揺れる価値、ぶれない価値

人間世界に比べて動物世界の価値は一定しているように思われる。もちろん、考古学的尺度からすれば、価値は大きくシフトしていくのだろうが、何十年や何百年で一変することは決してありえない。ましてや、ぼくたちが昨日と今日の価値の上下に一喜一憂するように犬や猫が日々を送っているとは想像できない。

難しい話や複雑極まる仕組みはさておき、昨日のルールや常識がここまでも今日通用しないとなると、学習することが意味を成さなくなってしまう。今年の3月、ぼくは160円ほど払ってユーロを手にした。定食18ユーロというメニューを見て、アタマで翻訳して「2,880円か。ランチにしてはいい値段だな」などとつぶやいていた。先週そのユーロが120円を切った。これは2160円に相当する。

為替変動と無縁でいることはできない。できないが、日本にいる大半の日本人にとっては、欧州のランチの値段に関心などないだろう。同時に、ユーロ圏の人たちが自国でランチを食べるときに誰も円との相場比較などしない。彼らにとって、行きつけのレストランのランチは18ユーロであって、ここ数年は変動していないかもしれない。年に一、二度ちょくちょくユーロ圏に出掛けるぼくは少し気にする。正直に言うと、円とユーロを換算している自分をせこく感じることも多々ある。

景気がよくない。出費は控えたほうがよろしい。こういう風潮にどっぷり浸りながらも、「円高だから海外旅行のチャンス!」となるわけだが、それは昨年に比べて円の出費額が少なくなるということであって、円高であろうが円安であろうが、出掛ければ確実に出費は増える。金融というマーケットが実質価値に目を向けず、価値の差額にばかり注視してきた結果、一般消費者すらもその揺れ動く差額分ばかりに気を取られてしまう。


貨幣価値というものは不思議なものだとつくづく思う昨今である。午前11時頃になると、オフィス近くの沿道にテーブル一つ置いた弁当屋が七つ八つ並ぶ。おかず数品とライスがセットになって280円。これが最近の最安値である。この弁当のあとに350円以上のコーヒーは飲みづらい。カフェチェーンの180円のコーヒーですら割高に見えてくる。

とある飲食店でスーツの内ポケットからボールペンを取り出そうとしたら、そこに入っていたリップクリームのキャップがたまたまいっしょに出てきて床に落ちた。うつむいて探してみたが見つからない。長椅子の下に入ってしまったのか、弾んで数メートル先のどこかに転がってしまったのか……。とりあえずリップクリームの「本体」のほうを出した(放っておくと内ポケットの布地にクリームがべったり)。その後もしきりにキャップの行方を追うぼくを見て、同席していた某企業の代表取締役氏が「リップクリームくらい、また買えばよろしいじゃないですか」と言った。

キャップを探す手間をかけるくらいなら200円くらいの商品を買い直しなさい、何よりもキャップを探している姿はみっともない、という忠告である。相性がよくて親しい男なのだが、ぼくの金銭価値観とはまったく違う。彼は10万円以上のスーツしか買わないが、ぼくは消耗品のスーツに10万円以上出すつもりなどさらさらない。

リップクリームのキャップが惜しいのでもなく、200円で買い換えるのを拒否するわけでもない。それがたとえ安価なものであれ、落としたものを探す努力もせずに即座に諦めて買い直すという発想がぼくの回路にはないのだ。本体とキャップはセットになるのが望ましい。そのキャップが池にポチャリと落ちたら諦める。しかし、探せば見つかる圏内にあるではないか。

探索行為は、落としたキャップの値段とは無関係なのである。うどんを食べるときに一味唐辛子を必死に探すようなものなのだ。で一体ゆえに価値があるとき、をなくしたからという理由でを捨てて買い換えるということを、ぼくは安易にできない性分なのである。数万円もする万年筆のキャップにも、百円のボールペンのキャップにも、同じエネルギーと時間をかけて探す。

たぶん変な奴なんだろう、ぼくは。の研修レジュメ20を一日で書き上げて編集しておきながら、気になる一行一情報のためにさらなる一日を費やすことがある。こんな性向がぼくにとっての「ぶれない価値」なのだが、変動価値の時代にはそぐわないのだろうか。  

イタリア紀行16 「中世のたたずまい」

ルッカⅡ

ルッカの駅で少し慌てる体験をした。駅に着くと何はさておき、帰りの時刻表を確認して復路の切符を買い求めることにしている。ルッカからフィレンツェまでの準急料金は4.8ユーロ。10ユーロ札を自販機にすべらせてボタンを押すと、切符は出てきたがお釣りが出ない。釣銭ボタンめいたものを押してもダメ。あ~あ、イタリア特有の故障。これは面倒なことになるぞと覚悟する。

よく見ると切符の下にもう一枚切符が……。実は、切符ではなく、釣銭の額が印字された金券だった。これを窓口に持っていき、サインをして現金に換えてもらうのである。面倒臭いが、お釣りの硬貨が出ますようにと祈らねばならないイタリアのローテク券売機ならではの工夫と言える。外国人旅行者にとって鉄道駅は想定外の出来事に満ちている。降り立つ駅ごとに特徴があり、軽い緊張感を覚える。とは言え、ハプニングは異文化に遭遇する貴重な機会であり体験である。

さて、プッチーニの銅像を目当てに、二つの通りを往来してみた。フィッルンゴ通りとグイニージ通りだが、行ったり来たりしたので、手元の写真の光景がどちらのものかよくわからない。どれも中世の印象を色濃く残しており、煉瓦仕上げの建物の外壁は古色蒼然としている。この街は戦争を経験していないから14世紀がそのまま今に生きているようだ。試行錯誤したあげく、どっちを通ってもローマ時代の円形劇場に辿り着くことがわかった。

メルカート広場の一画にローマ時代の古代円形劇場跡を利用した集合住宅がある。円形空間の周囲に建物が「丸く」びっしりと建っているのは奇観と形容すべきか。ルッカ独特の景観である。円形劇場から東西へ少し行けば、有名な旧邸宅があるのだが、敢えてそちらへは向かわず、ぼくにふさわしい裏道を選んで帰路についた。

メジャーではないだろうが、ルッカも知る人ぞ知る観光地の一つ。ツアーの団体も見られたが、観光客を特に意識した街並みや店づくりはしていない。通りが狭く建物が古いせいだろうが、中世の風情を保ちながらも生活感を漂わせる街並みであった。駅に戻る途中、城壁跡である遊歩道に上がってしばし散策。緑地帯に囲まれた中世の街がとてつもなく希少な存在に見えた。 《ルッカ完》

Toscana1 221.jpg
狭い通りが中世の面影を濃くする。店構えもこじんまりしている。  
Toscana1 223.jpg
円形劇場跡の外壁。
Toscana1 226.jpg
中庭風の広場の一角。
Toscana1 227.jpg
劇場跡のメルカート広場の中央に立ち、円形状に建ち並ぶ建物をぐるぐる回りながら撮影。ここには1830年までローマ時代の観客席がそのまま残っていた。その観客席部分に建物が建っている。地下は古代のままなので、まさにローマ時代の上に現在が暮らしているという構図。
Toscana1 232.jpg
広場を裏手から出ると、ひっそりと遺跡の名残。“Antico Anfiteatro”とは「古代円形劇場」。 

縮みゆくマーケット

昔々の話。「隣の村まではどのくらいかのう?」と旅人が尋ねれば、「そうさな、三里ばかりってとこかな」と村人が答えた。時間ではなく、距離で表現した。こんな時代が長く続いたが、今から40年前、突然「距離の破壊」もしくは「距離の短縮」という概念が登場した。

世界的規模の交通網の発達により、距離はキロメートルという単位から時・分・秒という単位で計測されるようになる。国内においても新幹線や特急の高速化に加えて高速道路の整備で都市間の距離が縮まる。「時間地図」なるものも作られた。その地図によれば、大阪のすぐ東側に東京がくっついていて、物理的距離が近いはずの和歌山の新宮が大阪のはるか南方に位置していた。

大阪の市街地から新宮までは距離にして約240キロメートル。他方、東京までは約550キロメートルだ(距離だけを見ても、同じ近畿内の新宮までが東京までの半分近くに達しているのにはあらためて驚かされる)。現在、大阪-新宮間は特急で3時間42分。これに対し、大阪-東京間は新幹線で2時間33分。飛行機を使えば、リムジンバスや待ち時間を加えても2時間程度だ。

近畿一円をマーケットとしてとらえるよりも、大阪と東京を一つのマーケットとして見るほうが理に適っているだろう。だが、こんな解析はほとんど意味を持たない。なぜなら、以上のことは人の移動や物流に限られた話であって、ウェブではいつでもどこでも無形ソフト財をバーチャル移動させることが可能だからである。ウェブ上では、距離は完全に破壊され、時間もゼロに向かって縮む。そこには底無し沼のようなたった一つのマーケットが存在するだけである。


このような現象はマーケットの広がりと呼べるのだろうか。実は、マーケットは広大になったのではなく、凝縮されたのである。これまで広範囲にあちこちに点在していた店や商店街が一ヵ所に集められ、空恐ろしいほどの密度で商売をしているような状況だ。高密度集積回路のようなマーケットにあって、売り手と買い手の遭遇はほとんど偶然のごとき様相を呈する。

効率よくマーケットにアクセスできる売り手側ではあるが、買い手もオプションを増やした。従来なら購買の検討の余地すらなかった遠隔地の売り手と縁組ができるのである。売り手にとっては、かつて競合しえなかった同業者もライバルになった。少々派手な露出をしても目立たなくなった。

この縮みゆくマーケットは、ウェブ世界が初めてではない。その昔、都心部にはおびただしい数の店舗が集積した。商店街や公設市場は賑わっていた。そのマーケットのど真ん中あるいは周辺に大型店が参入し、過密化に拍車をかけた。顛末はご承知の通り。商店街はシャッター通りと化し、市街地の空洞化が始まったのである。焦った商店主たちはマーケティングの基本原則を置き去りにしてしまった。

縮みゆくマーケットの渦中でビジネスを展開するとき、負け組へと墜ちた商店主たちを教訓にするべきだろう。彼らは、真の顧客を忘れて不特定多数を相手にし、品質よりも便利を売り物にした。これではコンビニに勝てるはずもない。奉仕よりも儲けを優先し、店の個性をかなぐり捨てた。まるでセルフサービスのカフェや立ち食いうどん店と同じだ。品質と個性に支えられたプロフェッショナルの誇りこそが過密マーケットを生き残る差異化ではないか、とぼくは考えている。

「聞術」というリテラシー

ある人が提言する。現状の問題を取り上げて改革案なりを唱える。提言内容を別の誰かが検証し、しかるべき問いかけをしてさらに具体的な説明を求める。このような「検証-尋問-応答」という論戦ゲームを研修の論理実習でおこなっていて、一つ重要なことに気づく。

それは、人というものがどれだけ他人の話を聞いていないか、という点である。よくもまあ検証の対象を見事に外すものだ。必然尋問が明後日の方向に流れ、わけのわからないことを尋ねられた提言者が応答に戸惑い右往左往してしまう。提言に接合しない検証者に非があるのだが、弱気になる提言者が議論の中身をなおさらお粗末にしてしまう。

話すのに比べて聞くほうが難しいという事実は、外国語の学習を通じて体験する。自分が考えていることを自分の語彙の枠組みの中でこなせるのが「話す」という行為である。しかし、「聞く」という行為の対象範囲はべらぼうに広がる。知らない語彙や知識を聞かねばならないのだ。不幸なことに、話は発せられた直後に消える。議論のさなかにあっては、「ちょっと待った」と遮って話の内容を再生することなどできない。


聞くことがこんなに挑戦的な課題であるにもかかわらず、ぼくたちはそのスキルを真剣に鍛えようとしてこなかった。「聞き上手のすすめ」という類の指南がないことはない。だが、指導者と学習者双方が話し方に注ぐ膨大なエネルギーの足元にも及ばない。話術や話道があって、なぜ「聞術もんじゅつ」や「聴道ちょうどう」は存在しえないのか。

「聞く? そんなものにコツなどない」などと片付けられる。しかし、話すのには特殊なスキルが必要で、聞くのに技術などいらないというのは錯覚だ。こんな安易な姿勢がリテラシーにつまずく原因になっている。幼児期から少年期の言語体験を思い起こせばいい。聞く・読むという認知の質と量があったからこそ、話す・書くという表現の質と量につながったのだ。

さらに悪いことに、人は人間関係上の力学によって傾聴の度合を変える。自分より格上の人の話にはとりあえず耳を傾けるが、相手が格下と見るやろくに話を聞かずに適当な相槌で済ます。横柄な態度は傾聴を「軽聴」にしてしまう。


かくいうぼくが聞くコツを処方できるのか。偉そうな意見を垂れながらも、精神訓としてはひとまず「一所懸命に聞く」としか言えない。「どんな話も初耳のように聞き、全身を耳にして聞いて聞いてひたすら聞く」としか言えない。「な~んだ」というため息が聞こえそうだが、ポイントが四つある。

(1)  キーワードと多義語(曖昧語)をしっかりと聞く
(2)  聞いているメッセージを箇条書きの要点メモに取る
(3)  そのメモをできるかぎり画像(イメージ)に変換する
(4)  「ほんとうにそうだろうか?」と批判的フィルターをかける。

冒頭の「提言 vs  検証」というような議論においては、これらのポイントが効果的なのは実験済みだ。

原則として人間関係は聞くことによって成り立っている。よく話すことよりもよく聞くことのほうがコミュニケーションの線をよりいっそう長く引くことができる。聞術こそがクリエーティブな話力の下支えになる。現在、傾聴をテーマにした新しいリテラシー「聞術」の構想をあたためているところだ。  

ヒューマンスキルの核

「ノリヒビ」ということばを聞いたり読んだりしたことがあるだろうか。「海苔ひび」。海中に立てる竹や粗朶そだという木の棒のことである。この棒に胞子を付着させて海苔を養殖する。最初は遅々として目立たないが、やがてしっかり定着すればみるみるうちに海苔が繁殖していく。

何かが大きく成長するためには、この棒のような核が必要で、学んだことがどんどんまつわりついていかなければならない。ノリヒビはそんなたとえにも使われることがある。では、ヒューマンスキルにとって、ひびや胞子に相当するのは一体何だろうか。


学び手と学習メニューの関係は、身体とサプリメントの関係に似ている。毎日の食事さえバランスよくきちんと摂り、ほどよく運動して筋肉を鍛えていればおおむね問題無しとは、良識ある専門家が異口同音に唱えている。しかし、栄養に過多や偏りがあると体力に不安を覚え体調異変を感じる。そうなると、中高年には手っ取り早くサプリメントに依存する傾向がある。

ぼくも例に漏れなかった。ウコンに卵黄ニンニク、納豆キナーゼにノコギリヤシ、マルチビタミンや各種ミネラルを試してみた。通販で買ったためにしつこくフォローの電話攻めにも遭った。やがて主客転倒していることに気がついたのである。栄養源は水で流し込むのではなく、よく噛まねばならないのではないか。きちんと食事をして年齢相応に身体を動かし、歩き、ストレッチをする。そういうふうに生活スタイルをシフトして現在に到っている。


ヒューマンスキルのサプリメントには何がいいのか。世の中には学習メニューが目白押し。摂取しても摂取しても効き目を実感していない人たちも多い。摂取後は何らかの効果を実感できたとしても、効き目は持続しない。何日かすれば元の木阿弥状態になってしまう。学習メニュー提供側のぼくとしても、大いに反省しなければならないと思っている。

食事同様、学習サプリメントはあくまでも副である。サプリメントとはもともと「補足」という意味だ。不足を補うものであって、主たる存在ではない。毎日の食事が主であるように、もっともよく使うスキルこそが主ではないか。そう、ヒューマンスキルの主食はことばというリテラシーなのだ。リテラシーこそがノリヒビであり、ぼくたちは幼少の頃から「ことばの胞子」をずっと養殖してきた。

日々振り返れば、生活も仕事も読み・聴き・話し・書くで成り立っている。言語の四技能というリテラシーを駆使して一日を過ごしている。いかなる専門スキルも言語の核にまつわりつく。肝心要の言語力が乏しければ、知識や情報を大量に取り込んでも定着しないのだ。そして、レベルアップするにつれて、とりわけ読むことと書くことの重要性が高まってくるのである。

イタリア紀行15 「城壁とプッチーニ」

ルッカⅠ

どの季節にその街を訪れるか。一人で行くか、誰かと行くか、団体で行くか。そこにどのくらい滞在するか。街のどこを見るか。他のどの街を訪問した後にそこに行くのか、その街の次に訪れる街はどこなのか。条件によって街の印象は大きく変わる。街との出会いは運命的である。

数え切れないほどの特徴の組み合わせがあるにもかかわらず、紀行文はごくわずかな一面しかとらえ切れない。街の印象をしたためるのは個々の旅人の自由だ。そして、旅人の印象はたぶん偏見に満ちている。これは批判ではない。国勢調査員のような旅人であってはいけない、という意味だ。ルッカ(Lucca)についてぼくがこれから綴る内容も、実体を写実的に描写するものではなく、印象のスケッチにすぎない。

前回、前々回のアレッツォと同様、ルッカが定番のイタリアツアーに入ることはまずない。オプショナルツアーとしても考えられない。フィレンツェから西へ準急で約2時間、これが、この街に出掛けてみようと思った「ホップ」。オペラ『蝶々夫人』のプッチーニの生まれ育った街、これが動機の「ステップ」。最後の決め手になった「ジャンプ」は、ルッカが戦争を知らない、イタリアでも稀有な街であることだった。思いを三段跳びさせないかぎり、ルッカに行く決断はしづらい。

ルッカはトスカーナ州の北部に位置する、ローマ時代から続く歴史ある街だ。12世紀初頭に自治都市になり、1617世紀に城壁が建設された。今も旧市街は高さ12メートルほどの城壁に囲まれている。完璧な城壁があったから戦火に巻き込まれなかったのではなく、まったく偶然の幸運だったようだ。地理的に恵まれたという説もある。

ルッカの駅に着くと、通りを挟んですぐに城壁が見える。遊歩道に沿ってドゥオーモから街へ入り、ナポレオン広場、サン・ミケーレ広場、中世の家、プッチーニの生家、円形競技場跡など主だったところを徒歩でくねくねと辿っても2キロメートルにも満たない。なにしろ街を取り囲んでいる城壁の長さが約4キロメートルだから、とても小さな街なのである。それでも縦横に伸びる細い通りで迷ったり、プッチーニの生家にはなかなか到達できなかった。いろんな人に尋ねながら歩いた。ルッカの人たちはみんな笑みをたたえた親切な人ばかりだったが、プッチーニの生家を示す指の方向はみんな違っていた。

Toscana1 245.jpg
城壁の上の幅78メートルの遊歩道が街を取り囲んでいる。
Toscana1 209.jpg
大聖堂はカテドラーレ・ディ・サン・マルティーノ。聖マルティーノはルッカの守護聖人。ファサード部分の3つのアーチがロマネスク様式の特徴。
Toscana1 210.jpg
 ファサード前のサン・マルティーノ広場。この日のルッカは課外授業らしき中高生や小グループの観光客で賑わっていた。
Toscana1 213.jpg
ナポレオン広場。戦争を知らないルッカは、19世紀初頭にナポレオンの妹エリーザが治める公国になった。広々としたこの広場が気に入り、ピザを買ってきてここでランチ。
Toscana1 217.jpg
街と市民の生活の中心となるサン・ミケーレ広場。ローマ時代の遺跡を利用してつくられた。
Toscana1 241.jpg
サン・ミケーレ広場から約100メートル歩くとプッチーニの像。
Toscana1 244.jpg
最後に出会ったおじさんが教えてくれたプッチーニの部屋。
Toscana1 243.jpg
プッチーニの生家であることを記す大理石の銘板。 

学び学でリテラシーアップ

手っ取り早く役に立つハウツーばかりに目を向けずに教養を身につけよ。いや、社会に出れば教養なんぞよりも実践的ハウツーだ。このテーマは議論伯仲すること間違いない。しかし、生意気なようだが、ちょっと一段高いところから見れば、どっちも正しいのだ。

精読か速読かという本の読み方にしても、いずれかが他方よりすぐれているわけではない。どちらにもそれなりの意義がある。読書という一種の学習行動は、青二才的に言うと、自己を高めるためである。精読だけが自己鍛錬の手段ではなく、即席ハウツーをスピーディに読みこなしていっても何がしかは身につくものだ。

良し悪しは別にして、ぼくは独学主義者である。ここで言う独学とは、本や人から学ばないということではない。本や人から初歩的な手ほどきを学んだら、あとは自力で学ぶという意味である。独学の必要性は英語学習を通じて身に染みた。高度なレベルに達するには、早晩鍛錬の方法を自己流にシフトしなければならない。それならば、初心者の頃からその志で進めるほうがいい、と考えたのだ。

先日このブログで紹介した拙著『英語は独習』もそんな動機から書き綴った。英語は独習できる、いや独習しかないという信念は今も健在である。強気なようだが、たいていのテーマは独習できると断言してもいい。

拙著の出版当時、友人の一人に献本した。「なかなか読み応えがあるし、勉強になったよ」とうれしいコメントをしてくれたが、続けて「でもなあ、独習と言いながら、独習の方法を教えているのは矛盾じゃないか」と批評された。う~ん、これは微妙な感想なのだが、決して矛盾ではない。学び方を知らない人に学び方を手ほどきしたとしても決して独習論とは対立しない。独学のスタートを切るには、動機づけと初動のための方法が欠かせない。


ここ数年、ぼくは「まながく」というテーマを強く意識している(ほんとうは「学学」と表したいのだが、「ガクガク」と読まれては困る)。これは「手ほどき学」でもある。根底にある考え方はリテラシー。しかも、どちらかと言えば、言語能力と活用スキルを重視する、読み書き算盤的な「古典的リテラシー」だ。大仰なものではない。ちょっとした一工夫でその後の学びの成果が天と地ほど違ってくる。成果が天の方向になるように、学びの出発点で背中を押して初動エネルギーを集中させてあげるのだ。昔の人たちは、これを「指南」と呼んでいた。あくまでも手ほどきであり、一生面倒を見てあげるというものではない。

どんな仕事をするにしてもリテラシー能力が問われる。そして、人間というのは頼もしいことに、リテラシーを高めようとする本能を備えている。知への好奇心、これをぼくは「知究心ちきゅうしん」と呼ぶ。一から十までそっくり誰かから学んでどうなるものか。最初の一つだけ学び方の手ほどきを受けたら、知究心を逞しくしてさっさと二からは独学に励む。機を見て、リテラシーアップにつながるヒントを本ブログで紹介していこうと思う。 

さりげなさと極論のはざま

大分むぎ焼酎二階堂。時々たしなむが、特に熱狂的な愛飲者というわけではない。昭和レトロの空気を醸し出し、ちょっぴりノスタルジーに嵌まってしまう例のテレビコマーシャルがいい。何がいいかと言うと、二番煎じやステレオタイプな構成ものや大声・雑音ばかりの広告が続いた後にほっとする瞬間があるからだ。

「イエスとノー。その二つの間には、何もないのだろうか。」

このせりふを耳にするたびに、「いやいや、そんなことはない」と心中つぶやくぼくである。肯定側と否定側に分かれて激論を交わすディベート指導をしてきた立場からすれば、イエスとノーで二律背反的に割り切ったらどうかと言いそうなものだが、そこまでディベート馬鹿ではない。だいいち、イエスとノーという二つの選択肢だけでは窮屈で、世の中を生きていくことなどできない。

逆説的に言えば、イエスとノーの間に命題の落としどころを見つけるために、イエスとノーのいずれかを極論するのである。振り子は、一番左に振れたあとに一番右にもやってくる。その中間に真理というものがあるはずだ。つまり、一番左と一番右に振れた地点をよく見つめれば、そのはざまにある領域にも目配りができる。もっとも、その振り子が振れる範囲に真理があるという前提での話だが……。人間が想定した範囲以外に人知を超えた真理がある場合には、イエスもノーも、はたまたその中間もまったく意味を持たない。


くだんのコマーシャルは続く。

「筆を走らせたのは、宙ぶらりんの想いでした。 想いのかけらは朽ちることなく、ざわざわと心を揺らします」

なかなかいいではないか。悲しくはならないが、しみじみとした哀愁が漂ってくる。

イエスとノーの分別ができるから何でも断言したり結論づけたりできるのではない。イエスとノーを明言してからこそが、悩みの始まりなのだ。そう、まさに「宙ぶらりん」の状態が続く。ところが、イエスとノーをはっきりさせない者ほど、すでに腹が決まっているなんてこともある。口先で「五分五分です」とか「ケースバイケースです」とか「どちらとも言えません」とか「肯定も否定もしません」という輩にかぎって、心が醒めているものなのだ。

イエスとノーという二律背反と、その中間にあるグレーゾーンは決して矛盾しない。「白黒をつける」と言うとき、白と黒は相反しているが、グレーゾーンを少しずつ辿っていくと白はやがて黒になり、黒もやがて白になる。イエスとノーの間のグレーゾーン、あるいは宙ぶらりんが「さりげなさ」というものだろう。「曖昧さ」と言ってもよい。これに対して、イエスとノーは極論である。グレーゾーンを排除するという点においては「明快さ」と言ってもよい。

極論と明快さが必要な重要局面でずる賢くさりげない振る舞いを見せ、さりげなく済ませればいいことに対して白黒をつけたがる。そんな風潮が支配的になってきた昨今、一献を傾けながら、「イエスとノー。その二つの間には、何もないのだろうか」と時には自問自答してみるのも悪くない。

自分特有のことばの盲点

タイトルに「盲点」と書いて、一瞬ドキッとしてしまう。「まさかこれは差別用語ではないだろうな」と。講演業においては、この種の「基本的人権にかかわる諸問題の一つ」に神経をピリピリさせねばならない。とりわけ、ぼくのような「言いたいことをストレートに表現するタイプ」は気を遣う。

何かの本で「エスキモーは避けたほうがいい」と書いてあったので、「イヌイット」と言い換えて講義していた(いったい何の講義かと思われるかもしれないが、たわいもない文例である)。一人の受講生が手を挙げて「イヌイットって何ですか?」と聞くから、「あ、エスキモーですよ」と答えた。重罪ではないだろうが、簡単に口を割ってしまった。これではわざわざ避けた意味がまったくない。

論理的思考研修の中で「私の家内は……」という、これまたさりげない例文がある。講義の休憩時間中に運営担当者から一言あった。「家内ということばはお使いにならないほうがよろしいでしょう」と丁重に注意され、重罪ではないものの「諸問題の一つ」を逆撫ですることもあると説明を受けた。「私の妻は……」と言うところらしい。

しつこいが、「教授の奥さまは……」という引用文が出てくる箇所もある。これもダメらしい。「えっ? 奥さまがダメなら何と言えばいいんですか?」と聞いたら、「教授の妻です」とおっしゃるので、「う~ん、それは勇気がいるぅ~」と唸っておいた。差別用語か何か知らないが、用語に敏感になる前に、使い手に悪意ある差別心があるかどうかを見極める眼力を身につけていただきたい。


さすがに「片手落ち」とはぼくも言わない。しかし、「手短に」というのは相当性根を入れないと、ふと洩らしてしまう。「要約すると」とか「かいつまむと」ということばが使えないわけではないが、英語をよく勉強した時代に“briefly” “in brief”を「手短に」と覚えてしまっているのだ。完全に刷り込まれているので、ブレーキをかけるのが難しい。

個々人には「語彙の地図」があって、あるところはものすごく詳しく、別のところは漠然としているのだろう。あることばに神経質になったりへっちゃらになったり、丁寧になったり乱暴になったり、よく知っていたり知らなかったりと、様々な濃淡や陰影があるに違いない。

差別用語とは無関係だが、二十代までのぼくは午前と午後を使い分けて12時間で時間を認識していた。午後7時と言うのが常で、19:00を使うことはなかった。いきおい、「13時に」と告げられて、午後3時と錯覚することはよくあったものだ。

以来30年近く経ったので、さすがに大きな混乱はしない。13:0014:0015:00も、それぞれ午後1時、午後2時、午後3時と当然判読し、何の不自由もない。19:00から22:00までも何の問題もない。ところが、ぼくには一つ盲点がある。どういうわけか「17:00」に弱いのだ。たいてい午後5時と瞬時に理解するのだが、少し油断をしたり集中力が欠けているときは「午後7時」と思い込んでしまう。

研修タイムテーブルはおおむね「9:00始まりの17:00終了」であるが、この17:00を勘違いする。「おっと、あと1時間で17:00だ。これは午後5時であって、午後7時ではないぞ」と言い聞かせるときがある。何かのきっかけでトラウマになったのだろうか。

イタリア紀行14 「記憶に残る街景色」

アレッツォⅡ

「無印良景」ということばがあってもよい。観光ガイドにも載っていないし、地図のどこにも印すらない場所や建物。写真に撮ってみたものの、写っている光景や風景の固有名詞を後日調べるすべもない。そんなシーンが街外れの一角に忽然と現れると鼓動が高まる。

ここアレッツォは詩人ペトラルカの生誕の地でもある。地図を調べてみたら、生家の前を間違いなく通り過ぎているのだが、写真には収まっていない。その先の大聖堂(ドゥオーモ)や市庁舎を目当てにしていたから見落としてしまった。とりわけ、この日は骨董市のせいで視線と視野をいくらか不安定にしてしまっていた。目抜き通りでは、人混み越しに建物や通りをゆっくり眺める余裕はなく、人の流れに従うのが精一杯だった。

ところが、名前も位置も知らぬままに何気なく撮影した写真なのに、突き止めることができたのもある。サント・スピリトの稜堡がそれだ。「りょうほ」と読むこのことばは、かつての城壁の突出部分を指すらしい。もう一つ、イタリア通りから東の方向に150メートルほど歩いていくと、絵本によく描かれるような教会が姿を見せた。外観をじっくり眺めるだけで内部に入らなかったので名前がわからない。場所を地図で照合した結果、「サン・アゴスティーノ教会」ではないかと推測している。

初めて訪れる街について事前に知識があるほうがいいのか、それともまったく知らないほうがいいのか……微妙である。ただ、この日のように半日に限って散策するときは「不案内ゆえのときめき」に遭遇できるかもしれない。知ったかぶりをせずに「知らざるを知らずとせよ」という教えにしたがえば、自分なりの、あるいは、自分だけの発見があるに違いない。洒落たリストランテ、自治会の案内板、街外れの質素な教会、迷い込んだ通り、帰路に見つけたキメラの噴水……。アレッツォの知識は今も大したことはないが、不思議なほどこの街の道すがらの光景はよく覚えている。 《アレッツォ完》

Toscana2 037.jpg
市庁舎。どの街に行っても市庁舎前で市民は憩っている。
Toscana2 056.jpg
賑やかな通りから一本隣りへ入れば閑静な街並み。
Toscana2 024.jpg
メディチ家の紋章が装飾された壁。トスカーナ大公国統治時代の建物。
Toscana2 051.jpg
入店したリストランテは、暖色系なのに落ち着いた雰囲気だった。
Toscana2 058.jpg
サン・アゴスティーノ教会。
Toscana2 064.jpg
エトルリア時代の稜堡。
Toscana2 062.jpg
円形闘技場跡。入場料は無料。但し、外から十分に見学できる。
Toscana2 066.jpg
ギリシャ神話由来のキメラの像。