思い出のスローフード

ベルガモ チーズ.jpgベルガモ プロシュート.jpgベルガモ アニョロッティ.jpgその時、たしかに時間はゆったりと流れていた。食事に満足したのは言うまでもなかったが、時間そのものが至福の味わいであった。

時は2006年、味覚の初秋に約2週間かけてフランス、イタリア、スイスに旅した。パリとミラノとヴェネツィアにそれぞれ4泊という旅程だった。ミラノに滞在した折り、かねてから訪ねてみようと思っていたベルガモに出掛けた。列車で北東へ約1時間の街である。ここは二つのエリアに分かれている。駅周辺に広がる新市街地のバッサ(Bassa=低い)と、中世の面影を残すアルタ(Alta=高い)だ。日帰りなのでバッサは見送り、アルタを目指してケーブルカー駅へと急いだ。ここから標高336メートルの小高い丘の瀟洒な街が目的地である。地産地消の名物スローフードをランチタイムに堪能しようという魂胆。

ランチタイムの時間を稼ぐために足早に街を散策してみた。スローフードのための足早散策とは変な話である。ともあれ、オペラ作曲家ガエターノ・ドニゼッティゆかりの資料館や塔や要塞跡などを見学した後、ベルガモ料理を看板に掲げるトラットリアに入った。ハウスワインの赤を頼み、数ある料理から10分以上時間をかけて三品を選ぶ。どれも一品千円弱と驚くほどリーズナブルだ。

一品目はここベルガモでしか食べられないチーズの盛り合わせ。あちこちでチーズの盛り合わせを食べてきたが、これだけの種類を一皿に盛ってくれる店はまずない。二品目もご当地名物の生ハムプロシュートとサラミの盛り合わせ。馬のコーネのような脂身のハムが珍しい。濃い赤身の薄切りは猪だ。三品目は、ひき肉やチーズなどを詰めたラヴィオリの一種で、アニョロッティという。


これら三品のスローフードにたっぷり2時間はかけた。日本のランチタイムとしては考えられない間延びした時間。ちなみに“slow food”はイタリアで造語された英語。イタリア語では“cibo buono, pullito, e giusto”というコンセプトが込められ、「うまくて、安全で、加減のよい食べ物」というニュアンスである。

ぼくたちがイタリア料理の常識だと信じ切っている「大飯」ではない。前菜、大量のパスタ、ボリュームたっぷりのメイン料理にデザートというコースなら時間がかかるのもわかる。しかし、これもすでに過去の話となった。最近では一品か二品だけを注文してじっくりと2時間以上かけて食べるのが多数派になりつつある。現在イタリアでもっとも大食しているのは日本人とドイツ人ツアー客ではないか。残念ながら、ドカ食いとスローフードは相容れない。大量ゆえに時間がかかってしまうのと、意識的に時間をかけるのとは根本が違うのだ。

スローフードは“slow hours”(のろまな時間)であり、ひいてはその一日を“slow day”(ゆっくり曜日)に、さらにはその週を“slow week”(ゆったり一週間)に、やがては生き方そのものを“slow life”にしてくれる。ベルガモの体験以来、ぼくの食習慣はどう変わったか。正直なところ、まだまだスローフードへの道は険しい。けれども、少しずつではあるが、毎回の食事に「時間」という名の、極上の一品をゆっくり賞味するよう心掛けるようになった。

《本記事は200867日に更新したブログを加筆修正したもの》

イタリア紀行27 「歴史が描き出す風景」

ベルガモⅡ

この街を訪れた前年に、ベルガモが生んだガエターノ・ドニゼッティ (1797-1848)の歌劇 “L’Elisir d’amore” (愛の妙薬)を偶然にもCDで聴いた。また同時期にNHKラジオイタリア語講座でも歌詞を読んでいた。少しは親近感があったわけである。CDではアディーナという娘に心を寄せるネモリーノを偉大なテノール歌手ホセ・カレーラスが演じている。このオペラの舞台はバスク地方の村で、北イタリアの都市とは関係がない。さきほど久々に聴いてみた。ベルガモにも合っているような気がしたが、もちろん勝手な連想である。 

風景というのは地形がつくり出す。しかし、自然に任せた地形だけなら、ぼくたちが目にする風景はさほど変化に富むことはないだろう。塔に登れば地上とは異なるパノラマが広がる。見えざる地形を塔が人為的に演出してくれるのだ。同じように、城塞や城壁跡の遊歩道は歴史が置き忘れていった風景を描き出す。ベルガモがヴェネツィア共和国に支配されていなかったら、城塞は生まれなかったかもしれない。すると、ベルガモの小高いチッタ・アルタの街もきっと別の姿に見えたに違いない。

「ベルガモは偏屈な街である。よそものにひどくよそよそしい。あんまりよそよそしいのでかえって面白い。住むとなると大変だろうが、よそよそしさを味わいに訪れてみるのも見聞を広めるのにいいと思う」(田中千世子『イタリア・都市の歩き方』)。こんなベルガモ人像があるらしい。これはイタリア人全般、とりわけ店舗の女性スタッフには当てはまる気がする。イタリア人には陽気で愛想がいいというイメージがつきまとうが、意外に人見知りをするというのがぼくの印象だ。

しかし、塔に登るまでに会話を交わしたベルガモ人は、フレンドリーで饒舌なまでに親切だった。レストランで給仕をしてくれた女性と、塔の下で切符を売っていたおじいさんだ。さらに塔から下りてきて、コッレオーニ礼拝堂を地上から眺めて以降も何人かのベルガモの人たちと接点があったが、誰一人としてよそよそしくなかった。むしろ街全体が気位の高いよそよそしさを感じさせるのかもしれない。

小高い丘に繰り広げる颯爽とした風景を歴史が刻んだように、ベルガモの凛とした空気も都市国家興亡の歴史の残り香に違いない。 《ベルガモ完》

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博物館で買った4枚綴りの絵はがき。中央のドニゼッティとゆかりの人物が一枚に一人配されている。
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地上から見上げると別の圧倒感で迫るコッレオーニ礼拝堂。白とピンクの大理石をふんだんに使ったファサードが見事。
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建物の玄関や柱の台などに見られる獅子の像。獅子はヴェネツィア共和国の象徴。ベルガモが1428年以来ヴェネツィアに支配されていた証である。
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しばし歩を止めて歴史が描く風景のノスタルジーに浸ってみる。
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地形に沿って蛇が這うようにくねる城壁の曲線。眼下にはベルガモのもう一つの顔、チッタ・バッサの街並みが見える。

イタリア紀行26 「遊歩が似合う小高い丘」

ベルガモⅠ

ミラノの次にどの都市を取り上げるか思案しているうちに二週間が過ぎた。いや、正確に言うと、だいたい決めていたのだが、候補の街に出掛けた当時、ぼくはまだデジカメを使っていなかった。その街について書いて写真を添えるには、まずカラーネガフィルムをスキャナで読み込まねばならない。だが、写真の取り込みに想像以上の時間がかかってしまった。簡単だろうと思っていたが、上下左右反転になったりで手間取った。

ようやく画像変換でき、いざ書き始めようと思ったら気が変わり、ミラノ滞在中に訪れたベルガモを取り上げることにした。ベルガモは2006年に旅したのでデジカメで収めている。実は、この紀行をシリーズで書き始める前に、スローフードというテーマで一度ベルガモを取り上げた。名所の固有名詞も知らず、しかも半日観光しただけなのに、帰国してから妙にイメージが育ち始め、思い出すたびにゆったりした気分になる。写真とメモと現地版のガイドブックを照合させながら回顧しているとつい最近旅したような錯覚に陥ってしまう。

ベルガモはミラノから北東へ列車で約1時間。列車はベルガモ・バッサのエリアに着く。バッサ(Bassa)は「低い」という意味。この丘の麓は近代の風情である。そこからバスとケーブルカーを乗り継げば小高い丘のベルガモ・アルタへ(Altaは「高い」)。ここが中世からルネサンス期にかけて繁栄したエリアだ。時間があれば、バッサとアルタの両方を比較しながら徘徊すれば楽しいに違いない。「多忙な旅人」ゆえ、一目散にアルタへ。着いてしばらくの間はたしかに早足気味だったが、ゆっくりランチの後は刻まれる時間のスピードが減速した。

ベルガモ・アルタは城壁に囲まれているが、南北1キロメートル、東西2キロメートルとこじんまりしていて迷うことはない。ローマ時代にできたと伝えられるゴンビト通りをまっすぐ行けばヴェッキア広場。建物一つをはさんでドゥオーモ広場。二つの広場を囲むようにラジョーネ宮、市の塔、図書館、コッレオーニ礼拝堂、サンタ・マリア・マッジョーレ教会が建つ。軽度の高所恐怖症ながら塔を見れば必ず登るのがぼくの習性。塔の入口でチケットを買う。窓口のやさしい老人曰く「セット券になっているから、いろいろ見学できる」と言う。その「いろいろ」がうろ覚えだし、いくら払ったのかも覚えていない。

塔からの景観を眺めたあとは、もうガイドブックには目もくれず足の向くまま遊歩した。オペラの作曲家ガエターノ・ドニゼッティの生まれ故郷であることくらいは知っていたが、それ以外はほとんど知識も持ち合わせず、迷う心配のない城壁沿いを歩き城塞を見たり歴史博物館に入ったり。知名度の高い街に行くと、知識に基づいて名所を追体験的に巡ってしまう。もちろんそれも旅に欠かせないが、知識不十分の状態で視覚的体験から入ると自分なりの「名所」が見えてくるものだ。それらの名所を後日調べてみる。その名所がマイナーであれば追跡調査は不可能であるが、写真の光景と、そこに居合わせた事実はほとんど記憶に残っている。

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ベルガモ・バッサの鉄道駅からバスに乗る。雨上がりのベルガモ・アルタの丘は霞んでいる。バッサの市街地はこのように道幅も広く交通量も多い。
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ケーブルカーでアルタへ。『フニクリ・フニクラ』〈Funiculi funicula〉は19世紀のイタリアで生まれたケーブルカーで山を登るときの歌。
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ゴンビト通りを歩く人はみんなゆっくり。全長300メートル、急ぐこともない。決して賑やかではないが、風情のある店が立ち並ぶ。
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ヴェッキア広場のアンジェロ・マイ図書館。
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塔に登るときにセットで購入した歴史博物館の入場チケット。
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ラジョーネ宮に隣接する塔。耐震性的にはきわめて不安な構造のように思いつつ階段を登った。
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晴れ間が出てきた街の景観。
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ロマネスク様式のサンタ・マリア・マジョーレ教会は12世紀の建築。手前のドームの建物はコッレオーニ礼拝堂。
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礼拝堂の全体像。大理石の嵌め込み模様や彫刻がしっかりと施されている。