「利己から利他の時代へ」とつぶやかれる。わかってはいるけれども、懐具合がよろしくない。景気がかんばしくない時代、かつての「損して得取れ」は通用しそうにないのである。高度成長時代の真っ只中、接待漬けは当たり前だった。下流の職種にある人々は上流の顧客に対して接待攻勢をかけた。そして、それなりの見返りがあったのである。
利益はついてくるものである。利益の前によい仕事をすることが必須である。ゆえに、目先の小さな利にこだわらず利を先に送る教えも成り立つ。たしかに信用と安定の時代には通用したのであるが、今となっては一度損をしてしまうと後々に利として回収できる保証はない。小さな損はさらに大きな損になる可能性を秘めている。利他という綺麗事ばかりでは生存が危ういことも現実味を帯びてきた。
「損して得取れ」にぼくはある種のさもしさ、腹黒さを逆に感じてしまう。プロフェッショナルとしての倫理を保っているのなら――そして、よい仕事にコミットしているのなら――「ほどよい利」を取ることに遠慮はいらない。利は懐を温めるだけではなく、よい仕事を続けていくための条件の一つなのだ。大欲で利を貪るのは戒めなければならないが、今の時代、下手にピンチを招いてしまうとチャンスの芽が摘まれてしまう。ピンチはチャンスと鼓舞されてぬか喜びしていてはいけない。
ぼくのような年齢になるとIT不感症になりがちである。パソコンを使うだけでも精一杯だ。スマートフォンやタブレット型のPCまで手が回らない。若い人はぼくをフェースブックに誘ってくれるが、まだ踏ん切りがつかない(ツイッターははじめから捨てている)。しかし、同時に、新時代の利器に億劫であってはならないとも思う。先日デジタルカメラのSDカードがパソコンで動作しないので、量販店で調べてもらった。子細は省くが、いろいろと教わりSD対応のケーブルを買ったらうまくいった。最新のIT情報についていくのはつらいが、四苦八苦はよいトレーニングになっていると思いなしている。
先週の講演会で久しぶりにジョー・ジラードの話をした。そして、「人は商品を買うのではなく、人を買う」という名セリフを紹介したのである。ここまで豪語できるセールスマンはそうは多くはないだろうが、商品を売っているのは人であることは間違いない。どんなメディアを通じて商品を買おうが、人は人から商品を買っている。ぼくたちが手掛ける広告、イベント、販促活動は商品を売るためであるが、もっとたいせつなのは、売る人と買う人を支援しているという発想である。人が売りやすく人が買いやすくするための環境づくりという視点からマーケットを眺めてみると、アイデアがいろいろと浮かぶ。
「折り込みチラシを作ったら、競合相手に真似られた。どうしたらいいでしょう?」という相談を受けた。悩み? その経営者にとってはそうらしいが、なぜ悩むのかぼくにはわからない。真似られるのは「本家としての認証」を得たことである。類似することによって顧客が向こうに流れるから、部分的には機会損失になるだろうが、お互いさまだ。相乗効果を期待するくらいに腹を据えておけばよろしい。もし真似されるのが嫌なら、真似が不可能な商品なりサービスなりを取り揃えるしかない。一番真似しにくいのは人である。人で差異化するのがいい。