あらかじめ時刻を決めることによって、ぼくたちはどれだけ助かっていることか。予定通りに日々の仕事がはかどるし約束も守れる。
特急や飛行機が定刻から1時間も2時間も遅れるようでは困る。いや、もっと困るのは、予定の時刻よりも早く出発されることだ。これでは間に合いようがない。
しかし、敢えて限定的に異論を唱えてみたい。日常的な小さな時刻の決まりごとにはもっと鷹揚であってもいいではないか。いや、1時間に5分から15分の頻度で発着するような公共交通機関に時刻表などいらないのではないか。時間は重要である。しかし、時間を細かく刻んだ「時刻」はスローライフを遠ざけ、心の平安を奪いかねない。
いつぞや「カフェと舗道と地下鉄がパリ名物」という話を書いた。パリのメトロはとても便利である。なにしろ、数百メートルに一駅あって、網の目のように走り、慣れてしまえば乗り継ぎがとても簡単だからだ。駅のホームはパターン化されておらず、タイルもデザインもすべて違う。これまた慣れてしまえば、駅名の表示を見なくても、ここが何駅だと言い当てられるようになる。
パリのメトロに時刻表はない。「あと何分で電車が来る」という表示は出る。それで十分である。さらに、バスにも時刻表がない。バス停でも「あと何分で到着」という表示が出る。ぼくの経験ではよく待っても最長10分前後である。実を言うと、ぼくは国内外を問わず、バスが気に入っている。地下鉄以上にである。なぜなら、バスなら街の光景が見えるからだ。観光客はバスに乗るほうがいい。
日本では、地下鉄のダイヤを分刻みにした代償として、バスの運行が都会でも1時間に1、2本というルートが増えた。残念なことである。時刻表などいらないから、せめて15分に1本ほど同じ路線をぐるぐると走らせればよろしい。