間違いのトポス

「なぜきみはこんなミスをしてしまったのか!?」と詰問されても、即答できるはずもない。ミスを意図したのでないかぎり、ミスしてしまった本人はうまく事を運ぼうとしたはずである。そして、うまくいったと確信している者が、ミスを指摘された直後に素早くその原因を突き止められそうもない。自ら見つけたにせよ誰かに指摘されたにせよ、ミスに対して冷静であることは難しい。

あの珈琲豆店の店主はミスに気づいているだろうか。本人が自発的に気づくことはない。気づくとすれば、注文と違う焙煎豆を手渡された客からクレームがある場合のみである。では、その客はその場でミスに気づいただろうか。自宅に帰ってコーヒーを淹れようとして気づいたのだろうか。もしかすると、未だに気づいていないかもしれない……顛末を知るすべはぼくにはない。

「間違いのトポス」とは、間違いが生じた場所のことであり、ぼくは比喩的に「原因のありか」という意味で使っている。

経緯はこうである。先々週の日曜日、珈琲豆の焙煎所で「コスタリカ産スプリングバレーマウンテン」を300グラム買った。税込みで1,560円。それに先立つ一カ月前、あるカフェで飲んだ一杯のコスタリカがとても気に入り、同じコスタリカだが、地域違いの豆を焙煎してもらったのである。「焙煎待ちがすでに三人いらっしゃいます。半時間後にお越しください」と言われたので支払いを済ませ、時間を潰してから店に戻って商品を受け取った。

モカマタリ

てっきりコスタリカ産スプリングバレーマウンテンだと思っているぼくは、パッケージに書かれた手書きの品名を確かめもせずにコーヒーを淹れ、う~ん、さすがにうまいと満悦至極であった。翌日パッケージを見て驚いた。「イエメン産モカマタリアルマッカ」。ぼくの買った100グラム520円のほぼ倍額の100グラム1,050円の豆。つまり、その店の最高額の豆を300グラム分ぼくが手にし、別の客は注文したモカマタリではなく、ぼくが受け取るはずだったコスタリカを手渡されているのである。

こんな高級な豆を買うことなどめったにないから、ぼくからこの間違いにクレームをつけることはない。ありがたくいただいている。飲みたかったコスタリカのことは当面どうでもいい。


さて、間違いのトポスはいったいどこにあるのだろうか。店主が、注文して料金を支払った客の名前を聞き、注文商品の横に名前を正しく記していたのならば、ここに間違いのトポスはない。そうすると、手渡す時に間違いが生じたことになる。

間違いのトポスは、①名前とレシートの両方で確認しなかった、②注文順に商品を並べていなかった、③(ありそうにないが)モカマタリの購入者がぼくと同姓であった……のいずれか。これらの間違いのトポスを消したいのであれば、先払いにするのではなく、商品を手渡す時点で料金を徴収するしかない。但し、間違いとは別に、注文だけしておいて取りに来ないというリスクの可能性が生まれる。

ここまで書いておきながら、それでも問題のトポスは生じるのではないかと思う。ちょうど昨日の昼のことだ。とてもお世話になった知人を高級天ぷら割烹でおもてなしした。注文したメニューの料金は分かっている。当然、食後の後払いである。知人がデザートを終えるか終えないかのタイミングを見計らってレジに立ちお勘定をお願いした。勘定書きを手にした会計の女性がぼくに告げた金額は、想定の60パーセントであった。「はい、そうですか」と言って支払えば、かなりの得になる。「それ、間違っていますね」とぼくは指摘した。相手のミスで昼食代を節約しようなどという魂胆はない。

この間違いのトポスに潜むのは一因だけではない。勘定書きの並べ方、カウンター席番号との照合、お客の顔ぶれ、注文内容の記憶など複数の原因がある。このように、〈多因一果たいんいっか〉が常であるならば、間違いのリスクはつきまとう。ミスを防ぐのは、おそらくシンプルな対策なのに違いない。王貞治の「プロはミスをしてはいけない」がずしりと響く。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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