語句の断章(12) 腰

「重要」という文字を書くたびに「腰」という文字が浮かぶ。そこに「かなめ」があるからだ。人の身体部位のうち、重さと軽さ、強さと弱さ、高さと低さという特徴をすべて比喩的に使えるのは頭と腰だけではないか。つまり、腰は豊かな表情を備えた〈かなめの文字〉なのである。

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腰が重い 疲れから腰あたりが何となく重く感じる。そんな症状ならマッサージである程度改善できる。深刻なのは、無精ゆえに機動力がなくなるという意味での腰の重さのほうだ。ぐずぐずして腰が重くなる症状は、中国整体でも指圧でも鍼灸でも治せない。

腰が軽い では、機動力をつけようと腰を軽くするとどうなるか。今度は落ち着きがなくなってしまう。身の軽やかさという意味がなくもないが、軽率というニュアンスが強くなる。「腰軽こしがる」は決して褒めことばではなく、「尻軽」に近づいて淫らになってしまう。

腰が高い 「足が長い」と言う代わりに、「腰高である」と遠まわしに足の長さを自慢する人がいる。とても図々しく響く。それもそのはず、腰が高いとは他人に対する態度が尊大で横柄なことを意味する。「が高い」の類義語である。

腰が低い 腰の位置が低い人は、身体特徴的には足が短いということになる。しかし、性格態度的には低姿勢となり、謙虚さをうかがわせる表現になる。なお、念のために付け加えておくが、短足の人が謙虚だという証明はまだ成されていない。

腰が強い 白鵬は腰が強い。しかも、強敵相手にも易々とは屈しない。肉体としての腰の強さだけではなく、氣が横溢する強靭さすら思わせる。これが転じて餅やうどんの粘りやアルデンテを意味するようになった。

腰が弱い うどんなら、ふにゃふにゃで粘りや腰がないさま。人好き好きだから、この種のうどんも好まれる地域がある。但し、腰の弱い人間はいただけない。信頼性に乏しいからだ。外圧に抗うすべもなく、意気地がなくうろたえる。

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あらためて腰という文字を眺めてみる。にくづきに要、つまり「身体のかなめ」。上半身と下半身のくびれている部分を、その昔はこしと呼んでいた。と言うことは、くびれのない身体には腰がないことになる。腰が腹に吸収合併されることを、現代では「メタボ」と呼ぶ。