どこに旅するのか?

最後に海外に出掛けてからこの11月で5年になる。この間、何度も旅程を画策したが旅立ちは叶わなかった。テロなどの情勢不安に怯えたわけではない。体力の問題と仕事の調整があるので、そう頻繁に出掛けることもできなくなっている。何年かに一度という割合になるのはやむをえず、同じ出掛けるなら半月は滞在してみたいと欲張ってしまう。しかし、半月丸々空けるのはたやすくない。特に、季節のいい時期ほど難しい。今のところ、来年の3月が最有力で、それまでに体調を整えなければならない。

加藤秀俊の『世間にまなぶ』に、旅についての印象的なくだりがあった。ランドサットから撮影した地球の隅々を映し出すカラー写真の図録をパラパラとめくっていた時に、著者は次のように気づく。

なんとなく、気宇は雄大となり、人生や世界についての日常の常識の枠組みから精神が離脱してゆくような気分になっていく(……)
旅するということは、あらたな知的刺激をうけること(……)地球は、まだ未知の空間と事物に満ちている。旅とは、その部分への体験的な突入ということにほかならない。

未知なる領域への「体験的な突入」とは言い得て妙である。突入が一過性であるよりは、突入してそこに留まるほうが常識のパラダイムシフトが生じやすいし、知的刺激の機会にも恵まれる。

ぼくは日常の暮らしを今住んでいる地域で営んでいる。国家の事情の前に、この街で暮らしている。わざわざ国に「地方の時代だ」と言ってもらわなくても、そんなことは身をもって認識している。人は、地勢の風土やそれぞれの暮らし方に応じて価値の尺度を決める。そのことに戸惑いも躊躇もない。だから、ぼくの旅に際してのパラダイムシフトとは、国から国へのそれではなく、街から街への経験的転移を可能にするものなのだ。


5年前の旅ではバルセロナとパリに出掛け、二週間滞在した。その直前、とある大阪のホテルに依頼されて英語版のガイドブックの編著に関わった。表紙に「ようこそ日本へ(“Welcome to Japan”)」と入れたいというのがホテル側の希望だったが、「いや、そうではなくて、ようこそ大阪へ(“Welcome to Osaka”)であるべきだ」と、少々意地を張った。ホテルの幹部は納得しない。激論に到らなかったが議論は長引いた。ある程度良かれと思う主張をして、それで折り合えなければ、それ以上ごり押ししないのがぼくのやり方。先方のプライドを崩してまで粘るのは、お互いに疲弊するだけだ。

「アメリカに旅してきた」と誰かが言っても、何カ月かの周遊旅行でないかぎり、どこかの都市に旅してきたはずである。サンフランシスコに旅した、ニューヨークに旅したということだろう。広大なアメリカだからというわけではない。国土25分の1の日本でも同じこと。一律に日本と言って済ませられる旅などない。東京や京都に旅したのである。もっとも、外国人観光客が日本を初めて訪れる時は「日本への旅」かもしれない。しかし、リピーターになると、旅の行き先は国から街へと変わる。外国人観光客を迎えることにまだ未熟なわが国では「日本」が強く意識される。旅人が日本にやって来るのは間違いないが、経験を重ねて彼らは街に新しい発見を求めようになるのだ。

バルセロナの旅
滞在したホテルの通り向かいの風景(バルセロナ)

再び5年前の話に戻る。先の大阪のホテルの表紙で「ようこそ日本へ」で妥協した直後である。バルセロナで投宿したホテルのフロントでは、まずカタルーニャ語で、次いで英語で「ようこそバルセロナへ」と告げられた。それはそうだろう、スペインに入国したのは間違いないが、スペイン旅行に来たのではなく、バルセロナに旅して数日間滞在しようとしていたのだから。

旅は国という概念からぼくたちを解放し、身近な街での経験を授けてくれる。たとえわずかな日数でもいい、暮らすように滞在するのが旅の醍醐味なのではないか。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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