自然の摂理に思うこと

世の中の事件や動きに同期して書くことはあまりないけれども、今回ばかりは無言で居続けるわけにはいかない。

311日午後246分、大阪のオフィス。座っている椅子が誰かにゆっくりと揺さぶられるように動いた。次いでビルそのものが横に揺れ始めた。立ち上がって別室へ行く。立っているだけで、脳が眩暈めまいの症状を訴え始めている。大阪にいても感じるその後の余震は数回。ぼくは少々の揺れにも過敏な体質なので、日曜日の今も目の奥が重く、船酔いしたような感覚が残っている。

しばらくしてからテレビをつけると、大津波が大小の船をまるでプラモデルを扱うように岸壁に放り上げていた。怒涛の海水が街を襲っている。その凄まじさをしのぐような猛スピードで今度は水が引いていく。おぞましい、戦慄すべき光景。偶然だが、『方丈記』を再読しようと思って一週間前にダンボールから出したところだった。

行く川の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず。淀みに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。

この有名な出だしから数段後に次の文章が現れる。

おびただしき大地震おおないふること侍りき。そのさま世の常ならず。山崩れて、川をうずみ、海はかたぶきて、陸地くがちをひたせり。土さけて、水湧き出で、いはお割れて、谷にまろび入る。渚こぐ船は、浪にたゞよひ、道行く馬は、足の立處をまどはす。都のほとりには、在々所々ざいざいしょしょ、堂舍塔廟たふべう、一つとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。ちり灰立ち上りて、盛んなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、いかづちに異ならず。家の中に居れば、忽ちにひしげんとなす。走り出づれば、地割れ裂く。翼なければ空をも飛ぶべからず。龍ならばや雲にも登らむ。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震ないなりけりとこそ覺え侍りしか。

元暦の大地震(1185年)の様子である。山紫水明の四季折々の風情に旬の食材の恵みと、ぼくたちはこの風土に育まれてきた。同時に、この国土特有の自然の振る舞い――人から見れば災害――を、いつの時代も覚悟せねばならない。八百年前の鴨長明の文体は古めかしいが、描写された自然の猛威は今もまったく同じである。


11日に帰宅すると自宅の電話に留守電が入っていた。安否を気遣うアメリカからの声だった。彼らにすれば、カリフォルニア州と同じ面積の日本だから、東北地方と大阪の距離感などあまりない。実際、その通りで、この国の地震を都道府県別に色分けしている場合ではない。すべての災害は自分の災害と認識すべきだ。一つの自治体や行政機関がまるごと壊滅する現実を突きつけられたかぎり、市町村主体の災害対策を再考せねばならない。

昨晩からずっと考えている。誰かが言った、「この世に神も仏もいないのか!?」 どうやらいないようだ。醒めた口調で言っているのではない。鹿児島に向かった一月末のあの日、直前に噴火した新燃岳の巨大な噴煙の真横を飛行機で飛んだ。あのとき、46億年前に誕生した地球の中でマグマがまだ燃え続けているエネルギーをあらためて思い知った。神仏さえも抗えない自然の力。

この世界に存在するもの・存在関係があるものは、自然、自然と生命、人間どうしの三つなのだろう。そして、忘れてならないのは、人間がこの世界を支配などしていないという真理である。人間は自然の摂理に従って生きる諸々の生命体の一つにすぎない。そして、自然はほとんどの場合、人間にありとあらゆるものを与えてよく面倒を見てくれるのである。しかし、摂理の一つとして「自然は振る舞う」。振る舞いは天罰でもなければ、人を裁くものでもない。ただ摂理である。自然のルールの中では、人間どうしが知恵を出し合って生きていくほかない。

一面だけでなく、新聞のほぼ全紙面には凝視するのがつらい大きな見出しが並ぶ。テレビの災害報道もしばらく続くだろう。知人はみな無事だったが、それとは別に、さっき耳にした万人単位の行方不明の報道に気も力も抜けてしまった。それでもなお、アメリカの新聞が見出しに書いた“sturdy”の一語に救われ励まされる。厳しい自然の振る舞いをも受容してきたぼくたちを「不屈」と形容しているのである。

脳と刷り込み

口も達者でアタマの回転もそこそこいい「彼」が、その日、人前で「あのう」や「ええと」を連発していた。宴席に場を変えて軽いよもやま話をしていても、なかなか固有名詞が出てこない。だいたい男性の物忘れは、「名前を忘れる→顔を忘れる→小用の後にファスナーを上げ忘れる→小用の前にファスナーを下ろし忘れる」という順で深刻度を増す。だから、名前を忘れるのは顔を忘れるよりも症状が軽い。それに、人の名前を忘れるくらい誰にだってある。

しかし、彼の場合、短時間に複数回症状が見られた。言及しようとしている人物の名前がことごとく出てこないのである。「ちょっと気をつけたほうがいいよ」とぼくはいろいろと助言した。最近、このようなケースは決して稀ではなくなった。ぼくより一回りも二十ほども年下の、働き盛りの若い連中に目立ってきているのである。幸い、ぼくは年齢以上に物覚えがいいし物忘れもしない。ただ、脳を酷使する傾向があるので、「来るとき」は一気に来るのかもしれない。

別の男性が若年性認知症ではないかと気になったので、名の知れた専門家がいる病院に診断予約を取ろうとした。ところが、「一年待ち」と告げられたらしい。一年も待っていたら、それこそ脳のヤキが回ってしまう。科学的根拠はないが、ことばからイメージ、イメージからことばを連想するトレーニングが脳の劣化を食い止めるとぼくは考えているので、そのようなアドバイスをした。簡単に言うと、ことばとイメージがつながるような覚え方・使い方である。但し、ことばとイメージのつながり方は柔軟的でなければならない。


習慣や知識を短時間に集中的に覚えこんでしまえば、その後も長い年月にわたって忘れない。動物に顕著な〈刷り込みインプリンティング〉がこれだ。偶然親鳥と別れることになったアヒルやカモなどのヒナが、世話をしてくれる人間を親と見なして習慣形成していく。人の場合もよく似ているが、刷り込みは若い時期だけに限って起こるわけでもない。たとえば、中年になってからでも外国語にどっぷりと集中的に一、二年間浸ると、基礎語彙や基本構文は終生身についてくれる(もちろん、個人差も相当あるが……)。

刷り込みはとてもありがたい学習現象である。このお陰で、ある程度習慣的な事柄をそのつど慎重に取り扱わなくても、自動的かつ反射的にこなしていくことができている。要するに、いちいち立ち止まって考えなくても、刷り込まれた情報が勝手に何とかしてくれるのだ。だが、これは功罪の「功」のほうであって、刷り込みは融通のきかない、例の四字熟語と同じ罪をもたらす。そう、〈固定観念〉である。刷り込まれたものがその後の社会適応で不都合になってくる。

あることの強い刷り込みは、別のことの空白化だということを忘れてはいけない。博学的に器用に学習できない普通人の場合、ある時期に世界史ばかり勉強すれば日本史の空白化が起こっている。昨日瞑想三昧したら今日は言語の空白化が生じる。ツボにはまれば流暢に話せる人が、別のテーマになると口をつぐむか、「あのう」と「ええと」を連発するのがこれである。どう対処すればいいか。自己否定とまでは言わないが、定期的に適度な自己批判と自己変革をおこなうしかない。

「五十歳にもなって、そんなこと今さら……」と言う人がいる。その通り。固定観念は加齢とともに強くなる。だから、ことば遣いが怪しくなり発想が滞ってきたと自覚したら、一日でも早く自己検証を始めるべきである。

Easy come, easy go.

わざわざ英語の諺を持ち出すまでもなかったが、かねてから気になっていたので書いておこうと思う。“Easy come, easy go.”を「悪銭身につかず」と一致させる傾向があるが、「悪銭」などという辛辣なニュアンスはここにはない。英語には「あぶく銭」や「悪銭」を意味する“easy money”という表現がちゃんとある。

手元にある諺と成句の辞典は、「悪銭身につかず」を「不正な手段で得た金は、とかく無駄に使われて残らない」と解釈している。そして、例として「競馬や宝くじで大金を得たところで、悪銭身につかずだ。いずれ一文無しになるさ」という用例を紹介している。これはひどい例文だ。競馬の大穴や宝くじの3億円を悪銭扱いするとは失礼ではないか。普段まじめに仕事をしている人間が、お小遣いの範囲で競馬や宝くじを楽しむことは公認されているのである。

あ、そうかと気づいた。人というものは他人が競馬や宝くじで得た大金を悪銭と見なし、自分の場合は都合よく良貨と考えるのに違いない。

本筋に戻ろう。“Easy come, easy go.”の本質を言い当てるのは、「得やすいものは失いやすい」のほうだ。「苦労せずに身につけたことは、いとも簡単に忘れてしまう」という意味にとってもよいし、少し危機感を募らせるなら、「楽は苦の種」が近い。すなわち、「いま楽をすれば後で苦労がやってくる」。この逆は、もちろん「苦は楽の種」である。


時々テレビで見る。読んだ本はテレビに出るずっと以前に書かれたもの一冊のみ。わかりやすい解説を売りにしている人。そう、あの人である。ぼくはあの人に代表される知識人による解説や文章のeasy化現象を〈イケガミ症候群〉と呼んでいる。当の本人への嫌味でも何でもない。あの人は人が良さそうには見える。但し、ぼくはあまり面白味を感じたことがない。

「やさしい」とか「よくわかる」ということがなぜここまで重宝されるのか。イケガミ症候群にかかってしまうと、いつまでも親鳥にエサをもらえると思って口をあんぐりと開け続けるヒナのようになってしまう。しかも、そのエサはすでに十分に噛みくだかれている。現実のヒナたちは成鳥になってやがて自ら硬い実もついばむだろうが、イケガミ症候群の人間たちは脳がなじまないかたい話に耳を傾けようとしなくなる。ごくんと飲み込めるほどまでに噛みくだいてもらった知識が身につく保証はない。いや、これこそ“Easy come, easy go.”を地で行く学び方なのではないか。

テレビのグルメ番組の「わあ、口の中に入れたとたんとろけた」というような肉ばかり食べていると、アゴが退化する。同じことが脳にも言える。ぼくたちの仕事には奥歯で必死に噛み切らねばならないような硬い肉が出てくるのだ。「むずかしくてわからない」のが常態なのだ。リハーサルが楽でやさしすぎては、本番で苦を迎えて危うくなる。やさしさやわかりやすさは束の間の幻想にすぎない。こんなことは過去の自分の学びを回顧してみればすぐにわかる。学びに負荷がかかったことが記憶に強く残っているはずだ。

「時間をかける」と「時間がかかる」

「世の中は澄むと濁るで大違い」などと前置きすることば遊びが懐かしい。ここでの濁るは「濁点(゛)」のつく濁音のこと、澄むは濁点のない清音のことだ。最初に覚えたのが「刷毛はけに毛があり、禿はげに毛が無し」。あまりにもよく知られている。他に、「福に徳あり、河豚ふぐに毒あり」というのもあった。調子もあって、なかなか粋である。

たった一字の助詞をいじるだけで、全体の文意が大きく変わる。実話らしいが、ある女性に「私とA子さんとどっちがいい?」と聞かれた男性が、「お前いい」とつい言ってしまったとか。ここは「お前いい」でなければいけなかった。「お前いい」も少々場違いだし、「お前いい」となると不幸の二択に迫られて我慢している心境になってしまう。

「時間かける」と「時間かかる」も、格助詞の一字変更で意味が大きく変わる。たとえば「手料理に時間をかけた」の場合、「を」の一字によって「かける」という動作の対象に意図的に時間が置かれることになる。「手料理に時間がかかった」なら、時間を要してしまったのは成り行きという意味になる。ともかく、たった一字、「を」が「が」に変わるだけで、意図的な行為が成り行きの状態に転じてしまった。


数年前にコーヒーの苗木を一本買って帰ったことがある。あいにくぼくの自宅のベランダは北向き。「室外だとダメですが、室内の暖かい場所なら育ちますよ」と店の人。「ほんとうに育つの?」と聞けば、「上手に育てていただければ……」と言うから、どのくらいでコーヒー豆が収穫できるのかと尋ねた。コーヒーカップを口に近づけるジェスチャーをしながら、「数年くらいで、この苗木一本でコーヒー1杯分」という答えが返ってきた。ギャグか真実か判断しかねたが、苦笑いしながら買った。

茎も葉も3年間ほど大いに成長したが、ある日を境に枯れ始め、見るに耐えなくなって葬ることにした。むろんコーヒー豆の焙煎どころか、実すら見ていない。この苗木において「時間をかける」と「時間がかかる」はほとんど同義というか、完全に両立した。一人前になるのに年月がかかる。そして、それを見守り面倒見るのに年月をかける。時間がかかることには時間をかけねばならない。

桃栗三年、柿八年は自然の作用だから、果樹の成長にぼくたちも付き合う。だから、時間をかけ、時間に象徴される手間暇をかける」。しかし、このことを一般法則化するわけにはいかない。お分かりのように、時間がかかることには、自然的なものと人為的なものがあるのだ。本来3日でできそうな仕事に一週間かかったことを、時間をかけたとは言わない。下手くそゆえに時間がかかってしまったのだ。油断すると、仕事は時間を食う。つまり、「仕事に時間がかかる」。つねに自らが主体となって仕事をしていくためには、しっかりと時間をかけることができたか、それとも何となく時間がかかってしまったのかを、仕事が一段落するごとに評価しておくのがよい。

いっそのこと「何でもあり」にしたら?

こんなジョークがある。

父親が血相を変えて校長室へやってきて、強く抗議した。
「うちの息子が筆記試験で答案をカンニングしたなんて、どうしてそんなことが言えるんです?」 さらに語気を強くして言った、「証拠が全然ないではありませんか!」
校長は冷静に言った。「そうでしょうか。息子さんはクラスで首席の女の子の隣に座っていました。そして、最初の4問にその子とまったく同じ答を書いたのですよ」
「それがどうだっていうんです!」と父親は切れかけた。「校長先生、うちの子も今回ばかりはよく勉強したんですよ!」
「そうかもしれません。でも……」と校長は大きく息を吸って後を続けた。「五つ目の問題に女の子は『分かりません』と書きました。そして息子さんは……『ぼくもです』と書いているのですよ」


入試のネット投稿問題にちなんで、毎日新聞の余録に科挙の時代のカンニングの実態が紹介されていた。いつの時代も、試験実施側が厳重なボディチェックと監視体制を強化すれば、その網の目をくぐろうとする受験生が新たな珍案・奇案をひねり出す。ITによる通信技術がここまで高度化すれば、新手が登場するのもうなずける。今回の事件には「さもありなん」と変な納得をしてしまう。

学内の中間・期末・実力試験の方法に懐疑的なぼくは、従来から、入試においても少なくとも辞書の持ち込みくらいは容認してもいいと思っている。実社会で仕事をこなすときには、時間の許すかぎり、何を調べようが誰に聞こうが自由である。あからさまに特許侵害やパクリをしないなら、仕事の出来さえよければ過程が問われることは少ない。要するに、結果さえ出せばいいのである。学校の試験もいっそのこと「何でもあり」にすればいい。

暴論とのそしりは覚悟している。でも、実力とはいったい何かを考えてみると、答えを導くために記憶した以外の情報源を用いないのは偏っているのではないか。自分の頭はもちろんだが、辞書や書物を参考にしたり、他人の意見を踏まえたり、ありとあらゆることを統合して解答することが、真の能力なのである。何を持ち込んでカンニングしてもかまわないぞ、それでもお前たちの実力をチェックしてやるぞと胸を張れるほどの良問を出題すればいいのだ。

「何でもあり」の代案もある。逆に「手ぶら」にしてしまう。紙も筆記用具も何もなし。くじでテーマを選び、それについて即興スピーチを作らせたり、二人の学生に即興ディベートをさせるのである。時間はかかるが、確実に実力がわかる。但し、ここでの実力もコミュニケーションや議論などの言語スキルに限定される。つまり、どんなテストも能力の部分テストにすぎないのだ。実力などわからない。もっと言えば、実力とは社会で残す結果に集約されるから、いまどれだけのことを知っているかよりも、これからどれだけのことをアウトプットできるかが問われる風土をこそ醸成すべきなのだと思う。

幸せに形はあるか、ないか(3/3)

幸せを人に見せることはできないと書いた。幸福は見えたり見えなかったりするものではないとも書いた。つまり、「幸福に形などない」と大胆に宣言したのである。誕生日のプレゼントも豪邸もデートも幸せの形ではない。少なくとも、プレゼントや豪邸やデートの属性として幸福は存在しない。幸せを感じる時が幸せで、幸せを感じない時は幸せではない。幸せは、それを感じる時間そのものであると考える。

ところが、不幸に形はある。不幸は現象として目に飛び込んでくる。不完全な幸福をぼくたちは見てしまう。理想と現実もそうだ。アタマに思い描く理想は形として見えないが、現実は形として見えてしまう。理想にほど遠い現実を見てがっかりしたりもする。秩序と混沌、完全と不完全も同じような関係にある。秩序と完全は見えず、混沌と不完全ばかりが見える。プラトン流に言えば、〈イデアとしての点〉は位置を示すだけで目には見えない。しかし、実際にぼくたちが紙の上に書く点は面積のある、偽物の点なのだ。

すべての不幸は幸福を対抗概念としている。幸福という形を掲げるから、その形と異なる形を不幸と考えてしまうのだろう。冷静に考えれば、幸福に形を求めなければ、不幸にも形はないはずなのだ。百点満点をアタマに描くから70点が不完全になってしまう。幸福をそのような尺度という形でとらえなければ、不幸も形になどなりえない。


学習に関してぼくは安易な促成を嫌う。迂回することも覚悟して極力時間をかけるべきだと思う。しかし、こと幸福に関しては、そんな遠回りの必要などさらさらない。不幸や混沌や不完全の内にあっても、幸せを感じるようにすればいいのである。「どうすれば幸せになれますか?」と聞かれれば、「今すぐ幸せを感じなさい」と躊躇なく答える。

誰かの本に載っていた話。うろ覚えなのでいくぶん脚色することになるが、趣旨だけは間違わないように紹介しよう。

ある日本人の商社マンが南太平洋かどこかの島に駐在させられた。高度成長時代の日本の商社は、どんなものでも商材やビジネスチャンスになりそうなら、極端に言えば、草木も生えない場所に社員を派遣したものである。社命に忠誠を誓い、休みもなく朝から晩まで、島じゅうを駆け巡る商社マン。島民たちは浜辺に寝そべって、そのハードワークぶりを呆れるように毎日眺めていた。

ある日、島民の一人が商社マンに尋ねた。「なぜそんなに働くのか?」「業績を上げるためだ」「何のために?」「給料が上がるからだ」「それでどうなる?」「暮らしが豊かになる」「それで?」「別荘の一つも建てて、のんびり優雅に暮らせるようになる」「たとえば、どこで?」「ええっと、たとえば、そう、この島で」「あんたね、おれたちはろくに働きもしないが、すでにそうして暮らしているぜ」

他人との比較や客観的尺度や形などというものに影響されなければ、誰もが今すぐに幸せになれる。幸せに形などない。幸せを感じる時間を持つことが、どんな名誉や財力にも勝るのである。

《完》

幸せに形はあるか、ないか(2/3)

幸福について、一昨日書いた文章ではカミュ、ジイド、アリストテレスの相互参照ができた。こんなふうに記憶を辿ってリファレンスを見つけると愉快な気分になる。書いたり話したりする醍醐味の一つである。そして、いつだって愉快なことは幸せなことなのだ。その幸せを「ほら、これが幸せだよ」と言って人に見せることはできないし、手に取って確かめることもできない。

幸福というのはつくづく不思議な概念である。世界のどこかにオアシスやパラダイスのような具体的な形として存在しているものではない。自分の外を追い求めても幸せが見つかる保証はない。チルチルミチルの青い鳥を持ち出すまでもなく、幸福――または幸福の象徴――が自分の手の届くところにあったりすることをぼくたちは知っているはず。いや、あるとかないとか、見えたり見えなかったりするのではなく、幸福とは感じるものにほかならない。ただ感じるのみ。幸福の真のありかは、おそらく感じることの内にしかない。

幸福論から敢えて少し脱線することにする。次の文を読んでほしい。

Aを達成するために、Bを講じる」

この文章が妥当ならば、対偶の関係にある「Bを講じないなら、Aを達成できない」も妥当である。簡略的に言えば、「Bがなければ、Aはない」ということ。Bが原因(手段)でAが結果(目的)という構造であり、BAに先立って「行動手順的に重要」であることを示唆している。しかし、見落としてはいけないのは、Aという目的を定めなければBに出る幕などないという点。つまり、「構築手順的に重要」なのはAのほうなのである。戦略や政策の構想につきまとう悩ましい問題だ。


上記の「Aを達成するために、Bを講じる」の具体的な例として、くどいが、もう一文。

「知を広げるために、本を読む」

「知を広げるという目的のために、本を読むという手段を講じる」のだが、すでに明らかなように、これは「本を読まなければ、知を広げられない」をも意味する。ここであることに気づく。ぼくたちが目的と呼んでいるものは、ある手段によって獲得する価値でもあるということだ。知を広げるという目的は、本を読むことによって得られるメリットでもある。

では、「本を読むために、知を広げる」は成り立つか。たいていの人にとって成り立ちそうにない。なぜなら、行動手順的には《本を読む→知を広げる》が正しく、また、読書というものは何かそれよりも大きな目的のための手段にすぎないと、多くの人が考えているからである。けれども、「本を読むために、お金と時間をつくる」なら承認するだろう。この時、本を読むは目的であり、お金と時間によって得られる価値になっている。

話を幸福に戻してみる。お金と時間をつくる、本を読む、知を広げる……これらは何のためなのか。「人生や人間関係を豊かにするため」と答えた瞬間、大きな目的を語ったことになる。大きな目的は大きな価値である。さっきメリットとも言った。でも、価値とかメリットというのは、やっぱりその先に何かが想定されている。それが幸せなのだろう。そして、おそらくすべての営みは幸福につながろうとしている。幸福は価値でもメリットでもなく、その向こうに何もない。すべては幸福止まり。もしそうであるならば、いつでも幸せだと感じればいいだけの話である。 

《続く》

幸せに形はあるか、ないか(1/3)

アルベール・カミュの『異邦人』を読んでから40年近く経った。再読していないのでほとんど内容を覚えていない。但し、読むに至った経緯ははっきりと覚えている。

今でこそフランス語は少し読めるが、学生時代は第二外国語のフランス語をろくに勉強しなかった。単位を落とすことがほぼ確定的になったある日、担当教授から直々に自宅に電話があった。「日本語でいいから、カミュの『異邦人』を読んでレポートを書きなさい。そうすれば……」という、温情的なオファーであった。促されるまま『異邦人』を読んだ。

しかし、結局レポートを提出することはなかった。当然ながら単位は取れなかった。正確に言うと、単位を取る気がなかった。できもしないのに、合格認定してもらう厚かましさを持ち合わせていなかったのである。とは言え、潔さに胸を張った分、単位のツケは先送り。同時に、それ以来、まんざらでもなかったカミュとの縁も切れてしまった。『シーシュポスの神話』は読んだが、他の作品ときたら少し読んでは途中でやめる癖がつき、やがてついに手に取ることすらなくなった。

ところが、縁というものは再び巡ってくるものである。オフィスの本棚を眺めていたら、かつて勤めていたスタッフが置いていった本の中にカミュの『直観』があった。何十年ぶりかで手に取るカミュだ。ページをめくれば、「ぼくは、他になりたいものが何もなかったかのように、ひたすら幸福になることをねがった」という文章に出合う。アンドレ・ジイドからの引用である。そのジイドの、青春時代に読んだ『狭き門』では、幸せと聖なるものが葛藤する場面があったのを覚えている。


ちょうどその頃、アリストテレスの幸福論について考えていた。と言うのも、知人の「幸せは……のためである」という、手段としての幸福の位置づけに大いに疑問を抱いたからである。魂が幸福以上に聖なるものを求めるというのならまだしも、幸福が名誉や快楽や知性などの手段になるはずがないではないか。何でもアリストテレスにたのむのも考えものだが、『ニコマコス倫理学』には次のように記されている。

「われわれが幸福を望むのは常に幸福それ自身のゆえであって決してそれ以外のもののゆえではなく、(……)」

「(……)幸福こそは究極的・自足的な或るものであり、われわれの行なうところのあらゆることがらの目的であると見られる。」

「何のために仕事をしているのか?」「収入を得るためです」「何のために収入を得ているのか?」「家族を支え生活を営むためです」「何のために家族を支え生活を営んでいるのか?」「幸せになるためです」「何のために幸せになるのか?」「……」

「何のため」という目的探しの問いはエンドレスに続きそうだ。うん? はたしてほんとうに続くのか!? ちょっと待てよ、「……」は無言の苦悶の様子ではないか。そこまで順調に答えてきても、誰もが「幸せの向こう側」にあるものを訊かれて、ことばを失う。これがアリストテレスの言わんとすることである。幸福が別の何かの手段になることなどない。幸福の向こう側に目的などない。つまり、「何のための幸福か?」という問いはなく、問いがなければ、当然答えもない。 

《続く》

続・万年筆のサバイバル

万年筆のペン先は紙質にうるさい。もちろんペンが紙に対して優位ではないから、紙側からすれば万年筆を選ぶということになる。しかし、ペンと紙の相性は両者だけで折り合うのではない。媒介となるインクの存在が欠かせないのだ。インクの色合いや「液性」について豊富な表現力を持ち合わせないが、さらっとしたインク、やや粘りのあるインク、粒子の微細なインクなどがあることくらいは、長年書いてきたからわかる。

「このインクの色がぴったり」と確信しても、文具売場の照明と自宅やオフィスの照明が違う。ペン先の硬さによってはインクの出方や滑り方が違うし、紙質によっても色はデリケートに変化する。ましてや、ここに紹介するような下手な写真では数分の一も写実的に再現できない。それでも貧困な語彙を補う足しになればと思ってお見せする。

Fountain pen ink.JPG濃いめのセピアは栗色に近い。こげ茶とは違うが、よく目を凝らしてもわからない。同じ栗でも赤ワインに近い色を買った。実際は紫がかってはおらず、文字の書き終わりのかくで濃い赤が出る。このペンはセーラー。
Kobe INK物語の「長田ブルー」と生野区の加藤製作所の万年筆という、ディープな組み合わせ。だが、ブルーグレーとも言うべき繊細な色だ。
パイロットの月夜というインク。万年筆はペリカン。
モンブランの万年筆にペリカンのロイヤルブルー。


黒インクはカートリッジで持っているが、ほとんど使ったことがない。黒しか使わなかった時代もあるが、今は青。現在はボトルで5種類あるが、すべて違う。先にも書いたが、ペンと紙を変えれば、インクの色が変化する。

ぼくは18歳のときに英文タイプライターを使い始めた。そのくせ、万年筆でも英文をよく書いていた記憶がある。日本語のワープロを使い始めたのが1987年。つまり、それまでは公私ともに書くときは手書きだった。仕事では原稿用紙も使っていたし、若い頃からの習慣であるノートはすべて手書きである。手書きを少しも苦にしないが、1990年頃からは画面に向かってキーボードを打つほうが多くなった。刷り上がりと同じ体裁で見えてしまうために、文の完成度の高さと錯覚してしまう。やがて推敲に手を抜くようになる。

最近は原点に戻って、コンセプトの出発点はすべて手書き。論理から離れて偶発的なアイデアを期待するときは万年筆。そして、色を変えることによって気分や発想を変える。証明などできないが、つねに同じ形で現れるフォントとは違う文字の形、その文字のインクの滲みが、これから書こうとする表現に影響を与えそうな予感がする。いや、それは表現などではなく、思考そのものを誘発しているのかもしれない。

大した文章を書けるわけではないが、万年筆を使う時はこの一文字を軽んじてはいけないと気が引き締まる。カーソルで不要な文字を消すのとは違って、書き損じに抹消の線を入れるときも文字を挿入するときも、人を扱っているような気になってくる。万年筆そのものの重さに加えて、紙に滲むインクを通じて文字の重みが掌から伝わってくる。

万年筆のサバイバル

「紙の本ははたして生き残ることができるか否か」という議論が現実味を帯びてきた。他方、ペーパーレスが叫ばれてからも紙のドキュメントはオフィスから消えていない。それどころか、社内でやりとりしたメールをわざわざ紙にプリントアウトして打ち合わせしている始末。紙は根強く執拗に生き長らえている。いや、死滅することはないと断言できそうだ。少なくともぼくは、紙と電子をうまく併用していこうと思う。

仮に千年前にUSBCDなどの記憶メディアが開発されていたとしよう。度重なる戦争や略奪を経てもなお、そこに記録された情報は無事に現在まで持ち堪えているだろうか。インフラはデータを守りきってくれただろうか。紙の場合はどうか。おびただしい文書が散逸したとは思うが、幸いなことにぼくたちは古代からの書物を今も読むことができる。幾多の戦乱期を経た古文書の類を今も読むことができる。これに比べると、ぼくたちが依存している電子メディアはたかだか四半世紀ほどの保存力しか証明していない。電子メディアには一触即発で消えてしまう怖さがある。

紙に印刷された事柄のほうが、画面から頭に入ってくる情報よりも、よく記憶に定着する。これはぼくの実感であるから、普遍化するつもりなどない。ぼくは紙の威力をひしひしと感じている。紙がITに追放されることなく、それどころか、十分に併存できているのに比べると、紙と一番相性がいいはずの万年筆は頼りない存在になった。このクラシックな筆記具が奇跡的に復活して、キーボードに拮抗できる見込みなどとうの昔に消えてしまったかのようだ。


長く愛用してきたシェーファーの万年筆を20年前に紛失してから、主に水性ボールペンを使い、ここ数年は書き味なめらかな油性ボールペンでノートやメモを書いている。10本ほど持っている万年筆の出番はきわめて少ない。気に入った万年筆を折々に買ってきたが、メーカーがいろいろ。つまり、インクカートリッジが違う。メーカーによってはインクまで指定される。これに、黒いインク、ブルーのインク、ブルーブラックなど好みに応じて取り揃え、インクを変えるたびに手入れをするのも面倒だ。

万年筆と言いながら、結構ケアせねばならず、万年にわたって使いこなすのはむずかしいのである。山田英夫『ビジネス版悪魔の辞典』では、【万年筆】は「調印式のために、出番を待ち焦がれている筆記具」と位置付けられている。また、別役実『当世悪魔の辞典』では、「手に合ったものになるまでに時間がかかるから、たいていその間に失くしてしまう。失くさずにたまたま持っていると、手に合ったものになったとたん、寿命がくる」。いずれも、万年筆の使用場面には言及しておらず、惨めな身の上話になっている。

決して安っぽい存在ではない。高価かつ高級品である。知的な筆記具として他を寄せつけない存在だ。それなのに、あまりにも軽い扱いしか受けていない。とても不憫である。10本の万年筆を前にしてぼくはノスタルジックになった。小学校か中学校卒業のときに買ってもらった万年筆。今は手元にあるはずもないが、あの時の大人になったような知的高揚感は今も忘れない。サバイバルすら危うい万年筆にもはやリバイバルはないのだろうか。

ぼくは自分一人の万年筆復活プロジェクトを起ち上げた。きっかけは、色と滲みの再発見。大したプロジェクトではないが、一歩踏み出して手持ちの万年筆を再活用することに決めた。この話の続きは一両日中に書いてみたい。