人は蟻の集団や隊列を見ると何匹いるのかかぞえたがる。
人は一生のうちに少なくとも一度は蟻をかぞえるらしいのだ。
“蟻は健気な存在であり、その蟻をかぞえる人間もまた健気である”
“蟻は不憫な存在であり、その蟻をかぞえる人間もまた不憫である”
ところで、「“”」は二重引用符だ。
二重引用符を並べたら何に見える?
“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”
「蟻」の話をしたから、蟻の隊列に見えてしまうだろう。
大型のガラス瓶に土を入れて蟻を飼ったことがあるかい?
ぼくはある。毎日毎日飽きずに観察したものだ。
先日、公園のベンチに腰かけていた。蟻の隊列が見えた。
ミミズの死骸を穴の中に運んでいるのだった。
上田敏が訳したレミ・ドゥ・グルモンの詩篇、『髪』の一節。
柊の匂、苔の匂、
垣根の下に實が割れた朽葉色の
萎れた雑草の匂がする。
次の節あたりに蟻が出てきそうな予感がしないかい?
けれども、蟻の出番はなく、ただ匂いの描写ばかりが続く。
数行先に視線を飛ばしてみる。
蜜蜂の匂もする。牧の草原に
さまよふ生物の匂がする。
蜜蜂が出てきたら、草原にさまよう生き物は蟻だ。
しかし、いよいよ出てくるだろうという期待は裏切られ、
この後に四行だけが紡がれて詩は容赦なく終わる。
ついに、この詩に蟻は登場しなかった。
ルナールは「蟻が“3”に似ている、うようよいる」と言った。
おびただしい数の蟻を“333333333333333……”と表現した。
蟻が3に似ていると思えるかい? とめどなく並ぶ3に。
“”“”“”“”“”“”“”“”“”“”“ と 333333333333333、どっちが蟻に見える?
蟻かぞえの詩
ありありありありありありありありありありありありあり
あり あり あり あり あり あり あり あり あり あり あり
あり、あり、あり、あり、あり、あり、あり、あり、あり、
あり、あり、あ、あ、あり、あ、あ……
あり、うごくな!