今と重なる15、6年前の事象

衆議院選挙の結果は世論調査やわが予測とほとんど同じであった。昨日の午後8時を過ぎると当選確実が続々打たれ、いくらかの誤差を見込んだとしても与党圧勝の結果が確定した。あらすじを知っているドラマを見ているようで、ワクワクしなかった。昼間の片付けで見つけた雑記帳や新聞の切り抜などを粗っぽくゴミ袋に入れて、早い時間に眠りについた。切り抜き1つとブログのコピー1枚だけ捨てずに取っておいた。

【事象①】
早く寝たので早く目覚め、昨夜捨てずに取っておいた新聞の切り抜きを眺めた。

それは20107月の参院選の比例代表の結果の切り抜きである。前年の衆院で勝利して政権交代した民主党だったが、翌年のこの参院選で大敗した。政権与党であることに変わりはなかったが、衆参で多数派が異なる「ねじれ国会」状態となった。

今回の選挙では、自民、維新、中道、国民民主、参政、みらい、共産、れいわ、ゆうこく連合、保守、社民の11党が競った。

2010年の参院はどうだったか。民主、自民、みんな、公明、共産、社民、たちあがれ、改革、国民新党、創新、女性、幸福が争った。今回よりも1党多い。国民新党は今の国民民主とは違う。創新は維新ではない。みんな、たちあがれ、改革、女性、幸福も今はもう存在しない。あ、そんな党があったなあという程度の反応しかない。

選挙があるたびに、与野党の党勢が変化し、そのつど二大政党への期待を膨らませるむきもあるが、この国の政治家は保守であれリベラルであれ発想は似たり寄ったり。大同小異の「小異」にこだわるから、常に多党化の現象が顕著になる。

【事象②】
もう1つ取っておいたのは、事象①の前年の20091月に書いたブログ『米国というジレンマ』のコピー。

米国に対してはやや失望気味のほうがジレンマに悩まずにすむことを学習した。世界には多様な価値観が存在する。大企業が苦戦するように大国も苦悩に喘ぐのである。警察官だって犯罪に手を染めるのである。正義も誤るのである。当たり前だ。

米国との関係性におけるジレンマにうろたえるよりも、そろそろ国家も個人も自分自身が直面している日本社会のジレンマを何とかすべきだろう。「欲望を強くすればやがて身を滅ぼす。また節度を守れば土足で踏みにじられる。欲望に走っても節度を守っても危うい生き方になってしまう」。さあ、どうする?

これから先の予言として読めなくもない。156年経って再びアメリカはジレンマに陥り、その様子を見て見ぬ振りをするような反応しかできない日本も相変わらずジレンマに苦しんでいる。さあ、どうなる? 無関心ではいられない。