不思議なものである。12月6日にプラネタリウムを楽しんでから空を見上げる機会が少し増えた。その日は満月であった。その三日後、朝七時に西の窓を開けた。すっかり闇から解かれた月が西の空に浮かんでいる。「ぽっかり」と言うしかない浮かびようであった。
月には「ぽっかり出る」という表現があることを思い出した。中原中也の『湖上』の一節である。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
( …… )
月は聴き耳立てるでしょう、
すこしは降りても来るでしょう、
われら接唇する時に
月は頭上にあるでしょう。
舟はどこに浮かんでいるのだろう。水辺と月は相性がよさそうだ。省略した「……」の部分に「沖」ということばがあるから、舟は海に浮かべるようである。なお、ぼくの見た月は少しも降りて来なかったが、聴き耳を立てているように見えなくもなかった。
月と海の関係について数冊の故事・名言・格言辞典を調べてみた。ちょっと時間がかかったが、マルタ共和国の次の諺に出合った。
月は眠っても、海は起きている。
地中海の島国ならではの、油断大敵を戒める諺である。月が眠っているように見える穏やかな時でも、海は危ないぞ! ゆめゆめ気を緩めてはいけないぞ! という意味らしい。ぼくの見た「ぽっかりの月」は、聴き耳を立てているように見えたくらいだから、ちゃんと目覚めていたに違いない。
太陽神に比べれば地味だが、ギリシア神話にもちゃんと月の神が登場する。太陽神アポロンと対比されるのは月の女神アルテミス、セレーネ。ローマ神話に転じると、それぞれがディアーナ、ルーナと名前を変える。ディアーナはイタリア語では普通名詞として暁の明星とか朝という意味でも使われる。午前七時に見上げたあの月はディアーナと呼ぶにふさわしかったようである。