予報によれば平年に比べて気温は高いらしいが、昨年も一昨年も10月初旬はこんなものではなかったか。9月にいったん涼しさを経験すれば、気温が20℃後半に上がると暑さのぶり返し感が強いのは当たり前。先月夏の終わりを感じ名残りを惜しんだが、ちょっと損をした気分である。
昨日、1月以来の京都に出掛けた。美術館を出たのが午前11時。まさに残暑の昼前だった。かなり喉が渇き、すでにペットボトルを1本飲み干していた。おまけに、ランチに入った洋食屋で冷水2杯、帰りがけに寄った喫茶店でも冷水3杯という具合。
暑さを凌ごうと、視覚的に涼感を誘う風情を探す。雲が多めの空の青も少し暑さを緩和してくれた。白川の岸に建つ町家の情趣は秋を思わせ、透き通ったせせらぎは5℃ほど暑さをやわらげてくれた気がする。
歩を進めていくと、朽ちた塀を剥き出しにした一角に出くわした。あばら家だと推理するのは身勝手ではないだろう。塀というものが他人様に見られるものであってみれば、もしその家で住人が生活しているなら朽ちたまま放置はしない。ふつうはそうである。
しかし、人の感覚はそれぞれで、しかも、この時代、これが何らかの美的意匠である可能性も否定できない。しばし凝視しているうちに、住人の意図が作意に転じ、その作意を読み解きたくなる衝動に駆られた。
これはきっと何かある……そう思い始めたら、朽ちた塀のあばら家を好意的に汲んでみようと心が動いた。ほどよい青と白の空のせいもあってか、こんな殺風景な光景の前に佇んで不覚にも視覚的に涼しさを感じてしまったのである。