古本屋の店頭で

昭和な雰囲気漂う古書店。奥の方には専門書や古文書も多数揃える本格派だ。手の届かない高い棚に手の届かない高額稀覯本が並んでいる。対して、通路側の店頭には1,000円未満の単行本、200円未満の文庫本が並べられ、一部は雑に積まれている。週替わりであの手この手の店頭セールをおこなう。

この店だけでなく、あの手この手に乗せられて本を買い過ぎた。生涯買った本は1万冊を下らないが、読みたくて手に入れたものばかりではない。本を買うか買わないかに悩んだら、たいてい買ってきた。安価な古本は特にそう。どんな本にも目を通すが、熟読するのは半数。読書家と思われているが、そうではない。実は「買書家」なのである。

先週その店の前を通りかかると、単行本1200円セールの日だった。1200円だが、3冊買うと500円という、よくある設定。以前は黙って無理やり3冊選んでいたし、時には3の倍数の6冊や9冊を買っていた。2冊は決まった、しかしよさそうなあと1冊が見つからない。2400円でもいいのに、3500円にしたくなる心理が働く。

こんなふうにして読まない本もどんどん増えていったが、読書にも飽きてきたし置き場にも困るようになり、最近は少数精鋭主義で本を選ぶようにしている。どの店のどんな魅力的なセールであっても、買うのは1冊と決める。「ついでの本」に惑わされず、お金を使わない。

と言うわけで、その日手に入れた「この1冊」は『私の死亡記事』。文藝春秋が企画して依頼状を出したら、各界著名人102名が了承して執筆したという。あいうえお順に並ぶので阿川弘之の次に娘の阿川佐和子が続く。他に高峰秀子、田辺聖子、筒井康隆、細川護熙、横尾忠則……。トリは昨年亡くなった渡邉恒雄だ。

自分の死亡記事は存命中でないと書けない。2000年発行なので、執筆した102人は当時は元気だった(少なくとも文章を書けた)。あれから25年、生きている執筆者は少数派になった。編集部が余計な注文をつけるまでもなく、錚々たる書き手はユーモアを心得て書いている。略歴のまとめ方、死亡の原因、年月、享年など工夫があっておもしろい。

「原宿族の若者らと乱闘になり、全身打撲、内臓破裂で死去、九十六歳」(筒井康隆)
「香港の南昌地区にある永安老人病院で死亡した日本人女性が、二十年前に失踪した作家の桐野夏生さん(七十四歳)とわかり、周囲を驚かせている」(桐野夏生)
「自宅庭のハシゴより転落し、外傷性脳内出血のため死去、九十四歳」(渡邉恒雄)

「私儀、今から丁度一年前に死去致しました。死因は薬物による自殺であります。銃器を使用するのが念願だったのですが、当てにしていた二人の人間とも、一人は焼身自殺、もう一人は胃癌で亡くなり、やむなく薬物にしました」。こう綴り始めたのは評論家の西部邁。この死亡記事を書いた18年後、実際に薬物を口にして入水自殺した。合掌。