リンゴの種(ネタ)

リンゴ、りんご、林檎……どう表記しようか。ちょっと迷う。林檎はともかく、カタカナにするかひらがなにするか。英米人には“apple”しかなく、こんなところで逡巡しない。ひとまずカタカナにすることにした。ところで、30数年前の歯磨きのテレビコマーシャル、「りんごを齧ると歯茎から血が出ませんか?」というセリフを思い出す。台本は「りんご」か「リンゴ」のどっちだったのか。

サンふじ 巨大リンゴ

とてつもなく大きなサンふじが自宅に届いた。iPad上に二個並べられないサイズ。実に立派なリンゴだとまじまじ見ていると、リンゴにまつわる記憶がよみがえる。うろ覚えのものはちょっと調べてみた。暇つぶしのリンゴのネタ探し(ここは「タネ」ではなく、逆さ読みして隠語の「ネタ」がいい)。それはそうと、林檎の「檎」は何度覚えても忘れてしまう。どんなもんだいと書ける者も少なそうだから、カタカナかひらがなに落ち着くのもやむをえない。

英語では成句の“apple-polish”がよく知られている。日本語の「ごますり」にあたる。リンゴを磨いて先生にあげて喜んでもらうのだが、テストの点数に反映されたら贈収賄である。諺では“An apple a day keeps the doctor away.”も有名。「一日リンゴ一個で医者いらず」。リンゴ1個の箇所に、たとえばにんにく卵黄何粒などのサプリメント名を入れてみる。それで医者いらずとはいかないから、リンゴの効能も過信しないほうがいいだろう。


「リンゴと言えば?」と数人に何を連想するか尋ねると、必ずイブが出てくる。『旧約聖書』によると、イブは蛇にそそのかされて禁断の果実に手を出した。その禁断の果実がリンゴであるとは書かれていない。一応リンゴということになってしまい、それゆえにリンゴには誘惑だの不従順という、リンゴにしてみれば不本意な花言葉がついてしまった。

(……)
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の空に
人こひめしはじめなり
(……)

島崎藤村の「初恋」の一節である。このシーンではリンゴやりんごは絶対にダメで、林檎でなければならない。なお、ここでもリンゴは誘っている。「和製イブ」の雰囲気が漂わぬでもない。

歯にあてて雪の香ふかき林檎かな    渡辺水巴

当然林檎でなければならない。リンゴのシャキッとした歯触りが伝わってくる。あの歯磨きのコマーシャルのように丸かじりなのだろうか、それともスライスした一片なのだろうか。ここは前者だからこそ香りが深く伝わってくるはず。もちろん歯茎から血が出ると様にならないから、歯周病とは無縁の健康の歯でなければならない。と言うわけで、リンゴからぼくは歯を連想することが多い。

為替レートの話

20141222日現在、1ドルは119円、1ユーロは146円という為替レートになっている。「なっている」というのは、国際市場での各国通貨価値への、素人では読み切れない思惑ゆえの言い回しである。いずれにせよ、海外に何かを売る場合は円安が有利であり、海外から何かを買う場合は円高が有利である。ぼくたちが海外へ旅する時、円高であれば安く上がるし、円安だと高くつく。

20096月西海岸に滞在中の相場は円高であった。1ドル80円ちょっと。1ドルを買うのに今なら119円が必要だが、当時は80円で1ドルが買えた。1ドルが39円も安かったのである。わかりやすくたとえると、当時8,000円で泊まったホテル代が今だと11,900円に上昇したということだ。物価が上がったのではない。円がドルに対して価値を減らしてしまったのである。

国境を越える際には円を行き先の通貨に交換しなければならない。その交換レートが日々変動しているのである。「労働、土地、貨幣を商品視するのはまったくのフィクションである」(カール・ポランニー)という主張がある。相場によって貨幣価値は上下するが、その差益で儲けようという魂胆を戒めている(もちろん、同時に差損リスクも潜んでいる)。貨幣で買うべきは貨幣ではなく、モノでなければならないというわけだ。


過去10年でぼくはヨーロッパに5回旅している。その時々の円‐ユーロの交換レートは次の通りである。

20033月   120円台後半
200610月 140円台後半
20073月   150円台前半
20083月   150円台後半
201111月 105円前後

推移をざっと見ればわかる通り、1ユーロに対して円安と円高時には50円の差がある。

札入れに入った100ユーロ

ぼくの海外歴の中でもっとも円が強かった201111月。当時、50万円をユーロに交換した。手数料を度外視すれば4,762ユーロに相当する。バルセロナとパリに旅したのだが、カード決済もあり、手元にユーロがいくらか残っている。現在は当時よりもかなり円安だから、1ユーロにつき40円の差益が出ていることになる。もし手元に1,000ユーロあれば、4万円ほど得した計算になるのだ。

1万ユーロなら40万円、10万ユーロなら400万円……と桁数を増やしていくと、人は色めきたつ。欲望が為替相場を動かしているのである。ぼくの差益などささやかなものだが、これとて、今海外に出ればメリットがあるが、旅行にはタイミングつきものである。どちらかと言うと、ぼくは円安の時期に旅をしてきたが、別に悔しくも何ともない。円高で得した、円安で損したなどと言うが、年がら年中世界を股にしているビジネスマンにとってはそんなことに一喜一憂していては海外出張などできない。

こんなことを綴りながらも、たとえばイタリアで3年前に飲んだエスプレッソ一杯1ユーロは、今も1ユーロなのである。イタリア人がエスプレッソを飲むときにユーロ高やユーロ安などは考えない。ただうまいコーヒーを飲むだけだ。旅人は「前回は105円だったが、今は146円か……」とつぶやく。為替レートに引きずられていてはせっかくの一杯を飲む愉しみも半減する。

残念な落し物

「落し物」とタイトルに書いたが、実際に落としたのかどうかわからない。どこかに置き忘れたのかもしれない。失ったかもしれないが、また出てくるなら、どこかに潜んでいるはず。いずれにしても、「それ」はぼくの手元から消えた。食事も喉を通らず、仕事も手に付かずという落ち込みようではないが、少し残念な気分である。めったにモノを失くさないぼくなのに、今年は夏場にも愛用の万年筆の一本を紛失している。見返りの拾い物は、今のところ、ない。

フィレンツェの財布

失くしたのは小銭入れだ。買った当時は紺色だったが、数年間使いこんでいたので色合いは黒に近い。円安の現在よりもさらに円安だった頃に30ユーロで買った。当時の円で5,000円くらい。まあ、金額のことはどうでもいい。実はこの小銭入れは二代目であり、茶色の初代は古物ケースの中に今も入っている。

何事に関しても、あまり残念がらない性質たちだが、少なからず残念がっている。小銭と折りたたんだ千円札が一枚入っていたからではない。なぜ残念な落し物かと言えば、ささやかな思い出も入っていたからである。


フィレンツェにはアルノ川が流れている。あまりにも有名なポンテヴェッキオはそこに架かる橋だ。そのポンテヴェッキオから北側へ少し歩いた所にソニアという店がある。20073月、ぼくはフィレンツェの南岸のアパートに3泊、シニョリーア広場に面したホテルに4泊した。街の隅々を歩き、おそらく十数軒の料理店に足を運んだ。

フィレンツェには2003年にも4泊した。めったに土産物に目をくれないが、ソニアで初代にあたる茶色の小銭入れを買った。この財布は一枚皮でできていて、丸みのある細工を凝らしてある。よく似た小銭入れは日本でも売られているが、仕上がりに不満があり、しかも1万円以上するものばかりである。初代をとても気に入って4年間愛用した。丈夫な代物だが、さすがに色褪せてきた。ところで、ぼくの初代を見た知人やスタッフが自分にも買ってきてくれということになり、色の好みを聞いて十数個の注文を引き受けた。その際に買ったのがこの二代目だった。

かなりの数の商品を買うのだから、ソニアでかなり長い時間をかけて品定めをした。店主である老婦人ともイタリア語で親しく会話を交わし値段交渉もした。しかし、これだけ大量に買うというのに1ユーロもまけてくれなかった。落胆したぼくを見て「値引きはしないけれど、サービスでつけておくわ」と言って差し出してくれたのが、皮の名刺入れと付箋紙ケースであった。名刺入れは人にあげたが、付箋紙ケースは今も使っている。

大袈裟に言えば、写真やメモやガイドブックとは別の「回想の形」になってくれていたというわけだ。小銭入れをポケットから出し入れするたびに、ちょっとしたフィレンツェ気分を味わっていたのである。二代目を失くした数日後に先代の小銭入れを手に取ってみたが、現役に復活させるのは忍び難い。というわけで、使いにくいアメリカ製の小銭入れで済ませている今日この頃である。

午前七時、西の月

午前7時の月

不思議なものである。126日にプラネタリウムを楽しんでから空を見上げる機会が少し増えた。その日は満月であった。その三日後、朝七時に西の窓を開けた。すっかり闇からほどかれた月が西の空に浮かんでいる。「ぽっかり」と言うしかない浮かびようであった。

月には「ぽっかり出る」という表現があることを思い出した。中原中也の『湖上』の一節である。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
   ( …… )
月は聴き耳立てるでしょう、
すこしは降りても来るでしょう、
われら接唇くちずけする時に

月は頭上にあるでしょう。

舟はどこに浮かんでいるのだろう。水辺と月は相性がよさそうだ。省略した「……」の部分に「沖」ということばがあるから、舟は海に浮かべるようである。なお、ぼくの見た月は少しも降りて来なかったが、聴き耳を立てているように見えなくもなかった。


月と海の関係について数冊の故事・名言・格言辞典を調べてみた。ちょっと時間がかかったが、マルタ共和国の次の諺に出合った。

月は眠っても、海は起きている。

地中海の島国ならではの、油断大敵を戒める諺である。月が眠っているように見える穏やかな時でも、海は危ないぞ! ゆめゆめ気を緩めてはいけないぞ! という意味らしい。ぼくの見た「ぽっかりの月」は、聴き耳を立てているように見えたくらいだから、ちゃんと目覚めていたに違いない。

太陽神に比べれば地味だが、ギリシア神話にもちゃんと月の神が登場する。太陽神アポロンと対比されるのは月の女神アルテミス、セレーネ。ローマ神話に転じると、それぞれがディアーナ、ルーナと名前を変える。ディアーナはイタリア語では普通名詞として暁の明星とか朝という意味でも使われる。午前七時に見上げたあの月はディアーナと呼ぶにふさわしかったようである。

ジョーカーだけのババ抜き

政治学者や政治評論家の諸説についてまったく知らないわけではないが、すべてを括弧の中に封じ込めて、自説を書いてみることにする。

選挙期間中にいつも思い出すことばがある。

「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である。」

服毒自殺で人生を終えた芥川龍之介。人生を重大に扱ったのか扱わなかったのかわからないが、結果的にはばかばかしくかつ危険だったようだ。芥川の言う人生を、ぼくは「選挙」や「投票」に置き換えてみるのである。一枚の投票用紙に候補者名や党名を書くたびに一票の軽さを痛感し、午後8時ちょうどの開票速報で自分の一票の無力をばかばかしく思う。しかし、その空しさを自暴自棄に変えてはならぬと承知しているからこそ、投票を重大事と見なして毎度出掛けて行くのである。昨日も期日前投票を済ませてきた。

マニフェストでうたう政策評価で候補者を選べというまことしやかな説がある。比例代表で党を選ぶ際には政策の吟味があってもいい。けれども、支持政党がない無党派にとっては、主要な政策の5つ、6つのすべての細部に立ち入って判断し、自分の考えに近いのはこの党だ! などと結論するのはほとんど不可能である。他方、決まった党を支持していたら、はじめに党ありきであるから、政策などは決定的な要因になるはずもない。


3 jokers

政策を十分に検討した上で比例代表の投票用紙に「X党」と書いて投票したとしよう。けれども、小選挙区にX党の候補者が立っていないのである。友人の選挙区では候補者が二人。二人とも支持政党に属していない。棄権したくないし白票も嫌だと悩み、当選して欲しくないのはどちらかと考えたと言う。

小選挙区の候補者を政策で選ぶなどというのは所詮ありえないのである。比例代表を党で選ぶのなら、小選挙区は人で選ぶということにならざるをえない……しかし、地域の土着民でない有権者は人そのものを知らないから、ごくわずかな活字情報から直感で判断するしかない……と言うわけで、投票には行かねばならないと権利を行使し責務を果たす良識ある有権者とて、確固とした根拠で一票を投じているわけではないとぼくは思うのだ。

このレストランで食事せよと決められ、そこに行けば3種類の料理しかなくて、どれもおいしくなさそうだ。食べたくないと思うなら、いただいた食券を放棄するしかない。つまり白票で投じるのである。ぼくの選挙区は3枚のババのうちどれかを引かねばならぬゲームのようであった。どのカードを引いてもババなのである。どれも引かないというのは、これまた白票投票になる。泣く泣く一人の候補者の名を書いたが、鉛筆を走らせている時の違和感が今も余韻となっていて、とても気分が悪い。

消去法で消していくと全員が消える。こんな候補者ばかりが立つ選挙区の投票率が上がってくるはずがない。そこで、当選させたい候補者がいない場合、落選して欲しい候補者を書けるしくみを提案したい。投票所には赤ペンも用意しておき、赤ペンの票数をマイナスカウントする。つまり、「黒ペン票数(獲得票)-赤ペン票数(批判票)=有効票」。きわめて情けない投票のしかただが、裁判官には「×」を付けるのだから、その変形的応用だと考えればいいのである。

原稿用紙5枚分の年賀状

大なるものに節目をつけたり、大なるものを小さなカテゴリーに分けたのは、分からないものを分かるためのようである。たとえば、一本の木を、根、幹、枝、小枝、葉、果実……と分けた。分からないから分ける、上手に分ければ分かるようになる。すなわち、分けることが分かるための方法であった。なるほど、「分ける」と「分かる」が同源だということにうなずける。但し、下手に分けてしまうと、ますます分からなくなって混乱する。

人類は何の節目もない時間の流れに印を刻んだ。一年という単位を考えて、それを365日に小分けした。一日を24時間に刻み分け、一時間を60分とし、一分を60秒とした。一年を春夏秋冬と四つに分節もした。わが国の陰暦では、四季をさらに細かく大寒、春分、冬至など二十四節気に分けた。

自然界では温暖寒冷などの変化はあっても、本来そこに1月だの8月だの12月だのと言うものはない。にもかかわらず、師走になると慌ただしいと人は言う。時はつねに一定で、12月になったからと言って、急いで流れることはない。師走に抱く観念が、人を慌ただしい気分にさせているにすぎない。「今月に入ってから時間が経つのが早いねぇ」と感じさせているにすぎない。


2014年年賀状 

師走は年賀状の文案や図案を考える時でもある。定番テンプレートの一つを選び、「賀正」、「あけましておめでとうございます」、「謹賀新年」、「初春のお慶びを申し上げます」などの、これまた定型挨拶を書き込んで、干支を配しておけば悩むことはない。毎年いただく半数の年賀状はそのような体裁のものである。それを芸がないなどと言うつもりもない。

ぼくの場合、公私両用の年賀状を同一形式で20年以上飽きずに続けている。四百字詰め原稿用紙に換算すると5枚分に相当する文字をはがきサイズにびっしり詰め込む。テーマは毎年違うが、新年の干支にちなむような内容ではなく、正月の色を醸し出すものでもない。

写真の年賀状は2014年のものである。オリジナル原稿はA4判、ワードで作成し、それを当社のスタッフがはがきサイズのデータとしてイラストレーターで仕上げる。この癖のある年賀状にはまずまずのファンがいるらしく、解読するために虫眼鏡を買ったとか、コンビニのコピーサービスでA4判に拡大するとかという人もいる。某大企業の部長などは、仕事始めの日の朝礼ネタにしているという。

本日、2015年度の年賀状原稿を書き終えた。来週早々に印刷が仕上がる。構想一年、執筆半日。テーマは読書だが、毎度バカバカしい切り口と展開である。

間違いのトポス

「なぜきみはこんなミスをしてしまったのか!?」と詰問されても、即答できるはずもない。ミスを意図したのでないかぎり、ミスしてしまった本人はうまく事を運ぼうとしたはずである。そして、うまくいったと確信している者が、ミスを指摘された直後に素早くその原因を突き止められそうもない。自ら見つけたにせよ誰かに指摘されたにせよ、ミスに対して冷静であることは難しい。

あの珈琲豆店の店主はミスに気づいているだろうか。本人が自発的に気づくことはない。気づくとすれば、注文と違う焙煎豆を手渡された客からクレームがある場合のみである。では、その客はその場でミスに気づいただろうか。自宅に帰ってコーヒーを淹れようとして気づいたのだろうか。もしかすると、未だに気づいていないかもしれない……顛末を知るすべはぼくにはない。

「間違いのトポス」とは、間違いが生じた場所のことであり、ぼくは比喩的に「原因のありか」という意味で使っている。

経緯はこうである。先々週の日曜日、珈琲豆の焙煎所で「コスタリカ産スプリングバレーマウンテン」を300グラム買った。税込みで1,560円。それに先立つ一カ月前、あるカフェで飲んだ一杯のコスタリカがとても気に入り、同じコスタリカだが、地域違いの豆を焙煎してもらったのである。「焙煎待ちがすでに三人いらっしゃいます。半時間後にお越しください」と言われたので支払いを済ませ、時間を潰してから店に戻って商品を受け取った。

モカマタリ

てっきりコスタリカ産スプリングバレーマウンテンだと思っているぼくは、パッケージに書かれた手書きの品名を確かめもせずにコーヒーを淹れ、う~ん、さすがにうまいと満悦至極であった。翌日パッケージを見て驚いた。「イエメン産モカマタリアルマッカ」。ぼくの買った100グラム520円のほぼ倍額の100グラム1,050円の豆。つまり、その店の最高額の豆を300グラム分ぼくが手にし、別の客は注文したモカマタリではなく、ぼくが受け取るはずだったコスタリカを手渡されているのである。

こんな高級な豆を買うことなどめったにないから、ぼくからこの間違いにクレームをつけることはない。ありがたくいただいている。飲みたかったコスタリカのことは当面どうでもいい。


さて、間違いのトポスはいったいどこにあるのだろうか。店主が、注文して料金を支払った客の名前を聞き、注文商品の横に名前を正しく記していたのならば、ここに間違いのトポスはない。そうすると、手渡す時に間違いが生じたことになる。

間違いのトポスは、①名前とレシートの両方で確認しなかった、②注文順に商品を並べていなかった、③(ありそうにないが)モカマタリの購入者がぼくと同姓であった……のいずれか。これらの間違いのトポスを消したいのであれば、先払いにするのではなく、商品を手渡す時点で料金を徴収するしかない。但し、間違いとは別に、注文だけしておいて取りに来ないというリスクの可能性が生まれる。

ここまで書いておきながら、それでも問題のトポスは生じるのではないかと思う。ちょうど昨日の昼のことだ。とてもお世話になった知人を高級天ぷら割烹でおもてなしした。注文したメニューの料金は分かっている。当然、食後の後払いである。知人がデザートを終えるか終えないかのタイミングを見計らってレジに立ちお勘定をお願いした。勘定書きを手にした会計の女性がぼくに告げた金額は、想定の60パーセントであった。「はい、そうですか」と言って支払えば、かなりの得になる。「それ、間違っていますね」とぼくは指摘した。相手のミスで昼食代を節約しようなどという魂胆はない。

この間違いのトポスに潜むのは一因だけではない。勘定書きの並べ方、カウンター席番号との照合、お客の顔ぶれ、注文内容の記憶など複数の原因がある。このように、〈多因一果たいんいっか〉が常であるならば、間違いのリスクはつきまとう。ミスを防ぐのは、おそらくシンプルな対策なのに違いない。王貞治の「プロはミスをしてはいけない」がずしりと響く。

大大阪という時代

かつて大阪が「大大阪だいおおさか」と呼ばれた時代があった。大正末期から昭和初期にかけての頃である。そう誰かが命名したのだろうが、当時の人々も自ら生活する街をこぞってそう呼んだのである。戦後の高度成長時代と比べても遜色ない繁栄ぶりがうかがえる。その昔、父親から聞いた話だが、昭和一桁時代に「一圓」あれば、二、三人で通天閣あたりに行って芝居を見て晩飯にご馳走が食べられたらしい。

その通天閣、かつての威風堂々の雰囲気はすっかりくすぶってしまい、おまけに同じ地域にハルカスが誕生して俯瞰的にもかすんでしまった。地上に降りれば観光客で賑わってはいる。けれども、ぼくの少年時代からのイメージは、土地柄とも相まって、通天閣は垢抜けしない存在であり続けている。庶民的ではあるが、その姿も周辺の飲食店も場末感が強く、しかも風紀的にも好ましい印象からはほど遠い。

通天閣 歡樂の大阪 十里一望を標榜せる新世界の通天閣

『大大阪「絵はがき集」』が手元にある。大阪に華があった当時の勢いを示す写真24景が原色のまま収められている。もちろん通天閣は24景の一つで、「歡樂の大阪 十里一望を標榜せる新世界の通天閣」という一文が添えられている。誰かが言っていた、「スマートな東京タワーに比べたら、通天閣はコテコテ。えらい違いや!」と。通天閣を設計したのは内藤多仲だが、驚いてはいけない。「塔博士」と称せられた内藤、実は東京タワーの設計者でもあるのだ。


大阪大好き大阪人もいる。しかし、大大阪時代の誇らしげな心情が100パーセント残っているなどと言い切る自信はない。「やっぱ大阪好きやねん」と言いながらも、大半の大阪人の内には二律背反的な価値観が潜んでいる。自画自賛する一方で、自虐的であったりする。観光客が大阪城や通天閣に詰めかけるのを見てあほらしいと薄ら笑いを浮かべ、ミナミなどは怪しいディープな匂いがするなどと貶されると、「気さくでフレンドリーなんや!」と意固地になって反論する。

絵はがき集の冒頭で橋爪紳也が大大阪時代のことを次のように書いている。

大阪は「水の都」の愛称を得る。「東洋のベニス」と呼ばれた都市の中之島には、パリを想起させる美しい公園が整備され、市民の憩いの場に変容する(……)「煙の都」という異名ももらう。東洋のマンチェスター(……)

引用はこのくらいでいいだろう。東洋のベニスの中にパリの公園があって、ちょっと離れるとマンチェスターのような工場地帯が乱立していたのが大大阪時代なのであった。いったいここはどこ、ベニス? パリ? マンチェスター? 観光客が増えたと手放しで喜ぶ向きもあるが、何のことはない、大阪のアイデンティティの乱れは今に始まったものではないのである。カオスを個性とする現代の大阪は大大阪時代からのDNAをちゃんと受け継いでいるかのようだ。「幸か不幸か」と付け加えざるをえないが……。

タレですか、塩ですか?

ことばの扱い一つが社会の文脈の中で決定的になることがある。軽い発言が思わぬ波紋を広げたり、表現が誤解されて致命傷になったりする。対話では、双方が織り成す文脈において、議論が合意に向かおうが対立に向かおうが、波長を合わせる努力は欠かせない。何についてどう感じているのか、そして何を言うのかに怠慢であってはならないのである。

なにも社会的文脈などと大仰に構えることもない。もっと身近な日々の生活、たわいもないやりとりの中でも実感する。ロジックということばを持ち出したりすると、難しい話だと思われるが、即興の会話の中でも底辺にロジックが横たわる。きみがそう言うからぼくがこう応じ、ぼくがこう応じたからきみが次にこう言う……というのは、最初の発言が前提となってつながる様子そのものではないか。即興とは特殊であり、一回きりのものである。相手が誰であるかに構わずいつでもどこでも同じことを言うのはアルゴリズムであって、そんなものは文脈を読まない音声合成マシーンか、社交辞令好きに任せておけばいい。

もっとわかりやすく言えば、相手のことばを今まさに生まれ出たことばとして取り扱わねば、自分が発することばにも〈いのち〉がこもらないのである。若者に「きみには尊敬する人がいるか?」と尋ねたら、彼は「人生、出合う人はみんな師です」と答えた。そんなことを聞いてはいない。そんな答えを返されると、それ以上ことばを継げないではないか。「尊敬する人ですか。ええ、いますよ」「それは誰?」「吉田兼好です」「へぇ、渋いところに行くねぇ。それは、またどうして?」……という具合にロジックが通ってほしい。


焼鳥屋

二十数年前になるだろうか、大阪の郊外に住んでいた頃の話。地下鉄からJRに電車を乗り継ぐ時に焼鳥屋に寄ることがあった。場末ということばがぴったりの路地裏の店である。一度目は店主の手際のよい仕事ぶりが印象に残った。二度目にはその手際の良さが客とのやりとりの中から生まれていることに気づいた。

ある客が「キモと皮を一本ずつ」と注文する。店主は間髪を入れずに返事しない。絶妙のがあって、「キモはタレですか、塩ですか?」と聞く。客が「タレ!」と発し、次いで「皮はタレですか、塩ですか?」とつなぎ、客が「塩!」と答える。三種類注文すれば、三回聞き返されるのである。

店主は「手羽はタレ? 塩?」などと手抜きせず、相手が常連なのに「手羽は塩ですか、タレですか?」とていねいに聞く。常連もちゃんと心得ている。「塩でお願いします」などと野暮は言わず、まるで合図のように「塩!」と威勢よく答える。「せせりはタレですか、塩ですか?」「塩!」……ト書きを省いて書けばこんな具合になる。これをぼくはロジックと表現したまでである。そう、ロジックにはリズムがあるのだ。

ある日、「ロジック崩し」をしたくてたまらなくなった。タイミングを狂わせたり、ことばをオーバーラップさせたりという程度のお茶目ではない。「ハートとキモ一本ずつ。ハートは塩、キモはタレで」と一人で完結するという暴挙に出たのである。店主はぼくに視線を投げ、うつろなまなざしのままフリーズした。その後の店主の調子はいつもとは違った。ロジックの崩れかたはぼくの想像以上であった。ロジックはたぶん折れたのだった。そして、その日がこの店にお邪魔した最後の日となった。

食を巡る栄枯盛衰

風土や食性に合った定番メニューは、人気の上昇下降や頻度の高低などの変化にめげずに、時代を経て口に運ばれる。しかし、食にもはやりすたりがある。食材の過剰や不足によってメニューが変わる。マスコミや噂に煽られて人気メニューが登場する。一時的に貪られても、徐々に飽きられ、やがて表舞台から消えていく。世界の食材・料理を柔軟に取り入れてきたこの国の人々は、食性の広さに関するかぎり世界一である。何でも食べる。そして、食のトレンドに敏感である一方で、食べ飽きるのも早い。

食文化の歴史を辿れば、日本人は近年急速に食べるものを多品種化してきた。一昨日は天ぷら定食、昨日は豚の生姜焼き定食、だから今日はパスタセット、明日はたぶん和定食……などという食習慣は世界に類を見ない特殊だ。和洋中に加えて麺類専門、カフェ系、エスニックなど店の顔ぶれが多種多様である。つまり、それだけ競争も激しいのである。

会社を興して2年後に今の場所に移転した。以来25年間、ぼくのオフィスは動いていない。つまり、ぼくはオフィスが立地する地域、とりわけ食事処によく通じているのである。たまに弁当を食べるが、ランチはたいてい外に出る。したがって、休日や出張で不在の日を除けば、約200食×25年、合計で五千食以上どこかの店で昼食をしてきたことになる。オフィスを中心に見立てると、「食事圏」は南北800メートル、東西で600メートル。おそらく二、三百軒の食事処に足を運んだはずである。


店の数が常時二百も三百もあるわけではない。看板やのれんが変わったから、合算するとそのくらいになるのである。たとえば、二つ隣りのビルの地下の食事処は現在で6店目である。大衆居酒屋、創作居酒屋、鯨肉割烹……などと代替わりし、今は洋風レストランになっているらしい。覗いたこともないから、看板から類推して「らしい」と言うしかない。このような現象が圏内にあまねく見られる。そして、25年間に及んでぼくが目撃し、実際に食事をした店のうち、屋号もメニューも立地も変わらぬ食事処はおそらく十指にも満たない。

健闘しているのは、リーズナブルで味がまずまずの店であり常連客がついている。他に、家内営業的であることだ。夫婦二人で営んでいる喫茶店がそうであり、親族経営の和食の店がそうである。もう一つ加えると、週に一、二度通っても飽きがこない、定番系のメニューを揃えていることである。創作系やヌーベル系はことごとく消え去った。さらにもう一つ加えるなら、アルバイトを過剰雇用していないことである。暇そうなパートがいる店も負け組である。

ビフカツ大

栄枯盛衰の食事処シーンを回顧するにつけ、飲食業の難しさを痛感する。パスタと洋食でまずまずの人気を集めていた店がある。イタリア語で綴られたメニューの三ヵ所にスペルミスがあって気になってはいたものの、その店には月に二度は足を運んでパスタランチかビフカツの大を注文していた。まずまず気に入っていた。ある日、その店先に移転のため何月何日に閉店すると貼り紙が出た。

閉店前後に何度か前を通ったが、移転先を告知するような貼り紙はついに出ずじまい。おそらく移転というのは廃業の口実だったに違いない。ランチタイムはかなりの賑わいだったのに、なぜ? とも思うが、オフィス街特有の事業継続のもう一つの絶対条件を見逃してはならない。夜に人が入らないと採算が合わないのである。昼にやって来る客が、仕事が終わって近くの洋食店で一杯引っかけたりしない。わがオフィス圏内で飲食業を始めようと思う経営者は、不動産屋で店を探す前に、ぼくの証言に耳を傾けるべきである。