ジョーカーだけのババ抜き

政治学者や政治評論家の諸説についてまったく知らないわけではないが、すべてを括弧の中に封じ込めて、自説を書いてみることにする。

選挙期間中にいつも思い出すことばがある。

「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である。」

服毒自殺で人生を終えた芥川龍之介。人生を重大に扱ったのか扱わなかったのかわからないが、結果的にはばかばかしくかつ危険だったようだ。芥川の言う人生を、ぼくは「選挙」や「投票」に置き換えてみるのである。一枚の投票用紙に候補者名や党名を書くたびに一票の軽さを痛感し、午後8時ちょうどの開票速報で自分の一票の無力をばかばかしく思う。しかし、その空しさを自暴自棄に変えてはならぬと承知しているからこそ、投票を重大事と見なして毎度出掛けて行くのである。昨日も期日前投票を済ませてきた。

マニフェストでうたう政策評価で候補者を選べというまことしやかな説がある。比例代表で党を選ぶ際には政策の吟味があってもいい。けれども、支持政党がない無党派にとっては、主要な政策の5つ、6つのすべての細部に立ち入って判断し、自分の考えに近いのはこの党だ! などと結論するのはほとんど不可能である。他方、決まった党を支持していたら、はじめに党ありきであるから、政策などは決定的な要因になるはずもない。


3 jokers

政策を十分に検討した上で比例代表の投票用紙に「X党」と書いて投票したとしよう。けれども、小選挙区にX党の候補者が立っていないのである。友人の選挙区では候補者が二人。二人とも支持政党に属していない。棄権したくないし白票も嫌だと悩み、当選して欲しくないのはどちらかと考えたと言う。

小選挙区の候補者を政策で選ぶなどというのは所詮ありえないのである。比例代表を党で選ぶのなら、小選挙区は人で選ぶということにならざるをえない……しかし、地域の土着民でない有権者は人そのものを知らないから、ごくわずかな活字情報から直感で判断するしかない……と言うわけで、投票には行かねばならないと権利を行使し責務を果たす良識ある有権者とて、確固とした根拠で一票を投じているわけではないとぼくは思うのだ。

このレストランで食事せよと決められ、そこに行けば3種類の料理しかなくて、どれもおいしくなさそうだ。食べたくないと思うなら、いただいた食券を放棄するしかない。つまり白票で投じるのである。ぼくの選挙区は3枚のババのうちどれかを引かねばならぬゲームのようであった。どのカードを引いてもババなのである。どれも引かないというのは、これまた白票投票になる。泣く泣く一人の候補者の名を書いたが、鉛筆を走らせている時の違和感が今も余韻となっていて、とても気分が悪い。

消去法で消していくと全員が消える。こんな候補者ばかりが立つ選挙区の投票率が上がってくるはずがない。そこで、当選させたい候補者がいない場合、落選して欲しい候補者を書けるしくみを提案したい。投票所には赤ペンも用意しておき、赤ペンの票数をマイナスカウントする。つまり、「黒ペン票数(獲得票)-赤ペン票数(批判票)=有効票」。きわめて情けない投票のしかただが、裁判官には「×」を付けるのだから、その変形的応用だと考えればいいのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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