好物の干し柿をいただいた。水分がほどよく残っていて深い甘みのあるあんぽ柿である。柿は日本人にとってなじみのある果物なので、日本原産だと思われているが、どうやら奈良時代に中国から伝わったというのが真説のようだ。この起源説を知ると、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(子規)という句によりいっそう親近感を覚える。
2011年11月にバルセロナに旅した。その折に、有名なランブラス通りに面したボケリア市場で軽食を取り、店を冷やかして場内を歩いてみた。そこで、一杯たしか1ユーロほどの柿ジュースが売られているのを見つけた。他の果物とブレンドしていたのか、それとも何か別のものを添加していたのか、ちょっと柿らしくない鮮やかな色の甘い汁を困惑気味に飲み干したのを覚えている。
スペイン語でも発音は「カキ」で、kaquiやkakiと綴る。イタリア語でもcachiとkakiの両方の綴りがある。英語とフランス語はいずれもkakiだ。ぼくの知識が正しいなら、ラテン語系の言語ではカタカナの「カ」はcaで綴ることが多く、外来語の「カ行」の音にはkを用いるようである。柿の90パーセント以上がアジアで生産され、なかでも中国が最大の生産量を誇るが、日本語の発音であるkakiが世界中で標準の名称になっている。
日本名の産物がそのままの発音で諸外国で使われていることに誇りを持つほどのことはないが、おもしろい現象ではある。もっとも、その逆は枚挙にいとまがないほど例がある。17世紀頃に日本に入ってきたポテトにはジャガイモや馬鈴薯という和製語があるものの、トマトはトマトだし、セロリはセロリ、バナナはバナナと外来語をそのまま使っている。発音こそ若干違っても、特に言い換えをしていない。外国で柿をkakiとそのまま流用しているようなことは、わが国ではごく普通にあることだ。中国語に始まって、ぼくたちの先祖は外来語を拒絶することなく、巧みに日本語内に同化させてきたのである。
ぼくの知る欧米語では特定の柿やバナナに言及しないときは、原則複数形で表現する。ところが、単数と複数を語尾変化として峻別しない日本語では「柿が好物」とか「バナナが好き」で済む。その代わり、単複同型ゆえに、いざ個数を表現しようと思えば助数詞を複雑に操らねばならない。柿は一個、二個だが、バナナは一本、二本である。猫は一匹、二匹で、犬も小型犬ならそれでいいが、大型犬になると一頭、二頭。鶏は一羽、二羽だが、ウサギもそう数える。鏡は一面、二面、箪笥は一棹、二棹、イカなどは一杯、二杯だから、これはもう覚えてしまうしかない。
複数にするとき、たとえば英語やスペイン語では基本は単数に-sや-esをつける。イタリア語はちょっとややこしく、-aで終わる女性名詞は-eに、-oで終わる男性名詞は-iに変化する。名詞だけでなく、形容詞も男女単複で変わる。たとえば、おなじみの「ブラボー=bravo」も、すばらしいと称賛する対象によって、bravo(一人の男性)、bravi(複数の男性または男女混合)、brava(一人の女性)、brave(複数の女性)という形を取る。
そこで、イタリア語の柿であるcachiだ。偶然だが、発音も綴りもすでに複数になっている。ならば、彼らは一個の柿をどう表現するか。なんとcaco(カコ)という単数形を発明したらしいのである。ぼくの辞書には載っていないが、『歳時記百話 季を生きる』(高橋睦郎著)にはそう書いてある。興味深い話である。ぼくたちはバナナを一本、二本と呼ばねばならないが、バナーナーズと言わなくていいのはありがたい。