本と書架の風景

著名人のエッセイを収録した『書斎の宇宙』(高橋輝次 編)は、書斎、机と机の周辺、原稿用紙や筆記具についてのこだわりと思い出と葛藤を語るアンソロジー。机上についての話がおもしろい。木山捷平は「机の上」と題した小文の冒頭で「本日只今現在、私の机の上にあるものを、無作為列記法によって右から順々に記述する」と宣して、すべてを書き尽くす。

机の上の目に入るものを枚挙するのは簡単だと思ったが、実際にやってみると、机上には雑多なものがおびただしいことに気づく。根気が続かないし、やっているうちにバカらしくなって断念した。同じ章の「机上風景」では井伏鱒二は眼鏡、灰皿、硯箱、文鎮、ペンを取り上げる。これだけなら、ざっと見渡せばいいからできそうだ。

机上風景があるのだから、書架風景もある。本と本棚についてはキャリアだけは長いので少しは語ることができる。20183月にオフィスをリフォームしようと思い立ち、ついでに読書室を設けることにした。以前からオフィスにあった数千冊から3,000冊ほどセレクトし、そこに自宅の蔵書約5,000冊を合わせて所蔵することにした。同年6月に開設。


開設してから今年の6月で丸7年になる。新たに購入したり寄贈を受けたりして所蔵図書は増え続け、別室の2室の書架にも合わせて1,000冊以上保管している。気がつけば、ほぼ空っぽになった自宅の書斎でも再び1,000冊程度の蔵書状態になっている。本をどうするかという問題は永遠に解決することなく、それどころか、年々深刻化する。

自然の風景を眺めればストレスが消え去るように、書架風景も煩わしい本の増殖問題をしばし忘れさせてくれる。本と自分、自分と本棚の間には距離がある。絶妙の距離感を覚える時、本をよく読み、本棚に頻繁に手を伸ばすようになる。一度遠ざかってしまうと、読書室で本棚を眺めることもなくなり、読書も億劫になる。

本を読まなかったわけではないが、この1年はおそらく今世紀で最も本と本棚との縁が薄かったように思う。最近ようやくその気・・・になってきた。本を買ってすぐに読まず、ひとまず本棚に入れる……狙いもなく適当に未読本や既読本を本棚から取り出す……読んだ本を本棚に戻す……本に触らずに背表紙を眺める……こういう行動はその気になった時に現れる。

語句の断章(64) だいたい

都会の住宅地の公園に日時計がある。棒のかげがだいたい・・・・1030分あたりに落ちていた。腕時計を見ると、若干の誤差がある。若干? 23くらい・・・か。日時計の時の刻み方はおおまか・・・・だが、この程度・・の差なら、おおらかで許容範囲である。

散歩から帰って書いた十数年前の小文。日時計が時を告げている珍しい場面に遭遇して日常生活の「質感」に触れた気がして新鮮だった。デジタル時計のような杓子定規な几帳面さからは生まれてこない、天然の悪意のない大雑把にほっとした。

「だいたいやねぇ」は評論家の竹村健一の口癖だった。芸人がよくモノマネをしたのは茶化す意味もあったはず。だいたい、ざっくり、大雑把に見て……などの物言いはいい加減だとして時々厳しい目が時々向けられる。しかし、枝葉末節にとらわれず、主だった部分と意図さえ押さえておけば、日々の生活で大事に到ることはほとんど・・・・ない。


上記のように、だいたいには類語の仲間がいろいろある。類語が多いのは頻度が高いのと同時に、ニュアンスがきめ細かく分化してきたからである。明言を避けて少しだけ不透明にできるから、だいたいの仲間を重宝する人たちも少なくない。

「頃」もそんな仲間だ。「頃あいを見計らう」と言えば、ある時ちょうどではなく、その前後を指している。ここでは「ころ」と読む。ところが、頃を「ごろ」と読むと、見頃とか食べ頃のように、ちょうどよい程度を表わす。なお、英語のアバウトはだいたいの仲間に加わって久しいが、つねに適当感と無責任感がつきまとうので要注意だ。

上でも中でも下でも、二字熟語遊び

今日は「上、中、下」で遊んでみた。

上船 じょうせん 船上 せんじょう

(例文)「陸から船に乗り込むのが上船。いったん上船したら、下船しないかぎり船上にいることになる。船上にいると言えば、説明しなくても船中にいることを意味する。」

船上とは文字通り船の上のことだが、船に乗っている状態である。船上で食事と言っても、必ずしも船のデッキに出て食べているとはかぎらず、船室内での食事かもしれない。
上船は船に乗り込むという一義以外に意味はない。しかし、船上は多義語である。なお、上船は乗船とも書く。ほぼ同義である。

 道中 どうちゅう 中道 ちゅうどう

(例文)「道中、行く先々でいろいろなハプニングがあったが、極端に無理をせず、まるで中道を歩む修行僧のごとくやり過して無難に長旅を果たした。」

中道という用語を見聞きすることが少なくなった。左でも右でもなく、極端に走らずに穏当おんとうであることが中道だ。無難で特徴がないと皮肉られることもある。
他方、道中とは長旅や行程のこと。道中という語感は行く先々の土地柄やエピソードを連想させる。『東海道中膝栗毛』をテーマにした道中双六は滑稽だろうが、中道双六があるとしても、イデオロギーや政治の話ばかりではさぞかし退屈に違いない。

下地 したじ 地下 ちか

(例文)「いい仕事に就きたければ、技能や教養の下地を整えなさい。秘密組織に入ったりトンネルを掘ったりレアメタルを掘り当てたりしたければ、地下に潜りなさい。」

何かを最終的に仕上げる前段階として下地という準備がある。見た目、それは仕上げの面の下に隠れている。壁の下地も化粧の下地も隠れている。
下地と同じく、地下も地面の下に隠れているので直接見えない。隠れていて見えないものには
怪しいものが多いが、稀に大当たりもあるから地下に行く者は後を絶たない。


〈二字熟語遊び〉は、漢字「AB」を「BA」と字順逆転しても、意味のある別の熟語ができる熟語遊びである。例文によって二つの熟語の類似と差異を炙り出して寸評しようという試み。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になることもある。熟語なので固有名詞は除外する。

古本屋の店頭で

昭和な雰囲気漂う古書店。奥の方には専門書や古文書も多数揃える本格派だ。手の届かない高い棚に手の届かない高額稀覯本が並んでいる。対して、通路側の店頭には1,000円未満の単行本、200円未満の文庫本が並べられ、一部は雑に積まれている。週替わりであの手この手の店頭セールをおこなう。

この店だけでなく、あの手この手に乗せられて本を買い過ぎた。生涯買った本は1万冊を下らないが、読みたくて手に入れたものばかりではない。本を買うか買わないかに悩んだら、たいてい買ってきた。安価な古本は特にそう。どんな本にも目を通すが、熟読するのは半数。読書家と思われているが、そうではない。実は「買書家」なのである。

先週その店の前を通りかかると、単行本1200円セールの日だった。1200円だが、3冊買うと500円という、よくある設定。以前は黙って無理やり3冊選んでいたし、時には3の倍数の6冊や9冊を買っていた。2冊は決まった、しかしよさそうなあと1冊が見つからない。2400円でもいいのに、3500円にしたくなる心理が働く。

こんなふうにして読まない本もどんどん増えていったが、読書にも飽きてきたし置き場にも困るようになり、最近は少数精鋭主義で本を選ぶようにしている。どの店のどんな魅力的なセールであっても、買うのは1冊と決める。「ついでの本」に惑わされず、お金を使わない。

と言うわけで、その日手に入れた「この1冊」は『私の死亡記事』。文藝春秋が企画して依頼状を出したら、各界著名人102名が了承して執筆したという。あいうえお順に並ぶので阿川弘之の次に娘の阿川佐和子が続く。他に高峰秀子、田辺聖子、筒井康隆、細川護熙、横尾忠則……。トリは昨年亡くなった渡邉恒雄だ。

自分の死亡記事は存命中でないと書けない。2000年発行なので、執筆した102人は当時は元気だった(少なくとも文章を書けた)。あれから25年、生きている執筆者は少数派になった。編集部が余計な注文をつけるまでもなく、錚々たる書き手はユーモアを心得て書いている。略歴のまとめ方、死亡の原因、年月、享年など工夫があっておもしろい。

「原宿族の若者らと乱闘になり、全身打撲、内臓破裂で死去、九十六歳」(筒井康隆)
「香港の南昌地区にある永安老人病院で死亡した日本人女性が、二十年前に失踪した作家の桐野夏生さん(七十四歳)とわかり、周囲を驚かせている」(桐野夏生)
「自宅庭のハシゴより転落し、外傷性脳内出血のため死去、九十四歳」(渡邉恒雄)

「私儀、今から丁度一年前に死去致しました。死因は薬物による自殺であります。銃器を使用するのが念願だったのですが、当てにしていた二人の人間とも、一人は焼身自殺、もう一人は胃癌で亡くなり、やむなく薬物にしました」。こう綴り始めたのは評論家の西部邁。この死亡記事を書いた18年後、実際に薬物を口にして入水自殺した。合掌。

晩ご飯よもやま話

広報や広告に従事していた30代の数年間、よく働きよく食べていた。夜の食事が深夜になることも、昼食抜きで12時間連続仕事することも稀ではなかった。振り返ればあの頃は体力はあったが、体調には波があった。体調は加齢した今のほうが断然よい。

夜遅く食べない、夜に過食しないことを心掛けただけで、体調がみるみる改善したのである。昼に麺やライスを少々盛っても心配ない。その程度のカロリーオーバーは午後の頭脳労働で帳消しにできる。体調維持の鍵を握るのは「夜をどう食べるか」なのだ。

最近は夜の外食を控えているが、先週末にスペイン料理店に行った。5時半に入店し、小さなピンチョスのおつまみにグラスビール。生ハムとトリッパの煮込みに赤ワインを合わせる。〆は魚貝のパエリア。7時過ぎに会計を済ませて、あてもなく遠回りして歩く。自宅近くのホテルのカフェでエスプレッソを引っかける。8時頃に帰宅。とても健康的である。

バルセロナへの旅を思い出した。ガウディやサグラダファミリアの記憶と同程度に、バルやレストランでの食事が強く印象に残っている。生ハムやエスカルゴや肉料理もさることながら、彼の地の人々の食事時刻と食事時間の習慣にはたまげた。

知人に紹介してもらったレストランに電話してカタコトのスペイン語で予約した。「7時に2人」と言えば「ノー」と言われた。ダメなのは人数ではなく時刻だった。店の開店時刻は8時。散歩で時間を潰して店に行った。一番乗りだった。夜の10時までに入店したのは他に1組のみ。

ところが、食べ終わる頃から老若男女の客が三々五々グループでやって来て、あっと言う間にほぼ満員になった。彼らの食事風景を見届けるまでもなく想像はつく。ラストオーダーの時間は守られず、当然のことながら日をまたいだ晩ご飯になったに違いない。客に妊婦も子どももいたので、こういう習慣をスローライフとかスローフードとは言いづらい。

ここ十数年、付き合いを除けば自分のペースで仕事と食事ができるようになった。午前9時から午後5時まで働き、朝食は8時までに済ませ、夕食もなるべく8時までに終えるのを理想としている。

英語で朝食のことを”breakfastブレックファスト“と言う。意味は「断食を破る」だ。晩ご飯を夜の7時に終えて翌朝の7時に朝食を摂れば、12時間断食したことになる。長い時間のようだが、睡眠時間が含まれるから空腹感で苦しまずにいられる。夜更かしして晩ご飯を食べていると、胃の休まる暇がない。これが体調不良の原因の一つだったのである。

当世ランチ事情――値段と値打ち

ここに書く話は個人的体験と仲間内での見解に基づくもの。全国津々浦々事情が同じでないことを承知している。懐具合の差異によっても認識は大いに変わってくる。

官公庁、オフィス、商業、住宅が立地する仕事場近辺。およそ10年前までは、一部高級店のメニューを除くと、ほとんどの定番ランチは600円から800円のゾーンに収まっていた。しかし、ここ10年のうちにじわじわと50円単位で値段が上がってきた。それでも、ランチ代の相場は1,000円未満にとどまっていた。

洋食レストランや中華飯店では1,500円や2,000円の特別定食を出していたが、それは例外。1,000円を超すランチにはスペシャル感があった。サラリーマン相手の店は1,000円という一線だけは超えないように努力していたと思う。だが、もはや限界。ここ一、二年のうちに、いわゆる大衆的な昼めし処の半数以上が一気にレッドラインを超えた。


京御膳ランチ

モールのレストラン階にある和食店。一昨年くらいまで同じフロア―の全店舗が歩調を合わせてイチオシのメニューを1,000円で提供していた。現在、歩調は合わなくなっている。と言うか、どの店も自慢のメニューを1,000円では出せなくなったのだろう。こちらの京御膳は200円アップした。それでもリーズナブルである。お連れした客人は手厚くもてなされたと感じてくれている。

インドカレーランチ

前は900円、今は1,100円。カレー2種にすると200円アップ、ナンをチーズナンにすると300円アップ、シシカバブをタンドリーチキンに変更したりすると2,000円では済まなくなる。インドカレーは1,000円未満という昔からのイメージを引きずっているので、カレー1種のセットの1,100円は少々高いという印象を受ける。お替り無料のナンを追加して帳尻を合わせる。

牡蠣フライ定食

他店が800円、900円で頑張っていた頃に、早々と1,000円に値上げした海鮮系の店。メインの皿に、刺身のミニ皿と小鉢がつく。この日は牡蠣フライがメイン。まったく割高感を覚えない。遅れて値上げをした他店はこの店よりも高い値付けをしている。一番乗りで値上げをしたが、その後はずっとそのまま。健闘しているので応援したくなる。

トンカツのカツとじ(カツ煮)

日替わり限定30食の店。3年前に初入店した時からずっと850円。具だくさんの丼サイズの味噌汁と小鉢2品がつく。しかも、1145分までに入ると50円割引の800円になる。唯一の難は、メインの皿が豚肉と鶏肉のローテーションなので飽きること。

にぎり10カン/赤だし

オープンしてから78年経つと思うが、それ以来ずっとにぎりセットを650円で提供している。コスパ大賞を授けたいと思う。昼はたまに来るが、夜は来たことがない。昼のお得価格は夜の集客の呼び水だが、はたして成果のほどはどうだろう。なお、節分の丸かぶりの海鮮巻は毎年この店のを買う習わしだが、昨年の1,200円が今年は1,500円になっていた。

抜き書き録〈テーマ:ヨーロッパ〉

ヨーロッパに関する蔵書が100冊以上ある。何度も読み返している本もあれば、買ったままの未読本もある。ヨーロッパへの関心は思想や中世がきっかけだった。やがて、街、料理、芸術・文化、建築について書かれたくだりを拾い読みするようになった。訪れた街の記述に出合うと、感覚や記憶が一気に呼び覚まされる。


📖 『ふだん着のヨーロッパ史――生活・民俗・社会』(井上泰男)

西欧農村と関係の深い野生の動物としては、鹿のほかに、狐、穴熊、雉子きじ、野兎、蜜蜂などがあり、それらは二十世紀のはじめごろまで、特別に注意を惹かないほどたくさん棲んでいた。

古代からケルト人やゲルマン人の祭りの行事に縁のあった動物は鹿である。人々は「豊」を祈って歩き踊り、一部の人たちは鹿の頭部の剥製をかぶっていた。肉食を好むから必然狩猟の儀式。日本に残る儀式は農がらみで、祈っているのは穀物の「豊穣」である。なお、いろんな野生動物を食してきたジビエ料理家に尋ねたら「美味の筆頭は断然穴熊」と言った。

📖 『ヨーロッパの風景――山の花・文化の華紀行』(福山孔市良)

ブリュッセルはベルギーの首都である。(……)ブリュッセルの町にはグラン・プラスと呼ばれる美しい広場があり、ここがすべての中心点である。この広場はギルドハウスに囲まれた110メートル×70メートルの方形広場で、南側には1315世紀に建てられた市庁舎があり、(……)

ナポレオンはヴェネツィアのサンマルコ広場が世界一美しい広場だと言った。ヴィクトル・ユーゴーが世界一美しい広場と讃えたのはブリュッセルのグラン・プラス広場。パリ滞在時、日帰りでブリュッセルを訪れたことがある。サンマルコとグラン・プラス、甲乙つけがたいが、夕暮れ時の市庁舎の美しさを加味すればグラン・プラスに軍配を上げたい。

📖 『ヨーロッパの街から村へ(画:安野光雅)

カンポ広場[シエナ イタリア]

本書は絵はがき20枚を綴じた文庫本である。通常の文庫本のサイズで、見た目の体裁も文庫本である。ただ、絵はがきとして使われることも想定しているので、文章は一行もなく、はがきの裏面に場所の名称と街と国名だけが記されている。
この本でも広場に目が行った。二度訪ね、エスプレッソを飲みながら約2時間過ごしたカンポ広場は、グラン・プラスとサンマルコよりも気に入っている。

 

📖 『遥かなヨーロッパ』(柴田俊治)

これがパリだといえる看板通りといわれると月並みだがやはりシャンゼリゼになる。
シャンゼリゼがいかにも豪華、壮麗なアベニューにみえる一つの秘密は、全長約2キロのこの大通りが、コンコルド広場から凱旋門まで、歩いても気がつかないほどのわずかな勾配で上りになっているところにあると思う。

二度往復しているが、わずかな勾配にはまったく気づかなかった。坂ならわかったはず。しかし、凱旋門の端に立てば「真っすぐに延びる大通りの全部が見通せる」と著者は言う。通りの車、並木、人の群れ、カフェ、建物が弓の弦の上に乗ったようにせりあがって見えるそうだ。ところで、何度覚えても“Champs-Élysées”の綴りはすぐに忘れてしまう。