先近後遠

「先近後遠」などという四字熟語はない。造語である。何と読もうか。訓読すれば「近きを先に遠きを後に」だが、一応「せんきんこうえん」としておく。

数年前、ある大学院の准教授が“Near first, far second”という表現を使った。「直近に迫っていることや身の回りのことを先に済ませ、時間的場所的に遠いものは後に回す」という優先順位の話だった。念のためにいろんな辞書や書物で調べてみたが、ついにそんな英語の成句は見当たらなかった。調べようが足りなかったのかもしれないが、その先生の造語だと推測する。別に和製英語だからと言って問題があるわけではない。意図するところは十分にわかる。英語が造語なら、ついでに日本語も造語でいいだろうと思った次第である。

様々な遠近がある。時間の遠近なら、遠い将来と現在(または近い将来)、場所の遠近なら遠方と自分のいる所(あるいは周辺)、間柄の遠近なら疎遠と親密である。いずれでも、まずはよりよく見えるもの、手を伸ばせば届きそうなことを優先せよというのが先近後遠の考え方だ。なるほど、これを習慣化すれば先送りしなくなるし、仕事もテキパキと片付くに違いない。しかし、必ずしもいいことづくめでもない。中長期的展望や構想が後回しになりかねないからだ。仕事は日々のルーチンが中心となり、緊急の業務が優先される。グズ防止の処方箋ではあるが、目先の戦術ばかりで戦略がお留守になる危うさもある。

腹が減ったら目の前の食事にありつこうとする。当たり前だが、空腹時に次の誕生日の晩餐メニューにまで思いを馳せない。直近の物事に目を凝らし、ひとまず差し迫った事態に反応するのは、人も動物だからだ。ちゃんと先近後遠がDNAに仕込まれているのである。動物は目の前のエサに反応し、近くにいる天敵に怯え、先のことなど考えずに交配する。種の保存を強く意識して行為しているという説は滑稽である。たとえば「巣作り→抱卵→生育」などと書くと、そこに時系列の流れを感じ取ってしまうが、そんなものは概念上の理屈に支配されているからだ。どの過程もその時その場の行為であって、深慮遠謀の目的が意識されているはずもない。


人が動物と異なるのは、手段と目的の分別をしている点においてだ。目的を達成するために手段があり、また、諸々の手段は目的につながるものであると考えている。そして、しばしば手段と目的を取り違えたり目的よりも手段が気になったりするのは、時間的に手段のほうが目的よりもつねに手前にあるからだ。こうして、だいたいにおいて目的よりも手段が優先されることになる。本来は目的あっての手段だったはずなのに、本末転倒の誤りをおかしてしまう。小事と大事の関係も同様で、小事ほど具体的に見え、大事ほど輪郭がぼやけている。だから小さな仕事が大きな仕事につねに優先される。理不尽にして小さなクレームなのに緊急に対応してしまうなどはその最たるものである。

呼出と流す

ところで、二つの事柄に遠近の差がないとどうなるか。たとえば、よく使うものは先近、めったに使わないものが後遠のはずだが、両者が空間的に同じように扱われ近接している場合である。先日泊まりで検査入院した折りにこれを経験した。個室のトイレの〔流す〕と〔呼出〕ボタンがそれである。

病の身でないから、よほどのことがないかぎり〔呼出〕に用はない。下剤を服用し水分を十分に補給しているから、出番があるのは〔流す〕のほうだ。にもかかわらず、二回に一回はつい〔呼出〕に手が伸びてボタンを押しかけた。幸い一度も誤作動させずに済んだが、こういう状況に置かれると、ぼくたちは遠近や先後に、ましてや手段や目的に意を払うどころではなくなってしまうのである。

と、ここまで考えてきて、ふと気づく。頭の中でやれ手段だ目的だ、これが先であれが後、これが近であれが遠だなどと思い巡らしてみても、結局のところ、今何が重要なのかという判断は個人に委ねられる。ちょうど病院やトイレ設計者が自らの思惑で〔流す〕と〔呼出〕を同等に扱って近接させたように、ぼくたちも日々の仕事において勝手な思い込みで先近後遠を判断しがちである。ならば、いっそのこと先の先まで考えずに、その時その場で環境の変化に対応すべく日々を営めばいいのではないか。遠望を捨てる代償は小さくないが、とりあえず目先の小さなことをこつこつとこなしていくほうがうまく行くこともある。少なくともグズな人には有力な処方箋と言えるかもしれない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

「先近後遠」への2件のフィードバック

  1. 「流す」と「呼出」には、何度もドキドキしました。
    まれに「開閉」ボタンまであると、うっかり「呼出」を押し、あわてて「開閉」を押すという最悪の状況を考えます。
    最近、「緊急でないが重要な仕事をすべきだ」と言われ、「緊急でないが重要な仕事」を優先すべく「緊急だが重要でない仕事」を後回しにしました。
    多くの催促が来ました。
    私の重要度と、他者の重要度の違いが、約4割でした。
    どうやら私の6割は重要ではないようです。

    1. 竹末さん、ごぶさたしています。コメントありがとうございました。
      ボタンを押し間違わなくても、押し間違いそうになり踏み止まったとしても心臓の鼓動が高鳴る時があります。身体に悪い。
      コワモテのお兄さんのつまらぬクレームが緊急とされるのが企業や行政のしきたりです。品性の悪さや怒号には他人に急がせる力があります。決してぶれてはいけません。だいたい緊急の仕事とは反応的なものばかりで、主体的かつ自発的なものはないのです。緊急災害対策や凶悪犯罪などは国家・自治体に任せるとして、しがない中小零細企業はせめて主体的かつ自発的に構想を練り、ささやかに得意先の満足や社会の幸福を願ってこつこつと仕事をするしかありません。それが重要だとぼくは肝に銘じています。
      末尾になりましたが、7月に広島に行きます。

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