シニアの生き方として、一つに「道なり」があり、もう一つに「アンチ道なり」がある。
道なりはよく使うことばだが、オフィスに所蔵している7、8種類の辞典のうち、見出し語として載せているのは広辞苑と旺文社の国語辞典のみ。愛用の新明解は収録していない。広辞苑は次のように記載している。
みち・なり【道形】 道のまま、それに沿うこと。「――に行けば駅に出る」
シニアの生き方で言えば、歩んできた道の流れに逆らわず、過去と同様に今日も明日も道のそのままの形に進むこと(そうすれば幸福駅(?)に辿り着く)。1日の大半をこれまで通りにルーチンをこなすことに費やしていれば、余計なことを考えることもなく、その範囲ではやるべきことをこなせて物忘れも何とか防げる。
はっきり言って、そんな生き方はマンネリズムであり惰性的生き方であるが、今さら「惰性に流されるな!」と叱咤されても、シニアには逆効果になることが多い。物体が今までの法則通りに運動を維持しようとするように、シニアの惰性も慣性法則の一つであり、道なりに沿って進むのが自然だ。
いや、惰性はよくないと思うのなら、1日のルーチン日課の大枠を維持したままで、新たな日課――初めての趣味や生活の創意工夫――に励んでみる。これまで経験したことのない新鮮味を覚えたり感動の瞬間を味わえたりできるかもしれない。何よりも脳の老化を遅らせることができる。
但し、背伸びのし過ぎは禁物。まずは道なりを徹底することが肝要だ。習慣的にやっていることを続けるだけで集中力を維持することができる。そして日々、少し残念に思う惰性的に過ごす時間の範囲内でアンチ道なりを試みる。アンチ道なりはこれまでの生き方の一部方向修正である。
ところで、道なりを徹底するには、何が自分にとっての道なりかをわきまえておく必要がある。道なりとは上図で「これまでの――から――へと無理なく進むこと」であり、アンチ道なりとは三叉路で「――から――へと急転回すること」である。惰性的な行動を改めて能動的な生き方にシフトするにしても、道なりを全否定しているわけではない。一部のアヴァンギャルドなシニアがアンチ道なりで成功していても、憧れるべからず、安易に真似ようとするべからず。基本はとどまらないこと、そして道なりに進むことである。