天気予報に裏切られる。そういう日が二、三日続くことがある。季節単位では、暖冬という予報が大きく外れることがある。しかし、季節の移り変わりというのは案外安定しているし、わが国特有の半月ごとに区切った二十四節気に感心してしまうほど、暦と現実が見事に整合する年もある。
冬至を境にして日暮れの時は伸びてくる。この一ヵ月で午後五時、六時が冬至の頃よりも明るくなった。冬至から立春まで、さらにはその立春を過ぎた先まで、寒さは日毎つのるもの。おもしろいもので、ぼくたちにとって立春はまだまだ春は先という分節点だが、自然界にあっては、たとえば植物などは健気に春を感知し始めている。おそらく長くなる日や光の量に繊細に反応しているのだろう。
訪れようと思ったわけではない。もし縁がなければ生涯この地に自主的に赴くことはなかっただろう。訪れたい場所や街があれば事前知識を備えるが、仕事ついでに泊まる場所の立地だの由来だの名所だのをあらかじめ調べることはない。ともあれ、広島県安芸高田市の美土里という村の一角にある温泉旅館に、仕事の縁あって二泊することになった。
地元の人たちには珍しくないが、ぼくにはきわめて珍しいまとまった雪に見舞われた。ただでさえ雑音めいたものがいっさい聞こえてこない環境なのに、雪がしんしんと積もってありとあらゆる微音をも吸引して静けさをいっそう深めていく。早朝目覚めれば積雪の嵩がさらに増していた。空と緑が鮮やかな色合いで遠景を描き出している。
幸いなことに、風景と時間が重なる瞬間に居合わせたようだ。「これは東山魁夷の世界だ……」とつぶやき、〈時間的風景〉に響いた。しばらくのあいだ清閑の冷気に触れていた。我に返ると、身体は冷え切っていた。