風景に重なる時間

天気予報に裏切られる。そういう日が二、三日続くことがある。季節単位では、暖冬という予報が大きく外れることがある。しかし、季節の移り変わりというのは案外安定しているし、わが国特有の半月ごとに区切った二十四節気に感心してしまうほど、暦と現実が見事に整合する年もある。

冬至を境にして日暮れの時は伸びてくる。この一ヵ月で午後五時、六時が冬至の頃よりも明るくなった。冬至から立春まで、さらにはその立春を過ぎた先まで、寒さは日毎つのるもの。おもしろいもので、ぼくたちにとって立春はまだまだ春は先という分節点だが、自然界にあっては、たとえば植物などは健気に春を感知し始めている。おそらく長くなる日や光の量に繊細に反応しているのだろう。


訪れようと思ったわけではない。もし縁がなければ生涯この地に自主的に赴くことはなかっただろう。訪れたい場所や街があれば事前知識を備えるが、仕事ついでに泊まる場所の立地だの由来だの名所だのをあらかじめ調べることはない。ともあれ、広島県安芸高田市の美土里みどりという村の一角にある温泉旅館に、仕事の縁あって二泊することになった。

湯治村1

地元の人たちには珍しくないが、ぼくにはきわめて珍しいまとまった雪に見舞われた。ただでさえ雑音めいたものがいっさい聞こえてこない環境なのに、雪がしんしんと積もってありとあらゆる微音をも吸引して静けさをいっそう深めていく。早朝目覚めれば積雪のかさがさらに増していた。空と緑が鮮やかな色合いで遠景を描き出している。

幸いなことに、風景と時間が重なる瞬間に居合わせたようだ。「これは東山魁夷の世界だ……」とつぶやき、〈時間的風景〉に響いた。しばらくのあいだ清閑の冷気に触れていた。我に返ると、身体は冷え切っていた。

バス停が動く

「山が動く」という表現がある。何千万年、何億年の歳月が費やされれば山は動くし、実際に地球上にはそのような痕跡もある。噴火すれば山の形状は一瞬にして変わるが、それを山が動いたなどとは言わない。山が動くというのはあくまでも比喩的な表現である。変わらないと確信していた物事が、ついに変わろうとする局面で使われるレトリックだ。

現実の山は常識的には動かない。では、バス停ならばどうか。簡易な造作で立っているバス停の標識は強い風で倒れることがある。倒れたら誰かが元に戻すまでは倒れたままである。しかし、路線が廃止されたわけでもないのに、そこにあったはずのバス停の標識がある日忽然と姿を消すなどということはあるだろうか。ふつうはないが、数年前にこんな記事が新聞に載った。

「バスの停留所にある表示板を盗んだとして、岐阜県警は(……)不用品回収業者の容疑者を窃盗の疑いで逮捕した。自宅から約10基のバス停表示板が見つかったという。」

バス停の標識があるべき場所から消えた。それは盗んだからだ。バス停が勝手に動いたわけではなく、けしからぬ男が自宅へと動かしたのである。だが、もし、バス停が標識をつけたまま動き、しかも動いたことに利用者も通行人も気づかなかったとしたら、どうだろう。

バス停

自宅からバス停まで毎日約200メートル歩いて乗車している男がいた。何年もそうしていた。ある日ふと、男は何だか面倒だと思った。バス停が自宅のそばにあれば便利だろうと考え、バス停を動かそうと決心した。

一気に動かすのは不可能だし、ばれるに違いない、しかし、毎日少しずつ自宅のほうへと動かせばうまくいくのではないか……たとえば毎日20センチ程度なら誰も気づかないはず……ごくわずかな移動だが、それでも1年で73メートルになる……うまくいけば3年後には自宅マンション前のバス停が実現する……こう考えた。

この話が実話かフィクションだったか、ぼくははっきりと覚えていない。たぶん脚色された実話だったと思う。話の結論を書くと、バス停が10数メートルほど動いた時点でバスの運転手が気づいた。長年の経験から異変を察知したのである。こうして、「塵も積もれば山となる」あるいは「千里の道も一歩から」という故事ことわざの命題は道半ばにして挫折した。それでも、一気呵成に事を成そうとしたのではなく、西川きよしのように「小さなことをコツコツと」試みたところに、男の我慢強さを垣間見た気がした。

自分の都合に応じて外部環境を変えようとすれば、エネルギーを要するし時間もかかる。分かりきったことだが、愚かにもそういう方法しか見えない者も少なくない。うまく行けば革命と呼ばれるだろうが、そんな具合に容易に事が運ぶはずもない。バス停を動かして数年後に楽をしようと目論むくらいなら、これまでのように200メートル歩くほうが苦労は少ないし、もしそれが苦労だと思うのならバス停前のマンションに引っ越してしまえばいい。動かしえぬような対象を自分に近づけようなどと望んではいけない。こちらから赴けばいいのである。対象が動かなければ自分が動くというのは生き方の基本セオリーの一つである。

たとえば1979年

この一文は1979年にしたためたものである。1979年に特に意味はない。古いノートを繰っていたら見つけたという次第。当時28歳。事情があって無為徒食の身であった。第二次石油ショックが起こり、ウォークマンが発売された年であった。先行きが見えずに少々悶々としていた頃を懐かしみながら、当時の拙い近未来洞察をほろ苦くわらう。


ずらり商品が並んだ百貨店にスーパーマーケット。価格に見合った金額さえ払えば、誰だって好みの品を手に入れることができる。この行為を日常化するために広告という促進剤が多用される。広告が購買欲をそそるというのは陳腐な考え方だけど、ぼくらはその現実の渦中で生まれ育ち、今もなお波高しなのだから、紛れもない事実だ。

物が必要だ、そのために財布を携えて買物に行く。商店が存在の意味を持つ。常識的な売買図式だが、ちょっと怪しい気がしないでもない。実際、山があるから登るんだに近い発想が文脈の中に流れ潜んでいるのではないか。〈店があるから買うんだ、売る側がいるから買う側がいるんだ!〉

商店が品物を売るのは当たり前すぎるが、小説よりも奇なりの雰囲気に気づく人もいる。何も買えない苦労の時代を経験した人にとっては、何でも買える苦労の時代が控えていたのだから。戦後の生活風俗史の一脈かもしれない。

何でも買える苦労を憂慮してかどうか知らないが、レンタルという発想が登場してきた。売らないし買わせない、売らせないし買わない。古くは公衆浴場がその典型だったのだろう。今では遊園地の乗り物、自動車、賃貸住宅、コンピュータ、はてはぞうきんや犬猫ペットまで、多種多様を極めている。だが、よく目を凝らしてみると、商品は売買されていないけれど、金銭だけは確実に移動している。価値と満足の購買である。価値や満足は人それぞれであって、決して均一ではないから判断の基準が定まりにくい。下手に借りてしまうと、買ったほうがよかったのではないかと悔悛の念にかられることになりかねない。


望めば何でも手に入れることができるのは、手に入らないけれど望み放題という楽しみを失って、空しい。金があっても買えない時代というのは《欠乏の平等》があった。そんな貨幣経済が通用しない社会、つまり金以外の要領・手段が幅をきかせる社会は、ぼくらの世代にとって未体験ゾーンである。今は何かにつけて貨幣万能の時代なのだ。もちろん、その価値の変動ぶりには目を見張るけれど、やはり金がものを言っている。金さえあれば何でも買える時代と社会にあって、金があってもなお買えない状況があるからこそ、ほんとうはおもしろいはずである。

タバコの自動販売機

商売の看板を掲げて営業しているのに、もし「売らない店」があったらどうだろう。簡単に手に入るはずの身近な日常品、たとえば、それがタバコであったら、消費者はその店先でどんな反応を示すのだろうか。数年前、この想像をぼくは『一本のタバコ』という短編にしたことがある。冒頭で、主人公に「ひいきの自動販売機があってたまるもんか!」という抵抗をさせてみたが、売買行動においてコミュニケーションへの期待が薄れていることは事実である。だから、もしかすると「ひいきの自動販売機」が現実化する可能性は多分にあるわけだ。

どこで買ってもいいはずの商品、そして均一な自動販売機。選り好みの余地がないようだが、そこは人間である。ひいきを作りたくなるものである。こっそりお決まりの自動販売機に近づき、小声で何やら話しかけ、時には機械を撫ぜまわす。挙句の果てはハンカチで硬貨投入口をきれいに拭き取ってコインをそっと入れる。帰りには「さようなら、また明日」などとつぶやく。

自動販売機に憑りつかれる人間が出没するはずなどないさ、と誰が断言できるだろうか。これまでだってぼくらの世代はあるはずのないことが現実に起こるのを目撃してきた。これからの時代、何があっても少々のことで驚いてはいけないのである。

お勘定は別々

レストランに行ったら長蛇の列ができていたとしよう。並ぶのが嫌なら立ち去ればいい。義務などない。と言うわけで、別の店を覗いてみた。空席があり、すんなりと入れた。食事しているうちにやがて客が増えてきた。食事を終えてレジを見ると、そこに長蛇の列。この列に並ばずに店を出るわけにはいかない。並ぶのをパスして立ち去れば食い逃げである。

お勘定別々の団体がレジ前で並ぶ場面に時々出くわす。レジ担当者の要領が悪いと列がさばけずに渋滞する。団体の中の一人が「お勘定は別々だけど、わたしがみんなの分をまとめて払っておく。精算は後で」と仕切ってくれたら、レジ前で苛立つこともないのに、と思う。

「店を出てから精算なんて現実的ではない」と反論を食らう。「第一、お釣りに困るし……」とも言われる。お釣りに困るなら適当に小銭に両替してもらっておけばいい。レジ担当にしても、一枚の勘定書きを見ながら「Aランチの方、972円です……Bランチの方は1,180円です……」などと数人相手にやるよりは、一人から全額まとめて受け取った上で、千円札何枚分かを各種硬貨に両替してあげるほうが楽であり仕事も早いはずである。

別勘定する女性たち

出張先のディナータイム。女性78人がイタリア料理の店で「別勘定」をしてもらっている。すでにぼくは食事を終えていたが、ひっきりなしにグループが勘定を済ませるのを、テーブルについたまま所在なく待っていた。こういう時は席を立って集団の後ろにつかないようにしている。しかし、そうできるのはレジが見える場所だからで、そうでなければ勘定書きを手にして席を立つことになる。

後ろに待つ人が一人客だと気づき、「お先にどうぞ」と集団の誰かが気配りしてくれることはめったにない。あるいは、「レジ待ちのお客さんが多いから、ここはまとめて出しておくね」と誰かが言い出すこともほとんどありえない。ランチタイムに比べてディナータイムはさらに時間がかかる。コース料理ならいいが、アラカルトに加えて、やれコーヒー、やれデザートという具合だから、レジ係は電卓を持ち出して個別計算することになる。

仮に別勘定にしても、フランスやイタリアのレストランでは他の客の迷惑にはならない。まず、テーブルごとにホールスタッフが決まっていて、案内、注文、飲食のサービス、勘定までを一人でこなす。そして、ほとんど例外なく、テーブルについたまま勘定ができるのである。つまり、客がテーブルを離れてレジに向かうということがないのだ。その担当者は当たり前のように三つ、四つのテーブルを担当しているが、通りがかった時に「お勘定」と一声かけておけばいい。スタッフが勘定書きを持ってくるまでは座ったままでいられる。こういう仕組みは日本では高級料理店に限られるが、どこの店でも採用すればいいのである。客を待たせないというメリットに加えて、責任感あるプロのスタッフへの信頼性が高まり、店の評判にもつながる。

信と疑の再考

イエスのほうがノーよりも聞こえがいい。述べた意見に「その通り」とうなずかれると快く、「違う」とか「賛成しかねる」ときっぱり言われたら気持ちは穏やかではない。人は否定されるよりも肯定されるほうを好む。そして、肯定されるためには、自らが他人を肯定せねばならないから、みんなが互いに褒め合うようになる。そんなやわな褒め合いが昨今の風潮である。

思考のどこかには、「既にあるもの」への疑問や、他人の意見や常識を単純になぞってたまるかという意識が潜むものだ。ほどよい懐疑と自覚が理性的思考の前提にある。懐疑するには、懐疑する対象を動かす「テコ」を持たねばならないのである。だが、テコがなければ、反証できずに泣く泣く受容せざるをえない。褒め合う風潮の背景には、このテコを持ち合わせない人が増えてきたこともあるのだろう。

神々の支配下にあった古代末期から中世初期にかけて、ヨーロッパでは神に従ってさえいれば万事無難という生き方が趨勢であった。ところが、そうしているにもかかわらず、生活も良くならず生きがいもない。ならば、人が人として生きてみよう、考えてみよう……ギリシアやローマの古典古代に生きた人々のような人間性を復興させよう……そんな気運になってきた。この人間復興が文化復興へと発展し、ルネサンスと呼ばれる時代を迎えることになる。危機への意識は、イエスや肯定などの信によってではなく、ノーや否定などの疑によって芽生えるものだ。常識を疑う批判精神が創造への道を切り拓いたのである。


ここで「シャルリーエブド」の話を持ち出すつもりはない。風刺の話ではなく、あくまでもぼくたちが縛られている信と疑のありきたりな観念を見直してみたいというのが動機である。疑が信よりも重要だという幼い主張をするつもりもない。無思考的に〈信〉に流れている風潮に対して、〈疑〉というものの本来的な力にも目配りをすべきではないかという問題提起である。

明暗信疑2

そこで、先人の知恵を渉猟することにした。そして、信と疑について、さらにポジティブとして、あるいはネガティブとして語る言説を分類してみたのである。

信と明をつなぐもの。すなわち、信への信。

自分自身を、自分の力を信じることが才能である。(ゴーリキー)
自分自身を信じてみるだけで、きっと生きる道が見えてくる。(ゲーテ)

信と暗をつなぐもの。すなわち、信への疑。

誰でも恐れていることと願っていることを易々と信じてしまう。(ラ・フォンテーヌ)
物事は確信を持って始めると、疑惑に包まれて終わる。(ベーコン)

疑と明をつなぐもの。すなわち、疑への信。

まず疑う、次に探究する。そして、発見する。(バックル)
初めに疑ってかかり、じっくりそれに耐えれば、最後は確信に満ちたものになる。(ベーコン)

疑と暗をつなぐもの。すなわち、疑への疑。

自分が相手を疑いながら、自分を信用せよとは虫のいい話だ。(渋沢栄一)
惚れていて疑い、怪しみつつ愛する男は、呪われた月日を送る。(シェークスピア)

言うまでもなく、偉人の言を鵜呑みにしてもいいし、それらに首を傾げてもいい。これらを統合的に眺めてみれば、疑と信のいずれも、一本槍では済まないということが学べるだろう。相手関係や世間の価値観の呪縛から逃れて、疑も信も使いこなせというわけだ。これが基本である。ポアンカレの次の言が結語にふさわしい。

すべてを疑う、またはすべてを信じるというのは都合のよい解決法である。どちらにしても、われわれは反省しないで済むからだ。(ポアンカレ)

告げたつもり

「わらうべしー、わらうべしー」と車掌が次の駅名を告げている。たまにではあるが、この路線を利用しているから、自分が乗車した駅名も降車予定の駅名も、その両駅の間の二つの駅名も、当然すべて知っている。だから「次は、わらうべしー、わらうべしー」と聞こえても、それが「(次の駅で)笑うべしー」と告げられているとは思わない。

「ありがとうございます」が「あざーす」に化けるほどの変態メタモルフォーシスではないが、「わたなべばしー(渡辺橋)」が「わらうべしー(笑うべしー)」に聞こえてしまうのも一種の変態作用である。人によってはお笑い芸人の「笑い飯」に聞こえるかもしれない。もちろん、車掌は「わらうべしー」とか「わらいめし」と発しているのではなく、生真面目に「わたなべばしー」と告げている。ちなみに、「しー」と音引きにするのは駅名を告げる時の車掌の職業的な習慣または癖である。

どんなに発音が本来あるべき音からズレていても、アナウンスする車掌がマイクに向かって面倒臭そうに発音しても、聴き取りにはまったく支障がない。正確に言うと、聴き取ろうと意識すらしていない。ただ聞こえてきた音があり、それが脳内発音辞書の「わたなべばし」に照合されたのである。仮に車掌が「次は、わーしー」とかなりいい加減だったとしても、聴き取れたはずである。

京阪中之島線

「浪華八百八橋」と言われただけあって、大阪には橋が多い(実際は二百ほどらしい)。この路線は京阪中之島線。堂島川や大川が流れる地下を走るだけに、橋がつく駅名も少なくない。京橋、天満橋、なにわ橋、大江橋、渡辺橋という具合で、橋の駅が五つ連続している。

閑話休題――。正確でない音から正確な音を推理できるのは、すでに知っているからである。母語であれ外国語であれ、ど真ん中のストライク以外にいろんなストライクがあり、大暴投のボールでないかぎり、その言語に通じた受け手は音を聴き取るのである。人はおおむね決まった発音体系で喋るが、認識にあたってはアバウトな発音まで含めていろんな音を聴いて意味づけることができる。

どんな乗客にもわかるように明瞭な発音で駅名を告げる車掌もいれば、発音など意識せずにただ告げるだけの車掌もいる。ここに、告げて伝わることと告げても伝わらないことが対比される。告げるとはボールを相手に投げることである。伝わるとはボールが相手の構えているミットに入ることである。告げると伝わるは違うのだ。ぼくたちは使い慣れたことばをいつもの音で発話する。そして、そのことばや音になじみの薄い相手の理解負担を増やしている。告げたからと言ってほっとしてはいけない。たいていの場合、告げたつもりになっている。告げたことが伝わるところまで見届けてこそのコミュニケーションなのである。

人間学について

カント『人間学』

カントの『人間学』に「認識能力における諸才能について」という項がある。才能とは天賦にほかならず、卓越した認識能力のことだと言う。どう学んで身につけるかなどという話ではない。「その人の生来の素質によるものである(……)それは生産的機知、聡明及び思惟における独創性(天才)である」と断定されてみると、凡人は無駄な抵抗を諦めるしかない。

うまくいく方法やよくなる方法を学びたがるのが人の常。しかし、そのような方法を学ぶのは容易ではない。学ぶべき要因が複数であり、しかも複雑に絡み合っているからである。成功要因が一つであることは稀なのだ。料理をおいしく仕上げる秘訣がたった一つでないのと同じである。他方、一つだけミスすればまずい料理が出来上がる。失敗要因は一つにして必要かつ十分な条件を満たす。

うまくいかなかったこと、悪くなったことの原因のほうが絞りやすいのである。成功要因は突き止めにくいが、失敗要因は見つけやすい。大いに反省して謙虚になれば、己の失敗要因も見えてくるだろうし、そうすれば同じミスを防ぐべく未然に手も打てるようになる。才能を磨き上げて天才に到らしめようとするよりも、せめておバカさんにならないよう努めるのが手っ取り早いのである。


冒頭の所見に先立って、カントは「認識能力に関する心の弱さ及び病気」について十数ページにわたって書いている。心の弱さや病気と言うよりも、性向に近い話であり、カントならではの様々な分析がおこなわれている。あらかじめ断っておくが、ぼくに差別的意図などはまったくない。本書の文中には今日的時流からすれば危なっかしい表現がいくつかあるが、カントに悪意があるはずもない。さて、そこに書かれているのは「ダメな人」の本質的特性についてである。

単鈍たんどん〔愚鈍〕とは、鋼のついていない包丁や手斧のように、何ごとも覚え込ませることのできない人、すなわち学ぶことのできない人のことである。単に真似だけの巧みな人が鈍物と言われる。

単鈍を「単純」と読み違えないよう注意。「たんじゅん」ではなく「たんどん」。覚えない・学ばない人をこう呼んでいる。A君はバカではないのに覚える気がない。Bさんは学んでいるのだけれど、学び方を工夫しない。学んでも身につかなかったやり方なのに、懲りずに今度も同じやり方をしている。C君はこれはまずいと自分で気がつくこともあるが、自己流で工夫するのは荷が重く、結局中身を伴わない型だけを模倣しておしまい。つまり、鈍物どんぶつ

遅鈍ちどんとは、判断力を持っていないために、用務に使うことのできない人のいいである。

D君を見ていて、判断力のない頭の良さなどはまったく役に立たないと思う。二者択一の岐路で悩みに悩み、ジレンマに苛まれた挙句、決断せずに岐路から引き返してくる。判断しようとした時間と労力だけが無駄になってしまう。優柔不断なEさんも、機械的マニュアル的な作業しか与えられず、臨機応変が求められる仕事を任せてもらえない。

馬鹿とは、無価値な目的のために、価値のある目的を犠牲にする人のことである。(……)馬鹿のくせに他人を侮辱的にするのは阿呆と呼ばれる。(……)おしゃれとかうぬぼれとか呼ぶことも、阿呆が利巧でないという概念にもとづいている。前者は若い阿呆であり、後者は年をとった阿呆である。

カントはズバッとものを言う人である。極論かもしれないが、当たっているのだから仕方がない。Fさんは誰が見ても右へ行くのが正しく、しかも賢慮良識の先輩がそのように助言しても、悩んだ挙句に左へ行く判断をしてしまう。G君はそのことを棚に上げて、他人の判断を小馬鹿にする。もっとも、阿呆は自分以上の阿呆を探さなければ立つ瀬がないから、そうするしか道はない。

A君からG君までの性向は誰の内にも潜んでいる。いったいどうすれば愚鈍、遅鈍、馬鹿、阿呆にならずに済むのか。この『人間学』を読んでも、現実の生き方に応用しなければ話にならない。人は人からもっとも多くを学ぶ……結局ここに尽きるのだろう。人の振り見てわが振り直すことから始めるしかない。

再生のために解体は必然か

オフィスから徒歩3分、大通りに面した一角で古いビルが解体されている。かなりの資産家のビルで、このあたり一帯の土地と複数のビルを所有していると聞く。古色蒼然としたあのビル、今も解体途中なのか、それとも新しいビルの基礎工事が始まっているのか、囲われているのでわからない。見えるのは、囲っている壁に掲げられた「解体は再生の一歩」という企業スローガンのみ。

そのスローガンをネットで調べてみたら、あるブログに行き当たった。「再生の意味の一つは、衰えまたは死にかかっているものが生き返ること……解体はばらばらにすること、壊すこと……さあ、衰えたもの、古いもの、いらないもの、すべて解体して再生しよう……」などと書かかれている。「解体は再生の一歩」を心にぐっと来たことばとして大絶賛している。

こういう発想が、建てては壊し、壊しては建てるという、戦後高度成長時代から続く「土建立国」としての発展を助長してきたのは間違いない。単純に欧米と比較できないのは、欧と米がまた違うからだ。経済大国であるアメリカと日本は建造物の新陳代謝によってGDPを底上げしてきたふしがある。


解体ということばからアメリカの詩人カール・サンドバーグの『シカゴ(Chicago)』という散文詩が思い浮かぶ。かつてシカゴが悪名高き都市であった頃に紡がれた詩である。その一節。

(……)
Shoveling,
Wrecking,
Planning,
Building, breaking, rebuilding
(……)

「掘る、解体する、設計する、建てる、壊す、再び建てる」。建造物の解体と構築の無限連鎖を思わせる。くだんのスローガンもブログの一文も、再び建てることを再生と名付けているようだ。建物を取り壊して更地にしてそこに新しいビルを建てる。もし新しいビルの建築を再生と呼ぶなら、その前提に解体を置くのは当然だろう。しかし、この発想が寄り掛かっている精神は、実にさもしい。

衰えさせたり死なせたりする建築思想への反省がまったくない。再生とは衰え死にかけた建物を修復して生かすこと、あるいは、ルネサンスということばにあるように、元の姿を復活させることではなかったのか。再生の前提に保全を置いてきたのがヨーロッパ的な考え方であった。解体するしかないと踏ん切りをつける前に、修復保全の可能性を徹底的に追求するのである。そのような情熱を持ち合わせもせず、土建的経済主義を優先させて、保全価値などないと見切るのは現代による身勝手な過去の裁きにほかならない。

バルセロナの修復工事2

バルセロナはゴシック地区のサンタ・クレウ・イ・サンタ・エウラリア大聖堂の修復現場を見学したことがある。何一つ解体されてはいなかった。修復して再生するから解体の出番がない。もっともこれは由緒ある教会、寺院、神社では当然のことであり、わが国でも希少遺産については正しい意味での「再生」をおこなっている。

重要なことは、庶民のアパートであれ商業施設であれ、古くは中世の、近年では18世紀から19世紀の建物に対しても、ほぼ同じような扱いで保全しているという点である。衰え死に絶えた過去を安易にリセットしない。歴史に対して辛抱強いのである。遠い未来を見据えられた建造物と、たかだか半世紀程度先に焦点を合わせた建造物の大いなる違いがここにある。「解体は再生の一歩」というスローガンを都市の宿命と言いたげだ。そんな都市に馴らされてしまうと、作る、壊す、また作る、また壊す……というふうにものの考え方も生き方も変貌していくに違いない。原理がなかなか定着しない風土でぼくたちは生きている。

新聞を買う、新聞を読む

「新聞はどこで買えるの?」と訊けば、「エディーコラ」と返事され、「えんやこら」のような響きにクスっと笑いそうになったのは、ローマのホテル。

新聞を読みたければたいてい買いに行かねばならない。イタリアやフランスでは当たり前のことだ。夏の暑い朝でも冬の寒い朝でも、最寄りの駅構内の、またはバス停留所近くの、あるいは広場や街角や通りのどこかのエディーコラ(edicola)まで足を運ぶ。キオスク規模の屋台のようなイメージの店である。雑誌を華々しくディスプレイしているから遠目にもわかる。現地の人には行きつけの販売店がある。

日々のニュースはネットで十分という向きが増えたものの、わが国は依然として新聞大国である。読売、朝日、毎日、産経、日経は自宅に配達してくれる全国紙。昨年11月の読売新聞の発行部数は1,000万部弱だった。イタリアの新聞ときたら、最有力紙でさえその5パーセント程度にすぎない。


大晦日も元日も、昨日も今日も新聞は配達された。一部のスポーツ新聞を除いて、ぼくたちは新聞を「買い出し」に行くことはない。一ヵ月単位で新聞代を支払えば自宅に毎朝毎夕届けてくれる。そのつど新聞を買わないで新聞を読むのがぼくらのスタイルである。他方、イタリアでは新聞を読みたければ出掛けなければならない。彼らは毎朝小銭を支払って新聞を買ってから新聞を読んでいる。

一杯のエスプレッソを飲むついでに新聞を買う。フランスでは焼き立てバゲットと新聞を買う。さぞかし面倒だろうと思うけれど、読むにしても食べるにしても、そのつど買うという習慣になじんでいるのである。その行為が、新聞販売店のたたずまいが、街の粋な光景に見えてくるから不思議だ。何でも恵まれすぎないほうがいいのだろう。暮れから10日ほどたまっている新聞にもう一度目を通し、必要な記事を切り抜きながらふとそんなことを思い出した。

IMG_5761Katsushi Okano
Edicola, Roma
2003
Pigment liner, color pencils, pastel

氣新光照

初硯の今日、「氣新光照」を選んで書きぞめとした。説明するに及ばない、わかりやすい四字である。「あらたにひかりあきらか」と読めばいい。

氣新光照

大晦日から元旦になったからと言って、身体が一瞬にして新たに変貌することはない。気のほうは柔軟だ。気分一新ができる。気合いを入れることができる。気の持ちようで光照らすような一年にすることも不可能ではない。

☆     ☆     ☆

古来続くしきたり。喜んで守るか、嫌々守るか(つまり、縛られるか)、まったく気に留めず無視するか……人それぞれ。ぼくはと言えば、かなりアバウトだ。五十を過ぎた頃からしきたり遵守の荷を下ろした。とっつきやすいもの、苦にならないしきたりはおこない、そうでないものはおこなわない。おこなうしきたりにしても、何が何でも守らねばならないなどと肩肘を張らない。

筆を試す年もあればそうでない年もあるという具合で、かなりなまくらである。それでも、気に入った新年の賀詞が見つかれば筆と硯と半紙を取り出す。初夢などは見たくても見れないが、書きぞめのいいのは書きたければ書けるという点である。その際、手習いの上手下手はさほど重要ではない。

十歳から十五歳まで書道を習わされていた。塾をめったにさぼらなかったので傍目には熱心な学び手と見られていたが、気分はつねに「習わされている」。きちんと筆の運びを教わり、ある程度のレベルに達したのが中学三年。そこでぷっつりとやめた。以来、芸事として字を書くことはほとんどなく、冠婚葬祭時にくれ竹の筆ペンを持つ程度である。

書への情熱も薄れ、筆を手にするのも稀な現在、筆致はすっかり我流になってしまった。しかし、書きぞめは年が替わっての気分一新にはとてもいい習慣だと思っている。一年を通じて書くということを前提にしているから、「書きめ」という。にもかかわらず、ぼくにとっては一月二日が書きぞめであり、同時に「書き納め」になることがほとんどである。一枚の半紙に一期一筆で書く。たった一人の書きぞめ式である。