『二案か三案か』というタイトルで昨日文章を書いた。書いてから、何の変哲もない「二、三」という表現に妙に囚われている。ついでなので、「二、三」について少考してみることにした。「二、三」とは、文字通り「二つか三つぐらい」のことである。少々とか若干という意味にも使われるが、全体で五つしかないときに二、三と言えば、もはや少々や若干というニュアンスは削ぎ落とされている。数字表現のくせして、自在に変幻する雰囲気を持っている。
「二、三の点についておうかがいしたい」はいい。しかし、点を「論点」に言い換えて「二、三の論点についておうかがいしたい」となると、どうもしっくりこない。「論点」ということばの性質が二、三というアバウトを許さないような気がするのだ。この場合は、「二つの論点」または「三つの論点」とするべきではないか。「二、三人で来てください」。これはいい。二人または三人のいずれをも許容している。軽い約束なら「二、三日後」も問題ない。「もぎたての柿を二、三個分けてください」に対して、「二個か三個かはっきりしろ」と憤るのは筋違いである。
では、「二個ほど」はどうか。蕎麦屋で若い男性が「いなりずしを二個ほどください」と言ったので、注文を聞いた女性が困惑していた。二個ほどと注文されては、勝手に判断して一個や三個を出しにくい。まさか一個半や二個半はないだろうから、「二個ほど」は「二個」以外にありえない。日本語文法に詳しくないが、この「ほど」は「およそ」とか「約」ではなく、もの言いを婉曲的にやわらげているのだろう。しかしながら、「柿が百個ばかりあります」に対して「では、十個ほどお分けください」と言われても、さほど異様に響かない。やはり「二個」と「ほど」の相性の問題か。
英文和訳の授業で“a few days ago”を「数日前」と訳した。「数日」とは何ぞやと問われれば、恐々ながら「二、三日」と答え、心中ひそかに「五日くらいまで入るかも」と思ったものである。これを裏返すように、英作文の授業では「二、三の」を“a few”と訳した。そう訳すように強要した教師もいた。日英の単語を単純対応させる学校英語は無味であり無機的であった。「二、三の」と厳密に言いたいのなら“two or three”とすべきだとわかったのは、後年本格的に英語を独学するようになってからである。
英語の“a few”は断じて「二、三の」ではない。「少数の」であり「わずかな」であって、絶対的な数値を表すものではない。先にも書いたが、五つのうちの二つ三つは決してわずかではないのである。では、分母が十や二十になれば、二、三を少数と決めつけてもいいか。おおむねいいだろう。但し、必ずしも断定はできない。たとえば、まさかこんな本を読んでないだろうとタカをくくって聞いたら、意外や意外、二十人中三人が読んでいたとする。このとき、ぼくは「三人も!」と驚いたのであるから、これは決してわずかではない。この状況で“a few”を使うことはない。
ふだん五十人くらいの客で賑わっている居酒屋だが、今日は七、八人。このとき、「えらく少ないねぇ」と言えるし、英語でもこんなときに“a few”を使い、強調したければ“only a few”と言ってもよい。英語の“a few”は2から9までの一桁なら平気で守備範囲にしてしまう。比較対象との関係で「少なさ」を強調したければ、どんな場合でも使えないことはないのである。
ちなみに、英米人にお金を貸して「数年以内(within a few years)にお返しします」と約束されても、ゆめゆめ「二、三年後」と早とちりしてはいけない。今から四十年も遡るその昔、「沖縄を“within a few years”に返還する」の解釈を巡って、日米はもめた。「二、三年」と解釈した日本政府に対して、アメリカ政府の想定はもっと長かったのである。