イタリア紀行41 「暮らしの息づかい」

ボローニャⅢ

トスカーナ州(州都フィレンツェ)と並んで、ここエミリア=ロマーニャ州も肉類やチーズなどをふんだんに使った郷土料理で有名だ。とりわけボローニャは、パスタの「ラグー」、つまりミートソースの本家本元である。このミートソースが”ボロニェーゼ”と一般に呼ばれるもので、パスタにはタリアテッレまたはフェットチーネという手打ちの平麺が使われる。肉汁が濃厚できしめん状の麺によくからむ。ペンネを使う店もある。

口にした牛肉のことごとくが昔懐かしい野趣に富んだ味がしたが、あながち気のせいではなかったと思う。斜塔近くのマクドナルドのハンバーガーにしても「牛肉本来」の味がした。牛肉本来がどんな味なのか説明は難しいが、とにかく日本のそれとは違う。そう言えば、トスカーナ地方ではキアーラという銘柄の牛肉が食べられるが、それも素朴でストレートな味を特徴としている。

ボローニャはイタリアにあって主要な商工業都市の一翼を担っている。経済を牽引しているのは伝統的な手工業や中小企業だ。街の風情の見かけとは違って、国際絵本展などの「超」のつく国際イベントや国際見本市が活発。とりわけ35月と911月は目白押し。ぼくが滞在したのが3月上旬で、予約を買って出てくれたローマ在住の知人はホテル探しに大いに苦労したらしい。幸い、斜塔近くの好立地のホテルを3泊予約できたが、心臓に良くないほどのハイシーズン料金だった。

街のとりどりの表情に向けてシャッターを押したつもりが、手ぶら散策の時間も楽しんだので、撮り収めていない、ちょっと残念な場所もある。初老の男性が親切に案内してくれたアルキジンナージオ宮の写真は一枚もない。中庭があって二階部分が当時の名残りを色濃く象徴する回廊になっている。実は、ここは旧ボローニャ大学で、世界初の人体解剖でその名を知れている。当時の様子がそのまま残っている解剖学大階段教室にも案内してもらった。

城塞跡への行きと斜塔への帰り。ぶらぶら歩いた通りの名前は覚えていない。イベントや観光のシーズンに入った直後にもかかわらず、団体客と遭遇することもなく、ほとんどの通りは人影がまばらで閑散としていた。ところが、通りと通りが交叉する地点や放射状の通りの基点にやってくると、ふいに人々が行き交い賑わってくる。出発前日、土産用に手打ち乾麺のパスタや生ハム・サラミやチーズを市場で買う。観光客相手ではないので、すべてお買い得な「地元住民価格」だった。

ボローニャには他のイタリア都市との共通点ももちろんたくさんある。ただ、ここでは絵はがきで見覚えのある光景に出くわすことはない。たとえばローマのコロッセオ、ヴェネツィアのサンマルコ広場、フィレンツェのドゥオーモに対峙するときのような高揚感には達しない。そう、他のイタリア観光地とは違って、ボローニャでは無条件にはしゃぐことはありえないのだ。それだけになおさら人々の暮らしの息づかいが伝わってくるような気がする。 《ボローニャ完》

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街外れの城塞跡。この外には幹線道路が走っている。
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昼間ほど人影が見えない。黄昏の時間になるまでは静まり返っている。
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マッジョーレ広場の大道芸人。
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広場をそぞろ歩きする家族。
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ボローニャ風ラグーの平麺が絶品だったトラットリア。
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 斜塔近くの市場。
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公設市場のような区画もある。
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ボローニャにはアドリア海の魚貝が届くらしい。ちなみに「カエル」は鮮魚店が扱っている。
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市場通りの点景。
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ディスプレイの「ナカタ」。この年、中田英寿はボローニャに所属していた。

イタリア紀行40 「広場、斜塔、街並み」

ボローニャⅡ

「やみくもに走り抜いて成長や発展へと向かわなくても、再生や改造を通じて街は豊かに安定できるはず」――これが、ボローニャ方式が挑んだ命題であり、世界の先進都市に一つの理想モデルを示すことになった。職人企業連合をはじめとする、書き尽くせない創意工夫が結実している。

ポルティコのある景観だけでも生活の快適性につながっているのは間違いない。だが、特筆すべきは、市民が利用できる文化芸術関連の公共施設だ。人口40万人の街とは思えぬほどの圧倒的な質と数を誇る。美術館・博物館37、映画館50、劇場41、図書館73という数字だけを見ても、わが国の人口百万都市でさえボローニャの足元にまったく及ばない。

日本全国でさまざまなテーマを掲げて話をしている。行政を対象にした政策形成やまちづくりの研修機会も増えてきた。決して事例主義者ではないのだが、指導するにあたっては、街づくりについてそれなりの勉強もし知識も更新する。ただ、ここ十年ほど注目を浴びてきた「創造都市」、とりわけ”クリエーティブ”という用語の、度を過ぎた一人歩きが気になっている。何でもかんでもクリエーティブという集団シュプレヒコールは、創意工夫からもっとも縁遠いものではないか。名立たる世界の都市が道を誤り軌道修正に悶々としているのに対して、ボローニャは本来あるべき街づくりに目覚め、常軌を逸しないように努めている――このことが創造的なのだと考える。

わずか4日間滞在しただけの一観光客だが、生意気を言わせてもらうならば、「歩きやすい街は生活しやすい街」というのは真理だ。ボローニャは歩きやすい。入り組んでいても迷わない。ネットゥーノ広場前のネプチューンの噴水からマッジョーレ通りを東へほんの300メートル行くと、二本の斜塔が立つポルタ・ラヴェニャーナ広場に達する。この通りがゴシック建築といい風情といい、歴史を漂わせる。宿泊したホテルが斜塔の裏手だったこともあり、行ったり来たりのそぞろ歩きを何度も繰り返した。

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マッジョーレ広場の入口にはネプチューンの大噴水。
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ポデスタ館前にはカフェ。
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重厚感漂う市庁舎(コムナーレ宮)。
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市庁舎の中庭。建物にはボローニャ出身の画家モランディの作品を集めた美術館が併設されている。
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ネットゥーノ広場側から見る斜塔、高さ97メートルのアシネッリの塔。ピサの斜塔のように傾いている。
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アシネッリの塔の隣りの背の低いガリセンダの塔。傾き度が大きく危険なため上れない。
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ホテルの窓から見る斜塔の借景。
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アシネッリの塔の最上階までの階段は498段。上り下りすれば軋(きし)む古い木製。
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急な勾配の階段を恐々上り切ると展望のご褒美がある。
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斜塔から見渡すボローニャの街の全景。