和える編集

一口に「情報をべる」と言ってみるが、背負う荷は軽くはない。性分ゆえか、小難しく「知の統合」などと表現するものの、この言い回しに満足しているわけではない。統合とは「すべる」と「あわせる」、要するにまとめて集めることだ。無作為的な寄せ集めで功を奏することも稀にあるが、いつも無作為に頼るわけにはいかない。統合作業には、編集の「編」に近い意図が働いているような気がする。

手元に集まった情報をつぶさに眺めていて、要素が似ているとか異種なのに共存するとかいう以上に、ある情報と別の情報の相性の良さを発見することがある。相性。わかったようでわからないが、何がしかの化学反応が起こって、まったく新しい「味」が生まれる。無理に「合わせる」のではなく、勝手に「合う」という感覚。「える」という表現がぴったりくる。ほうれん草のごま和えのような編集。


ちょっと前に『本の大移動』と題して一文を書き、その中でオフィスに設けたブックカフェ風のスペースを紹介した。生涯現役のつもりゆえ、これからどのように仕事と関わっていくかは私生活以上に重みを持つ。必然それは、オフィスをどうするのかというテーマにもつながる。最後の任務になるかどうかはわからないが、仕事場をアイデアと情報の「え場」として、あるいは人と人の和合の場として、オフィスらしくない空間を作り上げたいとずっと思っていた。

本の大移動は道半ばだが、ようやく自宅書斎の蔵書の半分をここに運び込んだ。グリーンやインテリアも少しずつ場になじんできた。有料音楽アプリのカフェミュージックBGMチャンネルを選び、WORK & Jazz Pianoをシャッフルして聴きながら、来月のあれこれを考えペンを走らせた。ペンは期待以上によく動いた。

さっきまで自分の机に向かってキーボードを叩いていたのだが、思うようにはかどらなかった。部屋を変えてくつろいでみた。なかなかいいではないか。マインドと本と音楽とその他もろもろが編集されたかのようである。これも一つのえる編集に違いない。相性の良い人たちとの出会いも楽しみである。

本の大移動

できそうにないことはしないという生き方がある。つまり、できることだけを淡々とおこなうということ。別段変わった生き方ではない。たとえば、旅行先で泊まる場所を確保するためにホテルを建設しようなどとは思わない。

他方、今まで経験していないこと、できそうもないことに敢えて挑んでみようという生き方がある。ガーデニングなどまったく縁遠い趣味だったが、ひょんなことから始めてみるなどという類い。もっとも、全く手も足も出ないことになると話は違ってくる。

できないことはしない、いや、できそうもないけれどやってみる。どっちが正しいかなどという話ではないし、二者択一に決める必要もない。状況に応じて、あるいはもっと適当に気分に応じてやるかやらないかが決まってくる。


今はできないけれど、できないからと言ってじっとしていては、いつまで経ってもできるようにならない、ひとつやってみようではないかと気分よく思える時がある。ところが、やってみればできそうなのに、迷っているうちになんだか億劫になってきて、できそうもないという空気に支配される。いや、できないのだと妙なふうに自己説得して「できそうもないからやめておこう」となる。

最近できそうにないことをやってみた。まず大掛かりな書棚をオフィスの一室に作り付けてもらった。かなりの出費になった。そして、大胆なことに、自宅の蔵書約4,000冊をそこにすべて移そうと決心したのである。単なる移動ではない。大移動である。半月以上かけて単行本中心にすでに1,500冊ほど運び込んだ。まだ道半ばだ。まだ単行本500冊、2,000冊近くの新書や文庫が書斎に残っている。

「車を一台出すので手伝いますよ」と言ってくれた人、一人や二人ではない。一度だけお願いして300冊ほど運んでもらった。一気に何千冊というわけにはいかない。すべて並べ終えるまでにダンボールに入れたまま放置することになるからだ。と言う次第で、毎日50冊ずつ自転車で運んでいる。書棚への並べ方にはぼくなりのこだわりがある。一日50冊程度なら小一時間で片付く。気長にあと半月、いや一ヵ月。できそうに思えなかった「一大事」をほぼ一人でせっせと実行中である。

派生の愉しみ

独立してから30年が過ぎた。食べていくだけなら独立することはなかった。ぼくにとって独立は、食べていくことの他に生きることの意味を見い出すことであった。必然、生活のみならず、仕事が愉しめているかどうかが重要になった。そして、したい仕事、できる仕事、すべき仕事の一致を貪欲に求めた。

仕事と学び、新しいことへの好奇心を矛盾なく一体化するよう努めた。この考え方に共感してくれる人たちと様々な勉強会を主宰して今に到っている。創業直後に立ち上げた雑学勉強会〈Plan+Netプランネットは、ほとんどのトーク番組がアマチュアによるものであった。次いで、〈関西ディベート交流協会(Kansai Debate League Association)〉を発足させ、その直後にこれら二つの特徴を併せ持つ〈談論風発塾〉を創始した。

さらに、本を読んで論評し意見交換する〈書評輪講りんこうカフェ〉、お題に対して機知とユーモアを発揮するオンライン投稿サイト〈知遊亭ちゆてい〉、手作り料理とトークの〈釣鐘美食倶楽部〉等々、仕事とは別に――しかし、仕事とまったく無関係ではなく、むしろ仕事から派生した――様々な勉強会を主宰し運営してきた。


これまでの足跡を単なる終活とせず、もうひと踏ん張りして将来に波及するような形で編集したいとかねがね思っていた。幸い、オフィスに一部屋を確保することができた。手狭になった自宅の書斎の蔵書をここに持ち込み、本を読み談論する場とトークショーやミニイベント番組を編集することにしたのである。空間と活動の試みを〈Spin_offスピンオフと命名した。ひとまず趣意を簡単にしたためてみた。

この場からさまざまなテーマのレクチャー、トーク、イベントなどの集いが派生し、共鳴し合って知と体験を紡ぎます。場と機会を求める主宰者が、テーマのジャンルを超えてつながり協同する、それが〈Spin_off〉です。〈Spin_off〉は主宰者と参加者の相互サポートによって成り立ちます。

それぞれの本業や本筋から愉快なことを「派生スピンオフ」させたいと思う。異なるテーマが相互に共鳴し合って、新しいテーマを紡ぐ。何が生まれるかはわからない。わからないからおもしろい。トークやイベントの主宰者、参加希望者はお問い合わせいただきたい。引き続きぼくもいくつかの主宰番組を受け持つ。順次オープニング案内をお送りする予定である。

蔵書と読書の関係

自宅の数千冊の蔵書をどうするかは数年来頭の痛い問題だった。ようやく解決のメドが立った。オフィスの一室を「書斎」兼「公開勉強室」兼「セミナールーム」に改造することにしたのである。現在、別注した書棚の取り付け工事の真っ最中。書棚用の板の数、80枚余り。職人さん二人で丸3日かかる。

言うまでもなく、本の数と読書量は比例しない。ある程度熱心に読書をしている時には本が読書行為の後を追う。しかし、読書習慣がなまくらになってくると、読みもしないくせに本だけを買う行為が先行してしまう。必然読まない本がどんどん増える。本を買うのも読書行為の一部なのだと自分を慰めることになる。

蔵書について考えるとは読書について考えることである。「読書? そんなの、本を読むことに決まっている」と言えれば簡単だが、「定義される用語が定義することばの中に含まれてはいけない」というパスカルの説に従えば、この定義はルールに反するのでアウト。「読」ということばが使われているからだ。とは言え、このような厳密な法則を徹底すると、権威ある辞典類の大半の定義は成り立たなくなってしまう。


読書とは「本の体裁に編集された外部の情報と、自分のアタマの中に蓄えられている内部の知識を照合すること」。ぼくが以前試みた定義だが、生真面目に過ぎるだろうか。この中の「照合」がわかりにくいかもしれない。広辞苑によれば「照らしあわせ確かめること」。えらく差し障りなく定義するものだ。そのくせ、さきほどのパスカルの法則には堂々と反している。

いろいろと考えを巡らしたが、やはり読書している時には本の情報と自分のデータベースを重ねようとしていると思う。重ならないなら、取り付く島がないほど難しくて面倒見の悪い本か、自分のデータベースが貧弱すぎるかのいずれかだ。たいていの書物と読書家の知識は、程度の差こそあれ重なる。重なる部分を確認したり記憶を新たにしたり、本に攻められて一方的に情報を刷り込まれたり、何とか踏ん張って持ち合わせの知識で対抗したり、コラボレーションしたり完全対立したり、好きになったり嫌いになったり……。照合とは、縁の捌き方でもある。

ともあれ、蔵書を収め公開する場は確保できた。しかし、このこと自体はそれ以外に何も意味しない。読書というものは、誰にでも同じ効能を約束してくれないし、読みさえすれば賢くなるというのも間違いだ。他人の頭から何かを学ぶよりも、自らの頭で文章を紡ぐほうがよほど思考の糧になる。書くという習慣の下地あってこその買って読む効能なのである。

比喩と表現と

生命が冬眠から覚めた。いよいよ春本番。年に一度、この時期にルナールの『博物誌』をひも解く。この博物誌は比喩によって動物たちのアイデンティティをあぶり出してくれる。色とりどりの表現で本質を切り取る巧妙さにほとほと感心する。たとえば蛍のことを『博物誌』では次のように描写する。

ほたる
1 何が起こったのだろう? もう夜の九時だというのに、あいつの家にはまだあかりがついている。
2 草に宿った月の光のひとしずく!

半世紀前、都会と田園の間にはまだ境界はなく、複雑に入り組んでいた。十代まで育った地域は都会だったが、住宅のすぐ隣りにはまだ田んぼがあり草むらがあった。川があり、そこから細い支流が分かれ田んぼのそばに流れ込んでいた。だから幼い頃には蛍を目にした記憶がある。

昨日、商店街で豚の耳を売っていたので一枚買った。細切りにしゴマ油と塩で白ネギと和えて、おいしくいただいた。さて、豚の耳と目をルナールはどう表現したか。


おまえは砂糖大根の葉っぱに似た耳のかげに、黒すぐりの実みたいな小さな目を隠している。

砂糖大根てんさいの葉っぱをよくぞ連想したものだ。黒すぐりとはカシスの実である。言われてみると、なるほどと納得する。アタマの中で絵を描いたら豚の顔になってきた。輪切りにした蓮根を鼻に見立ててくっつければ完璧な豚だ。

カエルは姿を消したが、都会ではカラスは昔よりも今のほうが繁殖している。カエルとカラスにもルナールは比喩を使う。

かえる
青銅の文鎮みたいに、すいれんの広い葉の上にのっかっている。

からす
畝溝うねみぞの上の
アクサン・グラーヴ。

子どもの頃、カエルを餌にしてザリガニを釣って遊んだ。地面に叩きつけて気絶させ、皮を剥ぐ。今思えば残酷きわまりない。カエルには、生き物ではなく、人工的な造形を思う。青銅の文鎮?  たしかにそんなカエルもいた。

カラスの比喩もおもしろい。畝溝で餌を探しているカラスを遠目に見れば、àèùなどのアクセント記号「アクサン・グラーヴ」に見えなくもない。

爬虫類の代表はヘビとトカゲ。ルナールが描写したヘビの表現はあまりにも有名である。

へび
1 長すぎる。
2 子午線の四分の一、そのまた千万分の一。

長いヘビなのに「長すぎる」と言葉少なに言い切ってしまう。続いて、どれだけ長すぎるのかを示すために子午線を出してくる。なぜわざわざ子午線なのか。面倒なので確認の計算はしないが、まあそのくらいの長さなんだろうと妙に納得してしまう。

とかげ
壁 「なんだか背筋がぞくぞくするぞ」
とかげ 「ぼくだよ」

青いとかげ
ペンキ塗りたて、ご用心!

バルセロナはガウディ公園でトカゲの作品を見たことがあるが、あれはモザイクだから、ペンキ塗りたてには見えない。しかし、生きた青トカゲを実際に目にすると、あの青がまだ乾いていないように見える。つまむとペンキが指先につきそうになる。

却下する側、される側

仕事柄、企画書をしたためて企業に提案してきた。入札の場合、競合相手がある。競合に勝ち負けは必然。この30年、勝率は8割を超えているから上々の出来である。それでも2割は負けている。勝ち負けが逆になっていたら、たぶんこの仕事の今はなかった。

企画の規模にもよるが、短くても一週間、長ければ一ヵ月近く案を練って準備をする。不幸にして、却下の憂き目に遭うと心中は穏やかではない。しかも、ほとんどの場合、却下の理由は明かされず、またコンペを勝った競合相手の案の優れた点は知らされない。敗因分析しようにも、他の案がわからないので失望をなだめるすべはない。

昨年の今頃、コンペ参加の依頼があった。得意分野の研修テーマの実施計画だったので、余裕綽々、どんな相手でも勝てると踏んでいた。意に反して、結果は負け。研修会社経由の依頼だったので、プレゼンテーションはその会社がおこなった。案は良かったがプレゼンが下手だったと思うことにして、負けを引きずらないようにした。

入札する側を何度も経験し、また入札審査する側にも立つことも多い。審査し合否を決定する側のほうが気楽である。採用案に対しては評価点が最高点だったことを示し、その理由を型通りに告げればいい。しかし、却下された案にはほとんど却下の理由は示されない。数案のうち一案だけが選ばれるわけだから、却下された他の案には「ダメでした」という結果さえ伝えれば済む。


『まことに残念ですが……』という本がある。「不朽の名作への不採用通知160選」という副題が付いている。現在超名作とされている錚々たる小説が、書かれた当初は出版社に拒絶されていた。その不採用の旨を作家に送った手紙が収録された本だ。

「まことに残念ですが、アメリカの読者は中国のことなど一切興味がありません。」

『大地』を書いたパール・バックはこのように告げられた。本のタイトルとなった、「まことに残念ですが……」とあるだけでもまだましなほうである。

アンネ・フランクの『アンネの日記』の場合はこうだ。

「この少女は、作品を単なる“好奇心”以上のレベルに高めるための、特別な観察力や感受性に欠けているように思われます。」

『タイム・マシン』でH.G.ウェルズは次のようにこき下ろされた。

「(……)たいして将来性のない、マイナーな作家だ。この作品は、一般読者には、おもしろくなく、科学的知識のある者にはもの足りない。」

却下する側の気楽さが窺え、却下された側のやるせない思いが伝わってくる。人が他人を評価するとはこういうことなのである。ある人間の評価と世間一般の評価が同じであるはずもない。諾否を決める評価者が人それぞれの基準を持っているのは当然のことである。

しかし、今から見れば理不尽かつ滑稽な断り状だとしても、これらの不採用通知には理由が書いてあった。理由があれば、それを読んで絶望すると同時に、立ち上がる勇気の種も手に入れることができるかもしれない。“No!”の言いっ放しで済ませている当世コンペ実施側の良識と応募者への敬意はどうなっているのか。切に問う次第である。

学学

読書の方法について、図書館の活用法について、あるいは文章の綴り方や推敲のやり方について、きちんと教わったり学んだりしたことがあるか? コミュニケーションすることについて――そのために必要な読み書きの技能について――国語の授業はいったいどれほど有効なヒントを与えてくれたのか? 

しかも、こうしたリテラシー一般に関して、誰かが教えてくれないのなら、自分で試行錯誤して技能を身につけようと一念発起した人がどれほどいるだろうか? ほとんど誰もがそれぞれの生きている「ことばの環境」の中で成り行きのやり方で、さほど工夫もせずにやりくりしてきたにすぎないと思われる。「学ぶことについての学び」と真剣に向き合ったことなどまずないのである。

学び方の学びのことを、ぼくは〈学学まなびがく〉と命名して、社会人に遅まきながらも実践するように推奨してきた。本ブログでも『学び学でリテラシーアップ』と題して書いたこともある。リテラシーとはおおむね「読み書きの技能」である。しかし、読み書きの技能は読み書きだけを目的としない。言語を高度に運用するために、ひいては思考力を高めるために、読み書きの効用を再考すべきだと思う。


何事であれ、最も成果を生みやすい習慣ほど地味である。但し、並大抵ではない継続と集中を要する。自分の仕事でそれが想像しにくければ、好きなスポーツの一流選手の練習ぶりを見ればわかりやすい。ありていに言えば「コツコツとハードワークをこなしている」。自分の仕事がそれを必要としないのなら、程度はたかが知れている。もっともリテラシーのことなど放っておくという生き方の選択肢はあるかもしれない。

しかし、リテラシーを放置していては言語生活は豊かにならない。たいていの大人はことばを第二の天性として鍛錬することに怠慢になっている。実は、ぼくたちが抱える諸問題の大半はリテラシーの強化によって解決することができるのだ。仕事上の業務や課題はある意味で言語的なのである。うまくいかない理由のほとんどがリテラシーの機能不全に関わっている。

自然流ではいかんともしがたいのである。本を読みながら、ノートを書きながら考えるという習慣を意識的に続けないかぎりリテラシーは高度にならないし、それどころか、加齢によって劣化するばかり。どうすれば上手に学べるかという方法を教わるか、もし教われそうにないのなら自ら編み出さねばならない。

日々揮発していきそうな諸々をノートに綴ってみる。本に書いてあることを覚えようなどとせずに、何度も読んで自分の知識や経験と刷り合わせる。気に入った文章を音読しながら意味や主題を考える。こういう習慣の繰り返しによって、語感が鋭敏になり構文が作れるようになり、やがて思いとことばがつながってくる。リテラシーの強化は練習に比例する。驚くようなノウハウの練習ではない。一日三度の食事のように、普通の行いを集中して継続するだけである。

書名から考えた

三日前に年賀状をすべて投函した。テーマは〈架空図書館〉、書いた文章は2,246文字。一度は企画されたものの出版を見送られた本、途中まで書いたが絶筆になった本などを11冊紹介した。もちろん架空である。受け取る方は楽しみにしていただきたい。残念ながら、住所の知らない人にその年賀状は届かない。

配達される年賀状から派生しそうな話を「スピンオフ」として書いてみた。年始の本編に先立つ年末のスピンオフというわけだ。架空ではなく「実在の本」を取り上げた。暮れのこの時期、本腰を入れて批評しようと思い立ったわけではない。ぼくの本への――正確には書名への――常日頃の接し方である。書名を見て考えて、読んだことにしている。

『苦手な人もスラスラ書ける文章術』
熟読も完読もしていないが、拾い読みしたところとても読みやすい本である。ところで、文章を書くのが苦手なのは、これまで書かなかったからである。そんな人がこの本を読み一念発起して書き始めることができるだろうか。仮にできるとしても、書く習慣をこれからも続けるとは到底思えない。得意としている人でもスラスラ書けないのが文章というものだ。この本は苦手な人のためになるのではなく、書くのが好きな人のためになると思われる。

『企画書は一行』
言いたいことをシンプルかつコンパクトに言い表せという意図だとわかる。一枚ならぼくも実践しているからありえると思うが、どう考えても一行は無理ではないか。企画書の一番上に「○○企画」と書いたら、もうそれで一行だ。いや、表題無しにいきなり骨子に入るとしよう。唐突に一行だけ書いた一枚の紙を誰が企画書だと思ってくれるのか。「いきなりのこの一行、何のことかさっぱりわからん」ということになりかねない。

『困った人たちとの付き合い方』
一番最初に思いつく方法は付き合わないことだが、それでは本として成り立たないから、たぶんあの手この手で指南しているに違いない。「困った人」はおおむね理不尽である。「付き合い方」は理屈である。書名に理不尽と理屈が並んでいる。経験的には、困った人が変わってくれる可能性はきわめて低い。だから、こちらが折れて変わることになる。そんなことまでして、その困った人と付き合う必要があるとは思えない。

『すべてはネーミング』
ネーミングの重要性については大いに共感する。すべてと極言したい気持も理解する。しかし、やっぱりすべてではない。名付ける対象あってこそのネーミングなのだ。商品やサービスやイベントの企画以前に名称が先行することが稀にあるが、名称だけが一人歩きできるわけではない。ネーミングだけして知らん顔できるのなら――それで仕事になるのなら――ぼくなどはとうの昔に楽々億万長者になっていただろう。

書棚からのヒント

仕事は思うように捗らないものであり、考えごとは費やす時間とエネルギーに比例してまとまるものでもない。考えること、書くこと、伝えることを生業にしているが、ものづくりと違って、満たすべき基準が明確ではない。まだ粗っぽいかなと自評した仕事が承認されることがある。他方、到達点が見えず果てしのない道を歩き続けなければならない場合もある。この時点で選択肢が二つ生じる。果てしない道をまっしぐらに進み続けるのか、それとも、いったんミッションから逸れて遠回りするのか。ぼくは迷わず後者を選ぶ。

能力や技量には限界がある。持てる力を出し切るのも才能だろうが、そう易々とできる芸当ではない。自分のことは分かっているつもりなので、行き詰まったと感じたらその先を急がないことにしている。手抜きせず考えてきて行き詰まったのだから、いくら時間をかけても同じやり方では突破できないのは百も承知。深く狭く考えすぎていたのではないか、と振り返る。深さはともかく、狭さに原因があるのかもしれないと見当をつける。そして、浅く広く考えることにシフトしてみる。広さとはよそ見であり寄り道だ。

言い換えれば、使命感から生まれる闘争心をいったん棚上げして、自発的好奇心のほうを動かすのである。たいてい書棚の一角の前に立って背表紙を眺める。渉猟などという大仰な行動をするわけではない。狭い書斎の中で適当に本を手に取ってページをめくり、これまた適当にあちこちの段落を拾い読みし、文章に反応したら付箋紙を貼り、面倒でもノートに書き写し、思うところを一言、二言添える。これをぼくは「仮止め」と呼んでいる。


仮止めから小さな気づきを得る。気づいた時、その気づきから視野角が広がる時に頭が働き、記憶が動く。そんな大げさなことでなくてもいい。自分の仮止めというやり方に自信が持てるだけでも十分なのである。在宅で考えごとをしていた先日、書棚を眺めていてふと一冊の本に目が止まった。W.V.クワインの『哲学事典』がそれだ。一度読んでいる本だが手に取った。「序」に目を通した。

ヴォルテールの『哲学辞典』が引き金になって、気儘で目の粗い書物がときおり思い出したように書かれ、かすかな流れを作ってきたが、本書もそれに連なる一冊といえる。(……)私のはところどころ哲学的だが、半分以上は一段レベルの低い事柄がテーマになっている。つまり、半分以上は、私自身がこの本を楽しんだのだ。

「気儘で目の粗い」と「半分以上は一段レベルの低い事柄がテーマ」という箇所に出合っていくらかほっとし、慎重を期すよりもまず楽しんで書いてみようと背中を押されたのである。つくづく思う。気になることはやってみるものだ。仕上げに向かうことに躍起になるばかりが能ではない。仮止め的に粗く、少々レベルを低めにしてやってみるのである。先送りして旬を逃すくらいなら、拙くてもいいのではないか。

一鞭ひとむちを入れても、かつてのように頑張るのもままならない。齢を重ねれば、身体が痛い、精神的に疲れるなどは日常茶飯事である。それでも、仕事に恵まれる幸運はまだ手の内にある。考えが頓挫する原因を分析する暇があれば、その時間を使って書棚を眺めればいい。そこには、じっとしていて浮かぶよりはよほどましなヒントが潜んでいる。

そこにある塔

『パリ 旅の雑学ノート――カフェ/舗道/メトロ』という本がある(著者は玉村豊男)。旅人として一週間やそこらパリに滞在すると、カフェに立ち寄り、舗道を歩き、メトロに乗ることが日常になる。この3点セットをパリならではの特徴と見なすことに強く同意する。

さらには、秋深まって黄金色に輝きを放つ枯葉。枯葉と書いた瞬間、あのシャンソンのメロディが流れ始める。芸術とファッションと食文化もパリらしい概念だ。目に見えるものと頭に浮かべる概念を繋ぎながら街をそぞろ歩けば、旅人はすぐさま生活者になりきることができる。ついでに教会や美術館、点在するマルシェと蛇行する川も付け加えておこう。

しかし、上記で取り上げた「らしさ」はどれもパリの「不動の象徴」たりえない。そう呼べるのはエッフェル塔を除いて他にない。諸々のパリらしい風物や特性は属性にすぎないのだ。しかし、エッフェル塔はパリという都市を超越するかのように、いつでも視線の先に聳えている。塔を見ずに暮らすにはかなりの努力を要する。どんなに見ることを拒絶しても、所詮「見て見ぬ振り」の域を出ない。まるでパリのほうがエッフェル塔の属性かのようである。

エッフェル塔が視界に入らないように生きるには、モーパッサンに倣うという手がある。つまり、エッフェル塔のレストランにこもって食事をするのだ。そこだけが、パリで塔が見えない唯一の場所である。モーパッサンのエッフェル塔嫌いはよく知られた話だが、毎日レストランに通い詰めた文豪は、そこに向かう途上では目隠しをするか目をつぶって誰かに導かれていたのだろうか。


エッフェル塔は1889年のパリ万博開催に合わせて建造された人工物にもかかわらず、パリに暮らす人々や旅人にとっては、はるか昔から自然の造形として存在し続けてきたかのようである。過去の記憶をよみがえらせ、現在の経験を実感させ、そして未来の想像を掻き立てる存在として、エッフェル塔はつねに「そこにある」。

エッフェル塔を見るのに苦労はいらない。それは、つねに人々の目に触れる存在であると同時に、展望台に上がれば市中を眼下に見渡せる眺望点でもある。ロラン・バルトはその著『エッフェル塔』で言う。

「エッフェル塔は、パリを眺める。エッフェル塔を訪れるとは、パリの本質を見つけ理解し味わうために展望台に立つことである」

どの街に行っても塔の尖端を目指し、一番高い建造物の最上階に上がったものだが、過去三度パリを訪れたのに、残念ながら展望台に立つ機会はなかった。長蛇の列に並ぶのが苦手なのだ。列の最後尾につくのを諦めて所在なさそうにパネルを読み、塔のふもとで組み上がった鉄骨を見上げて、枯葉を記念に持ち帰っただけである。

という次第だから、塔から街を眺めることに想像を馳せることはできない。塔に触発されるべきぼくの想像力は塔を見つめることだけに限定される。それゆえに、余計に「そこにある塔」――見ようとしなくても、どこにいても視界に入ってくる象徴としての塔――だけが刷り込まれてしまっている。

メトロを乗り継ぎ、カフェで時間を過ごし、舗道を歩く。ノートルダム大聖堂やルーブル美術館を訪れ、セーヌ川やサンマルタン運河の岸辺に佇んでも、エッフェル塔を抜きにしてパリの旅は完結しない。塔を見ずに帰国するわけにはいかないのである。