梅雨の時期のネタ切れ

毎日毎日雨が降る。雨が降るという穏やかな表現がまったくふさわしくない時間帯もある。

目が覚める。軽く身体を動かしてから朝食を済ませ、「さあ、何をしようか」と思い巡らす休日の朝。雨が降っている朝は特に所在なさげにそう思う。日記をやめてからもう何十年にもなる。なぜやめたのかと言えば、ネタ切れを起こしたからだ。仕事もライフスタイルもだいたい似たような日々が繰り返され、おまけに今のような梅雨が毎日続いて書くことがなくなったある年の6月か7月。

日記を「今朝も雨が降っている」から始めるか、「梅雨の合間らしく少々蒸し暑い」で始めるか、あるいは「梅雨にもかかわらず、今朝は過ごしやすい」と書くか……定型は一つではなく、三つ四つとあるが、梅雨にまつわる所感以外になかなか思いつかない。日記と言えば天気と相性がいいのだが、それこそがマンネリズムの原因になっているのではないか。


30年程前に発行された『直観術』(フィリップ・ゴールドバーグ)という本がある。総じていいことが書いてあるが、「正しい直観をとらえよう」という章の〈直観日記〉はいただけない。1.日時、2.直観した内容、3.対象分野から始まって、14項目が並ぶ。これらを直観した時点ですぐに記入する。

これだけではない。時間が経ってからでもいいので、「習慣や権威に反することか」「分析してみたか」「他人の見解を求めたか」など、さらに20の問いに答えよという。「徒然なるままに(……)心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば」の正反対の、おぞましき助言である。

梅雨の時期にそこはかとなく書こうとしてもネタがなくなる。いや、四季のいつであれ何をしていようと、日記というものはネタ切れになるのが常なのだ。ネタがなくとも根気よくマンネリズムを恐れずにルーチンとして何とかやりくりする一種の修行である。

徒然に書くのも大変で、ましてや直観日記のようにルール化すればなおさら大変だ。それでも日記を日々綴り続けている知人がいる。いつの季節もさぞかし書くことに困っているに違いない。しかし、困りながらも無神経に書き続けようとする惰性を日記習慣を支えるエネルギーに変えている。これは敬意を払うに値する苦行である。