時代が読めない商売人たち

経緯やしくみを調べてもいいのだが、それほどの価値があるとは思えない。そこで、経験と推理だけに頼って一つ批評してみることにする。

ぼくの住まいの近くには玩具や繊維関係の卸問屋街がある。シャッターが閉まったままの建物、業種業態を変えた店や新築マンションが目立ってきたものの、かつて繊維で栄えた問屋通りがかろうじて生き残っている。問屋街というのは小売業者を相手に商売をしている。少なくともかつてはそうであった。小売業者はここでモノを仕入れてそれぞれの店で消費者に売る。当然のことながら、卸も小売も利益を上げないといけないから、〈製造元価格-小売価格〉の間で利益を分け合わねばならない。小売価格のことを彼らは「上代じょうだい」と呼ぶ。いかにも業界用語らしい。


「小売いたしません」という表示を掲げた鞄の卸問屋の店先にちょっとこましなのを見つけたことがある。聞いてみたら、表示通り「一般客には小売しない」と言う。つまり、小売業者にしか売らない。別の店にも同じような表示があった。ちょっと立ち止まって見ていたら、店主が出てきて「よかったら売ってあげてもいい」みたいなニュアンスで小声で話しかけてきた。問屋街ではなく勘違いの商売人たちである。

素人売りしない卸売店

「素人売りは一切致しません」。その言い方、上等じゃないか。時代錯誤で表示を掲げる商売気質、上等じゃないか。

この業界では今でも消費者を素人と呼んでいるのである。「うちは卸売りだから小売業者相手です。素人には売りません」と宣言しているのだが、素人に告げているのではなく、小売業者に対して「うちは小売業の商売を横取りなどしていません」と証を立てているのである。

欲しい・買いたい需要が強ければ、売り手は楽である。高度成長時代というのは、消費者の購買欲望に支えられてモノが勝手に売れたのである。供給されるモノの質と量に必ずしも満足していないが、とにかく少々の不満があっても待たされても、消費者が欲しくて欲しくてしかたがなかった時代であった。この時代に懐を肥やした業界が隠語の「いとへん」、すなわち繊維だったのである。

表向きは小売業に売る振りをしながら、実質は消費者向けの路線にシフトした卸業者は健闘している。時代が読めないセンスの悪い商売人は、繁栄の時代に染みついた体質から脱却できずにいる。成長から成熟へと時代が転じて久しい。購買熱を上回る供給のオーバーフロー、オーバースペックが常態になっている。「別に今すぐに買わなくてもいいさ」という消費者に対して、卸も小売もあの手この手で必死の販売戦術を繰り出さねばならないのである。「素人売り一切致しません」……どうぞお好きなように。こっちはちっとも困らない。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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