イタリア紀行33 「生活の知恵が世界遺産」

アルベロベッロⅡ

プーリア州を含む南イタリアはルネサンス期の後の16世紀頃からスペイン王国に支配される。支配者は大土地荘園制を敷いて痩せた大地に農民を集めた。オリーブ畑だけで生計を立てる貧農生活を強いられたのは言うまでもない。やむなく、掘れば簡単に手に入る石灰岩を使って家を建てる知恵を編み出した。こうして生まれたのがトゥルッリである。

古い家を壊して、そこに新しい家を建てる。費用とエネルギーを要するように思えるが、実は安直な方法なのだ。老朽化して危なっかしい場合はやむをえない。しかし、何でもかんでも壊して建て直せば街が活性化するという筋書きはにわかに信じがたい。ヨーロッパ、特にイタリアの歴史地区からぼくが学んだ一番尊いことは、建造物をはじめすべての人工物をまるで植物のように育て共生していく精神である。古い住居に手を加え続けるのは、生活そのものを真剣勝負としているからだ。

今でこそ童話の絵本から飛び出してきたように見ているが、釘もモルタルも使わずに板状の石をただ積み上げただけの家に住むのはおそらく愉快ではなかったはずだ。そんな家だったからこそ、ドームの小尖塔に装飾をつけたりしたのだろう(前回紹介したシンボルには魔除けや呪術的意味合いが込められていたようだ)。眩しいほどの白壁。まさか何百年もそのまま残っているはずがない。外壁保護のために繰り返し繰り返し漆喰(しっくい)を刷毛で塗っているのだ。週に一回ペースで塗るというのだから、その手間は並大抵ではない。「よく生きる」とはこういうことなのだろう。

街の東のアイア・ピッコラ地区から300メートル西の方向に、もう一つのトゥルッリ集落であるモンティ地区がある。入り組んだ構造のアイア・ピッコラとは違って、この地区は整然とした街並みになっている。観光客は断然こちらのほうが多い。もちろん民家としても使われているのだが、ジュゼッペ・マルテッロッタ広場側から入ると、しばらくは土産物店が立ち並ぶ。買物や景観で人気はあるが、土産物店特有のプロモーションをあまり好きになれないから、土産店は一切覗かず、ゆるやかな道をずっと上って折り返してきた。広場をはさんだ向い側のアンティークの店を一軒だけ冷やかした。

トゥルッリもいいが、早朝のエスプレッソも印象的だった。別のバールには黄昏時と翌日午後にも行った。ほとんど儲けのないような店なのに満面笑みをたたえる主人。両替に行った銀行の対応はイタリア随一と言っていいほど「鈍かった」。2万円がユーロになるのに小一時間はかかった。「プルマン(長距離バス)が出るから至急頼む!」と何度急かそうともうなずくだけで焦らない。すべてがアルベロベッロ。誰が何と言おうと、旅は個人的な感応体験なのである。 《アルベロベッロ完》

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バールの隣りの果物店の店先。
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こじんまりとした田舎駅。
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ポポロ広場と市役所。
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高台に上がると、トゥルッリ集落がよく見晴らせた。
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ジュゼッペ・マルテッロッタ広場。壁は白で統一されている。
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民家が壁を共有しているモンティ地区。ドーム屋根には家ごとにシンボルが描かれている。
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スケッチしたシンボル。家紋のような目印は宗教的な意味合いを持っているとも言われる。
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唯一立ち寄ったアンティークの店。
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モンティ地区の道。
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街の外へ出ると風景は一変。やや色褪せたワンルーム仕様のドーム屋根と壁。