青色の魅力

敢えて一色ということになれば、ぼくは青色を好むが、身に着けるときはさほどではない。と言うか、芸能人でもあるまいし、青に執着していては日々の衣装や仕事着に困る。青を好む性向はおおむね青を基調とした風景や絵画に対してであって、カーテンや調度品が青いのは願い下げだ。但し、水性ボールペンや万年筆のインクはすべて青色である。まあ、こんなふうに何から何まで好き嫌いを貫き通せるものではない。

上記は2年前に書いたブログの一説である。

「何色が好き?」と聞かれて即答する人がわが国には多いが、現実的に言えば、ものと色は切り離せるものではない。それでもなおかつ、ぼくは青の変幻自在なまでの多様性に憑りつかれてきた。

たとえば街の光景にカメラを向ける。建物のレンガの壁色は茶色である。その茶色にもいろんな変化形があるが、写真を見て少々濃く写っていたり薄く写っていてもあまり気にならない。実際の壁色と若干違っていても、街の景観全体を邪魔してしまうような影響を感じない。

しかし、青になると話が違う。濃淡の微妙な差が気分を大いに変えてしまうし、色合いにしても、たとえばウルトラマリンかプルシアンブルーかコバルトかによってまったく変わってしまう。青いインクを7種類ほど持っているが、紙に滲みこませればみんな違う。写真であれスキャナーであれ、再現した時点ですでに現実から離れている。青はじかに見るしかなく、再現もむずかしいし、ことばではなおさら表現不可能である。青だけにこう感じることが、ぼくの青贔屓の証なのだろう(つまり、緑が好きな人は緑に同じような感覚を抱く)。


ラピスラズリ色のインクを探しているが、なかなか見つからない。この紙にあの色で文字を綴れたらなあと願うが、未だに実現していない。

ところで、ナポリ沖のカプリ島にあまりにも有名な「青の洞窟」がある。十年程前にたまたま洞窟を体験する機会があったが、あの青は想像しにくい青である。見る角度や空気や天候も違うから、訪れた人の数だけの青があるに違いない。デジカメも持っていなかったし、洞窟内で少々揺れもあったので、記憶には残っているが、記録にはない。

ぼくとしては、島周辺の海の青――イタリア語でいうazzurroアッズーロ“――だけで十分堪能していた。そして、単行本サイズくらいの一枚の絵を帰国してすぐに描いた。現実の青を再現する気もなければ技術もないので、アッズーロよりもスカイブルー寄りの色になっている。その絵がこちらだが、色も光景もほとんどフィクションである。

Capri.jpgKatsushi Okano
Capri
2004
Pigment liner, pastel