今日が金曜日であることを知っている。けれども、木曜日について書こうとしている。その前に……。
あることに気づき、縁を感じてしまって、なんとなくわくわくすることがある。特に理由があるわけではない。たとえば、今朝調べものをしていた時のこと。一冊目の本の索引で目当ての用語を探したら「131ページ」と出ていた。別の本で別の用語を索引で引いたら、そこに「46, 131, 139……」とページ番号が出ていた。ただこれだけのことで、もう131という数字に心が動いてしまうのである。帰路に「1丁目31番地」などの住所表示に出合ったらちょっと昂揚するかもしれない。
二十代前半に勤めていた職場に、東さんと南さんという女性がいて、「ここに西か北がいたらおもしろいなあ」と思っていたら、驚いたことに西君が入社してきた。「これで北がいたら麻雀ができる」と冗談を言っていたら、別の部署から喜多さんが配属された。揃ってしまったのである。わくわくしないはずがない。左近さんという人と初めて会った日の夕方に行った整形外科が右近だった時も愉快だった。
サラリーマン時代は休みが日曜日だけだったので、土曜日が待ち遠しかった。土曜日の朝、「今日一日頑張れば明日は休みだ」と言い聞かせて出社したものだ。
三十代半ばで独立し、二年目にスタッフも十数名になったので隔週土曜日を休日にした。次いで、出勤土曜日を半ドンにし、ほどなく完全週休二日制に移行した。すると、どうなったか。金曜日が「わくわく曜日」に変わったのだ。なお、「月曜日の憂鬱」はサラリーマン時代にはひどいものだったが、自分で会社を興してからは、月曜日のイメージが激変した。自己責任と多忙の度合に反比例するかのように、新しい週を機嫌よく迎えることができるようになった。
多忙なのに余暇との棲み分けもうまくいく。わくわく曜日が土曜日から金曜日に繰り上がり、そして今、木曜日になんとなくわくわくするようになっている。終身現役を宣言しているので、この調子だと、やがてわくわく曜日は水曜日、火曜日へと移行する可能性がある。七日ごとにやってくる曜日への期待感が年を追って変わることに、まんざら悪い気がしない今日この頃である。