季節の移り変わり

今から書こうとしているのは季節の「移り変わり」のつもりだが、それが「移り変わり」とどう違うのか、この時点ではよくわからない。

冬の終わりの兆しから春の気配を感じるのか、それとも春めいてきたから去りゆく冬を思うのか。季節の移り変わり、特に季節の節目をどのように判断するかは人次第。見聞きする風物がきっかけになって「冬の終わり/春の始まり」を感知する。今日はオフィスの窓際の観葉植物に春が兆していた。

フィロデンドロン
シッサスエレンダニカ

風物もそうだが、言語的な分節も季節感覚に大いに関わっている。季節は四つあれば事足りるようなものだが、この国では二十四節気に細かく分けた。立春(新暦24日)、雨水(同219日)、啓蟄(同35日)、春分(同321日)と冬から春にかけて移り変わるが、境目は啓蟄あたりが妥当か。とは言っても、縦に長い日本列島だから、どこかの誰かが勝手に決めつけるわけにはいかない。この国にはフライング気味の春もあり、しつこく粘り続ける冬もある。

二十四節気や季語や歳時記の影響を受けて一度春を感じると、その数日後に寒の戻りがあっても、もう気分は春になっていることがある。冬という文字と語感に寒さを覚えていたが、ある日きっぱりと春を感知して新しいいのちの芽生えに感じ入るようになる。

『美しい日本語の風景』(中西進著)によると、「ふゆ」は冷えるの古語「ひゆ」に由来する。そして季節が移り変わって春になると、のびのびと張り、心地よく晴れやかになる。春と張と晴のことばの源はどうやら同じようなのだ。

観葉植物に季節の移り変わりを目撃した今朝……分節によって移り変わりを感知した陽のさす窓際の午後。今日は寒く、明日も冷えるらしいが、それはそれ。