「多大志向」の反省

「大きいことはいいことだ」。1960年代後半、大手菓子会社が繁栄・発展の時代を謳歌するように大々的に宣伝した。コマーシャルソングは耳にこびりついた。冷静に振り返れば、上滑りの空回りに見える。だが、半世紀後への洞察が足りなかったなどと批判はできない。止まるところを知らない高度成長の線上に64年東京五輪、70年大阪万博、日本列島改造論があって、景気のいい話ばかりが歓迎された。

人間の未来予測は明日明後日のことでも信頼性に乏しい。そのことに気づけばよかったのだが、このまま飛ぶ鳥を落とす勢いが続くものだと誰もが信じて疑わなかった。万博あたりから一部で反省の声もちらほら聞かれるようになる。「モーレツからビューティフルへ」(70年)はその一例かもしれない。しかし、ビューティフルというお面を付けたモーレツの変種だったと思う。それが証拠に、1990年代初めのバブル崩壊までモーレツ感が時代を支配していた。

「大きい」の仲間に「大勢」があり「たくさん」がある。まとめて「多大」としておく。さて、多大はいいことなのか……今がよくても先はわからない。そもそも多大への志向性が強くなると、「もっと多大を!」を求めるのが常だ。一度何かがうまくいくと「もっと」へと向かう。小さくていい、少数少量でいいと考える人にとっては、多大を至上命題として掲げる社会は生きづらかった。多大志向が功罪併せ持つことは誰の目にも明らかだった。


重厚長大vs軽薄短小

時が過ぎ、「重厚長大」に代わる「軽薄短小」が待望されるようになる。失われた十年を挽回するのはITやソフトだと信じられた。実際、産業分野では重厚長大企業が苦戦を強いられ、軽薄短小が台頭した一面もある。産業面でも大量生産から多品種少量は必然の流れだった。ところがである。軽薄短小のほうにも色褪せ感が漂っている。

いったん社会にどっしりと腰を下ろしてしまった重厚長大への名残惜しさは容易に消えていない。「じゅうこうちょうだい」の誇らしげで頼もしい語感の後の、「けいはくたんしょう」は心細くひ弱く響いているかのようである。二つの四字熟語間の葛藤、よき思い出と忘れようとする意思の間の二律背反を今も引きずっている。

古き良き時代へのノスタルジーは曲者だ。大きいことやモーレツのウィルスは現代人の生活信条の骨格にまで蔓延している。重厚長大は産業構造の中では影が薄くなったが、マインドのどこかで幻影への憧憬は消えていない。為政者も国民も威勢のよい響きが好きなのだ。響きに合わせて踊ってしまうと、さらなる十年、二十年を失ってしまいそうな気がする。読みもしない重厚長大なおびただしい本に囲まれながら、さてどこから反省を始めようかと思案している。

どこに旅するのか?

最後に海外に出掛けてからこの11月で5年になる。この間、何度も旅程を画策したが旅立ちは叶わなかった。テロなどの情勢不安に怯えたわけではない。体力の問題と仕事の調整があるので、そう頻繁に出掛けることもできなくなっている。何年かに一度という割合になるのはやむをえず、同じ出掛けるなら半月は滞在してみたいと欲張ってしまう。しかし、半月丸々空けるのはたやすくない。特に、季節のいい時期ほど難しい。今のところ、来年の3月が最有力で、それまでに体調を整えなければならない。

加藤秀俊の『世間にまなぶ』に、旅についての印象的なくだりがあった。ランドサットから撮影した地球の隅々を映し出すカラー写真の図録をパラパラとめくっていた時に、著者は次のように気づく。

なんとなく、気宇は雄大となり、人生や世界についての日常の常識の枠組みから精神が離脱してゆくような気分になっていく(……)
旅するということは、あらたな知的刺激をうけること(……)地球は、まだ未知の空間と事物に満ちている。旅とは、その部分への体験的な突入ということにほかならない。

未知なる領域への「体験的な突入」とは言い得て妙である。突入が一過性であるよりは、突入してそこに留まるほうが常識のパラダイムシフトが生じやすいし、知的刺激の機会にも恵まれる。

ぼくは日常の暮らしを今住んでいる地域で営んでいる。国家の事情の前に、この街で暮らしている。わざわざ国に「地方の時代だ」と言ってもらわなくても、そんなことは身をもって認識している。人は、地勢の風土やそれぞれの暮らし方に応じて価値の尺度を決める。そのことに戸惑いも躊躇もない。だから、ぼくの旅に際してのパラダイムシフトとは、国から国へのそれではなく、街から街への経験的転移を可能にするものなのだ。


5年前の旅ではバルセロナとパリに出掛け、二週間滞在した。その直前、とある大阪のホテルに依頼されて英語版のガイドブックの編著に関わった。表紙に「ようこそ日本へ(“Welcome to Japan”)」と入れたいというのがホテル側の希望だったが、「いや、そうではなくて、ようこそ大阪へ(“Welcome to Osaka”)であるべきだ」と、少々意地を張った。ホテルの幹部は納得しない。激論に到らなかったが議論は長引いた。ある程度良かれと思う主張をして、それで折り合えなければ、それ以上ごり押ししないのがぼくのやり方。先方のプライドを崩してまで粘るのは、お互いに疲弊するだけだ。

「アメリカに旅してきた」と誰かが言っても、何カ月かの周遊旅行でないかぎり、どこかの都市に旅してきたはずである。サンフランシスコに旅した、ニューヨークに旅したということだろう。広大なアメリカだからというわけではない。国土25分の1の日本でも同じこと。一律に日本と言って済ませられる旅などない。東京や京都に旅したのである。もっとも、外国人観光客が日本を初めて訪れる時は「日本への旅」かもしれない。しかし、リピーターになると、旅の行き先は国から街へと変わる。外国人観光客を迎えることにまだ未熟なわが国では「日本」が強く意識される。旅人が日本にやって来るのは間違いないが、経験を重ねて彼らは街に新しい発見を求めようになるのだ。

バルセロナの旅
滞在したホテルの通り向かいの風景(バルセロナ)

再び5年前の話に戻る。先の大阪のホテルの表紙で「ようこそ日本へ」で妥協した直後である。バルセロナで投宿したホテルのフロントでは、まずカタルーニャ語で、次いで英語で「ようこそバルセロナへ」と告げられた。それはそうだろう、スペインに入国したのは間違いないが、スペイン旅行に来たのではなく、バルセロナに旅して数日間滞在しようとしていたのだから。

旅は国という概念からぼくたちを解放し、身近な街での経験を授けてくれる。たとえわずかな日数でもいい、暮らすように滞在するのが旅の醍醐味なのではないか。

なんとなく木曜日

今日が金曜日であることを知っている。けれども、木曜日について書こうとしている。その前に……。

あることに気づき、縁を感じてしまって、なんとなくわくわくすることがある。特に理由があるわけではない。たとえば、今朝調べものをしていた時のこと。一冊目の本の索引で目当ての用語を探したら「131ページ」と出ていた。別の本で別の用語を索引で引いたら、そこに「46, 131, 139……」とページ番号が出ていた。ただこれだけのことで、もう131という数字に心が動いてしまうのである。帰路に「1丁目31番地」などの住所表示に出合ったらちょっと昂揚するかもしれない。

二十代前半に勤めていた職場に、あずまさんとみなみさんという女性がいて、「ここに西か北がいたらおもしろいなあ」と思っていたら、驚いたことに西にし君が入社してきた。「これで北がいたら麻雀ができる」と冗談を言っていたら、別の部署から喜多きたさんが配属された。揃ってしまったのである。わくわくしないはずがない。左近さこんさんという人と初めて会った日の夕方に行った整形外科が右近うこんだった時も愉快だった。


週間カレンダー

サラリーマン時代は休みが日曜日だけだったので、土曜日が待ち遠しかった。土曜日の朝、「今日一日頑張れば明日は休みだ」と言い聞かせて出社したものだ。

三十代半ばで独立し、二年目にスタッフも十数名になったので隔週土曜日を休日にした。次いで、出勤土曜日を半ドンにし、ほどなく完全週休二日制に移行した。すると、どうなったか。金曜日が「わくわく曜日」に変わったのだ。なお、「月曜日の憂鬱マンデーブルー」はサラリーマン時代にはひどいものだったが、自分で会社を興してからは、月曜日のイメージが激変した。自己責任と多忙の度合に反比例するかのように、新しい週を機嫌よく迎えることができるようになった。

多忙なのに余暇との棲み分けもうまくいく。わくわく曜日が土曜日から金曜日に繰り上がり、そして今、木曜日になんとなくわくわくするようになっている。終身現役を宣言しているので、この調子だと、やがてわくわく曜日は水曜日、火曜日へと移行する可能性がある。七日ごとにやってくる曜日への期待感が年を追って変わることに、まんざら悪い気がしない今日この頃である。

言わずもがな?

ごめんなさい

どうもしっくりいかない標語である。米と魚と野菜のそれぞれに「お」をかぶせ、「さん」付けしている。幼児ならそう言うだろう。だから、三行までは幼児ことばとしては不自然ではない。だが、最後の「ごめんなさい」に引っ掛かる。「どうしてごめんなさいなの?」と尋ねる子どもがいても不思議でない。

めったに通らない道の寺の掲示板。「ほほう、こう来たか」という感覚で眺めていた。標語の書き手には何がしかの思いがある。それを敢えて語らずに、前後関係の読み取りを通行人に期待している。こういうのを〈ハイコンテクスト・コミュニケーション〉という。みなまで語らずに文脈に依存する伝達方法のことだ。

ぼくの語感に間違いがなければ、「ごめんなさい」は謝罪の気持ちを表わす表現の一つである。謝っているのは罪か過ちを犯したからだ。米に、魚に、野菜に何か良くないことを仕出かしたので謝っていると思われる。飲み込みが悪いのではない。だいたいのことは類推できる。粗末にしたか、食べ残したか、好き嫌いを言ったのだろう。


それでもなお、やっぱり小難しいことを言っておくことにする。感謝の気持ちを表わす「ありがとう」なら、余計な説明をしなくても文意は通る。毎日の食事と食材への感謝の意味として、それ以外に何かことばや情報を足すことはない。「ありがとう」なら、少々唐突に出てきても意表は衝かれないのだ。しかし、「ごめんなさい」は奇異に映る。謝罪の理由は決して「言わずもがな」として片付かない。食べ残してごめんなさい、好き嫌い言ってごめんなさいという具合に言わないといけないのではないか。

繰り返すが、何を言いたいのかはわかる。しかし、その言いたいことを文脈から察するか察しないかは、通行人である標語の読み手が決める。「言わずもがな」と考えるのは書き手の勝手な判断なのだ。屁理屈ついでにもう一言添えるなら、英語に訳してみればいい。「なぜ謝るのか」という理由無しには英語にはならないはずである。「ありがとう」には理由はいらない。エレベーターで開くボタンを押してくれている人には「ありがとうございます」か、ありがとうの意味の「すみません」の一言でいい。「わたしのために開くボタンを押して待っていてくれてありがとう」とは言わない。

話さねばわからないのか、それとも話さなくてもわかるのか。みなまで言うべきなのか、それともすべて言い尽くさなくてもいいのか。先に書いたハイコンテクスト・コミュニケーションでは多くを語らないのが基本である。論理的にとことん説明するまでもなく、「言いたいことは分かるでしょ?」というスタンスを貫く。他方、〈ローコンテクスト・コミュニケーション〉では饒舌なまでに伝えたいことを明らかにする。つまり、みなまで語るのである。

どこまで語るかは、状況に応じて判断するしかない。その判断もせずに、話してもわからない者には何を言ってもわからない、だから話してもしかたがないという諦めは困ったものである。最初から意思疎通不全を覚悟しているのなら、標語を貼り出さなければいい。いや、伝えたいことがあるというのなら、その文言でコミュニケーションができているかどうかの検算くらいしてもらいたい。

何々の時代

企画力研修テキストに「時代とテーマ」という一章を設けている。そこでは、企画を立てるには今を知らねばならない、いや、今だけではなく時代から時代への変遷を読み解かねばならない、できれば時代時代の〈知の基盤・枠組みエピステーメーに精通しておくのがよい……というような話を聞いてもらう。

時代ということばを使っていても特別な意識があるわけではない。歴史を分節してそれぞれの区分を平安時代や江戸時代と名付けているのとは違う。もっと気楽な使い方をしている。よく考えてみると、時代はかなり曖昧な用語ではないか。たとえば、「高度成長時代から成熟・デフレの時代へ」などと言う場合の時代は、遷都や革命を機とした命名の精度に及ばない。何々時代と呼ぶことには多分に主観や解釈が入り込んでいる。

オフィスにはかなりの蔵書があるが、ざっと背表紙を眺めてみたら「時代」と名の付く書名が想像以上に少ない。ジョン・K・ガルブレイスの名著『不確実性の時代』と新書の『中小企業新時代』くらいなものである。後者は18年も前の本だから、もはや新時代が色褪せて見える。前者などはそのさらに20年も前の1978年の出版。しかし、『不確実性の時代』を再び手に取って思う、今という時代も間違いなく不確実性に満ちていると。不確実性は時代を超越して現象を普遍的に捉えている表現であるかのようだ。


黄金狂時代

チャップリンの『黄金狂時代』を思い出す。黄金狂というラベルを貼った瞬間、その一言で言い表わせるはずもないのに、神妙な意味を放ち始めてぼくたちに浸透してくるから不思議である。

高度成長時代とおだてられ、そうだ、それで間違いないと信奉した時代があった。今はデフレ経済脱却を目指す時代と諭される。こうした何々時代は事実の一部を言い当てていると同時に、幻想で増幅されてもいる。

好きなだけ何々の時代と言えてしまう。誰かが「20世紀は問題山積した時代、21世紀はそれらの問題を解決する時代」と言った。言うのは勝手だ。しかし、今世紀に入って十数年、そのように時代がシフトしたと言い得るか。某企業の戦略立案に携わっていた20世紀の終わり頃、「変化とスピードの時代」とトップは標榜していた。数年前、別の企業は「選択と集中の時代」と主張していた。いずれも企業のごく目先の関心事を表現したにすぎない。

『偽善の季節――豊かさにどう耐えるか』(ジョージ・マイクス)に次のくだりがある。

現代はいろんな名前で呼ばれている。これを「懐疑の時代」と呼ぶ人もいるし、「恐怖の時代」、「願望の時代」などと呼ぶ人もいる。しかし、わたしの考えでは、現代を呼ぶのに「偽善の時代」ということばほど適切なものはないと思う。偽善というのは、人間がみずからを現実の自分以上にすぐれたものにみせようとする願望のことである。

この本の原著はさらに遡って1966年に書かれている。著者が「現代」をそう呼んでからちょうど半世紀になるが、人間の本質を衝いて真理に迫っている。地球年表的に見れば、人類が生きてきた歴史の始まりから現在に至るまでを偽善の時代と呼んでもさしつかえなさそうだ。もっとも、自虐的に偽善の時代と名付けることを誰もが了解するはずもない。だから、別の何々の時代を創作する。時代を楽しげに脚色しておかないと落ち着かないのだろう。そして、それはつねに現実よりもよく見える表現に仕上げられる。こんな甘い表現に比べれば、偽善の時代とはうまく言ったもので、的をよく射ている。

三つのセオリー

フェリックス・ガタリはその著『三つのエコロジー』で自然環境、社会環境、精神環境を提唱している。こう告げられてから読み進めていくと、もうこれ以外の環境を考えにくくなる。そうだ、三つのエコロジーとは自然、社会、精神なんだという自己説得が働いてしまう。

品質、サービス、価格、カスタマイズ戦略のいずれにも決定打がないと結論づけた後、フィリップ・コトラーは「いま、確かなことが三つある」と言った。一つ目は「顧客の価値観が多様化している」。二つ目が「顧客の要望・願望は高度化している」。では、三つめに何と言ったか。

その二つ以外に確かなことは何一つない。

なるほど、そう来たか。確かなことは二つなのだが、三つにするほうが座りがよかったのだろう。


3

「一つ」は絶対的存在で、他を排除する。また、比較対照できないから、その絶対的な一つの意味が捉えにくい。「二つ」になれば比較対照できる。しかし、融和を期待できる一方で、背反の図にもなりかねない。というような次第で「三つ」に収まっているのかどうかは知らないが、三位一体や三権分立に表わされるように、三にはバランス機能が備わっているような気がする。

ところが、三つを必然とすることに根拠があるわけではない。松竹梅は「桜松杉竹梅」と五段階でも問題なかった。走攻守でまとまっているように見えるが、「投」を加えてまずいはずはない。守破離は気に入っている三字熟語だ。しかし、離れた後に「還ってくる」という展開にするのも一つの案。経営資源の人・モノ・金には「情報」が加えられて久しいし、知情意に「創」を足して篆刻にしたことがあるが、四字熟語も悪くなかった。

それでも、一や二よりも、また四や五よりも、「三つのセオリー」「三ヵ条」「三拍子」なのだ。バランスのみならず、無難であり、語調に落ち着きが生まれる。ホップ・ステップ・ジャンプになじむと、もうこれ以外に考えられない。二段跳びや四段跳びではリズムが狂う。

いい小説を書くには三つのルールがある。

こう言ったのはサマセット・モームだ。ここでもやっぱり三つ。ところで、モームは三つのルールがあると言った以外に、それが何であるのかを誰にも語らずどこにも書かなかった。つまり、中身は不明で、ただ「三つ」だけが残っている。「上手な三拍子表現の使い方には三つの秘策がある。いずれ近いうちに公開することにしよう」と書き残して終わるようなものだ。三の力を借りて多くを語らず。なかなかの思わせぶりである。

揺蕩いと沈み

上田敏の訳詩集『海潮音』の復刻版を読み返している。原版は明治3810月の発行(使われているのは「發行」の文字)。六十篇弱の訳詩が収められいて、すべての詩で漢字にルビが振られている。

過剰なルビは目障りだ。全漢字フリガナ付きの文章だとなめらかに行を追いづらい。かと言って、もしルビが振られていなかったら、教養が足りないからもっとひどい判読渋滞に巻き込まれる。たとえば、詩集の一篇、ルコント・ド・リールの「大飢餓」の始まり四行からルビを取り払ったら、音読不能に陥るのは間違いない。

上田敏『海潮音』

古風な響きの「揺蕩たゆたい」が一行目で出てくる。最近ではほとんど見たり聞いたりすることはなく、絶滅危惧表現の一つに数えてもいい。揺蕩うは、今では「ゆらゆらと漂う」や「不安定に動く」という言い回しに置き換わることが多い。

ところが、死語として葬るわけにもいかない。「たゆたえども沈まず」という成句があり、これは他の表現で代替えしづらいのだ。パリ市の紋章に描かれている帆船の下にラテン語で添えられているのがこの一文である。

Fluctuat nec mergitur. 

パリ市の紋章 

波に揺らぐとも沈まないのは帆船であるけれども、これはパリという街の比喩である。街は変わる、パリの街も変わる、様相はあんなふうにこんなふうに変わる、しかし、パリの本質は変わらない……という主張である。もちろん、これは人の比喩として転用される。人はさまようし定まらない。信念はぶれるし、拠り所も考えも変わる。度を過ぎた揺蕩いの反動によどみが現れるかもしれない。しかし、こんなネガティブな姿勢であっても、完全に沈没してしまわないかぎり救われている。希望は未来へと繋がれる。

たゆたえども沈まず。このことばを聞いて、「そうか、漂いさまよってもいいんだ。あっちこっちとふらふらしてもいいんだ。沈みさえしなければ……」と励まされる人がいる。だが、そんな甘いものではない。たゆたっているつもりが、すでに沈んでしまっていたりするのが人生だ。揺蕩いと沈みの間に引かれる一線は、見づらく摑みづらいが、きわめて厳格なのである。

ノート拾い読み

「モーニング散策」と言ったら、「朝の散歩」と思われた。
「ぼくはあまり朝歩きはしないんですよ」
「じゃあ、モーニング散策って何?」
「自慢するほどのことではないんですがね、『モーニング』の良さそうな喫茶店を探し求めることなんです。歩くのは二の次」


若い頃からかなりの時間を割いていろんな表現を覚えてきた。覚えたものを使いこなすにはさらに時間がかかる。ことばには熟成が欠かせない。それに、使ってやろうと思っても使えるものでもない。場違いな使い方は無様である。

「多々益々弁ず」という成句を使う絶好のタイミングがあった。しかし、「話すこと言うべきことがどんどん増える」という意味に取られた。「弁」という字から連想するのか、弁術や弁論のことだと思われる。この表現、言や話のことではなく、「事」である。仕事や家事が多くなればなるほど巧みに処理する様子を表わしている。

せっせと身に付けてきた表現群の半分も通用しない時代になっているのかもしれない。


ノートのおよそ四分の一は読書の際に書き写した「引用文」である。引用文には出典を記す。しかし、たまに忘れてしまって、後で厄介なことになる。突き止められないのである。

「ヴィトゲンシュタインは理性的な判断は行動になって現れると考えた。そして説明というものは、記述で終わる必要があると。そうでないと終わりというものがないからだ。(……)」

一年半前のノートだが、最近読み返して下線部がえらく気に入ってしまった。前後を再読してみたいと思うものの、出典がわからない。ここ一年半以内に読んだ本を本棚から探し当てるのは難しい。しかし、おもしろいもので、微かに残っている記憶の糸を手繰っていき、ついにニコラス・ファーン著『考える道具』を突き止めた。デジタル万能に見える時代だが、手書きノートや本などのアナログも侮れない。記憶はバックグラウンドで働いているから、脳内検索を諦めてはいけない。


大海原

他方、きちんと出典を書いている文章もある。そこには後日再読して気づきを書き加えていることが多い。引用文は考えるきっかけになってくれる。

(……)「太平洋」は江戸時代まで我が国では何と呼ばれていたのだろうか。
じつは、「伊豆沖」「江戸沖」「宮城沖」などそれぞれの地域の「沖」という名前で呼ばれていたのである。
(山口謡司『日本語通』)

大西洋は「大」なのに、太平洋は「太」。もちろん「太い」という意味ではない。パシフィックオーシャンをほぼ直訳した「太平の海」のことである。それにしても、太平洋などという概念があったわけではない。村人にとっては村という「クニ」がまずあって、その後に大きな概念である国家という「クニ」が生まれた。海際に住む人々も同じだった。目の前の海を太平洋などとは呼んでいなかった。地元にとっては沖であり、そこに地名を冠して親しんだのだった。山も川も里も田もみんなそうだったに違いない。


ロシアの最東端に位置する山脈がある。チュコート山脈がそれ。日本列島から右上に目線を延ばすとカムチャッカ半島があり、その先に山脈の名が書かれている。そして、何度見ても、いつも「チョコレート山脈」と読んでしまう。


書きっぱなしで読み返さないノートほど無駄なものはない。書くことに意味があるのではなく、書いてからが勝負なのである。だから、ノート習慣を続ける人は時折り在庫管理をして更新する必要がある。それが脳内検索力と相互参照力を高めてくれる。要するに、自分で書いたノートを愛読書にしてしまえばいいのである。

風流と野暮

三日月

何年か前に撮った三日月の写真がある。雲を引き連れて、見えない風が流れている。風の流れ、すなわち風流が感じられる。今夜も三日月だが、見えている三日月には少しぼかしが入っている。残念なことに、今夜のぼくの位置取りが三日月を風流と無縁にしてしまった。

眼がくらむドラッグストアの煌々こうこうと照る蛍光灯 三日月かすむ /  岡野勝志

街中の店の灯りに節操がない。目立てばいいのだと全店が利己的に思えば、黄昏時の景観も褪せる。眼を患うのではないかと思うほど眩しいだけである。とりわけドラッグストアの店の明るさには閉口する。あそこまで明るくするのは野暮ではないか。品性がなく、調和や周囲への気遣いを欠いて、ただひとり派手に酔っているかのようだ。

芭蕉が「わが門の風流を学ぶやから」(遺語集)ということをいっているが、風流とはいったいどういうことか。風流とは世俗に対していうことである。社会的日常性における世俗と断つことから出発しなければならぬ。風流は第一に離俗である。
(九鬼周造『風流に関する一考察』)

風流が日常の世俗から離れることであるなら、俗世界に留まるのが野暮だろう。ドラッグストアを便利に使う身ながら、足を運ぶたびに、軽めの世俗から重くて深い世俗に入り込む感覚に襲われる。


風流は「もの」の属性ではない。感受者の内に芽生えるみやびな趣である。団扇片手の浴衣姿に一応の風流を感じるにしても、浴衣と団扇の色や柄、手足の動きの一部始終がさらに観る者の心の動きに関わってくる。後ろ姿に風流を観た。しかし、前に回ればスマートフォンを操ってポケモンGOでは俗すぎる。

風物の風情は風流に通じる。暑い夏にはせめて精神の涼をとばかりに、平凡なものに向き合う時にも風流の演出に工夫を凝らしていた。西瓜などはその典型だ。何の変哲もない果物扱いしてもよかったはずだが、夏の風物詩には欠かせない存在となった。西瓜の切り方・食べ方も風流と野暮を線引きする。切って食べる前に品定めもある。ぼくの爺さんは八百屋の店主と一言二言交わしてから、西瓜をひょいと持ち上げて左手に乗せ、耳を当てがって右手で鼓を打つようにポンポンと叩いて音を聞き分けていた。子どもの目にさえ粋な所作に映った。爺さんの買ってきた西瓜にはずれはなかった。

古い時代の京都にも、避暑ついでにうりの畑を見物する習わしがあったと聞く。今のように果物何でもありの時代と違って、瓜は貴重な夏の逸品だった。瓜畑を眺めることを「瓜見うりみ」と呼んだ。瓜見すれば、当然一口いただきたくもなる。避暑の道程から少し寄り道して一服。風流である。今日、俗っぽく生きるのはやむをえないが、心の持ち方をスパッと変えて、風流に感応する時と場を工夫してみるのがいい。

「可能性」について考えてみた

〈可能性〉という表現は悩ましい。誰かが「可能性がある」と言っても、どの程度なのかがわからない。降水確率のように数値化できるものでもない(いや、降水確率のパーセンテージにしても、たとえば30%40%の違いを感知しているわけでもない)。『新明解』は可能性を次のように解説している。

未知の事柄の実現について、(絶対不可能だと判断するだけの根拠を欠き)ある程度(十分に)可能だと予測される状態にあるととらえられること。

悩んだ痕跡が窺える定義だ。「不可能」が基準になっている点に注目したい。絶対不可能と言い切れないなら可能と言える、というわけである。可能は、「できる!」と胸を張れるような状態ではなく、むしろ「できそうもないが、絶対できないとは言い切れない」というニュアンスに近い。不可能は可能から派生したはずだが、可能の度合をはかるにあたってひとまず不可能を持ち出さねばならない。

やまとことばに可能ということばはなかった。明治以降に生まれた和製漢語だ。可能は“possible”で、不可能は“impossible”。対義語の関係にある。ところで、『アリス・イン・ワンダーランド――時間の旅』の一場面で、チェシャ猫が“unpossible”という表現を使った。辞書には載っていない。字幕では「非可能」と訳されていた。

可能性

絶望的に可能でないことを不可能(impossible)とするなら、非可能(unpossible)はどんな意味になるのか。人間らしいが“human”で、冷酷で非人間的なのが“inhuman”、しかし、“unhuman”は人間らしくない、つまり、“human”とは関係のない、という意味だ。幸せな(happy)の対義語は“unhappy”だが、これは絶望的な不幸ではない。「ハッピーな気分じゃない」というほどの意味だろう。以上のことから、非可能(unpossible)は、可能でもなく不可能でもなく、もっと言えば、可能性云々とは無関係な状態と考えられる。


閑話休題。「可能性がある」とは、ほとんどの場合、一縷の望みがあるという程度の状態なのである。そうあって欲しいという願いに近いかもしれない。英語では可能性を“possibility”(<possible)という。しかし、もう一つ、英語学習者があまり使わない“probability”(<probable)という似た表現がある。これも可能性のことだが、区別するために〈蓋然性がいぜんせい〉と訳す。もし、「できる確率の大きさ」を期待したいのなら、こちらのほうを使うのが妥当である。起こる確率は“probable”のほうが“possible”よりも大きい。

“Sure, it is possible, but how probable is it?”という表現を大学生の頃に覚えた。「なるほど、それは理屈上は可能。しかし、はたして実際にできる確率はどうなんでしょう?」という意味。「度合もわからない漠然とした可能」に対して、“probable”は「ありそうなこと、できることの確からしさ」を問題にする。だから、できることを前提にした話をする時は、可能性よりも蓋然性のほうが適切なのである。

ダイヤル番号がわからない金庫を開けるのは、一握りの金庫破りにとっては可能(possible)だが、ふつうは不可能(impossible)である。しかし、たとえ鍵がかかっていても木製のドアなら、金庫に比べて開けることができそうである(probable)。理論上の可能性と現実に起こりうる蓋然性の違いである。授業中に“possible”“probable”の違いを説明した夏目漱石のエピソードがある。「吾輩がここで逆立ちをすることは可能(possible)である。しかし、そんなことをするはずもない(not probable)」。切れ味のある説明だ。

今日も酷い暑さである。目の前のペットボトルの水を頭から浴びることはできる(possible)が、そんなことをするはずがない(not probable)。しかし、帰宅した直後にシャワーを浴びるのは大いにありそうである(probable)。可能性の議論や考察よりも、蓋然性のほうに関心を向けたい。口先だけで「できる」とほざいても何事も解決しない。気を紛らわせるだけに終わる。できることの確からしさをしっかりと考えなければならない時代である。