昭和30年代初期の記憶

昭和の年に25を足すと西暦の下二桁になる。昭和30年だと25を足して55、この前に19を置けばいい。つまり、1955年。西暦のその年から東京五輪開催の1964年までが昭和30年代である。

一円玉

現在流通しているアルミニウムの一円玉は昭和30年に発行された。その翌年に五歳年下の弟が母の実家で生まれる。ぼくも立ち会っていた。当日のことは今でもよく覚えている。祖母から十円硬貨をもらい、近所の店にポンせんべい(満月ポン)を買いに行った。当時、十枚で5円だから一枚0.5円の勘定になる。つまり、50銭(1円は100銭に相当)。

1円未満の商品がまだあったので「銭」という単位は「仮想的に存在」していたが、銭の通貨はもはや出回っていなかった。だから、ぽんせんべいは一枚だけは売ってくれない。いや、奇数の枚数だと50銭のお釣りがないから、必然的に偶数の枚数を買うことになる。十枚買うことにし、十円硬貨を手渡した。お釣りは5円。てっきり五円玉を受け取ると思っていたら、手のひらにのせられたお釣りが一円玉5枚だった。初めて見る一円玉。キラキラと光っていた。家に戻って親族に見せびらかした。よほどうれしかったのだろう。

昭和34年(1959年)の夏に引っ越した。大阪のとある下町から別の下町へ。生まれて八歳まで過ごしたエリアの近くに半月前に行く機会があり、寄り道してみた。住んでいた家は当然跡形もなく、別の家が建っていた。どの家にも見覚えはないが、西川金物店が看板を掲げて存在していたのには驚いた。町内に何十軒もの家が立ち並ぶ中、昭和33年にテレビを所有していたのはその金物店だけだった。大相撲やプロレスの日には溢れるほど人が集まってテレビ観戦していた。誰でも気さくに招き入れた西川の爺さんの顔が思い浮かぶ。


テレビ観戦で印象に残っているのが、昭和33年のプロ野球日本シリーズ。西鉄ライオンズvs読売ジャイアンツの対戦だ。巨人3連勝の後、西鉄が4連勝して制覇し、奇跡の逆転劇シリーズと言われる。西鉄の稲尾投手が全7戦のうち6戦に登板、うち4戦が先発という獅子奮迅の活躍を見せた。「神様、仏様、稲尾様」はこの時に生まれたことばである。

町内に物乞いに来るホームレスの男性がいた。いつも来るのではなく、忘れた頃にやって来る。西鉄と巨人の日本シリーズが終わった後に来た。ボロを纏っていても礼儀正しいところがあったので、子どもたちはなついていた。彼の歩く後をついて回ったりした。彼は特殊な才能の持ち主だった。どこで手に入れたか知らないが、ラジオを持っていて、いつも野球放送を聞いていた。そして、アナウンサーの一言一句を一試合分丸ごと覚えてしまうのである。「西鉄と巨人の第7戦」の実況も見事に再現したのだった。テレビで観戦済みのぼくなどは、もう一度ラジオ放送を聞く気分で昂ぶった。今にして思えば、サヴァン症候群の天才だったのかもしれない。

町内に唯一モダンな住居があった。当時のことばでは「洋館建ての家」。世帯主の職業は知らない。玄関を入って右手にガラス張りの応接間があり、ひときわ目立っていた。その家を見るたびに外国をイメージしたものである。

路上での遊びはビー玉であり、ベッタン(メンコ)であり、相撲であった。信じがたいことだろうが、小学校一年の頃、春から夏の季節になると、学校から帰宅してすぐに浴衣に着替えていた。子どもは浴衣姿で遊んだものである。大人も子どもも、暮らし方も気質も、食べ物も習慣も現代とはまったく違っていた。初期の昭和30年代はおそらく何かにつけて今とは別物であり、もっと言えば、昭和40年代・50年代とも様相が異なっていた。遠く過ぎ去ったはずの大正・明治の影を引きずっていたと思うのである。

2015年の年賀状

年賀状2015年(web版)

生きていくうえで人は環境に適応しなければならない。そのために環境から情報を得て環境を知る必要がある。情報は日々の生活や仕事の場面で人を介してやってくる。しかし、こうして得る情報はささやかであり偏っている。そこで、新聞・雑誌、テレビ、インターネットなどの媒体を通じて体験外の情報に目配りする。古来、書物はそんな媒体の一つとして親しまれてきた。

「一人の子ども、一人の教師、一本のペン、一冊の本で世界が変わる」……一冊の本で世界が変わるなら、一人の人間なら容易に変われるはずだ。
数ある読書の方法から見出しを厳選し、わずか一ページの『読書辞典』を編んでみた。主な読み方の特長、効果、短所のほどを探っている。ご笑覧いただければ幸いである。


あいどく 【愛読】
いつもの本をこよなく好み、繰り返し読むこと。理解は深まるが、「狭読」になることは否めない。

いちどく 【一読】
本の最初から最後まで一通り読むこと。これで分かるかどうかは本の難易度と本人次第である。

いんどく 【印読】
傍線を引き、各種の印をつけ、欄外にメモを書き込みながら読むこと。古本価値が低くなるのが短所。なお、傍線一本やりの読者は「線読」と呼んでいる。

うどく 【雨読】
雨の日に読むこと。晴耕と対なので、晴天日に働くことが前提となる。わが国の平均雨天日は年間約一二〇日。これだけ読書ができれば十分。但し、降雨の地域差があるため、北陸では一八〇日の雨読日があるが、広島のそれはわずか八五日。

おんどく 【音読】
声に出して本を読むこと。幼稚だとする意見もある。斎藤孝が言い始めたのではなく、人類は十九世紀まで音読していたのである。読解効果は不明だが、やった感はある。〔反意語〕 黙読。

かいどく 【会読】
みんなで本を読むこと。参加者はそれぞれ違う本を読むのがいい。ちなみに、当社主宰の《書評輪講カフェ》では書評による発表で会読効果を高めている。

くどく 【苦読】
難しい本と格闘しながら読むこと。学びが少なくても忍耐力が鍛えられる。苦読が被虐的になると「悶読」へと変化する。

げきどく 【激読】
なりふりかまわず懸命に読むこと。傍目には読書ではなく運動に見える。〔類語〕 爆読、烈読。〔反意語〕 軽読。

ざつどく 【雑読】
ジャンルを問わずに手当たり次第に読むこと。クイズ大会に出場する直前には有効な方法とされる。

しどく 【覗読】
電車内で隣席の他人の新聞・雑誌・書籍をのぞき見すること。文脈までは理解できないが、時間潰しにはもってこいの読書法。

すんどく 【寸読】
ちょっとした空き時間にページを適当にめくって読むこと。運がいいと望外のお宝情報に出合う。

せいどく 【精読】
手抜きせずにディテールまで読むこと。ローマ時代の博物学者小プリニウスは「多読よりも精読すべきだ」と言った。正しくは、精読の反意語は濫読。多読かつ精読はハードルが高いが、必ずしも相反するものではない。

そつどく 【卒読】
読み終えることだけを目指して急いでざっと読むこと。牛丼をがっつくようなさもしいイメージがつきまとう。〔反意語〕 熟読、味読。

たどく 【多読】
数多く本を読むこと。読書の専門家たちが推薦する読み方。自腹だと家計を圧迫する。〔類語〕 広読。

たんどく 【耽読】
一心不乱に読むこと。オーラが出ることがある。なお、読み耽った結果、「溺読できどく」にならぬよう注意したい。〔類語〕 熱読。

ながしよみ 【流読】
すでに内容を知っている本に限られるアバウトな読み方。類語の「速読」などもちょっと胡散臭い。

ねんどく 【念読】
本と一体になりたいと祈るように読むこと。宗教や超常現象関係の本の読書に適している。

はんどく 【反読】
批判や敵意を前提にして読むこと。たった一文にも納得・共感してはいけない。〔類語〕 攻読。

ひつどく 【必読】
「これは読むべき本だ」と権威に勧められて読むこと。人生に必ず読まねばならない本などはない。

ふりよみ 【振読】
実際は読んでいないが、書名と目次を見て読んだことにすること。

へいどく 【併読】
複数の本を並行して読むこと。異種知識を有機的に統合できる高度な読み方。ストーリー性のある読み物には向かない。

へんどく 【偏読】
分かる箇所だけを読み込み、分からない箇所を無視する読み方。知識が偏るが、これが一般的な読書だと言われている。

みどく 【未読】
類語の「積読つんどく」は読む気がまったくないが、こちらは一応読む意識だけはある状態。

やどく 【夜読】
夜に読むこと。関連語に朝読、夕読がある。

らくどく 【楽読】
気楽に読むことではなく、読むことを楽しむ読み方。趣味欄に読書と書く人に人気がある。

りどく 【離読】
本を読み漁った結果、読書がすべてではないと悟る心理状態。再び戻るつもりなら「休読」、生涯本を読まないのを「不読」という。 

れんどく 【連読】
一冊の本に刺激を受け、関連する本を求めて読み続けること。

わどく 【和読】
著者と共調しながら波風を立てずに読むこと。平均的教養を身につけるにはいいらしい。


《あとがき》 本の読み方は、環境(人・時代・世界)の読み方の縮図である。

未完の書

「はじめに」の一文の後に19943月とある。そこにはこんな文章が書かれている。

本書『成功への触媒』は、混迷を極める市場環境、ひいては企業活動、組織、人材を、ぼくたちのささやかな仕事のフィロソフィを光に変えて精一杯照らし出そうと試みたものです。
その光――きわめて日常的視点からの光――が、既成の事実や価値観に新しい意味を与え、「触媒」として機能し、成功を生み出す小さな発想やきっかけになればと願っています。
「成功」ということばには数限りない定義と意味が与えられてきました。その中からベン・スイートランドのことばを借りることにします。
“Success is a journey, not a destination.”(成功は旅である。目的地ではない。)
『成功への触媒』はさしずめ「旅のお供」というところでしょうか。邪魔にならないお供にになれば幸いです。

成功への触媒

全原稿の7割ほどをぼくが書き、スタッフ78名が残りの原稿をそれぞれの視点で書いた。百数十ページの小さな本が出来上がるはずであったが、いくつかの理由があってそのまま放置された。もはや日の目を見ることはないだろう。「はじめに」で書いているように、時代性を反映するタイミングが肝心であったから、今となってはほとんどの原稿が色褪せてしまったはずである。

実際に色褪せた紙の束を手に取って懐かしく読み返してみた。ぼくの思いとは裏腹に、今でも発想の触媒になりそうな普遍的な気づきが忍んでいることに気づいた。出版しておけばよかったと、ほんの少し自責の念にかられる。未練はさておき、今もしっかりと記憶に刻まれている一つのエピソードを紹介する。


水漏れしない蛇口

 ずいぶん前にリンカーン・ステファンというアメリカ人が書いた『未完の仕事』と題するエッセイを読んだ。冒頭はこう始まる。

「水道の蛇口から水が漏れている。きつく締められない。よろしい。七歳の息子に人生のレッスンとしてやらせてみよう。息子は蛇口をつかみ、必死にねじる。無理! 息子は嘆く。『どうした、ピート』と私。息子は笑みを浮かべながら言う、『パパ、これは大人の仕事でしょ』」

 著者は続ける。
 「大人はちゃんとした蛇口さえ作れないのだ。息子のほうが水漏れしない蛇口を作れる可能性を持っている。どんな仕事においても、可能性の大きさは次の世代のほうが上回っている。何事も究極的に最善におこなわれたことはない。何事も明晰に完璧に突き止められたことはない。」
 ステファンによれば、われわれの世代が作った鉄道、学校、新聞、銀行、劇場、工場には完璧なものはない。さらには、理想的な事業を築き経営している企業も存在しない。われわれは未知なるものの1パーセントすらも発見していない。
もちろん極論であり、1パーセントという根拠もない。しかし、共感せずに通り過ぎることはできない。
 スペースシャトルが宇宙へ旅立ち、バイオが遺伝子を操作し始め、超LSIがものの見事に情報をつかさどる。ステファンの主張に反して、ぼくたちの社会の進歩は道の壁をどんどん崩していくように見える。
 しかし、ぼくたちの住まいでは、寝静まった夜に締まりの悪い水道の蛇口からは相も変わらず水が一滴ずつしたたり落ち睡眠を妨げる。大雨の日に背中や足元を濡れぬように雨をしのいでくれる傘は未だに発明されていない。車は依然として通行人にやさしくはなく、歯磨きは歯周病を完璧に防いでくれない。
 ひと頃、ハイテク型のニッチビジネスがもてはやされ、異業種交流会花盛りの趣があった。ほとんどの試みは大した成果もなく霧散した。足元のローテクに改善の余地があるのに、遠くのハイテクが優先される。緻密をモットーとし予算もリスクも大きいハイテクに比べ、ローテクは人間的で泥臭い。心意気と一工夫で見違えるような改善も可能なのだ。水道の蛇口のようなモノはもちろん、日常のサービスも、ほんの少しのテコ入れを待っているのである。


リンカーン・ステファンのように、水道の蛇口一つで息子や娘に教育できるような父親になりたいものである。ぼくたちときたら、子どもがわざわざ「なぜタイ米がダメなの?」と経済社会的問題に関心を抱いて質問してきても、めったなことではまともに受け答えしてやらない。「タイ米はまずいから」などといい加減だ。すると、子どもに「なぜまずいの?」と聞かれ、苦しまぎれに「パサパサだから」と言うと、「なぜパサパサだったらまずいの?」と追い打ちを食らう。こうなると困るので、たいていの父親は最初の質問時点で「大人になったらわかるさ」と逃げの一手で対応する。これは無責任である。大人になってもわかるようにならないのは、自分自身が証明しているではないか。

たとえば1979年

この一文は1979年にしたためたものである。1979年に特に意味はない。古いノートを繰っていたら見つけたという次第。当時28歳。事情があって無為徒食の身であった。第二次石油ショックが起こり、ウォークマンが発売された年であった。先行きが見えずに少々悶々としていた頃を懐かしみながら、当時の拙い近未来洞察をほろ苦くわらう。


ずらり商品が並んだ百貨店にスーパーマーケット。価格に見合った金額さえ払えば、誰だって好みの品を手に入れることができる。この行為を日常化するために広告という促進剤が多用される。広告が購買欲をそそるというのは陳腐な考え方だけど、ぼくらはその現実の渦中で生まれ育ち、今もなお波高しなのだから、紛れもない事実だ。

物が必要だ、そのために財布を携えて買物に行く。商店が存在の意味を持つ。常識的な売買図式だが、ちょっと怪しい気がしないでもない。実際、山があるから登るんだに近い発想が文脈の中に流れ潜んでいるのではないか。〈店があるから買うんだ、売る側がいるから買う側がいるんだ!〉

商店が品物を売るのは当たり前すぎるが、小説よりも奇なりの雰囲気に気づく人もいる。何も買えない苦労の時代を経験した人にとっては、何でも買える苦労の時代が控えていたのだから。戦後の生活風俗史の一脈かもしれない。

何でも買える苦労を憂慮してかどうか知らないが、レンタルという発想が登場してきた。売らないし買わせない、売らせないし買わない。古くは公衆浴場がその典型だったのだろう。今では遊園地の乗り物、自動車、賃貸住宅、コンピュータ、はてはぞうきんや犬猫ペットまで、多種多様を極めている。だが、よく目を凝らしてみると、商品は売買されていないけれど、金銭だけは確実に移動している。価値と満足の購買である。価値や満足は人それぞれであって、決して均一ではないから判断の基準が定まりにくい。下手に借りてしまうと、買ったほうがよかったのではないかと悔悛の念にかられることになりかねない。


望めば何でも手に入れることができるのは、手に入らないけれど望み放題という楽しみを失って、空しい。金があっても買えない時代というのは《欠乏の平等》があった。そんな貨幣経済が通用しない社会、つまり金以外の要領・手段が幅をきかせる社会は、ぼくらの世代にとって未体験ゾーンである。今は何かにつけて貨幣万能の時代なのだ。もちろん、その価値の変動ぶりには目を見張るけれど、やはり金がものを言っている。金さえあれば何でも買える時代と社会にあって、金があってもなお買えない状況があるからこそ、ほんとうはおもしろいはずである。

タバコの自動販売機

商売の看板を掲げて営業しているのに、もし「売らない店」があったらどうだろう。簡単に手に入るはずの身近な日常品、たとえば、それがタバコであったら、消費者はその店先でどんな反応を示すのだろうか。数年前、この想像をぼくは『一本のタバコ』という短編にしたことがある。冒頭で、主人公に「ひいきの自動販売機があってたまるもんか!」という抵抗をさせてみたが、売買行動においてコミュニケーションへの期待が薄れていることは事実である。だから、もしかすると「ひいきの自動販売機」が現実化する可能性は多分にあるわけだ。

どこで買ってもいいはずの商品、そして均一な自動販売機。選り好みの余地がないようだが、そこは人間である。ひいきを作りたくなるものである。こっそりお決まりの自動販売機に近づき、小声で何やら話しかけ、時には機械を撫ぜまわす。挙句の果てはハンカチで硬貨投入口をきれいに拭き取ってコインをそっと入れる。帰りには「さようなら、また明日」などとつぶやく。

自動販売機に憑りつかれる人間が出没するはずなどないさ、と誰が断言できるだろうか。これまでだってぼくらの世代はあるはずのないことが現実に起こるのを目撃してきた。これからの時代、何があっても少々のことで驚いてはいけないのである。

残念な落し物

「落し物」とタイトルに書いたが、実際に落としたのかどうかわからない。どこかに置き忘れたのかもしれない。失ったかもしれないが、また出てくるなら、どこかに潜んでいるはず。いずれにしても、「それ」はぼくの手元から消えた。食事も喉を通らず、仕事も手に付かずという落ち込みようではないが、少し残念な気分である。めったにモノを失くさないぼくなのに、今年は夏場にも愛用の万年筆の一本を紛失している。見返りの拾い物は、今のところ、ない。

フィレンツェの財布

失くしたのは小銭入れだ。買った当時は紺色だったが、数年間使いこんでいたので色合いは黒に近い。円安の現在よりもさらに円安だった頃に30ユーロで買った。当時の円で5,000円くらい。まあ、金額のことはどうでもいい。実はこの小銭入れは二代目であり、茶色の初代は古物ケースの中に今も入っている。

何事に関しても、あまり残念がらない性質たちだが、少なからず残念がっている。小銭と折りたたんだ千円札が一枚入っていたからではない。なぜ残念な落し物かと言えば、ささやかな思い出も入っていたからである。


フィレンツェにはアルノ川が流れている。あまりにも有名なポンテヴェッキオはそこに架かる橋だ。そのポンテヴェッキオから北側へ少し歩いた所にソニアという店がある。20073月、ぼくはフィレンツェの南岸のアパートに3泊、シニョリーア広場に面したホテルに4泊した。街の隅々を歩き、おそらく十数軒の料理店に足を運んだ。

フィレンツェには2003年にも4泊した。めったに土産物に目をくれないが、ソニアで初代にあたる茶色の小銭入れを買った。この財布は一枚皮でできていて、丸みのある細工を凝らしてある。よく似た小銭入れは日本でも売られているが、仕上がりに不満があり、しかも1万円以上するものばかりである。初代をとても気に入って4年間愛用した。丈夫な代物だが、さすがに色褪せてきた。ところで、ぼくの初代を見た知人やスタッフが自分にも買ってきてくれということになり、色の好みを聞いて十数個の注文を引き受けた。その際に買ったのがこの二代目だった。

かなりの数の商品を買うのだから、ソニアでかなり長い時間をかけて品定めをした。店主である老婦人ともイタリア語で親しく会話を交わし値段交渉もした。しかし、これだけ大量に買うというのに1ユーロもまけてくれなかった。落胆したぼくを見て「値引きはしないけれど、サービスでつけておくわ」と言って差し出してくれたのが、皮の名刺入れと付箋紙ケースであった。名刺入れは人にあげたが、付箋紙ケースは今も使っている。

大袈裟に言えば、写真やメモやガイドブックとは別の「回想の形」になってくれていたというわけだ。小銭入れをポケットから出し入れするたびに、ちょっとしたフィレンツェ気分を味わっていたのである。二代目を失くした数日後に先代の小銭入れを手に取ってみたが、現役に復活させるのは忍び難い。というわけで、使いにくいアメリカ製の小銭入れで済ませている今日この頃である。

大賞・最優秀賞の意味

金メダル4個.jpg一つだけが群を抜いており異口同音の評価が下されれば、それを選べばいい。だが、評価すべき対象が拮抗することもよくある。優れているものが複数存在することは珍しくないのである。それでも審査や選考という仕事は、大賞や最優秀賞に値するものを、甲乙つけがたい苦悶の末に一つに絞ってこそ任を果たす。選ぶのが難しいからと言ってすべてを選んでいくとキリがなく、また本来の大賞・最優秀賞の値打ちも下がってしまう。

洋服にしても食事にしても何を着て何を食べるかに迷う。迷った挙句、すべてを購入したり食べたりしていては節操がない。そんなことができるのは特殊な人間に限られる。ぼくたちは、小から大に到るまで、日々選択の岐路に立って一つに絞る。決断とは一つの責任の担い方であり、外へ向かっては意思の表明である。悩み抜いた結果一つだけを選ぶのか、悩み抜いても決心がつかず複数を選ぶのか……後者は優柔不断に陥る。たった一度の例外を作ってしまうだけで、それが日常化し、無責任を正当化してしまうことになる。


こんなことを書いた理由はほかでもない。今年の流行語大賞の話題が先週あたりから出始めたのを知り、ふと昨年の『2013年新語・流行語大賞』のことを思い出したのである。大賞を受賞したのは四語。まだ記憶に新しいだろう。

「今でしょ!」
「お・も・て・な・し」
「じぇじぇじぇ」
「倍返し」

今年の審査員の面々が誰なのかは知らない。昨年は、やくみつる、姜尚中、鳥越俊太郎らであったことを覚えている。彼らはこれら四つの大賞に落ち着くまでに相当選考に苦しんだはずである。そうでなければ、金メダルを四個も出すことはなかったはずだ。

ところで、ぼくはネーミングという任務をたまに授かる。商品のコンセプトをよく吟味し、市場からの目線も踏まえて十いくつかの案を出し、三つ四つに絞り込む。絞りきれないからその商品の名前を複数にしてしまおうなどという乱暴な決断には陥らない。甲乙つけがたくても、一つに絞る。この種の作業において何かを一つだけ選ぶというのは、別のものとの決別でもあるのだ。そこには潔さが求められるし、その潔さによって選考した理由を自信をもって論うことができる。選べないから全部などというのは、審査員の役割をまっとうしていないのである。

と、硬派な意見を述べたが、一企業が企てている新語・流行語大賞ごときに本気でいちゃもんをつけているのではない。まあ、どうだっていいのである。ぼくがいまお手並み拝見したいのは、すでにノミネートされた今年の新語・流行語の50候補から、一つだけの大賞が選ばれるのか、はたまた今年も複数が選ばれるのか、という一点である。

この小文、読者をおもてなしするものでも読者に倍返しするものでもなく、じぇじぇじぇとつぶやきながら書いたものでもない。書くなら発表前の「今でしょ!」というつもりでしたためた次第。

落葉と孤独

「落ちる」ということばを聞いて歓喜して小躍りしたくなるか。決してならない。「恋に落ちる」を唯一の例外として、落ちたいなどと思う人はいない。同音の「堕ちる」も「墜ちる」も字姿が危なっかしい。葉は芽吹いて青くなり、季節が巡ってやがて紅葉し、枯れて落ちる。せつない。落ちるよりはでるほうがいい。墜ちるよりは翔ぶほうがいい。

落葉はやるせなさを募らせるし、別に悲しくもなんともないのに、まばらに路肩に撒かれたような落葉を見ると感傷的になってしまう。それらの落葉は公園通りで掻き集められ、大量に袋に詰め込まれて清掃車を待つ。このように扱われると、せつなさもやるせなさも漂ってこない。もはやただのゴミである。

パリの落葉 2011年もの

子どもたちが落葉を拾っている。黄色、赤色、褐色の葉を集めてはしゃいでいる。その嬉々とした姿を見ていると、落葉の光景から哀愁が消える。3年前の今頃、ぼくも子ども心に戻って十数枚の落葉を拾っていた。場所はロダン美術館のある庭園。その時の落葉は、今では水分をすっかり失って枯れ切ってしまい、おそらく乱暴に扱うとパリっと割れるか粉々になるだろう。


ロダン公園

ロダン美術館はロダンの邸宅だった。1917年に没するまでロダンは10年間ここで過ごした。美術館には多数の作品が展示されているらしい。「らしい」というのは、足を運んだのに美術館に入館していないからだ。ぼくはまず庭園を歩いた。広大な庭園内を歩きながら、青空を眺め、深呼吸し、落葉を拾い集めた。その合間に屋外に置かれている『考える人』や『地獄の門』を鑑賞した。美術館に戻ってきた時、もう十分に芸術とパリの秋に堪能していたのである。

パリから持ち帰った落葉を見るたびに、半月ほどの滞在の日々をかなり濃密に回想することになる。この時期に振り返る街角、広場、舗道、カフェなどのシーンには物悲しいシャンソンがお似合いだ。孤独に陥る寸前の自分に別の自分が視線を投げて少々陶酔している図も見えてくる。

ロダンは名声を得る前、孤独だった。だが、やがておとずれた名声は彼をおそらくいっそう孤独にした。名声とは結局、一つの新しい名の回りに集まるすべての誤解の相対にすぎないのだから。
(リルケ『ロダン』)

孤独とは厄介な心理である。無名であろうと有名であろうと人は孤独に苛まれる。孤独から逃げ出すために群衆に溶け込もうとしたものの、意に反して強度な孤独に襲われて眩暈に苦しむ。一、二枚の落葉も孤独の誘因になりうるが、大きな孤独を招かないためのワクチンだと考えればよいのである。

龍馬との邂逅

熱心に世界史を学んだことはあるが、日本史はかなりなまくらである。国辱呼ばわりされても困る。雑学好みのぼくでも手の回らないテーマは、なじみのテーマよりも圧倒的に多いのである。

とは言うものの、日本史は何度も通史を読んではいる。しかし、たぶん世界史の学びに比べると一本筋を通すことにこだわり過ぎたきらいがある。縄文時代から始まって、古代は飛鳥時代、平安時代と下り、鎌倉時代前になるとエネルギーが切れてくる。今度こそはと挑戦を繰り返したものの、忍耐が続かない。その結果、平安時代までは他の時代に比べてかなり詳しいという、いびつな縁取りの歴史観になってしまった。

おもしろいことに、千年ジャンプした幕末・明治維新には強い関心があって、よく本を読んだものである。十代の終わりから二十代の前半に、幕末マニアの先輩がいたのも縁であった。今となっては詳細はほとんどうろ覚えで、興味を惹かれたエピソードを断片的に記憶しているに過ぎない。坂本龍馬、勝海舟、横井小楠、西郷隆盛……その先輩とは頻繁に談義を楽しんだ。「昭和の龍馬を目指せ」などとよく言われたが、「31歳で暗殺されてはたまらない」などと笑い返していた。


もう40年近く前の話である。その後も、かつての情熱ほどではなかったが、龍馬に関する本や勝海舟の本なども読んでいた。けれども、会社を興してからはぼくのテーマはその時々の時代や仕事にシンクロするようなものばかりとなった。古代ローマやルネサンスや古典文学や哲学とも疎遠になっていった。

龍馬を再び強く意識するようになったのは、ここ数年のこと。縁があって年に二度高知に出張するようになってからである。ただ、一泊二日の制限では自由時間は34時間しかない。龍馬の地に行きながら息吹を肌で感じる機会はほとんどなく残念に思っていた。幸いにして、先週、仕事の前日にまとまった時間が作れた。龍馬生誕の地の碑に佇み、「龍馬がうまれたまち記念館」に足を運び、その近くを流れる鏡川の夕景に身をゆだねて時代を幻想的に遡ってみた。

龍馬と

写真上手ではないが、街角や風景をよく撮る。だが、記念撮影は好まない。海外に出ても自分の写真は一、二枚あればいいほうだ。そのぼくが記念館に再現された和室に靴を脱いで上がり、龍馬とのツーショット、いや姉の乙女も入っての「スリーショット」におさまることにしたのである。初対面とは思えぬ、懐かしさいっぱいの邂逅となった。学びも経験も、気になることはしておかねばならないとの思いを強くした次第である。

連想から回想へ

いつでもどこでも人は頑張れるわけではない。久しぶりにわが街の坂を自転車で上ると、太ももが言うことを聞かなくなる。もう少しの我慢だ、限界に挑戦せよなどと自らを叱咤しても、できないものはできない。8月初旬から続く毎週の出張でぼくの肉体はちょっと言うことを聞かなくなってきた。

体力だけにかぎらない。人はずっとまじめに勤勉であり続けることもできない。つい気が抜けて油断したり怠けたりしてしまう。ああ、また今日も無為な一日を過ごしてしまったと後悔もする。その後悔をバネに翌日は少し充実した一日にしようと意識を新たにする。

人間が本性的に勤勉であるのか怠け者であるのか……古今東西いろんな見方があったし、今もわからない。言うまでもなく、二律背反のテーマであるはずもない。ある時は勤勉であり、またある時は怠惰になる。後者が高じると無為徒食になり果てる。仕事もせず、何もせず、ただいたずらに時間を過ごしてしまう。一日の終わりに後悔すらしなくなる。


無為徒食と書くと、ワンセットのように放蕩三昧という四字熟語を連想する。ぼくの参照の枠組みがそうなっている。さらにアッシジの守護聖人でありイタリアの守護聖人でもあるフランチェスコ(1182? -1226年)につながる。聖フランチェスコはアッシジの裕福な家庭に生まれた。若い頃に放蕩三昧したあげく、神の声を聞いて聖職への道についた。どのような類の放蕩三昧かは知らないが、神の声を聞いたのはただの凡人でなかった証拠である。

神の声を聞けそうもないぼくたちは、どんなふうにして豹変できるのだろうか。過去に放蕩三昧した覚えはない。成人してからというもの、無為徒食とは縁遠い。そんな普通の人間が、願望があるにもかかわらず、それを実現しようと努力もせず、周囲の人たちや社会へのコミットメントを果たさない。やらねばならないと自覚して、しかし、先送りする。結果的に怠慢組の烙印を押される。


今週の週初め、大阪から鳥取に向かう車窓越しに辺鄙な風景に目を遣っていて、再びアッシジの回想が始まった。ローマから列車で北へ2時間、2000年に世界遺産に登録された聖地である。緑溢れる平野を抜けた丘陵地帯の小村、その自然の一部を大聖堂が借りているかのような風情であった。

IMG_5619Katsushi Okano
Assisi
2004
Pigment liner, watercolors, pastel

喫茶店とマッチ

昭和30年代前半(1955 – 1960)、まだ小学生になる前だったと思うが、たまに父が近所の喫茶店に連れて行ってくれた。当時おとなの男はほとんどタバコを喫っていた。よく目にした銘柄は「いこい」「新生」「ショートホープ」など。銘柄もデザインもよく覚えているのは、タバコを買いに行かされたからである。「ハイライト」が出たのはもう少し後だ。

父によると、昭和20年代のモーニングには「タバコ2本付き」というのがあったそうだ。30年代、高度成長に呼応するように喫煙者は増え続けた。喫茶店では皆が皆タバコを燻らし紫煙が充満していた。その匂いを嗅ぎながら――つまり、副流煙を吸いながら――ぼくにあてがわれたのは決まってホットケーキとミルクセーキだった。おとなの世界に少し浸る時間を愉快がっていた。

喫茶店と言えばコーヒー。珈琲という文字も覚えた。コーヒーと言えばタバコと煙、そしてタバコと煙と言えば、マッチ箱だった。その頃はどこの喫茶店でも自家製マッチを用意していたものである。


タバコを喫った時期も止めていた時期も、喫茶店のマッチは必ず一箱いただいて帰った。マッチのコレクションは自室の壁のさんの上に並べていた。なかには有料でもいいと思うくらい立派なデザインのものもあった。最近はマッチを置いていない店が増えた。「マッチをいただけますか?」と聞くと、ライターを持って来る。タバコを喫うんじゃないのに……。

マッチ箱の絵1

一時、マッチ箱の絵をよく描いた。立体的に描くのは当然だが、切り抜いてやると立体感がよりよく出る。描いた内箱の中に、本物のマッチの軸の先を折って貼り付ける。実際はこの部分が2、3ミリほど浮き出ているのだが、内箱に収まって見えるように工夫する。

誰かがタバコを取り出すタイミングを見計らって、この絵を差し出す。お茶目な悪戯だ。触られたらバレるのだが、タバコをくわえて手を伸ばして触るまでがぼくのほくそ笑み時間。そんな小道具などとうの昔に捨てていたつもりが、オフィスのあまり使わない引き出しの奥から出てきた。