対比する日々

二つ(または、それ以上)のものを比べるのが対比。仮に二つとして、何のためにその二つを比べるかと言うと、違いを明らかにするためだ。まったく同じものを対比してもしかたがない。

🌸 一本の樹木に「サクラの仲間」と書いた札が付いている。サクラの仲間はサクラと対比されているのだが、「違う、似ている、同じ」のいずれの意味なのかわからない。仲間だから「サクラ組」に属しているはず。単にサクラではなく、サクラの仲間と書くことにこだわったのは、同じではなく違うという判断をしたからだ。
ホットコーヒーを注文したのに、「こちらホットコーヒーの仲間になりまーす」と言って持ってきたら、アウトだろう。

📅 今日と明日は違うにもかかわらず、「明日がある」と自分を励まして、今日の自分がほっとしている。明日は今日を担保しない。
近所に「今日しかない」という名前の店があった。今日しかないという主張に明日に期待しないぞという覚悟があったと思うが、残念なことに店じまいした。
カレンダーを見たら今日の次が明日だから、今日と明日はつながっているような気になる。今日が終わらないと明日が来ないのだから、明らかに別物である。

🍃 鉢植えの観葉植物が枯れた翌日に、たくましく息遣いをしているような名も知れぬ雑草を路傍に見つけた。しばらくその雑草を見ていた。ぼくに観られていたという点で、あの草を観葉植物の仲間と呼んでもいいかもしれない。

⌚ 本で読んだ経絡体操のストレッチを自己流で何十年もやっていたが、元体操選手のYouTubeの動画が良さそうだったので、先月から毎朝ストレッチをしている。身体と股関節をやわらかくするストレッチ。
ストレッチとエクササイズやフィットネスとの違いを知らないが、何に効くのかは告げられるまま。軽い動きなのに普段使わない筋肉に負荷がかかっているのが実感できる。可動域が日々少しずつ大きくなっているのがわかる。但し、20±5分を目安にしているが、5分間増やしたり減らしたりして対比するが、効果の違いはわからない。