった。選びたくても二管しか手持ちがなく、太い方を使うしかないからである。なお、朱文の印はオフィスに置いてきたので落款はなし。
「とてつもなく大きなものは形になって現れない」という意味。つまり、形で表わせるあいだは未だちっぽけな存在だということ。しかし、自分に関してはそれでいいような気がする。どんな形であれ、自分のこと、自分の思いなどは形にしないと何が何だかさっぱりわからないからである。この四字熟語は、形が見えない、形がはっきりしないという理由で対象を過小評価しがちな先入見への戒めとしたい。